【4】光明神社

 蒼の実家は、閑静な住宅街のど真ん中にある森の中央に位置する。


“光明神社(コウミョウジンジャ)”は、霊験あらたかな水が湧くと伝えられ、遠方から御守りにと取水しにくる人も多い。


 蒼はそこの次男なのだが、別居状態の母親と共に、普段は樹里の隣人として生活している。巫女を務める妹は、神社の敷地内で暮らしている。


ワン ワン ワン


 大きくて毛のフサフサした白い犬が、蒼めがけて飛びかかってきた。忘れてはいけない、蒼の家族の一員 【ハク】である。


 久々に会う家族に尻尾をはちきれんばかりに振り回し、十分過ぎるほどに蒼の顔を舐め回す。


 樹里の姿を確認すると走り寄ろうとするが、一歩手前で立ち止まる。それから少女の肩辺りを見上げると、歯をむき出して唸り始める。


「おいハク、どうした?よく小さい頃一緒に遊んでくれてた樹里ちゃんだぞ?」


 蒼が狛をなだめようとするが、狛は樹里の左肩辺りを見つめたまま、姿勢を低く保ち唸り続ける。


ーーーーー68ーーーーー


『むっ。この犬、オレが見えてるみたいだ』


《あっ!ルゥのことを見て怖がってるのか》


『ジュリ。オレが渡した鈴出してくれ。そして軽く3回縦に振ってみて』


 樹里はルゥに言われた通り、鈴を制服の内ポケットから取り出し、軽く一呼吸置く。それから慎重に鈴を3回振ってみた。


ちりん ちりん ちりん


 明らかに敵対姿勢を見せていた狛は、一転して尻尾を振り舌を出して親愛の情を表し始めた。それから樹里に飛び付くと、顔を舐め回す。


「思い出したみたいだな。良かった」


「そ、そだね!はは」


《この鈴すごいね!どういう仕組み?》


 樹里は蒼に空笑いを返すと、黒猫に興奮して話しかける。

黒猫は犬の狛をチラリと見ると、樹里に向き直って歯を見せて笑う。


『その鈴は夢の中では色んな用途があるが、現世での意味はたった1つだ。“撹乱”させることができる。言わば目眩ましだな。直前に見た物を忘れる、つまり一時的にオレの存在を見なかったことにしてくれる。便利だろ?』


《へぇ!便利~。んじゃ、夢の中での用途は?》


『それは今夜教えてやるよ。実際に使ってみた方が分かりやすいだろうし』


ーーーーー69ーーーーー


「樹里?家に着いたぞ。上がれよ」


 気が付くと、樹里達は大きな薔薇のアーチを通り抜け、お屋敷の玄関前に立っていた。何だか懐かしい匂いがする。


「ここ、久々に来た気がする。いつ以来だっけ?」


「樹里が1人で来るのは小学校ぶりくらいじゃない?あとは凪と一緒に来たかな。それもだいぶ前だよな」


「そんなに経つんだね~。蒼ん家って広いから、よく迷子になってた記憶がある」


「ああ。泊まりに来てたとき、樹里が夜中にトイレに行って部屋に戻って来なくて、心配して探しに行ったらトイレと反対側の居間の前で泣いてたこともあったな」


「もう!そんなん思い出さなくていいって!」


 楽しそうに笑う少年と恥ずかしそうに笑う少女。どこからどう見ても仲の良いカップルである。…しかし現実は一方通行である。


「これはこれは、珍しいお客さんだ。樹里ちゃんお久しぶりだね。最近全然遊びに来てくれないから心配したよ。蒼とは相変わらず仲良くしてもらってるそうで」


 不意にふすまを開けて、はかまを履いた厳かな初老の男性が顔を覗かせる。蒼の父、光明神社の神主である。


「ご無沙汰しています、おじさま。おじさまもお元気そうで、何よりです。蒼くんに仲良くしてもらってるのは私の方です」


「せっかく来たんだ。何なら今日は泊まっていきなさい。いや、ぜひ泊まりなさい」


「父さん、無理強いしちゃだめだよ。樹里、行こう」


「ありがとうございます。考えさせてください」


 樹里はそう言うと軽く会釈をし、蒼に手を引かれて奥の部屋へ向かう。


ーーーーー70ーーーーー


「相変わらずおじさまのこと許せてないの?蒼。確かに、私もおじさまはちょっと苦手だけど…」


「そんなんじゃないよ。ただ、干渉されたくないだけだ」


 蒼はそう言うと、樹里を部屋の中に招き入れ、自身は “ 待ってて ” と言い残して、部屋を後にする。


『ショウのオジサンって、相当な霊感の持ち主だな。油断したらすぐに見つかっちまうぜ。息子のことには全く霊感は働かないみたいだがな』


 ルゥはすこぶる勘が良い。たった一目見ただけで、この家に根差す “ 家庭の事情 ” を見抜いてしまったようだ。


「それが問題なのよね。私がこの家に来れなくなったのも、おじさまのことがあるからなの。他人の私がどうこう出来ることでもないしね」


『向こうはそうは思ってないんじゃねーか?』


 “ えっ? ” と言いかけたときに、蒼が戻ってくる。手にはコーヒーとクッキーを乗せたトレーを持っている。


「独り言か?腹減ったと思って持ってきた。飯は後で翠淋すいりんが運んでくるから待ってて」


「ありがとう!翠淋ちゃん久しぶりだなぁ。いくつになるんだっけ?」


「今年中1になったよ。夕凪中学の俺らの後輩だってさ。樹里の真似して、弓道始めたらしい」


 【風早翠淋(カザハヤ スイリン)】は蒼の妹で神社の巫女をしている。別居してる蒼とはほとんど会うこともできないため、会ったときは酷いブラコンになる。最近は妹の兄に対する執着があまりに激しいため、蒼は妹を持て余していた。


ーーーーー71ーーーーー


「そう言えば、蒼のお兄さんは?今、別の神社に修行に行ってるんだっけ?」


「おう!【蘇芳すおう】のこと?よく覚えてるな」


『何だあ?スオウって美味しいのか?スモモの仲間か?』


《蒼のお兄さんだよ。確かだいぶ年の離れたお兄さんだった気がする》


 黒猫は時々驚くほどに食べ物に関心を示す。いや…蒼のお兄さんは食べ物ではないのだが。


「うんうん。何回か小さいときに遊んでもらった記憶があったから♪」


「そっかあ…俺はあんまり兄貴とはいい思い出ないけどな。年も離れてるし、なんて言うか…人のことに関心ないやつだったから。あ、そうそう。3年前から別の神社に修行にいってるよ。神通力を鍛えてるんだとさ。本当のところは、よく知らないんだけどね」


「そっかあ。うちの兄に比べたら、あまり干渉してこないお兄さんだったのは覚えてる…って、うちの兄が過保護すぎるのかな?」


「いいよ…兄貴のことはさ、どっちも」


 蒼にしては珍しく半ば投げやり気味に足を投げ出すと、コーヒーを一気に飲み干す。


「ところでさ…今日の凪んとこのボヤ騒ぎ、どう思う?」


 蒼はクッキーを口に頬張りながら、おもむろに口を開く。


「火事は大したことなくて良かったけど、みんなの意識がないのが異常よね。原因も分からないみたいだし。何より凪が心配だなぁ…あの子が泣くなんて…」


「そうだよな?泣いてる所なんて今まで見たことないし、よっぽどショックだったんだろうな。おばさんが無事なのが何よりだよ」


『…ヤツらのせいだ。詳しくは夜に話すが、人外の力が働いたのは間違いねぇ』


 ルゥの思念が樹里の頭の中へと流れ込む。ヤツらって?人外って?


 そう思ったとき、ドアをノックする音で樹里の思考は遮られた。


ーーーーー72ーーーーー


「失礼します」


 部屋に入ってきた少女を見て、樹里は驚嘆した。


 少女は美しく、前回会った時とは別人のように成長している。確か2年前に会ったときにはショートカットだったはずだが、今は腰まである髪を後ろに1つで束ねている。とても中1とは思えないほど成熟しており、いかにも和風美女という感じである。


「こんにちは、翠淋ちゃん。弓道始めたんだって?顧問の斎藤先生厳しいでしょ。朝練も多くて大変だと思うけど、頑張ってね」


「がんば…て…じゃない………」


 翠淋は一瞬黙り込み、蒼の顔を睨みつけると、樹里に向かって言い放つ。


「樹里さんには負けないから。弓道だって勉強だって…お兄ちゃんだって!」


 そして乱暴に配膳すると、怒って部屋を出て行ってしまった。


 放心状態の樹里と、申し訳なさそうにしている蒼。その姿を交互に見ながら黒猫は吹き出す。


『わっかりやす!あの子本気でショウのこと好きなんだな。ジュリはこの先大変だな!』


 またまた黒猫は何を言い出すのかと思い、樹里は反論しようとする。しかし蒼の方が一足先であった。


「ほんっと悪い!あいつは何というか…勘違いしてるんだよ。兄に自分が恋してるって。だから樹里を勝手に敵視してるんだと思う。全部俺のせいだ、ごめん」


 樹里は呆れて、溜め息混じりに言う。


「それはさ、蒼がモテるのに彼女作らないのが悪いんじゃないの?彼女ができれば、翠淋ちゃんの誤解も解けるだろうし、諦めもつくんじゃない?」


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 樹里は何か地雷を踏んだようだ………そう思った。


 蒼は困った顔をすると、押し黙ってしまった。そのまま沈黙が続くのかと思ったとき、蒼は意を決して話し始めた。


「樹里…前からずっと言おうと思ってたんだけど。俺と樹里は幼稚園からずっと一緒だったよな?もう10年以上も一緒にいる。俺はこことマンションと、どっちに住んでも良かった。なのに、お袋とマンションに住む方を選んだ。何でだと思う?」


 う~ん…と考えて樹里は答える。


「マンションの方が学校に近いから?」


「確かにそれもあるけど、駅1つ分しか変わらないだろ。違う」


「あ、分かった!マンションの方が大通りが近くて、美味しいご飯屋さんが多いからだ!蒼は食いしん坊だから」


「確かにうまい飯屋は多いな!ほら、あの道曲がってすぐの…って違うわ」


「うーん…あれは?近所に友達いっぱいいたよね?誰だっけ…あの…」


「クマとウサとイタチのことか?3人の家はチャリで遊びに行けばいいから、どっちだっていいだろ。違う」


「んじゃ、おばさんを1人で放っておけないから?」


「園児がそんな気遣うかよ。違う」


「あ、分かった!高い所が好きだからだ!」


「そうそ、あそこは7階だから窓からの景色もいいし…って違ーーーう!お前、からかってるだろ!?」


「まぁ、ちょっとは」


 すると何を思ったか、蒼はいきなり立ち上がった。そしてずんずんと樹里に向かって歩いてくると、樹里に抱きついてきた。


ーーーーー75ーーーーー


 樹里はいつもと違う幼なじみの行動に戸惑いながらも、しばらくそのまま身を任せていた。


 いつもは自分から抱きつくことはあっても、蒼からは珍しい。というのも樹里は英国生まれで父は英国紳士のため、ハグ自体は別段抵抗はない。しかし蒼から…ということは今まで1度もなかった。


などと考えていると、蒼の顔が近づいてきた。あとちょっとで唇と唇が触れ合う…その寸前、目の前に黒い影が映った。


『ジュリ!危ない!』


 黒猫の声に驚いた樹里は、力いっぱい蒼の体を押しのけた!


 すると目の前にいた影はすっと姿を消し、そこには呆然としている蒼が残された。その姿を見て黒猫は淡々と語り出した。


『さっきヤツら、ってオレ言ったよな?ヤツらとは “ 夢魔 ” のことだ。正しくは、夢の中で夢魔となってしまった霊体が、現世で “ 無魔 ” として現れるのがヤツらだ。


無魔は夢の中の夢魔とは違って、直接人に危害を加えることはない。だが人に悪影響を及ぼすことはできる。


“ 邪気 ” をヤツらは発し、それに当てられた人間は欲のまま動かされてしまう。つまり、抑制が利かなくなるってことだ


しかも操られた人間は、その時の記憶は全くない。


時に起きる理解不能な犯罪は、ヤツらのせいかもしれん、と言われている』


ーーーーー76ーーーーー


《つまり…蒼は自分の意志じゃなくて、無魔によって操られてたってこと?だから、普段はしない行動をとろうとしたと…》


『う~ん。普段しないことをしたのはヤツらのせいだが、蒼の意志じゃないとは言い切れねぇな。ただ欲望を助長させるだけで、ヤツらは手助けしてるにすぎん。まぁ、蒼はー』


「あれ…樹里?俺いつの間にお前の隣に来たっけ?てか、ケツが痛ぇー!」


『な?忘れてるんだ。許してやれ』


 ルゥは片目を瞬き、“偵察してくる”と、ひょいと身を翻してドアの向こうに消える。


「蒼覚えてないの?何にも?」


 首を傾げると、蒼は樹里のコーヒーをがぶ飲みする。


「にっげ!ブラックじゃん!ん?…何もって?翠淋に樹里が怒鳴られたことか?あれはほんっと俺が悪い。樹里に八つ当たりするなんて、あいつもしょうがないなぁ」


 抱きついたことも、何もかも忘れてる…


「どうすれば、翠淋の歪んだ性格直せるかな?同じ女として、樹里何か分からないか?」


 樹里は “ 彼女を作ればいい ” 、という話題には触れないことにした。さもないと、また同じ過ちを繰り返しそうだ。


「とりあえず、明日のテスト勉強しない?蒼の苦手な日本史と美術史だと思うけど」


「やべーーー!!!」


ーーーーー77ーーーーー


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