絶対にそれを見るな!

真賀田デニム

Kとの会話


 “それ”はKにとってパンドラの箱だったのかもしれない。


 

 大げさかもしれないが六年前のあの日、スマートフォン越しに聞いたKの慟哭どうこくを脳裏に過らせるたびに、俺はその思いを強くしていった。


 そう、六年前だ。それも六年前の四月十六日。丁度その日の朝に、アメリカのマサチューセッツ州ボストンで、マラソン爆弾テロ事件が起きたからよく覚えている。お昼時に、足並みを揃えたような各社のニュースを見ながら日本人でよかったと妙な安心感を抱いていたとき、鳴ったんだ。俺のスマホが。


 液晶画面には友人のKの名前があった。電話だった。用があればLINEで済ますのがほとんどなのだが、たまにKはこうやって電話をしてくる。すぐにでも聞いてほしい話がある場合がそうなのだが、前回は確か彼女ができたときだった。おのろけ話はもう勘弁してくれよと思いつつ、無視するのも躊躇われ俺は渋々出てやった。


「なんだよ? どうかしたのか」

「いや、実はポストに■■■■が入っていてさ。うわ、どうしようって思って」


 ■■■■。俺はそれを聞いて一体なんのことだと首を傾げる。しかしすぐにKが、“とある趣味”にご執心だという事実を思い出した。たまに飲み会があればその“とある趣味”について熱く語っていたものだがなるほど、それなら■■■■がポストに入っているのも頷ける。


 おのろけ話ではなくてほっとしたのも束の間、そんなことでいちいち電話してくるなよと別の感情が発露する。俺がやんわりとその旨を伝えるとKは、


「だって■■■■だぜっ? 忘れた頃に来やがって、なんか気持ちが高揚しちゃってさ。うわ、マジでどうしよう」


 などと、確かに浮ついた気持ちが伝わってくる声色でもあった。緊張感も伝わってくるが、それも高揚する気持ちに付随するものだろう。つまり、どうしようも何もない。■■■■をその両の目で確認すればいいだけのことだ。俺に電話したのは、ある種の覚悟を宿したその背中を押して欲しかっただけだろう。だから俺は言ってやる。


「忘れた頃って言っても、どこかで待ちわびていたんじゃないのか。……だから見ろよ。“それ”を。お前のためになるものなんだろ」


 ドオオォンッ!!

 

 刹那、何か爆発する音がして鼓動が跳ね上がる。咄嗟に音のほうに見向いた俺は安堵した。テレビからだった。ボストンマラソン爆弾テロ事件の爆破の音だったのだが、それは何度も耳にして聞き慣れた音。なのになぜ、未だに胸を叩くような心音が収まらないのだろう。


「そう、だな。よし、今から見てみるよ。……確かに俺は駄目だったけどさ、そこで終わりってわけじゃない」


 ドクンドクンとうるさい胸が今度は異様にざわつき始める。Kの声が遠くの方で聞こえた。俺はそこで気づく。これは例の予兆だと。


「また前を向いて進むために、■■■■を見る必要があるんだよな。……駄目だったからこそ、これは俺の前にある。そうだ、これは俺を肯定するために存在するんだ」


 この予兆は自分が対象ではない。他人だ。そして今現在、自分の部屋にいる俺が認識できる他人はKだけだ。――すなわち、



「まだ諦める必要はない。僅かに足りないだけだ。お前ならできる。絶対に。……はは、まだ見ていないのになんかすでにそう言われている気になってきた。よーし見るぞ」


 スマートフォンから聞こえるガサッという音。Kが■■■■を見るために袋から出そうとしているのだ。

 ――駄目だ、止めなければならない。なのに声が出ない。呼吸が苦しくて息をするのがやっとなのだ。


 ヤメロ


「あれ、真っ白じゃん。なぁんてな。裏側でしたー」


 ヤメロ、ヤメロ


 俺はなんとか呼吸を整えると、大きく息を吸う。

 止めなければならない。Kのためにも。


 ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ


「ってことで、いざ、ご対め~ん」


 Kが■■■■を表にして、直視したかのようなそのとき。


「止めろ、絶対にそれを見るな!」


 俺は怒号のような叫び声をスマートフォンにぶつける。

 訪れる無音の時。

 やがてにじり寄って来る災いを感じ取った俺は。


「そ、そんな、こんなのって……うああああああああああぁぁぁッ!!」


 Kの断末魔を思わせる号叫を耳にしたのだった。

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