第37話 凡人

 白土が連れ出された後の地下牢。

 監視役も全員いなくなり、ここにいる奴隷達は歓喜の声を上げる。

 そこで隠し持っていた食糧や本などを読みだす。

 本来なら没収されるものもこの時間は関係ない。

 ここには元騎士団や憲兵団。そして、冒険者もまとめてぶち込まれている。


 過去に重犯罪を犯した者。役割を遂行出来ない者。反逆など憲法に逆らった者。

 そもそもに、【役に立たなく、微弱な力しか持たない者】。

 つまりは掃き溜めと言った場所だった。その人数は計りしれない。

 その中で、この世界に来た優達のクラスメイトも。主に、憲兵団やルキロス。そして、勇者である晴木や楓などの一部の力のある者達によって。

 情など一切なく。この地獄に入らされていた。


 そして、その一人である。


「何、呑気にやってんだよ……くそ!」


 牢屋の壁を叩きつけながら。少年は怒りをぶつける。


 ――――――沼田重勝(ぬまたしげかつ)。染めた茶髪の髪に。鋭い目付き。しかし、顔はお世辞にもいいとは言えない。

 彼は苛立ちを隠せず。手足に繋がれている鎖を解こうとする。

 恐らく、先程からこの地下牢も含めて。全く人の気配が感じられない。

 こんな状態久しぶりだ。それに、先程見えたのが。白土が楓に連れて行かれている。きっと何かあるに違いない。


 しかし、どんなに足掻いても。自分だけの力でどうにか出来る問題ではない。

 そもそも、それが出来ていたらこんな場所にいない。


 沼田は鎖を引っ張るのをやめる。無駄な抵抗だと知っている。しかし、諦めきれない。


 きっとこの世界に来たら。現実世界のように。惨めな立場から脱却出来た可能性があった。

 それなのに、自身のエンド能力も。基礎能力も。大したことのない雑魚そのもの。


 優よりはマシだと思いたい。しかし、沼田が想像していたのは。


 晴木のように誰もが憧れる勇者。楓のように強力な魔術を使用出来る魔導士。

 他の精鋭の者達は前線で戦えるだけの力を与えられた。


 なのに、自分は。泥だらけの手の平を見つめながら。


 沼田は自分の今までの立ち位置について。振り返ってしまう。




 沼田から見たら。あの笹森優も羨ましく思えた。

 考えてみて欲しい。容姿端麗の幼馴染に。頼りになる人気者の親友。

 比べて自分はどうか。誇れるものは何もない。

 さらに言えば、対人関係を構築するのも苦手である。それもそのはず。


「……ぶっ細工な顔だな」


 鏡で自分の顔を見ながら。身支度を整えて。高校へと向かう。

 正直の所。自分でもこの高校を受験して入学出来た事に。驚きを隠せなかった。

 両親からは褒められると思っていた。しかし、【よくお前が合格出来た】【しばらくは大雨が降る】と言われた。


 元々、期待などされていない。両親の目は優秀な妹に意識が移っていた。


 自分と比べて。両親の良い所を全部引き継いだような。まるで、【失敗作】の兄から学ぶように。


 そんな状態で沼田の高校生活は始まった。


 立場と言うか。どういう風に空気を読むべきか。この、自己紹介で大体決まる。

 沼田の性格は一言で言えば捻くれている。いや、正確に言えば捻くれてしまった。


 中学の頃から。自分は【苦労】する側の人間だと。様々な物事を見てきた。

 客観的に見て、顔も能力も劣っている。それなのに、この優秀で運がいい環境に身を投じてしまう。


 自分の出来る精一杯の悪あがきだったのだろう。


 自己紹介が終わる。何て言ったのだろう。忘れた。しかし、沼田はとても明るく振る舞う。

 不細工を強調し、自己評価を低い紹介。これなら、何も悪口は言われない。

 寧ろ、この悪い要素を生かせる。沼田はとてもポジティブに椅子に座る。


 だが、誰にも見せなかったその表情。それはとても暗かった。


 これで、自分の立場は決まってしまった。また、惨めな学校生活が待っている。


 また、騙し続けなければならない。そんな日常が始まる。


 そして、沼田にとって。高校生活で一二を争うぐらいで。苦くて、痛くて、辛い。

 恨んでも恨み切れない出来事が起こる。


「ぬまっちだね! 宜しく! あたしは、赤崎友愛(あかさきともえ)! 宜しくー」


「あ、あぁ……よ、宜しくな」


 サイドテールの髪に。つぶらな瞳とスレンダーな体系。

 高校二年生となった沼田。まともに女子と話す機会などなかった。

 笑いの的となり、いじられキャラとして。それなりの立場にはいた。

 だが、赤崎のように可愛くて明るい女子と仲良くするなど。


 夢やゲームの中だけだと思っていたのに。現実的に自分にも起るイベントなのかと。


 他者から見ればその時の自分は。驚く程に気持ち悪い顔をしていただろう。

 不細工な顔がさらに醜くなる。言葉に詰まらせながら。

 自分の名前を砕けて呼んでくれている事も嬉しかった。


 こんな美少女と。席が隣同士。青春はここから始まる。


 毎日が薔薇のように変わる。面白くもなかった学校生活が変貌する。


 ――――赤崎が話しかけてくれる。しかもとても好意的だ。


「ごっめーん! 教科書忘れたんだけど見せてくれる?」


「お、おう!」


 ある日の数学の授業。赤崎が申し訳無さそうに。

 舌を出しながら教科書を見せて欲しいと頼まれる。

 断る理由もなく。沼田にとって赤崎と急接近が出来る。

 これ程に利害が一致している出来事は他にない。


 机を合わせて。沼田と赤崎は一つの教科書で授業を受けた。


 小声で沼田の耳元で「ありがとう」と囁かれた時。

 一撃だった。沼田の心を撃ち抜くには。最早、沼田には赤崎以外に眼中になかった。

 彼女に好かれたい。そして、教科書の端っこが見えないのか。

 赤崎は見計らったかのように。沼崎に自分の柔体を押し付けてくる。


「あ、ごめんごめん! 後さ、ここの問題教えてくれる?」


「……っ! ど、何処なんだ?」


 すぐに赤崎は離れて。今度は肩に手を置いてくる。

 軽いボディータッチ。こんなものただの誰にでもするものだろう。

 しかし、女性経験が少ない彼にとって。


 それはもしかすると。自分にだけしか触れないのだろうか。

 彼女は自分に好意があるのか。勘違い。沼田の想いはそこで爆発する。

 脳は難解な数学の問題を解いている。しかし、体も心も満たされて熱い。

 気が付けば、真面目な脳も。煩悩によって支配されようとしていた。


 こんな日々が続いたら。沼田はある行動に出る。


「え? 何処かに遊びに行かないかって?」


 放課後。沼田は勇気を振り絞り。憧れの赤崎に遊びの約束を誘う。

 断られても。別にいいと思っていた。自分にとって高嶺の花。

 それなのに、我慢が利かなくなった。一瞬の沈黙。

 駄目元だった。だが、驚くべき事に。赤崎は満面の笑みで。


「いいっよ! ぬまっちの頼みなら断れないよ!」


「あ、あぁ! それじゃあ他の奴にも……」


「ううん! ぬまっちと二人っきりがいいよ! お願い出来る?」


 上目遣いで。そんな風にされたら。沼田に断れるはずがない。

 多量の汗をかきながら。それに了承する。


 ――――女子と。二人で出掛ける!? 沼田にとって初めての出来事。

 興奮せずにはいられない。約束の場所や時間を打ち合わせして。

 流れるように赤崎とのお出掛けが決まる。


 その日。沼田は小学校の頃にあった。まるで遠足の前日は眠れなかったように。

 一睡も出来ず、お出掛けというデートプランを練っていた。


 そして、約束の日。髪型や服装をいつもより気合を入れて。

 持ち金も多く持って来た。本当なら漫画やゲームにつぎ込む予定だったバイト代も。

 この日のために貯めてきた。準備は万端。後は彼女が来るだけ。


「お待たせ! まった?」


 思わず見惚れてしまう。彼女は花柄のスカートに白を基本とした服装。サイドテールがさらにその可愛さを引き立てている。

 直視すると顔を赤くしてしまう。制服とは違う彼女に。胸のドキドキが止まらない。


「い、いや全然、俺も今来たばっかだよ」


「おっけー! それじゃあ行こうか」


 無意識に。赤崎は沼田の手を掴んでくる。暖かく柔らかい感触が。沼田のゴツゴツとした手に伝わる。

 これだけでもう満足だ。強引に引き連れながら。沼田は赤崎との夢のような時間が開始された。


「あ、これ欲しいな! でも、高いな……」


「この服可愛いな」


「この喫茶店高いんだよね、え、奢ってくれるの?」


 ショッピングに喫茶店に映画。これはもう完全にデート。

 沼田は最高の時間だと思い、惜しむことなく。財布から万札を取り出す。

 これが当たり前だと思い。男は全てお金を出すものかと。

 経験のない沼田はそうだと思い込んでいた。良い意味でも悪い意味でも素直だったのだ。


 気が付けばすぐに時間は夕方となっていた。


 お別れの時。沼田は虚しく感じながら。また、彼女と一緒にこうやって。


「ぬまっち! 今日は楽しかったよ! それとぬまっちが良かったらまたこうやって遊んでくれる?」


 もちろんだと返答し。次の約束までしてしまう。

 有頂天に。沼田はスキップをしながら家へと帰って行った。


「あれ、おにぃ……帰ってたんだ」


 家に着くと。本当に自分の妹なのかと疑うぐらいに。美少女の妹が出迎える。

 いや、正確には避けられている。二つ下の妹。沼田栞里(ぬまたしおり)が、彼氏に呼ばれて二階の部屋へと上がって行く。


 邪魔するな。頼むから兄は姿を見せないでくれ。恥ずかしいから。

 無言の圧力で沼田は栞里と意志疎通をする。


 しかし、沼田は栞里に聞こえるぐらいの声で。自信満々に。


「聞いて驚くなよ! 俺だって女の一人ぐらい! 今日、遂にいい所までいった! お前に……少しでも近付け、がはぁ!」


「うっさい、黙れ」


 栞里に物を投げつけられ。見事なコントロールで沼田の顔面に当たる。

 顔を赤くして鼻から血を流しながら。沼田は勝ち誇ったかのように。

 やっとこれで両親も褒めてくれる。妹も自分の事を認めてくれる。


 そう思って、リビングへと向かった。


 翌日。浮かれながら。沼田は学校へと向かう。

 教室はいつもの光景。


 葉月は取り巻きを引き連れて。晴木はサッカー部の連中と話している。御門は……分からない。

 そして、遠くから夏目楓と笹森優がまた二人で話している。


 ――――何であの二人何だと。幼馴染だけだろう。スペックも違うのに。


 沼田の認識としては。笹森優はただの根暗の病弱体質野郎。それなのに、不思議と彼の周りには魅力的な人が集まる。


 この間は白土と二人で話していた所も目撃した。納得出来ない沼田。顔は負けていると思うが、それ以外は負けているつもりはない。


 嫉妬が笹森に向けられる。小さいだろう。器が小さい。それは自覚している。


 ただ、もう悔しがる必要もない。自分には赤崎がいる。

 自分にだけ優しくしてくれる。赤崎と言う存在が待っている。


 沼田はトイレに行きながら。それを断ち切って。今度は何処に行こうかと考えていた。

 尿を排出した後。手を洗ってトイレから出る前だった。


「はい、くろっち! お金!」


「……結構貰えたなぁ」


「あったりまえじゃん! あたしを誰だと思ってるの?」


 聞こえてきたのは二人の男女の声。一人は明るい声で話している赤崎。もう一人は黒川と沼田は予想する。


 黒川哲治(くろかわてつはる)。長い黒髪に長身の美形。バスケ部のキャプテンで。その神秘的な雰囲気で女子から非常に人気がある。

 最近、葉月に告白したという噂があった。真相は沼田には不明。


 沼田は壁際で気配を消して。二人の会話を聞くために。雑音をなるべく耳に入れないようにする。


 しかし、ここから先は。沼田にとって最悪で思わず耳を塞ぎたくなる内容だった。


「えぐい事するな!? はは、あの沼田から巻き上げたんだろ?」


「もぉ!? 人聞きが悪いって! 【あっちが勝手に勘違いして出してくれたんだよ】」


「そう仕組んだのお前だろう! まあ、俺は金が手に入るからそれでいいんだけどな」


「そうそう! それで……今日はあたしの家に来ない? ほ、ほら! 約束通り、さ、サービスするからさ」


 急に視界が変形するように。濁り、よく見えなくなり。可笑しいと沼田は自分の目元を触る。

 水滴が手に付着する。泣いているのか。

 沼田の心境などお構いなしに。二人の会話は進んでいく。


「可愛がってやるよ、んで? 金づるに沼田を選んだ理由は何だ?」


「あぁ……あの不細工なら女子が寄り付く訳ないし、でもほんとにさ! 手の平で踊ってくれて助かったわ」


「まぁ、この俺様が一日で攻略出来る女もあの沼田なら一生かかっても無理だろうな」


「それ言えてる! ほんと、あいつキモかったよ! 帰った後、何回も手を洗って、お風呂に入った事か」


「それは俺が取り除いてやるよ……」


 二人は寄り添いながら。この場から離れて行った。

 そこからの記憶はない。覚えているのは、自分が【ゴミ】のような存在だと再認識した事。

 そして、笹森の魅力が理解出来ない。勝てる相手だと思っていた相手。

 しかし、到底今の自分では敵わないと現実を見てしまった瞬間である。


 赤崎は腹を抱えて笑っている。対して沼田は地面に尻餅をついて。

 しばらく号泣してそこから動けなかった。


 こうして、沼田は自分の力の無さと能力の無さ。大量の人間としての【荷物】を背負いながら。


 涙を流しながら立ち上がり。この更にゴミのような状態に。微力ながら抗おうとしていた。



 ――――全てを投げ出してでも。

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