何を考えているのだか
ずるずると引き摺っても意味ないよね、と気持ちを少しだけ落ち着かせるためにも、早目のお昼を取ることにした。愛理たちがいるのならばお洒落なカフェで、なんていう事が多いけれど、今は一人。
(よし。行こう)
目の前には女子が一人で食べるというのには似つかわしくない匂いと量。丼の中には濃厚なスープに入った太麺にチャーシューが二枚、海苔二枚、ネギが少々載っていた。
いわゆる家系ラーメンというやつだ。
いただきますと、小声で言ってから食べだした。
うん、美味しい。
私はこのお店が好きだった。少し名古屋駅から離れるが、せっかく一人で来ているんだからこれくらいの距離なんて大したことない。周りに座っているのは男性が多いが、時々女性もいる。最初、このお店に入った時は少しソワソワしたが、意外と店員さんも女性が多く、安心した。味も私好みだったので、それから名古屋駅に一人で来たときは、ここに必ず寄るようにしていた。
昔なんて知らないもん。
今の私を見たら、あの人たちは何というのか気にしない。今の私は今の私だ。昔の私ではない。
食べ終わり、食器をまとめて、店員さんにごちそうさまでした、と挨拶してから、店を出た。
それから家に戻った私は、先ほど買ったばかりのワンピースを着て、頂いたネックレスをつけてみた。
「これはすごいな」
多分、化粧をもう少し丁寧にすれば、私じゃなくなるわ、というくらい半端なく合うものだった。
「せっかくだし、今日はこれにするか」
若先生には見てもらえなくても、せっかくなんだからと思い、今日はこの二点を着けて行ってみるか。
まだ時間はあるので、今からこれらを着けておくのはどうかと思い、溜まっていた洗濯物の片づけや部屋の掃除をするために一度すべて外し、動きやすい格好に着替えた。
バイトが始まるまでの三時間ほど、家の中のことをした私は午前中に買ったマドレーヌをきちんとバイト用鞄にしまい込んだり、先日使ってしまった予備のストッキングの準備をしたりしていた。
(明日はセール日だから、ストッキングを購入しよう)
家にあるストッキングの在庫が切れかけている。別にタイツでもいいが、これからあったかくなってくると、厚みのあるタイツだと動きづらい。何より暑い。よって、伝線はしやすいストッキングはマストアイテムであり、ほぼ使い捨てになってしまうため、早目に補充しておかないといけない。ある通販ではとんでもなく安値で購入できるセールがあるので、ストッキングに関してはそのタイミングを多く利用している。
スマホのカレンダーアプリにそれをメモしておき、他に購入すべきものがないか、引き出しの中を確認し始めた。
「やっば」
あれもこれもと確認していたら、バイトの始まる四十分前だった。
本当は今からワンピースに着替えて、なんてしたかったが、多分それをしていたら間に合わない。
(しょうがないけど、そのまま行きますか)
私は買って来たばかりのワンピースを着るのも、頂いたベネチアングラスのネックレスをつけるのも諦めた。
しかも、慌てて出かけたので、直そうと思っていた化粧も剥げかけていたし、髪の毛の跳ねも直していない。時間がなくても最低限しようと心がけていることができていないのが、悔しかった。
「あ、しまった」
なんか身軽だと思ったら、お昼買って来たマドレーヌを家に忘れてきたようだった。
日持ちするとはいえども、ネックレスを頂いたのが昨日。できるだけ早くお礼はしたいものだ。だが、取りに戻る時間はない。
「明日の午前中か」
明日は大学の授業も朝一からあるが、仕方ない。ギリギリ教室に滑り込むことにしよう。
そう決心したところで、鹿野家についた。
「おはようございます」
大声で挨拶するが、返答はない。機械の音だけが聞こえてくるのはいつも通りだから、今日も皆さん、いつも通りなのだろう。
着替えて診療室へ向かうと、患者さんと世間話をする大先生と奥様の姿が見えた。どうやら、ちょうど診療が終わり、次の患者さんがいないようだった。
「――――いやぁ。キクさんの思うような感じじゃないよ」
あまり邪魔にならないように、目だけで挨拶して、奥に向かう。二人の話の内容が少し気になったが、先に自分の準備をせねば。うん。
いつも通りの消毒をして、スタンバイに入る。
今日は大先生の診療。
若先生と違って、優しいし、怒らない。何も言わずにフォローしてくれる、というのが正しいか。
それにこうやって勤務中でも、患者さんとよくお喋りするし、勤務後は私ともよく世間話している。
「相馬さん、お入りください」
本日、最初の患者さんである相馬さんにそう言って、診療台へ案内する。
OLの彼女は住んでいるところも違うし、勤務先も遠く離れたところにあるらしいが、以前、出張先であるこの付近で歯が欠けたということで急患として立ち寄っていただいたのだ。その後、虫歯があることが判明、ちょうど歯医者を変えようとしていたということで、そのまま鹿野歯科に来院くれてしているという。
『それに、ちょっと知り合いがいて、ね』
そういう彼女の知り合いとはあの弓道女子高校生、相原さんだというから、世間は狭い。何の知り合いかは教えてくれなかったが、たまたま来院日時がかぶると、待合でキャッキャキャッキャしているもんだから、相当仲が良いのだろう。
彼女にエプロンを着け、器具に不備がないか確認した私は、次の予約患者の準備を取り掛かり始めた。
大先生の時の三時間は短く感じる。
いや、若先生の時だって短く感じるときはあるのだが、どうしてもあの先生と組むときは長く感じてしまうことの方が多い。
「お疲れさん」
洗浄後の器具を滅菌器に入れた私は、珍しくデンタルの現像をされていた大先生と手洗い場で声を掛けられた。
「お疲れ様です」
やっぱり何だろう。このアロハシャツが似合うようなノリ。
「そういえば、もう少ししたらうちの開業記念で食事会をするから、参加してくれるよね?」
うん? 『参加する?』じゃないんですね。
「――――ええと、いいんですか?」
一応、聞き間違いかと思ったので、そう尋ねる。すると、大先生は笑った。
「もちろんさ。政幸に言ったら、参加させないんだったらやる意味ないだろ? って言われたくらいなんだよ。可笑しいよねぇ」
はい? 何、言っちゃってくれているんですかね?
私には若先生のやりたいこと、言いたいことが分からなかった。
「ま、でも事実、由良ちゃんは鹿野歯科に来て長いし、十分にうちの家族みたいなもんさ」
大先生は目を細めてそう言う。私には返す言葉がなかった。
そう認めてもらえてうれしかったから。
たとえ、本当の家族になれなくても。
「じゃあ、決まりだね」
大先生は私の考えていることに気付いたのか、そうにこやかに言った。
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