【2】家庭の味

 マンションに戻ると、樹里はとりあえずシャワーと着替えを済ませ、お隣にお邪魔することにした。今日は蒼の母親が1週間ぶりに出張から帰ってきており、夕飯をご馳走してくれるというのだ。


 蒼の母親、風早かぜはや 咲羅さくら は、蒼の父と別居後仕事に復帰し、それ以来 年の半分は出張で家を空けている。非常に明朗闊達な性格で、いかにもカッコいい女性という感じで、樹里は彼女と話すのがいつも楽しみであった。


「お邪魔しま~す」


「あ、樹里わりい!ちょっと部活で呼び出されちゃってさ。お袋と先にご飯食べてて」


そう言って蒼は急いで出て行ってしまう。廊下を歩いていくといい匂いがしてきた。


「サクラさん、お久しぶりです。美味しそうな匂いですね」


 蒼とよく似た、屈託がない笑顔が出迎えてくれる。


「樹里ちゃん、慌ただしくてごめんね~。ご飯もあと1時間くらいかかっちゃうから、蒼が戻ってくるまで一緒に待ってましょう」


 樹里が居間のソファーで涼んでいると、咲羅さんがコーヒーを注いでくれる。


「昨日は神社の方に泊まったんだって?蒼と父親の仲は相変わらずだったでしょ…実はね…」


そう言うと、咲羅は今まで樹里が疑問に思っていたことについて話し始めた。


「昔、あの子が幼稚園だった頃3日間昏睡状態だったことがあったでしょう?でね、退院して戻ってきたときに…父親が…蒼はうちの子じゃないって言い出して。さらに…」


 咲羅は言いにくそうにしていたが、意を決すると長年溜め込んできた台詞を吐き出した。


「蒼の首を絞めて殺そうとしたの。元々あの人(父親)は子供を可愛がるタイプではなかったけれど、さすがにあそこまでする人とは思ってなくて。だからその後、私は蒼を連れてここに引っ越してきたの」


 樹里は何となく父と子の不仲について察する所はあったものの、ここまで酷い事情があるとは考えていなかった。両親の別居の原因が蒼にあったなんて…。


「蒼は…そのことを知ってるんですか?というか覚えてるんですか?」


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「いいえ。覚えてはいないみたい。殺されそうになったことは今でも知らないはずよ。これからも私は言うつもりはないわ。ただ…樹里ちゃんには伝えておきたくて。もしも…蒼に何かあったら、樹里ちゃんしか支えてあげられないと思うの」


 涙をいっぱい目に溜めた1人の母親を目の前にして、樹里はただただ頷くしかできなかった。こんな秘密を1人で抱えて生きていくのは、さぞかし辛かったであろう。


「樹里ちゃんがお隣さんで本当に良かった。樹里ちゃんがいなかったら、蒼はこんなに素直で優しい子に育たなかったと思うわ。ありがとう」


「サクラさん、蒼は大丈夫ですよ。サクラさんが思ってる以上に蒼は強いです。普段はヘラヘラしてるとこもありますが、いざという時には頼りになりますもん。そんな蒼が…私も好きです」


 咲羅は樹里の言葉を聞き、すっかり安心したようだ。次の瞬間にはいつも通りの明るい笑顔に戻っていた。そしてちょうどいいタイミングで話題の主が帰ってくる。


「ただいま!腹減った~」


「おかえり~。岡崎先生に呼び出されたの?何だって?」


 岡崎先生はクラス担任でもあり、サッカー部顧問でもある。英語教諭だが、英語がそんなに上手だとは思えない。英語より他の言語の方が得意だと豪語している。


「まぁ、大したことじゃなかったよ。それより、明日はテストあるんだってさ!」


「ええ~。明日も休みかと思ってた。がっかり~」


 それから2人が勉強している時に、凪から電話が掛かってくる。どうやら凪の父親の意識が回復したようだ。


 樹里と蒼はホッと一安心すると、明日のために早く寝ようということになり、樹里は自分の家に戻る。


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