あの冬の日
私には父親がいない。
私が幼い頃、不倫をして離婚し、家族ではなくなった。十にも満たない頃の父母の記憶は、喧嘩をしている場面のみである。
幼稚園年長の私が焼肉を食べたいと言ったので、その日は少し豪華に家焼肉を父母、私と年子の妹で囲んでいた。
何がきっかけとなったのかは、私にはわからない。いつもの様に喧嘩が始まり、父はテーブルの上の皿を力任せに払いのけ、皿が割れた。父の飲んでいたビールがホットプレートを満たし、美味しいはずのお肉や野菜は、子どもにはまずいものとなった。
そんな光景を目の当たりにした子どもは、当然ながら泣く。妹は泣いた。嬉しいはずの焼肉がいやな記憶に書き換えられてしまったのだから、当たり前だ。
私は幼いながらにも、妹を守らなければという気持ちが働いて、妹を連れて子ども部屋へ早々に退散した。泣く妹は布団に潜り込み、私は子ども部屋の扉に背中をつけて父が入って来られないように踏ん張っていた。
そうして、何分か経った頃、母が来た。
母の実家へ行き、離婚の話をするのだと言われ、車に乗せられた。当時の私は、妹を泣かせる父が大嫌いであったので、離婚しても構わないとさえ思っていた。その後離婚か成立しても、特にこれといった感想も抱かなかった。
そんなことがあってから、数年。
私が小学六年生の頃のことである。女手一つで私と妹を育てていた母には、家族三人で出かけられるような時間はあまりない。
しかしある冬の日、母が言った。電車に乗って出かけようと。
私は嬉しかった。
よく晴れた冬の日、暖かな光の溢れる電車に乗ってデパートへ出かけた。
電車がトンネルを抜ける間は耳がキーンとなるからと、母が飴玉をくれた。母のくれた飴玉は何の変哲もないソーダキャンディであったが、その時食べた飴玉がどんな飴玉よりも美味しかったと思う。
妹の誕生日プレゼントを買い、デパ地下のお肉屋さんでステーキを買った。たまには贅沢をしようと、母は笑っていた。
その日は本当によく晴れていて、帰りの電車から見る夕焼けがとても綺麗で、泣きたくなったのを覚えている。
時が止まればいいと、初めて思ったのは多分この日であると思う。
あのあたたかな冬の光と、姉妹の間に母を挟んで三人で電車に揺られている光景を思い出すと、涙が止まらなくなってしまうのだ。
幸せなのだと思う。あの時の私は。
幸せな時も辛い時も、時間は同じように過ぎ去っていく。それがわかっていたとしても、私はあの日のたそがれに取り残されていたかった。
少しの贅沢でステーキを食べたことよりも、家族三人でどこかへ出かけたということが何より嬉しく、幸せであったと思う。
どこへも行きたがらない母が、自分から出かけようと声をかけてきたことが嬉しかったのだ。当時の母は出かけることがあまり好きではないようで、出かけたいと言っても、疲れているから嫌だと断られていたっけ。
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