愛奈

阿部善

本文

 俺が子供の頃流行したアニメのキャラクターの、たかが五百円の人形。使い古され、汚くなり、所々穴が開き、中の綿が露呈さえしている。同じ人形を調べてもプレミアも何もなく、ただ同然で取引されている。だがそんな人形が、俺の、一番の宝物なのだ。

 隣の家には可愛らしい女の子が住んでいた。名は愛奈。俺と愛奈はしょっちゅう一緒に遊んだ。学校帰りに俺の家に愛奈を招いたり、また俺が愛奈の家に行ったり。休日には公園で遊び、夏休みや冬休みには一緒に宿泊旅行に行ったりもした。今もその想い出は鮮明に焼き付いている。兎に角、仲睦まじい幼馴染であったのだ。

 小学二年生の頃の誕生日。愛奈が俺の家のインターフォンを鳴らしてきた。その時親は家に居らず、俺一人で留守番していた。受話器を取り、

「どちら様ですかぁ?」と俺は親に言われた通りの対応をした。

「しょ、翔太君?」俺の声であると察したのか、愛奈は俺の名前を呼んできた。

「そうだよ。もしかして愛奈?」俺は喜んで答えた。

「うんうん。早く開けてよ、早く」

 愛奈がそう言った瞬間、俺は飛び上がったかのように喜び、はしゃいだ調子でドアへ向かった。そしてドアを開けた。

「翔太君、お誕生日おめでとう」と言って愛奈は俺に人形を渡した。当時流行っていた、別に好きでもない友達と共通の話題を作るために観ていただけのアニメのキャラクターの、しかも安物の人形だった。しかし、この人形をもらえて俺はとても嬉しかった。感動のあまり、涙が溢れそうになった程だった。

「ありがとう、愛奈ちゃん。大事にするよ!」そう言って俺は人形を受け取った。

「どういたしまして」愛奈が返事をした。少し照れくささを浮かべていたのを、今でも覚えている。

 小学校五年生辺りから、俺は愛奈に好意を抱くようになっていた。友達の一線を踏み越えて恋人になりたいと、そう思うようになっていた。もしかしたら愛奈もそうだったのかもしれない。だが、友達だった期間が長すぎたためか、結局愛の告白をする事は出来ず、女友達の域を出る事は無かった。今思うと、とても惜しい事をしたものだ。

俺と愛奈は同じ中学校、同じ高校へと進学した。愛奈は歳を重ねる毎に可憐に、またお淑やかに成長していった。大人しい反面その顔に浮かべる満面の笑みと、美しい黒髪が印象的であった。

 そして大学生になった。俺は地元の大学へ、愛奈は東京の大学へ進学した。愛奈と離れるのはこれが初めてだった。

「東京に行っても俺の事忘れるなよ。頑張れ」俺は愛奈の卒業アルバムにそう記した。

 大学生になって、初めての夏休みが来た。愛奈が地元へ帰ってきた。そして俺のもとを訪れた。だが、俺はその姿を見て絶句した。髪を茶色に染め、ピアスを身に着け、口紅をたっぷりと塗っていた。恰もキャバクラ嬢かのように見えた。いや、後で知った事であるが実際にキャバクラでバイトしていたらしい。俺はこの姿を見て、悲しみと、怒りが同時に沸いてきた。俺の大好きだった愛奈が、こんなに変わり果ててしまうのかと。そして何故こんな事をしたのかと。もう見ていて耐えられなかった。

「何悲しそうな顔してるの?翔太」愛奈は言った。

「いや、何でもないさ。会えて嬉しいよ」俺は返答したが勿論本心では無かった。もうこんなの愛奈じゃない。現実から逃げ出したくなった。

 あの愛奈はもうどこにもいない。今の愛奈は愛奈だと俺は認めない。俺の中の愛奈は、黒髪でお淑やかな満面の笑みを浮かべた女の子なのだ。

 この人形を見る度に、あの頃の愛奈を思い出す。まだあのような姿になる前の、少女時代の愛奈を。今の俺と、あの頃の愛奈を繋ぐ今残った唯一のアイテム。一生涯大切にし、そしていつでも想い出に浸れるようにしたいものだ。

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愛奈 阿部善 @Zen_ABE

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