【3】大いなる誤解

「結界…我が神社にあるほこらに、1200年前から祀られている岩があるのは知っているだろう?元々あの岩を守るように、光明神社は建立されたんだ。こちらの世界を光と呼ぶのならば、あちらの世界は闇とでも言うのだろう。その闇の世界とこちらを繋ぐ通り道…それを塞いで封印していたのが、その結界の役割を果たす岩なんだ」


「ああ、岩があるのは知っている。確かにあの岩は、ある一定の階級以下の者たちは通れないようになっていたはず」


 蒼は事もなげに、父の告解を聞き入れている。樹里と黒猫は、初めて聞く単語にすっかり目が点になる。どこかで聞いたことがあるような気もするが…


「そう。その岩を代々守るのが我が一族の役目であった。この世の秩序と理を守るのは、我が一族の他にもいくつかあるのだが…それはいいだろう」


 蒼はその場で腕を組みながら、父の話す内容をじっと聞き入っている。


「だが、10年前にお前に何者かが憑いてしまった…結界を通ってきた者なのだろう。その場で退散させようとしたが、私の力ではどうにもできなかった。というよりも、先刻のように手出しが一切できないのだ…何と畏ろしい」


 話してるうちに興奮してきたのだろうか、蒼の父は少々病的とも言えるほどに大袈裟な身振り手振りで話を続ける。


「だがな!枕元にご先祖様が突如降り立ったのだ!そして、解決法を授けてくださったのだ!」


 蒼は冷静に父の様子を静観しているが、少女と黒猫は蒼の父のただならぬ様子に吐き気すら覚える。父の語っていることは、何か的を得ていない気がしてならない。


「蒼…お前に10年前に憑依した中の者…そやつを追い出すのには結界を解くように、そう教えられたのだ…ご先祖様の魂に。それがちょうど1年前の今日だったのだ」


ーーーーー215ーーーーー


「………で、1年前に結界を破ってしまった…と?1200年も破られなかった結界を、俺から何者かを追い出す…ただ、それだけの理由で?」


 父を見つめる蒼の表情がいつの間にか陰っている。見つめられた蒼の父は恐縮し、おもてを上げることができない。あたかも蒼に畏怖の念を抱いているかのように。


「愚かだな」


「お、お前に父の気持ちが分かるわけあるまい?息子を守りたいと思うのが親だろう。私の行いは何も間違ってなどいない」


 初老の男性は、何とか震える声を制しながら、顔を上げずに反論する。その様子を見ている蒼はというと、憐れみを感じているかのように表情を和らげると、ゆっくり…言の葉の調べを奏でていく。


「そもそも、父さん…あなたは思い違いをしている。というより、騙されている」


 大きく蒼はため息をつくと、一気に言葉を放つ。


「私は、お前の恐れている闇の世界の住人などではない。闇の世界から溢れ出してくる悪夢を制御し、こちら側が混沌としないように見張っているー」


『守り神様だぜ』


 ここにきて、ようやく黒猫が口を開く。自信たっぷりにポーズを決めている黒猫が可笑しくて、少女と、蒼さえも吹き出す。


 それを見て対照的な様相を呈したのが蒼の父である。


「では…私がしてきたことは何だったのだ。見当はずれもいいとこじゃないか。私は…何てことをしてしまったのだ…」


「そう。その上、あなたを騙していたのは………そろそろ姿を現したらどうだ?」


ーーーーー216ーーーーー


ちっ




「このまま、バレねえように姿消してやろうと思ってたのによお。さすが、夢喰は抜かりねえな」


 舌打ちとともに、中央に降り立ったのは、倒れていたはずの翠淋である。ノートンの憑依は未だに解けてはいないようだ。


「す、翠淋!」


「まだ、妹の中にいるのか。いい加減自分の足で立ってみたらどうだ?」


「うるせえ!俺様はこの体が気に入ったんだ、このまま闇に連れて帰るぜ」


「そんなことさせるわけないだろう?消滅したくなければ、とっとと体を手放してあちら側へ帰れ」


『夢喰様、オレがやりましょうか?』


 不意に、蒼の父が宝刀を掴み、立ち上がる。刀を構え直し息を整えると、今までの状態が嘘のように、全身から覇気が漲ってくる。


「いや。ここは私にやらせてくれないか。自分のしたことの責任は、自分で取らせてくれ」


 一歩も譲らない様子の父を、誰が止めることができようか。これは男のけじめの付け方だ。蒼は目をつぶると深く頷き、樹里を抱き寄せると安全な位置まで下がる。


 その様子を見た父も、目をつぶると軽く会釈をし、自らの娘と対峙する。


「お涙頂戴はいいのか?今のうちに別れを惜しんでおいた方がいいぜ」


「黙れ。おぬしだけは許さん。娘を返してもらおうか」


 そう言うと、構えた刀の刃から炎のように揺らめく霊力を放出し、刀が何倍もの大きさに膨れ上がる。


 余裕な面持ちで見ていたノートンも、瘴気の大太刀を口から放出し、両手に構える。


ーーーーー217ーーーーー


 第一の太刀が双方より繰り出される。快音を響かせると、半径300メートルほどの範囲に衝撃が走る。樹里の周りには結界のようなものが張られていて、音以外は何も通さないようだ。


「さすが蒼の父だな。神通力というのはこれほどまで凄い威力を持っているのか…いやはや、この娘も楽しみだ」


「こんなのは様子見だ。次、決める」


「ぶはははは!親子揃って生意気な口ききやがる。相手にとって不足なし、ってところだな!」


 蒼の父は目を閉じると、厳かに儀式を運ぶように呪文を唱え出す。刀から出ていた赤い炎が、紫色に輝き出す。


「………行くぞ」


「望むところだ」


 2つの影がぶつかった…と思ったのも束の間…次の瞬間1つの影が屋上へと落下する。


ーーーーー218ーーーーー


 無傷で降り立ったのは、蒼の父であった。



 落下した地点へと急ぐと、翠淋が倒れている。細かい擦り傷はあるものの、命に別状はないようだ。


 翠淋は放心状態で体を起こすと、少年を見つめ、満足そうに微笑む。その様子を見て、3人と1匹は安堵の吐息をもらす。


「わたし…ここで何を…?」


 拍子抜けするような無邪気な声で、先ほどとは別人のように翠淋が首をひねっている。無邪気すぎるのが返って恐ろしく、樹里は翠淋には近づけそうにない。



 その様子を見た蒼も、妹は父に任せて、樹里の肩を抱き背を向けた時………



 後ろから何者かが駆けてくる音を聞き、瞬時に振り返るが………


ーーーーー219ーーーーー


ドス…







 今まで聞いたこともない、不気味な音が辺り一面に鳴り響く。






 蒼と樹里の振り返ったすぐ後ろに、蒼の父が背を向けて立っている。


「父…さん…?」


 後ろ姿から、返事はない。



 時が止まったかの如く、人も空間も沈黙する。



 その異様な静けさに、嫌な予感が止まらない。


ーーーーー220ーーーーー


 もう一度、蒼がダメ押しのように、押し黙っている男性に声を掛ける。



 ふと…背を向けた父の広い背中から、赤い染みが滲んできていることに気づく。その染みがみるみるうちに広がっていき、地へと滴り落ちる。



 間も無く、父の体は地面へと崩れ落ちる。



 そして、その後ろには赤く染まった宝刀を震わせながら握っている翠淋がいた。



 地面に体躯が叩きつけられる寸前、蒼の大きな手が受け止める。



 ルゥが即座に翠淋から刀を取り上げるが、もう刀には何の力も残ってはいない。


「な…なぜなの…私は…樹里さんを…」


 蒼の父は目も開かない状態で、辛うじて聞き取れる声で囁く。


「良かっ…た………我が…子2…人…とも…無…事で…」


ーーーーー221ーーーーー


 その台詞を遺し..........蒼の抱える体から緊張がとけていく。



宝刀を纏っていたような熱い炎も…


睨みつけるような威圧的な瞳も…



虚空の彼方へと消えていった。



 遺されたものは…



この上無く、安らかな笑みと、忘形見だけ。


ーーーーー222ーーーーー


「あ…あ…あああああああ…」


 後ろで絶叫している妹を見ても、少年は人形のように動かなくなった肢体を、ただ抱き続けるだけ。



 かける言葉が見つからない…樹里は無言のまま、呆然と立ち尽くすことしかできない。


『シ…ショウー』


 ルゥが何か言いかけたとき、戦いの最中に大きくなった裂け目から、一気に夢が溢れ出してくる。



 流れ出す黒い潮流の圧力に、病院の屋上は今にも崩れ落ちそうになる。



 その時、樹里の左手の腕輪から“何も映さない鏡”が飛び出してくる。



 鏡は何も映していない鏡面部分から黒い渦を吸い始めると、溢れ出した夢の欠片も、蒼の父すらも吸い込んでいく。



 吸い込まれていく黒い潮流に足を取られ、危うく流されそうになったとき、樹里の顔の前に手が差し出される。


「樹里こっちへ」


 完全に正気を取り戻した蒼の手を取ると、間一髪で崩れ始めた足場から逃れることができる。


ーーーーー223ーーーーー


 いつの間にか、建物の崩壊は収まり、溢れ出していた夢の渦もすっかり消え失せていた。



 ルゥを見ると、しっかり腕には気絶した妹を抱きかかえている。もはや翠淋には、わずかな邪気すらも残ってはいなかった。



 蒼のお父さんは、命を賭して、娘の正気を取り戻させたのかもしれない。


「しばらく…こうさせて」


 蒼は樹里の返答を待つ時間も惜しいかのように、激しく抱きしめると、その勢いを止めることなく少女の唇を求める。息もできないほどに舌を絡め取られ、咥内を隅から隅へと弄ばれ、頭の中が真っ白になる。欲望剥き出しの行動とは真逆の、彼の心の叫びを樹里は全身から感じていた。



 温かな旋風つむじかぜが、ふと、2人の体を通り抜ける。



 風が通り過ぎたあと、体を離した蒼には、雪解け後の新緑のような美しさがあった。



 まだ、夜明けまでは程遠い夜空を、2人と1匹は静かに眺めていた。


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