case.2
鹿野家のアルバイト事情
嵐の前兆のような静けさが続く日々が三年に進級した春の終わり、初夏にはあった。
私は久しぶりに愛理と食事に来ていた。
食事と言っても、今日は学食ではない。
そう。ずいぶんとご無沙汰していた名古屋デートだった。
ちょうどゼミも何もないから、と遊びに行こうと愛理の方から連絡があったのだ。
実家が名古屋駅周辺にあるという愛理は情報通で、最近できたレストランやカフェなど細かくチェックしているという。そんな彼女がおすすめするレストランに今日は連れてきてもらった。
「めっちゃ美味しいんですけれど」
今私たちの目の前にあるのは、焼き立てのピザ。
モッツァレラチーズとトマト、バジルだけのマルゲリータピザで、かなり美味しそうなことが見た目で分かるが、味も見た目からは裏切られなかった。
「でしょ? 最近できたばかりらしいけれど、少し奥まったところにあるから、あまり人が来ないって母親から聞いたのよ」
愛理も来店するのは初めてらしいが、結構有名なお店らしい。
「だから、美香も人目を気にしなくていいし、ね」
どうやら、偉大なる親友はあの事件のことを未だに気にかけてくれているようだ。
「そうね、ありがとう。でも、あの事件からもう一年半、か」
私はあの時に想いを馳せた。
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鹿野歯科でのアルバイトの雇用条件は特殊だ。
いや、雇用条件という意味では普通か。
勤務時間は平日が午後五時から午後八時まで、休憩なしの三時間。土曜日が午前十一時半から十七時半まで。こちらは法的には休憩なしでの雇用だが、一時間の昼休みがあるため、少しばかりは休憩できる。
勤務日数は週3日以上が望ましいが、私はサークルも何も入っていないため、よっぽどの冠婚葬祭さえなければ、皆勤がかかっている。もちろん、休んだからといってもほとんどの場合にはペナルティはないんだけれどね。
そして、『歯科助手』というたいそうなお名前が付いているが、実はこれ、資格はいりません。むしろ持っていない方が、金銭的に重宝されることもあるんだよねぇ。だからといって、資格を持っていないと薄給という訳ではない。それに、忘年会もあるので、むしろ、大学生のアルバイトとしては恵まれているのだと思う。
そういう意味では、ある程度の効率の良さは求められるが、かなりクリアなバイトだよ。
なんだけれどね。
この鹿野歯科。
非常に厄介な条件があるのさ。
それは、雇用条件が書かれた紙にも載っていない、奥様にとっても頭の痛くなるお話なのだ。
この鹿野歯科でのアルバイトをするにあたり、必要な条件。
それは、『恋愛禁止令』だ。
どこのアイドル事務所なんですか、ここは、と思うだろう。
だが、この恋愛禁止令というのは、ああいった芸能関係の事務所とは異なり、少し意味が異なる。
じゃあ、部内者とは?
通常、助手や受付は女性だ。特殊な場合を除いて、基本、恋愛は女性と男性の間に生じるもの。
それを踏まえると、対象となる可能性は二人。
大先生と若先生だ。
まあ、大先生は既婚されているので、大方の女性は見向きもしないのだが、まれにオジサマ専門の方もいる。
そして、それ以上にターゲットにされるのが、若先生。見た目はチャラいがイケメンの部類に入る大先生と六十過ぎても若く見える江美子様の遺伝子をしっかりと受け継ぎ、かなりイケメンだ。
しかも、大先生と対照的な寡黙なクールイケメン。
これは狙わない方が女として終わっているんじゃないの、というのが愛理の話なのだが、このお二人を一介のバイトだろうが、患者だろうがしつこく狙うのだ。
ああ、怖い。
五年ほど前、この歯科で若先生が診察を始めた時に働いていたバイトの大先輩が、若先生を狙ったそうで、ただ勤務時間外に狙うならまだしも、勤務中に粉を掛けたりしたらしく、あまつさえ、若先生目当てでやってきた患者さんといざこざを起こしたことで、しびれをきらした奥様にクビにされたそうだ。
それ以来、この歯科でのバイトには『大先生と若先生に粉を掛けない女性』というのが、雇用条件となり、人となりとみるために奥様との面接が義務付けられている。
私もそれの例に漏れず、面接を受け、今に至る。
奥様の面接に通ったのは私で三人目のバイトらしいが、大先生によると前に受かった二人はどうやらあまり長居されなかったようだ。なので、私のように神経が図太い人間でないとこのアルバイトは務まらないようだった。
そして、大学入って半年後、鹿野歯科のアルバイト事情に転機が訪れた。
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