【3】逃亡者

『…リ…ジュリ!』


 心配そうに顔を覗き込む黒猫がぼやけて見える。頭は少しずつはっきりしてきているが、手足は痺れて言うことを聞かない。


『ジュリの呼吸が止まりかけてたから焦ったぜ!もしかして現世に戻ってたのか?鈴を使わないで戻るのは危ねぇんだ。でもこっちにギリギリ戻って来れて良かったな』


《私たちどうしたの?体は動かないし、声も出ないんだけど…》


 樹里は口も麻痺して声を出すことができないので、思念で会話をする。


『ヤツらに睡眠薬盛られたみたいだぜ。あんまりにも飯がうますぎて気づかなかった。オレの不覚だ』


《眠らされてたのね…。彼らの目的は何なのか分かる?》


 黒猫はシッ!と口に手を当てる。直後にドアの開く音が聞こえる。何者かが近づいてくる気配がする。


「よう~クロ。女は起きたか?飯持ってきてやったぜ」


 男の声が聞こえたあと、ガチャガチャと金属音がし、何かが置かれる気配がする。それから男はドアを出て行ったようだ。


『あのヤロウ、オレのことクロとか呼びやがって!オレにはルゥって名前があんだ』


 ルゥは今自分たちが置かれてる状況よりも、“クロ”と呼ばれたことに腹を立てたようだ。


 ルゥに水を飲ませてもらうと、樹里は少しずつ体の痺れもとれ、起き上がれるくらいまで回復した。


「ルゥ、ありがとう。あっ…クロの方がいいかな?」


 ルゥはぷりぷりと怒り、樹里の頭を小さな手でぽかぽかとぶつ。1人と1匹には少しだけ心にゆとりができたようだ。


ーーーーー97ーーーーー


 起き上がってみると、部屋の様子が隅々まで見てとれる。薄暗い部屋の中には酒樽や食料、何だか分からない物がゴロゴロと転がっている。入り口には小さい小窓だけが付いており、向こう側から明るい光が漏れている。どことなくカビ臭い。


 樹里たちは手錠や鎖には繋がれていないが、鉄格子の檻に入れられているようだ。猫1匹通れそうにない。


「ねぇ。ここからどうにかして逃げ出せないかな?ルゥの力で何とか」


『できなくもないけど、アレやると腹減るんだよな…まぁいいや。鈴ちょっと貸して』


 樹里は鈴をブレスレットから取り出し、ルゥの耳にかけた。するとルゥの全身から眩い閃光が放たれ、みるみる巨大化していく。


 ついには、体で檻を突き破ってしまった。そして天井を突き破らないギリギリの所でルゥの変身は止まる。


『ここから脱出するのは簡単だが、ヤツらの目的が気になる。最初に取られた鍵と、アトラクションで得られる鍵の2個を手に入れないといけねーしな』


「鍵はおそらくノートン船長が持ってるはずよね。どうやってそこまで行く?」


『任せときな。ちょっと荒っぽいぜ』


 ルゥはニヤっと笑うと、大きな口を開けて力いっぱい息を吐き始めた。扉から外にいた見張りまで次々となぎ倒していく。体はみるみるうちに萎んでいき、馬位の大きさになる。


『さぁ、乗って。しっかり捕まってろよ』


 樹里がルゥの背中に乗ると、周りの景色がすごい勢いで変化していく。黒猫の動きが止まったときには、もう甲板まで来ていた。


 通ってきた道々には、死屍が何体も転がっている。それらはもう、数百年も前に白骨化したと思えるほどに薄汚れ、朽ちかかっている。


ーーーーー98ーーーーー


 ゾクリとする寒気に襲われ、樹里は振り返る。


 歯をカチカチと鳴らし、邪悪な気を纏った骸骨化したノートン船長が視線の先にいた。1歩、1歩と着実に近づいてくる。


「あなたの目的は何?私たちを閉じ込めてどうするつもりだったの?」


 樹里の問い掛けに、船長は歩みを止める。カチカチと鳴らす歯の音をより一層大きくし、不敵な笑いを浮かべながら答える。


「さるお方に頼まれたんだ、黒猫と共に現れる少女を捕らえて引き渡せってな。鍵は報酬としていただいたまでよ。それにしても、こうも容易く捕まるとは思ってもみなかったから、物足りなさを感じていたところだ…少しは骨のありそうな奴で安心したぜ」


『さるお方って誰だよ!?お前は夢魔だろ?夢魔が何で誰かに仕えたりすんだ?』


 すると邪悪な骸骨船長は、嘲り笑うと黒猫に見下した態度をとりだす。


「ぶはははは!夢式神も堕ちたものだ!あのお方を知らぬとは笑止千万。それとも何か?お前のご主人様は何も教えてくれてないのかな?可哀想なクロちゃん」


 ルゥからブチブチっと怒りの音が聞こえた気がした。樹里はどうしたらいいか分からず、ただおろおろしている。


『はぁ?答えになってねぇんだよ!オレは誰かって聞いてんの。夢喰様が知ってるって?だとしても、オレが知る必要もないほど取るに足りない相手なんだろ。さるお方こそくだらねぇな!』


 今度は骸骨船長から湯気が湧き上がった気がした。樹里は2人のやり取りに全く口を挟むことができず、ピンポンの試合を観るように眺める。


ーーーーー99ーーーーー


「お前みたいな下っ端に用はない。つべこべ言わず女を寄越せ」


『貴様こそ力ずくで来いよ。そして帰って“さるお方”に言うんだな、“少女にはすげぇボディガードが付いてて歯が立ちませんでした”とな』


 ノートン船長は“良かろう”と言うと、何かブツブツと唱えだす。すると倒れていた死屍が次々と起き上がり、30体ほどが黒猫に襲いかかった。


 ルゥも負けずに1体、そして1体と爪と牙で斬りつけていく。しかし倒しても倒しても、躯はまた起き上がり黒猫に向かっていく。


 しばらく抗争は続いていたが、ルゥもだいぶ息が上がっている。肩で息をし、疲労の色が隠せない。そして船長の喉元まであと少しという所で、20体ほどの躯に覆い被さられ動きを封じられる。


「お遊びは終わりだ、骨の折れるやつめ。トドメを刺してやる。じゃあな、クロちゃん」


 呆然と見ていた樹里だが、ここに来てようやく動き出す。左手首に触れ、夢神器の鳥カゴを取り出した。


 鳥カゴには一見何も入っていない。しかし樹里は何とはなしに戸を開け放した。


 すると中から、世にも美しい紅蓮の炎を纏った鳥が現れた。両翼は緋色に煌めき、くちばしと脚は鋭く透明で、冠羽と尾羽は長くゆるやかにたなびいている。


 紅蓮の鳥はふっと周りを見やると、死屍めがけて飛んでいく。あとに残ったのは消炭のような灰と黒い陰だけであった。


 鳥は進路を変え、一路骸骨船長へと突き進む。船長は慌てふためき、鳥の嘴が触れる寸前に海へと身を投げる。


 鳥は樹里の持つ鳥カゴに戻ると、鳥カゴごと姿を消した。


ーーーーー100ーーーーー


『しぶといヤツめ。尻尾巻いて逃げてったな。次に会うときまで覚えてろ!』


 ルゥは海に向かって吠えている。それから樹里に向き直ると語り始める。


『さっきの鳥は【鳳凰ほうおう】と言って、火の化身なんだ。鳳凰の業火の炎に焼かれたものは、灰となり跡形もなく消え去るだけなんだ。罪人だけを焼き、地獄の苦しみを与えると言われてる。まさかそんなものが夢神器の中に入ってるとは…驚きだぜ』


「私にとっては全てが驚きなんだけど。ノートン船長が言ってた“さるお方”って誰なのかな…」


『そうだな。感心してる場合じゃなかった!いったん入り口に戻ろうか…とその前に!鍵忘れずにな』


 ルゥが指差す方向には鍵が1個落ちている。


 樹里が鍵を拾い上げると、船はもう1つの鍵へと姿を変える。



 鍵2個を手に入れ、樹里は鈴を振り銀色の扉の中に戻る。


ーーーーー101ーーーーー

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