【第3章 1】突入(第1日目)

 銀色の扉の前に少女と黒猫は立つ。


 その扉は見ているだけで鳥肌が立つほどに冷たく、静かに佇んでいる。


『さぁ、準備はいいか?』


 樹里は生唾を飲み込むと…深呼吸をし…そっと頷く。そして、重い扉をゆっくりと確かめるように開けた。


ギィィィィィ…


 視界に飛び込んできたもの…それは深い、宇宙の彼方のような漆黒の闇。光も音も匂いさえない…無の世界であった。


 そして樹里は気づいた。

足に当たる地面の感触も、体を包む大気すらないことを。


落ちる…!


 懸命にもがき、空をつかもうとする。周りに何一つとして存在しないのだから、つかめるはずもない。樹里の手足は虚しく、空を舞うだけであった。


もうだめだ!


そう思ったとき、微かな光が目に入る。


 ルゥだ!漆黒の闇にあって、黒猫の周りにだけ淡い光が射している。


『ジュリ探したぞ。久しぶりにみる“悪夢”にすっかり位置を見失ってしまった。悪いな』


 それから周りを見渡すと、樹里に向き直って囁く。


『ここは始まりの場所でもあり、終わりの場所でもある。取りあえず次の場所へ移動しよう。目を閉じてごらん』


ーーーーー82ーーーーー


 足にふと力が入る。何かゴツゴツした物の感触が足元に広がったようだ。目を開けてみる。


 そこは飴色の空に浮かぶ小さな岩であった。周りを見渡すと、大小さまざまな無数の岩が浮かんでいる。


 時折悲鳴のような風が吹き荒れる。バランスをとるのがやっとの大きさの足場…よく見ると少しずつ、少しずつ周りから崩れ落ちているのが分かる。


 そして足1本分の足場しかなくなったとき、無数に散らばる岩々が形を成して樹里に向かって飛んでくる。


 次の瞬間、眼前には見事な階段が上へ上へと続いていた。


「上に…行けばいいのかな?」


 ルゥの姿はいつの間にか見えなくなっていた。代わりに声だけが聞こえる。


『自分の信じるままに』


 長い…長い階段を登りきると、目にも鮮やかな景色が飛び込んできた。


赤、青、ピンク、黄、白…世界中に存在するすべての色彩を1つのキャンパスに集めたような…遊園地がそこには広がっていた。


空は明るいのに眩しいほどのネオンは灯り、聴いているだけで楽しくなるような音楽がそこら中で奏でられている。辺りには香ばしく食欲をそそる香りが漂っている。


今にも子供たちの笑い声が聞こえてきそうな、見たこともない乗り物が並んでいる。それだけではない。大人も楽しめるようなアトラクションすらありそうだ。


 そこはこの世のありとあらゆる享楽を1つ箇所に集結させたのではないか、と見紛うような島であった。


ーーーーー83ーーーーー


 遊園地が大好きな少女はいても立ってもいられず、胸を躍らせながら彩り豊かな空間へと吸い込まれていく。


 目映いばかりのネオンが樹里がゲートに近づく度にスポットライトのように照りつける。ゲートを見上げると、遙か上空に看板が見える。



“ようこそ DREA… PARK へ”



 看板のAの後の字がかすれて読めない…おそらく“M”であろう。なるほど、夢の中だからドリームパーク…などと1人納得しながら重厚なゲートを潜ろうとする。すると何処からともなく…


“あなたは当パーク内では【鍵】を集めなければいけません。アトラクション1つに付き鍵が1つ隠されています。それぞれのアトラクションをプレイするのに鍵を消費します。がんばって全アトラクションをクリアしてください。では最初の鍵をお渡しします”


 アナウンスが流れる。気づくと樹里の右手には小さな金色の鍵が握られていた。


 その鍵は、次の瞬間持ち去られることとなるー


 鍵を持つ右手に強い衝撃が走った。


「いたっ」


 かまいたちのように、素早い旋風のように、何か白いものが前方を駆け抜けていく。手をさすりながら見てみると、歯形が2本…くっきりと赤く残っている。どこかで見覚えのあるような…


 さらに足下をじっくり調べてみると、等間隔で足跡がまっすぐ正面の建物まで続いているのが分かる。小さな足形2つに大きな足形2つ。


 アナウンスでは鍵は1つずつ渡されると言っていたーつまり奪い去っていった何者かから取り返さないといけないのだ。


 足形から察するに、何者かはさほど大きくないだろう。よし!と気合いを入れた少女は、建物に入ることにした。


ーーーーー84ーーーーー


 建物は移動サーカスのテントと、モンゴルのパオ(遊牧民のテント)を足して2で割ったような外観である。出入り口は見回しても1つしかない。これならば、何者かを逃がすことなく捕まえることができるだろう。


 入り口から中を覗いてみる。頬に冷たい空気を感じながら、樹里は足音を立てないように中へと歩を進める。


 すると、広場のちょうど真ん中あたりに白い生き物が、入り口からは背を向けて座っている。白い生物は何かを見つめているようであった。


 入り口とは正反対の位置に鏡が立てかけてある。生き物が眺めているのは鏡であった。


カサ


 静かに…音を立てないように生物に近づいていき、あと少しで生き物の正体を捉えられる…そう思ったとき、足下で無情な音が響く。


 生き物はパッと振り向く。それから遠くを見れるように、小さな前足を持ち上げ、大きな後足で立ち上がる。


 白い長毛はフサフサと柔らかそうで、長い耳はピンと伸び、小さな鼻はヒクヒクと小刻みに揺れている。目は赤くまん丸と見開いており、小さな口からは大きな前歯2本が覗いている。その前歯にはキラリと光る鍵がぶら下がっていた。


「うさちゃん」


 樹里が後ろ足のやたら大きな生き物にそう呼びかけると、白ウサギは鏡に向き直り、鍵を口にくわえたまま一蹴りで鏡の中へ飛び込んでしまった。


 急いで鏡に駆け寄り表面を手でなぞる。水面のように波紋を描いていた鏡は、ただの硬いガラスとなっていた。そこに映る白ウサギは鍵を口にくわえたまま首を振り、チャラチャラという音だけが部屋中にこだまする。


ーーーーー85ーーーーー


 樹里はここにきて、ある異変に気づいてしまった…見つめている鏡の奥に自分の後姿が映る。さらに前から映る自分が何重にも連なっている…テントに入ったときまでなかったはずの鏡が、後ろに立っていた。


 樹里は驚いて振り向く。すると後ろの鏡にも正視するウサギが。樹里はいつの間にか2枚の鏡に挟まれる形となっていた。


「ど…どうなってるの?」


 あまりにも不気味な鏡を見ていられず、右を向き足を1歩踏み出そうとした瞬間…そこには3枚目の鏡が立っていた。ヒッ!と叫び、樹里は後ずさりする…背中に硬い物が当たる。


 ゆっくりと表情を強張らせながら首だけ後ろに向けるが、やはり硬い物の正体も鏡であった。


 左側に手を伸ばすが、そこにも鏡が。右側には足を出してみるが、すぐに鏡にぶつかる。


 そうこうしてるうちに周囲を見回すと、樹里はすっかり16枚の鏡に包囲されていた。わずかな隙間すら見つからない。


 16枚の鏡に16匹の白ウサギ。すべてが少女を取り囲み、360°全方位から視線を浴びせかける。先ほどウサギに噛まれた右手がズキズキと痛む。


 しばらく1人と鏡の中の16匹は睨み合っていた。ふっとウサギの表情が緩んだ気がした。そのとき、左足のくるぶし辺りに鋭い痛みが走る。引き千切られそうなほどの激痛に立っていることはできず、樹里は思わず尻餅をつく。


 純白のブーツがほのかに蘇芳色(スオウイロ)に染まっていく。さらに脈打つように痛んでいた右手からも、赤い滴が流れ落ちる。


 鏡の中のウサギはほとんどは静止しているが、斜め左後にいる1匹だけが口の周りを赤く染めている。白い毛に赤い血の対比が妙に痛々しく美しく思える。そして微かに顔を上げる…そこには牙がびっしりと埋め尽くされた邪悪な口が、首からぱっくり穴を形成したように大きく開いていた。


トン


ーーーーー86ーーーーー


 1匹のその音を合図として、取り囲んだすべての足が一斉に上がる。


ドン ドン ドドタン


 ウサギたちは地団太を踏み始めた。耳を塞ぎたくなるほどの足音の大音響と、逃げ出せない恐怖とで、樹里は目をつぶり耳を塞ぎながら黒猫の名前を心の中で呼び続けた。


『呼んだ?言い忘れてたけど、オレはジュリが限界だと思うまでは手出しできねんだよ。いつでも助けてもらえると思ったら大間違い。まずは左手に付いてるソレ!使ってみ』


 遙か上方の天井にぶら下がった状態の黒猫が見える。ルゥの減らず口もこういうときは助かる。


 樹里は一気に冷静さを取り戻すと、左手のブレスレットに右手を添えてみた。


 次の瞬間、添えていた右手には万華鏡が握られている。夢神器の1つとして自らの勘で選んだものだ。


 万華鏡からイメージが流れ込む。“覗けば真実が分かる…事の真相が。犯人は1匹、あとの15匹は幻覚だ”


 樹里は万華鏡を覗き込む。16面に白ウサギの幻影が規則正しく対称的に映る。万華鏡を右に1回左に3回まわす。


 可愛らしいと思っていたウサギの姿はもはや映っておらず、巨大な1匹の赤黒い化け物がそこにはいた。鋭い鉤爪、赤黒い剛毛、長い耳は雷のように折れ曲がり、口からは気味の悪い緑色の息とよだれを滴らせている。…そして万華鏡は消えた。


『さぁ、鈴を鳴らせ。お前の望むものを手に入れられるだろう』


 樹里は鈴を取り出し、軽く1回鳴らす。すると鈴は細長い銀色の弓となり、樹里の左手に握られていた。


ーーーーー87ーーーーー


 矢はない…しかし樹里は弓を構えると、ゆっくりと右手を後ろに引いていき…一気に放つ。



ギャアアアアア!!!



 化け物は叫び喘ぎだす。そして雄叫びをあげると後ろ足で地面を蹴り、樹里に飛びかかる。


 しかし、樹里が放った第2矢が早かった。化け物の首筋に電流が走り、その電流が全身を駆け巡る。化け物は断末魔の叫びをあげると、ほどなく光の中へと消えていった。



 消えた跡には金色に光る物が残されている。鍵であった。樹里が光の中から鍵を取ると、光は収束して消えていく。


『さっきの魔物自体が鍵だったんだな。それにしても、ジュリはなかなかの弓の腕前だな!カッコ良かったぜ』


 ルゥはそう言うと、ひらりと天井から身を翻しながら地面に降り立つ。それから1人と1匹は建物の外へと歩いて行った。


ーーーーー88ーーーーー


 園内の正面広場をしばらくまっすぐ行くと、分かれ道を示す標識がある。



ティーカップ← →バイキング



 樹里はあまり回転物は得意ではないので、迷わず右へと進む。


 すると、間もなく大きな船の乗り物が見えてくる。所々ペンキは剥げ落ち、とても動きそうには見えない。しかし何となく乗ってみたいという衝動に駆られ、階段下から船体を仰ぎ見る。やはり動きそうにない…。諦めて別の乗り物を探そうとしたとき、目の前に箱状の物が降ってきた。


“この中に鍵をお入れください”


そう書いてある。樹里はさっきまで化け物の形をしていた鍵を中に入れる。すると船はエンジン音をさせ、中へ招き入れられるように船へと乗り込む。


 すると、景色は一変していた。目の前に広がるのは美しい彫りの船体に、よく磨かれた光沢のある床、巨大なマストがはためいている。さらに無人だと思った船内は大勢の乗組員でごった返しており、忙しそうに働いている。


その中の1人が樹里たちに近づいてくる。いかにも紳士風の、白髭を生やした老人である。


「ようこそ、我がトレジャー号へ。私はこの船の船長、ノートン・キャプティバーです。あなたたちの乗船を心より歓迎します」


 その声を合図に、船はガタンと大きな音を立て動き出す。まるで本物の海の上を滑るように、船はゆっくりと揺れている。


 水音が聴こえる…気のせいではなかった。樹里たちの乗る船は本当に海の上を進んでいた。水面はキラキラと光を反射し、いつの間にか茜色になった空が船体を美しく染め上げる。


 カモメやペリカンたちが、夕暮れの空をゆったりと飛んでいる。海は果てしなく穏やかで、樹里はすっかり遊園地にいたことを忘れてしまっていた。


ーーーーー89ーーーーー


 しばらく甲板の手すりに肘をつき海を眺めていると、船内の食堂室からはいい香りが漂ってくる。


「樹里さまとルゥさま、ディナーのご用意ができました。食堂にどうぞ」


 樹里たちは食欲をそそる匂いに誘われ、食堂へと下りていく。中ではすでに船員たちは席に着いており、見たこともないほど豪勢な料理が並んでいる。


「それでは樹里さまのご乗船を祝して、乾杯」


 樹里は未成年なのでワインには手をつけなかったが、ルゥはぐいぐいとワインを飲み干し、すでにへろへろになっている。


 樹里はこの世の物とは思えないほど美味しい料理に舌鼓を打っていたが、ふと船員たちの様子がおかしいことに気づく。


 食事をしている彼らの喉には、食べ物が全く通っている様子はない。それどころか、フォークは皿と口をただ行ったり来たりしてるだけである。ワインもよく見ると、床に零れて赤い水たまりを作っている。彼らの体を上から下まで通過しているだけなのだ。


「る…ルゥ、ちょっとこの人達ー」


 樹里がルゥを振り返ると、黒猫はすっかり酔いつぶれてテーブルに突っ伏している。


 樹里は黒猫を抱きかかえ椅子から立ち上がり、その場を立ち去ろうとする。…が、足が思うように動かない。というより足に全く力が入らない。さらに頭も霧がかかったようにぼーっとし…世界が一周したような感覚の後…樹里はばったりと床に倒れ臥してしまった。


 薄れゆく意識の中、顔を覗き込む男の顔が見える。顔は黒く煤けた白色で血の気はなく、生気すら感じられない。口と鼻の穴は剥き出し、目は落ち窪み奥まで闇が続いている。頭蓋骨そのものがそこにはあった。



 樹里は目をつぶると、そのまま深い眠りへと沈んでいく。


ーーーーー90ーーーーー

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