収束

 それからしばらくの間、本当に・・・私は鹿野歯科に向かわなくなった。

 本当は行きたい気持ちで山々だったが、行くのは何故だか本当に良くない気がしたのだ。


「あんた、大丈夫?」

 このところ、私を避けるようにして過ごしていた愛理が、珍しく心配そうに尋ねてくれた。

「ありがとう」

 私は例の一件もあって、あまり人気の多いところには近づけなく、一人で食べることも多かったので、久しぶりに誰かと喋っているような気がした。

「本当は私も美香の学部だったらよかったんだけれどねぇ」

 そういう愛理の目は笑っていない。


「ま、私もできる限りの手は回しておくからさ、早いところアルバイトに戻れるといいわね」


 愛理の言葉に驚いた。なぜなら、彼女に事の詳細は教えていないからだ。

 なのに、何故、私が鹿野歯科という安定職を捨てたがっているのか、理解しているようだった。

「美香ってば、本当に気付いていなかったんだねぇ」

 愛理がクスクスと笑う。


「多分、あの若先生も今頃、動いているんじゃないのかな?」


 愛理はこれから実習だとか何とかで、そう言い残して去っていった。


 どういうこと?


 私の疑問に答える人はいない。ただ、冬らしい風が吹くだけだった。




 翌日の午後。

 針の筵のような専門科目の授業後、担当教授に呼ばれた私は空き教室に連れてこられた。


「単刀直入に聞くけれど、最近、あなたがいじめに遭っているって聞いたんだけれど、本当かしら?」


 五十後半の女性教授は座ってすぐに、私に訊ねた。


 どういう表現にしたら正しいのか別だが、私がされていることはまさしく『いじめ』だ。

 もっとも、彼らに言わせれば『私という存在を忘れただけ』であるだろうし、私自身ももともと付き合いのなかった人たちからされているので、『いじめ』とはまた違った言葉が正しいのかもしれないが。


 そんな言葉遊びはともかく、目の前の人から言われていることは正しいのだろう。

「はい。いじめという言葉が正しいかどうかは別ですが」

 私の答えにうんうんと、頷く教授。

「なるほどねぇ」


「いやぁ。江美子から聞いたことは間違いなかったのかぁ」


 うん? いま、江美子って聞こえてきたとけど、気のせいだよね?

 私は思わず、教授をガン見してしまった。すると、彼女は豪快に笑った。


「ハハハ。昔、私と江美子は同じ男を取り合った中でねぇ。江美子の方が一枚上手で、鹿野政則をとられちゃったんだけれど」


 目の前の教授と江美子様の関係が気になる、というか、そんなこと話しちゃってよかったんですかい、教授殿。

 与えられる情報にくらくらしながらも、倒れなかった私を褒めてほしい。


「ま、何はともあれ、江美子から情報をもらっていてねぇ。由良さんが困っているようだから、話聞いてやって欲しいんだけれど、って言ってね。証拠・・まで揃えられちゃ、こちらも断れなくてさ」


 そう言いつつ、テーブルの上に小型の機械を置いた。

 見間違いじゃなければ、いわゆるボイスレコーダーという奴だ。

 教授は再生ボタンを押した。


 現場じゃないのに、鳥肌が立つ。

「どうやら、当たりみたいだねぇ」

 教授は含みのある笑みを浮かべながらそう言う。


「由良さんはいいお友達を持ったみたいだねぇ」


 すべてを聞き終わった後、教授はさらりとそう言う。

 この録音が録られた場所は一部を除いて、学食か。そして、残りの録音も講義室で間違いないだろう。


 そうだったのか。


 最近の愛理は少し様子が変だった。

 私が彼女の近くへ行くと何かを隠すようなしぐさをしたり、昼食も離れて座るよう指示したりと。


(そっか。ごめん、愛理)


 自分が思っている以上に、疲れていたみたいだった。

 何か今度、美味しいものを彼女にお礼として持っていこうと決めた。

「さすがにこれだけじゃあ、立花梨音以外の処罰は厳しい。だけれど、何もしなければまた君のような子が出てくるとも限らない。


 だから、申し訳ないが、私の茶番に付き合ってくれるかい?」


 教授は眉尻を下げてそう言ったので、私はその提案内容を聞いた。

「あなた鬼畜ですね」

 提案内容を聞き終わった瞬間、思わず言ってしまった私、由良美香、二十五歳だった。


「ふん。あの性悪男んところでアルバイトとして働いている君に言われたくないな」


 私の鬼畜発言に、拗ねたようにそう返す教授。

 一体、この人の過去に何があったのやらと聞き出したくなった。

 教授の作戦は簡単で、私が囮になる、というものだった(もっとも、標的になっているのは私であり、囮という言葉は不適切なのだが)。


 翌日、偶々・・、件の女子学生たちに呼び出された私は、言質を取られないように慎重に会話していた。

 彼女たちがとうとうしびれを切らして、ゼミのことを直接的に尋ねてきた。


「はぁい、そこまで」


 人払いをしたはずの廊下。

 聞こえてくるはずのない声に驚いた彼女たちは、慌てて逃げようとしたが、逃げ口は一か所しかなく、そして、その声の持ち主が現れたことによって、どうあがいても無理だということに気付き、観念した。

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