子育ての切なさ

二十歳そこそこの頃の私は、結婚をする気などさらさらなかった。


一人暮らしも三年余りが過ぎ、一人に慣れきっていたし、母が再婚した際に、結婚が人を裏切るものだと強く感じたから、私は死ぬまで結婚しない。そう思っていた。


二十歳の時に上京し、就職をして、馬車馬のように働いた。忙しい時期は朝早くに家を出て、日付をまたいで帰宅することもしばしばあった。

職場と家を往復するだけの毎日。楽しいことなど無いに等しく、唯一の楽しみは食べることであった。


十一月の暮れ。

日が早々に落ち込んでしまう様子を高いビルの大きな窓越しに見て、過去を振り返って泣きたくなることが増えていた。

帰宅して、床に敷いてある黒のラグの上に転がり、一生独身でも良いのか考えるようになったのも、この頃である。


父の不倫がトラウマになっていたので、結婚はしたくない。しかし、血の繋がった子どもは欲しい。そんなことを考えていたが、当時の職場でセクハラを受けたことや、上京する前に住んでいた街で変質者に二度遭遇したことが幸いして、私は男性が極端にダメになっていた。恋愛対象として見られたり、触れられたりすることが不愉快でたまらないのだ。


それに気付いた時、私が子を持つことは無理なのではないかと思ったのを覚えている。




結果として、絶対に無理ではなかったのだけれど。



年明けすぐに生まれた娘は、成長が他の子よりも少し早い。生後3ヶ月直前に首がすわり、その日から一週間そこそこで寝返りまで出来るようになった。


現在の娘はハイハイがしたくて、けれど足の力がまだないので腰が持ち上がらずもがき、悔しそうに泣いている。


ハイハイが出来ずに泣く娘を、私は複雑な気持ちで見守っている。


まだまだ寝てばかりでも良い娘。

娘は早く喋ったり、立ち上がって歩きたいようであるが、母である私は、もう少しごろ寝赤ちゃんを楽しみたいと思っている。


娘も私が成長して大人になったのと同じように、一人で歩けるようになって勉学に励んで、いつかは巣立っていく。


私なんかの手を取らなくても、ひとりでなんでも出来るようになるのだ。


もちろん、手がかからなくなることは嬉しいし、何より楽である。けれどその反面、娘が繋いだ手を離して一人で生きていく日がいつか来るのだと思うと、切なくて苦しいと感じているのもまた事実であって。


最近はもっぱら時を止める方法を考えてばかりいる。無理だとわかっているけれど、それがやめられない。


人は変わっていく生き物であるけれど、それ故に私は不変を求めてしまうのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る