【4】黒猫と青年
1人と1匹は、目の前のBARに向かって進んでいく。
近づくほど、建物の全貌が見えてくる。
《とても人が住んでいるとは思えない…》
「ねえねえ、猫さ…」
樹里は何かを訴えかけようと、ふと横を歩く黒猫を見てみる。
すると、黒猫の耳元に小さく光る何かを確認する。耳をすませば、かすかに “しゃん しゃん ” と、軽やかな鈴の
小さく鼓膜を震わせる音は、なんだか心地いい。
本当は隣を歩く黒猫に、怪しい洋館の話やこの世界のこと、7階から飛び降りても平気なことなど、色々と質問したいことはあったが、すっかり穏やかな鈴の音に聴き入ってしまった。
美しい音色を耳に、1歩…また1歩と建物に近づいていく。
そして、あと1歩という所で足を止めた。
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すぐ目の前には、木製でできた高さ2mほどの長方形の板がある。ドアのような形状だが、腰の辺りにあるべきものが見当たらない。
《ん?あれ…?》
ドアノブらしきものが見つからないのだ。
とりあえず、押してみる…ビクともしない。
ドアを引きたいところではあるが、ドアノブがないので引けるはずもない。
「これ、ドアよね?」
『さあ?』
黒猫はわざとらしくそっぽを向くと、何やら鼻歌のようなものを口ずさんでいる。
「さあ…って。まあ、いいわ」
樹里は目の前の古びたボロボロの建物を仰ぎ見る。
黒猫はすでに飽きてきたのか、遠くで飛んでいる鳥を眺めては、今にもヨダレを垂らさんばかりに舌舐めずりをしている。
《本当に教える気ないみたいね。そっちがその気なら、分かったわよ》
ドアを入念に調べていく。
ドアノブはやはり見つからない。
もう1度押してみる…やはり何も変化はない。
ガタガタと手のひらを当て、揺すってみる…コンクリートで固められたように、微動だにしない。
と…ドアの左側10cmの所に小さな
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樹里はすぐにピンときた。
隣で
「黒猫さん、耳に着けているもの、お借りしてもいいですか?」
黒猫はごろごろと喉を鳴らすと、満面の笑みを少女に返した。
黒猫の意志を察すると、樹里は耳からそうっと鈴を取り外した。
そしてドア横の窪みにその鈴をはめた。
何も起こらない…
「なっ………!?」
黒猫は“ ご自分でどうぞ ” と言わんばかりに、ちょこんと少女の横に
ワケが分からない樹里は、何度も何度も鈴をはめたり抜いたりを繰り返した。
見かねた黒猫が、ため息まじりに話しかけた。
『本当はジュリが自分で考えないといけないんだが…』
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一瞬、黒猫はためらった。チラチラと周囲を見回す。ためらった風を、わざとらしく見せつけただけかもしれない。
『見てられないからヒントをやるよ』
『この世界はジュリの居る世界とはちょっと原理が違うんだ』
こほん、と咳払いをして黒猫は続ける。
『目に見えるものが正しい訳じゃない。ドアを開けるのにドアノブや鍵は重要じゃない。大事なのはジュリ自身の心だ』
そこまで言うと、樹里にもあることが
「意志…ね。中に入りたいという強い意志。でしょ?」
黒猫を見ても、何も読み取れなかったが、少女は確信していた。
樹里は鈴を窪みから取り出すと、黒猫に丁重にお返しした。
そしてドアに両手を当て、目を閉じて祈った…開けてください、と。
するとギィという鈍い音を立てながら、ドアはゆっくりと奥へと開いていった。
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建物の中は、外からは想像も出来ないほど手入れが行き届いていた。というよりも、宮殿そのものであった。
3階分くらいはありそうな高い天井に、長く左右に広がっている玄関広場。そこから鳥が両翼を広げたような上り階段が、弧を描きながら2階まで伸びている。下には美しく織られた
そして天井の一番せり上がった場所には、クリスタルでできた輝くばかりのシャンデリアが下がっており、どこからか取り込んだ光をキラキラと乱反射させ、来るものを出迎えてくれていた。
『さぁ、案内してやる。こっちだ』
息を飲んで屋敷内部に見とれてる樹里を尻目に、黒猫は軽快なステップでどんどん先へ行ってしまう。
「ま、猫さん、待って」
慌てて黒猫の後を追っていく。
2、3分ほど歩いたところで黒猫は立ち止まる。
続いて少女も足を止めた。
『ここだ』
黒猫が小さな黒い手を挙げて指し示した先には、黒い扉がある。
何やら扉の前には、文字が書かれている。
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【中に入るにはルールを守っていただかなくてはなりません】
【ルールは中に入ってからしか言えませんが、ここで守ると “ 約束 ” してください】
銀文字で書かれた2文が刻まれていた。
『ここでの “ 約束 ” は現世と違って絶対だ。一度守ると決めたら、破ることはできないぜ』
樹里はこのワケの分からない世界に来たときから、すでに覚悟を決めていたので、ゆっくり
キィ
中に入ると、一番に大きな水槽が目に入った。両手いっぱいに広げたよりも大きな横幅2mはある水槽が、入り口に
部屋の中はさほど広くはない。薄暗い部屋にはいくつもの棚が並べられており、面白そうな物がたくさん置かれている。
アンティークと呼ばれる椅子などの家具類
中身はからっぽの大きな鳥カゴ
見たこともないような用途の分からない玩具
奇妙な時間を指し示す時計
題名の読めない本らしきもの
これらのものが、部屋中を所狭しと並べられた棚に、ぎゅうぎゅう詰めで置かれている。とにかくここは、趣味がいっぱい詰まった楽しい部屋なのだ。
わくわくしながら、少女が玩具の1つを手にしようとした瞬間…
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「使うべきときがくるまで、ここの物に手を触れてはいけないよ」
部屋の奥の方から、透き通った男性の低く美しい声がした。
「だ、だれっ!?」
樹里は薄暗い部屋の中、きょろきょろと見回して声の主を探す。
にゃあ
黒猫は初めて猫らしく鳴くと、部屋の奥に向かって一直線に駆けていく。黒猫が白っぽく長いものに
樹里は声の主を見て、言葉を失った。
そこには、天使がいた。
男性らしき人物は、銀色に
十分過ぎるほど伸びた背に、すらりと長い彫刻のような手足。しなやかな首には、キラリと光るクロスのペンダントが掛けられている。
そんなものより何より、驚いたのは男の顔である。
キラキラと銀色に輝く髪の向こうから、形の良い高すぎも低すぎもしない鼻が覗く。さらに、銀髪と負けず劣らず輝く長い
すっかり樹里が時間を忘れ、男の横顔に
十分すぎるほど長い時間黒猫を撫でていた男が、ふと、少女を振り返った。
ぬけるように白く
とりわけ、目が合ったら吸い込まれてしまいそうな赤く輝く美しい瞳に、樹里は文字通り目を奪われてしまった。
紛れもない、本物の天使だった。
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「樹里さん、お待ちしてました。心より歓迎いたします。」
美しい男は優しい声で話しかけながら、樹里の方へと近づいてくる。
黒猫が勝ち誇ったような顔で、その後に続く。
人は絶対的な存在の前には無力である。
この世ならざる美しさを前にし、少女はふっと意識を失いそうになった。
そこへ男のしなやかな腕は伸び、倒れかけた少女を抱きとめた。
「大丈夫ですか?」
樹里はハッとして真っ赤になりながら、男にもたれかけ立ち上がろうとした。
「だっ…だいじょ…」
しかし一度力を失った足は、うまく言うことを聞いてくれない。
それを察してか、男は樹里をいとも簡単に抱き上げて、側に置いてある長椅子に寝かせてくれた。
ここだけの話、もっと男の腕の中にいたかったと樹里は思った。
男は顔いっぱいに優しい笑みを浮かべ、その笑顔からは予想もつかない言葉を述べだした。
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