第40話


「この度は招き入れて頂き光栄です」


西胡の本拠地。砦の最奥。首領の住処である本殿にて、商人役のツィリルはにこやかに微笑んで話を進める。


「今日は良い話ができればと。挨拶代わりのちょっとした品々を持って参りましたので、どうぞお納めください」


彼の背後にはかき集めた大量の物資。食糧から香料、工芸品まで。それらが運ばれていく様子を、背中で感じ取る。


(頼んだぞ…性奴隷…!)


荷の中に隠れ潜むシャールカに対して、心の中で強く祈る。


ツィリルは軍の待機命令を無視しこの作戦を決行している。多くの者は動かせない。それに加え潜入させる者が多ければ多いほど、計画が露呈する危険は高まる。入念な打ち合わせの結果、誰よりも騎馬の民の内情にいちばん詳しいシャールカひとりだけを侵入させることにした。彼女がバルトロメイを見つけ解放し、乗って来た馬車に戻れば作戦は完了だ。


(こちらはこちらで時間を稼がなければ。しかし髑髏杯とは、何と趣味の悪い…)


彼の前で、ハヴェルは頭蓋骨の盃に口をつけている。ツィリルと目が合うと、彼は瞳を細めて笑った。


「ああ。今日は良い話ができるといい」


そう言って盃を置く。頭蓋からは、ゴトリと音がした。






「…よし」


服の埃を払って立ち上がると、染めた黒髪が揺れる。シャールカは先程無事に隙を見て荷から飛び出し、村人の中に紛れ込んだ。服や装飾品は事前に手に入れていた西胡のものを纏っている。被り物を目深に被り、歩き出した。通り掛かる兵士をやり過ごしながら、周囲を見渡す。


(私達と比べればずっと大きい村だけれど、見張りの配置も祭壇の場所も、そう変わらない。これならばすぐ捕虜の居所も特定できる。それよりも…)


目指したのは本殿の地下、村人の居住からはいちばん遠い場所。そしてあまり人が立ち入らない区域。


(何故、これほどの金糸雀人が…)


檻の向こうに居る囚われの人間達は、自分と同じ種族だった。老若男女様々だったが、共通していたのは、誰も彼もがひどい状態だったことだ。隅には骨も積まれている。周囲に立ち込める嫌な匂いに、眉根を寄せた。


(ハヴェルは金糸雀人を集めている…?けれど私が東に居た時は、そんな話。聞いたことは…)


その中に、真っ黒な髪を見つけた。一瞬ぎくりと心が震えるが、バルトロメイではなかった。それでも、見覚えはあった。


「あ、貴方は…」


思わず声を出す。謀略のニーヴルト。バルトロメイと地位争いを繰り広げていた彼が、そこには居た。


「…っ!?」


初めはニーヴルトのやつれた顔だけで彼だと判断したのだが、その下にある全身に気付いた瞬間、シャールカの肌にぶわりと鳥肌が立った。


「殺してくれ」


ニーヴルトは掠れた声でそう呟く。一度は大将軍の地位に手を掛けた男の質量は、とても減っていた。刻まれた体に焼け爛れた火傷の跡。これが1人の人間であることさえも疑う状態は、まだ生きているのが不思議だった。


「国を売った…俺は、自分の体惜しさに、俺は…!」


落ち窪んだ両目からぽろぽろと涙を流しながら、彼はうわ言のように呟く。それを聞いた瞬間、シャールカは全てを理解した。彼こそが彩釉攻略の情報を漏らし、この凄惨な仕打ちは、ハヴェルが行ったものであると。


「っ…!」


シャールカが恐怖で顔を背ける。自分が、このように非道な真似ができる男の近くへ居ると言う現実が。何よりも、その男にバルトロメイが捕まっている事実が怖かった。


(大丈夫…旦那様なら、きっと…)


咄嗟に口元を抑え、吐き気を堪える。くらくらと揺れる視界を振り払い、ただひたすらに足を動かした。


「だ、旦那様!」


そうして辿り着いた最下層で、シャールカはバルトロメイを見つけた。声を掛けると黒髪は僅かに動く。体は血だらけでひどく弱っていたが、無事だった。その事実が、心底嬉しかった。


「シャールカ…。なぜ、ここに…」

「助けに来たのです!歩けますか!?」


彼を拘束する鎖を解きにかかる。そうして空いた手で、バルトロメイは彼女の肩を掴む。その瞬間自分から、シャールカを引き離した。


「逃げろ…!」

「っ…!?」


鎖から遠ざけられて、シャールカも慌てて抵抗する。バルトロメイの手を掴んだ。


「ですから!一緒に…」

「私の玩具に、何か用かな?」


暗く重い声が落とされた。背筋に寒気が走る。暗がりから現れたのは、顔に付いた深い疵跡。片手に持った髑髏杯。目の前の人物が誰か、一目で分かる。


(この、人が…!)


ハヴェル・ドルボフラフ。彼女から全てを奪った男。彼の背後、部下が抱えていたものを見て、シャールカを更なる衝撃が襲った。


「ストラチル様!」

「完璧だったよ。彼は商売のいろはもこの辺りの地形もよくよく理解していた。北クルカの商人との設定の通り、北方訛りの言語も素晴らしかった。変装もまるで別人だ。彼に何一つ落ち度はない。だがしかし、匂いにどうも嗅ぎ覚えがあってな」


そこで言葉を切る。連れてきたおびただしい数の兵士を背に、彼は笑った。


「私の好きな、戦場の匂いだ」


ツィリルの体が放り投げられた。地面に落とされると、彼は僅かに動き、呻き声をあげる。それを見ながら、ハヴェルは微笑んで続けた。


「本来なら死ぬ量を投与したのだが。全く強いな。これだから、軍人はいたぶり甲斐があって困る」


赤い舌が覗く。シャールカに視線を移し、目を細めた。


「ああ恐ろしい。私の宝物達を盗もうとするなど、とんだ不届き者も居たものだ」

「…クルハーネク閣下を解放してください。この方を助けようと、今、瑞の本隊がこちらに向かっています。今ならば、彼らは交渉にも応じるでしょう」


シャールカは毅然と返す。軍によるバルトロメイの救出作戦がどの程度進んでいるかなど、当然彼女は知らない。それでも、ここは何としてでも乗り切らねばならない。


「おお。瑞の主力部隊がわざわざ来てくれるとは。こちらから襲う手間が省けるな」


けれどハヴェルは何でもないことのように笑って、バルトロメイを指差す。


「彼の首を飾れば、より熱い戦争になるだろうか」

「っ…!」


そう平然と言ってのけるハヴェルは、ずっと巨大に見える。呼吸が浅くなり、シャールカの視界がぎゅうと狭まる。それでも何とか息を吐いて、懸命に心を立て直す。


(諦めては駄目…!何か、何か、手を…!)


「手放してたまるものか。彼は、お前によく似ている」


必死で策を巡らせるシャールカを前に、ハヴェルは独り言のように呟く。そのまま、手元の盃に話し掛けた。


「なあ、インジフ」


時が止まった。しんと静まり返って、シャールカが信じられないものを見る目を、ハヴェルに移す。


「…今、なんて」


まるで、全く別の言葉のようだった。慣れ親しんだ単語の筈なのに、知らない文字の羅列のように聞こえたのは、ハヴェルから出たものだったから。他ならぬ、頭蓋骨に向けて。


「今。何と、仰ったのですか…?」


声が震える。先を知るのがとても怖いのに、聞かずにはいられない。バルトロメイが背後で叫んでいるが、その声すらも遠く感じる。


ハヴェルはうっとりと髑髏杯を眺めながら、先を口にした。


「この頭蓋の、元の持ち主だ。彼は東胡の王、インジフと言うのだよ」


やがて目を細め、愉快そうに笑った。


「私の大の、お気に入りだ」


まるで、時が止まったかのようだった。表情が消えたシャールカを見て、ハヴェルは爛々と目を輝かせる。


「おや、知り合いかな?」


言いながら、頭蓋骨を手渡す。ずしりと手に感じた重みに初めて、シャールカはその盃に視線を落とした。


「……」


ゾッとするほど、美しい骨だった。加工されたことによるものだろう、表面を覆う光沢に確かな重量。顔の中心を走るひび。吸い込まれそうな眼窩がこちらを見ている。


「止めろ…!」


バルトロメイが掠れた声を絞り出す。ハヴェルが辺りを歩き始め、こつこつと靴音が響く。大仰な身ぶりで手を振りながら、彼は愛しそうに思い出話を始めた。


「捕まった自分の部族を助け出す為に、彼は私の前に現れた。彼は、とても良かった」

「……」

「度重なる責め苦の末、自身の民を奴は売った!誇り高い王が最後には民を見捨て命乞いをしながら死んでいく…逃げ惑うあいつの心臓を背後から一突き!」


宙に掲げた腕を震わせながら、彼は恍惚として呟く。


「飛び散る血飛沫、助からないと知った時の奴の絶望した顔…!何と…何と、美しかったことか」


場はしんと静まり返る。やがてひとつの声が落ちた。


「嘘」


どのような喧騒の中に置いても、凛と響く声。シャールカだった。それまで黙っていた彼女は、頭蓋骨を見ながら呟く。


「貴方の言っていることは、嘘です」

「っ、性奴隷…!」


ツィリルが顔を上げる。シャールカにとって、あまりにも突然のことだ。父が変わり果てた姿で見つかった。非業の最期を遂げていた。その残酷な事実に絶望し、壊れそうな心を必死に繋いで、嘘だと信じ縋ろうとしているのだと思った。


「っ…!」


けれど彼女の表情を見て、ツィリルは息を呑む。シャールカはそのまま、手元の父を見ながら静かに続けた。


「頭蓋に傷があります。私は何度も、動物の骨を見てきました。これが致命傷で間違いありません」


頭蓋骨の額から眼窩を跨ぐようにして入った、大きな亀裂。真っ直ぐな瞳がハヴェルへと移される。シャールカは自棄になったわけでも、当てずっぽうを口にしているわけでもない。


「背中側から心臓を一突きした筈なのに何故、顔に致命傷があるのか。貴方は説明できますか?」

「ああ。確か私が背中から突くと同時に、東胡の人間にインジフの顔への攻撃をやらせたのだったかな?」


ハヴェルの様子は崩れない。うっとりと宙を見上げ、思い出に浸る。


「あの光景は忘れない。救いに来た筈の人間に殺される…絶望に塗れた奴の顔!ああ。何と可哀想に…」

「ならば、インジフ亡き後、金糸雀人に拘り続けるその理由は何ですか」


シャールカの表情は変わらない。とても静かで、落ち着いている。


「彼の頭蓋骨を加工し、杯まで作り、執拗に貶めようとするその理由は」

「言っただろう。インジフは私のお気に入りだったと。あの時の興奮が忘れられずに、私は金糸雀人を…」

「違う」


シャールカは背筋を伸ばし、前を見る。ハヴェルの目を見据え、たった一言を口にした。


「怖いから」


本質を見ろと、父は言った。


「貴方は彼が怖くて堪らないから、手元に置いて辱しめ続ける。必死で、自分の心を守るための嘘をつく」


インジフの背中を、シャールカは誰よりも間近で見てきた。ハヴェルの話す最期が嘘であることは、誰よりもいちばんよく知っている。ならば考えるべきは、彼が殺しても尚父を貶め続けるその理由だ。


(…たとえば)


たとえば彼の中で、人の心を折ることが、趣味ではなく義務なのだとしたら。理由など分からない。知らない。それでも、ハヴェル自身も制御できないインジフへの執着、その先に活路はある。


「怖いとは失笑だ。あの男は、もう死んだ。最後には仲間を売り命乞いをした最悪の屑で…」

「『――最期まで』」


ハヴェルの言葉を、シャールカの声が阻む。そのまま、父の言葉を口にする。


「『最期まで目を開き前を見よ。命尽きるその一瞬まで、民を生かし守る術を探せ』」


その時初めて、ハヴェルの表情が変わった。感情が消え、指の先が僅かに震える。その顔を見て、シャールカの心には確信が落ちる。


「あの人は最期まで、前を見て生きたのですね」

「…黙れ」


表情が消えたハヴェルは、短く呟く。その様子を前にシャールカの頭に過ったのは、先程見かけたたくさんの金糸雀人だ。そして今、インジフに似ているからと捕らえられたバルトロメイも。


「見た目が似通った者を殺しても、たとえ何千人犠牲にしようとも、貴方の心が満たされることなど有り得ません。貴方はあの人の心を折れなかった。彼は貴方に、勝って…」


一度唾を飲み込む。ゆっくり息を吐いて、吸う。そのまま、心が張り裂けそうな事実を口にした。


「勝って、死んだのですから」

「黙れッ!!」


ハヴェルから放たれた小刀は、彼女の顔のすぐ横を飛び柱に突き刺さる。シャールカの頬を掠った。開いた肌からは真っ赤な血が煌めき滴る。それを気にすることも、一瞥もすることなく、シャールカは静かに続ける。


「貴方の望むものを、私は与えられます」

「やめろ!!」


何かに気付いたバルトロメイが叫ぶ。剣を壁から抜き、自身の喉元に刃を突き立てた。そのまま、シャールカは宣言する。


「貴方が閣下を解放しないのならば、私はこの場で自害します」


ゆっくりと振り向き、肩で息をするハヴェルを見る。


「おふたりを解放すると言うならば、私はこの刃を下げ貴方の元へ行く。拷問でも何でも、好きにすれば良い。女ならばやり方も多くあるでしょう」

「…お前にその価値があると?」


その提案に、ハヴェルは汗を拭い馬鹿にしたように笑う。大国の将軍よりも一介の奴隷。普通ならば選ばない選択肢だ。彼の有利は変わらない。けれどハヴェルが欲して止まないたったひとつの情報を、シャールカは持っている。


「ええ。インジフへの復讐を果たすなら今この時、この私でしかありえません」


言いながら、シャールカは髪を拭う。闇のような黒の下から輝く金糸が覗き、ハヴェルが目を見開く。


「その髪…」

「私の名はシャールカ・ハンゼルコヴァー」


この状況で知られれば、ただでは済まない。自分の未来が、どうなるのかも見た。誰かに自身の全てを委ねる恐怖も知っている。それでも、その背後に居る大切な人を守る為に、シャールカは迷い無く口にする。


「インジフ・ハンゼルカの娘です」

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