【2】覚醒








         「夢喰様」







ーーーーー207ーーーーー


 その名前を聞いた途端に、とめどなく涙が溢れ出る。







 実際は、少年の目を見た瞬間だったかもしれない。







…体の隅々が…こころの奥底が…震えだす…


ーーーーー208ーーーーー


 夢喰と呼ばれた人物は、ルゥの顎の下を軽く撫でると、樹里のすぐ目の前で身を屈める。




 そして、湧き水のように滴り落ちる少女の涙に口づけを落とす。




まつげに………

 


  頬に………



    鼻筋に………



      それから………唇に………




 それまでの時間を埋めるように…お互いを確かめ合うように…




 2人はお互いのぬくもりを重ね合わせた。


ーーーーー209ーーーーー


 どれくらいの時間がたったのだろうか…



 どれほどの想いをつなげられたのだろう…



 ようやく、お互いの表情を確かめられるほどに落ち着いた頃、自然と言葉がこぼれ落ちる。




「夢喰さん…なの?」



「はい」



 見つめる瞳はどこまでも澄んで、優しく微笑みながらも、力強くこたえる。



「蒼…なの?」



 眼差しはどこまでも力強く、恥ずかしそうにはにかむと、いつも通りの澄んだ低音を響かせる。



「そうだよ」


ーーーーー210ーーーーー


 1番聞きたかった言葉が、1番知りたかった答えが、やっと見つかった。





 言葉にしなくても分かる......隣にいる男性も、自分と同じ気持ちでいると。





 これ以上にないほど甘い視線にとろけそうになる。絡め合う指先から伝わるぬくもりが、髪の毛の1本1本にまで行き渡っていく。耳にかかる甘美な息遣いに、背に回される力強い手に、時折押し当てられる唇に、ここが夢かうつつか分からなくなってしまう。




 時間を...目的さえも忘れそうになっていた頃、後方で咳払いをする者がいることに気づく。


『えと…邪魔立てして申し訳ありませんが』


 黒猫の姿に戻ったルゥが、申し訳なさそうに目を逸らしながら、しかし後には引けないとばかりに、蒼の裾を引っ張っている。


ーーーーー211ーーーーー


『夢喰様はいつから…いえ…どうやって蒼の体に?』


「随分と遡ると思いますが…如何にしてかは、はっきりとは言えません」


『では…ショウの魂はどこに?』


 少年はわずかに驚いた表情を見せるが、すぐにいつも通りのあどけない笑顔を作ると


「俺はずっとここにいる。さっき樹里に正気に戻してもらった時に、今までの事が頭の中に映像として流れてきたんだ。話すと長くなるし…」


と言うと、樹里のほうに向き直り、つかつかと歩いてくる。樹里はいきなり後ろから包みこむように抱きしめられる。


「今はこいつを守ることが先決だからな」


 大胆になった幼馴染の行動に、恥ずかしさのあまり少女は顔を上げられない。ほんのわずかな間に、少年は急激に大人びた気がする。


『もう…夢喰様は蒼と融合を果たしたのですか?』


「蒼!翠淋!!!無事か!?」


 黒猫が話すのとほぼ同時に、低く少し嗄(しゃが)れた叫び声が聞こえてくる。


「親父!?こんなところで何してんだよ」


 “親父”と呼ばれた男性は、少年の姿を確認すると、普段からの厳めしい面構えを、より眼光鋭く睨みつける。そして男性の右手は、左の脇に挿している太刀らしきものに手をかけているように見える。それから低く唸るように、少年に向かって驚くような言葉を発する。


「貴様………その目は…あの時の…」


「何言ってんだよ、親父?」


「貴様と会うのも10年ぶりではないか。あの時は殺し損なったが、今日は覚悟を決めてやってきた。大人しく、その体から出るなら見逃してやろう。さもなくば………!」


ーーーーー212ーーーーー


「おじさま待ってください!蒼は蒼なんですよ!?」


 樹里は思わず蒼とその父との間に割って入る。会話だけでなく、文字通り体も割り込ませる。蒼の父のあまりの気迫に、全身がビリビリ痺れ倒れそうになるが、ここで引き下がるわけにはいかない…本能的にそう感じる。


「樹里ちゃん、そこを退きなさい。退かないならば、蒼と一緒に斬る…」


「お願い!おじさま、蒼のことをよく見て!10年前の過ちを繰り返さないで…!」


“10年前”というキーワードを聞き、突如少女の後ろにいる少年の声色こわいろが変化する。


「10年前、俺を…殺そうとした?ああ………だからお袋は俺を連れて家を出たんだな」


 蒼は赤い目を真っ直ぐ父に向け、悲しみに満ちた表情をしている。こんな時にあまりにも不謹慎ではあるが、樹里は少年から漂う妖艶な色香に、完全に目が釘付けになる。


「そして、今また同じことを繰り返そうと言うんだな…」


「そ、そうだ。あの時は、かわいい我が息子を手に掛けるなんて、出来ようはずもなかった。だが、今は…今なら…ええい、やめろ!そんな目を私に向けるんじゃない」


 どうやら、初老の男性もすっかり少年に魅了されたように、覇気がみるみるうちになくなっていく。そして、握っていた宝刀を鞘ごと取り落とすと、そのまましゃがみ込んでしまった。



 このまま事なきを得るはずだった…不意に蒼の父が俯いたまま、含み笑いを始めるまでは。


ーーーーー213ーーーーー


ふふ…



ははは…


「最初から分かっていた。私は息子に触れることすらできない…手に掛けるなんておそろしい事、出来るはずもない。だから、1年前に結界を破ったんだ…この日のために」


「どういうことだ?」


《え…?》


『ケッカイ?まさか…ショウのオヤジさんが…?』


 2人と1匹は互いに顔を見合わせ、蒼の父が次に発するであろう言の葉をもれなく聞き取るべく、固唾を飲んで見守った。


ーーーーー214ーーーーー

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