第33話


時は移り、バルトロメイの寝所。春の宵を迎えたその場は、今日も今日とて不思議な緊張感に包まれていた。


「閣下。今宵はひとつ、お聞かせ願いたい事案があるのですが」


シャールカの言葉に、寝台に横たわろうとしたバルトロメイの動きがぴたりと止まる。顔を上げれば、正座しこちらを見つめる彼女の姿。その面持ちからは緊張が見て取れる。


「構わん。言え」

「ありがとうございます…」


真剣な様子の彼女を前にバルトロメイもまた、寝台に座り彼女に向き直る。そんな彼の様子に深々と頭を下げ、シャールカは口を開いた。


「お聞きしたいことはずばり。閣下がどのような胴衣を好まれるのか、その趣味嗜好を教えていただければと思いまして…!」


多少の静寂が経過した。質問を認識した後で、バルトロメイは静かに聞き返す。


「それは…必要な事なのか?」

「ええ。非常に、重要なことなのです」


シャールカが言っているのは、昼間にエリアスにねだった下着のことである。一口にどすけべえな下着と言っても、その様式は色や素材、形状に至るまで千差万別。


(その殿方の嗜好から外れたものを身に付けてしまえば、いざ目にした時に戦意を失い兼ねないと聞きました…)


「これは決戦でございます!」


失敗は許されない。必要なのは情報収集である。バルトロメイが一体どのような下着を好むのか。シャールカはそれを知りたかった。


「成程な…」


そしてバルトロメイはシャールカの本意を、すぐに理解した。胴衣。好み。そして決戦。


(戦鎧のことか…)


バルトロメイは認識した。夜の勝負服のことではない、実際に戦場で使用する防護具のことだと認識した。普通に考えれば若い乙女が聞いてくる筈がない質問だが、彼を鈍いと言うことなかれ。シャールカの言い方も悪かった。何よりも、戦鎧は将軍である彼の専門分野だったのだ。


「殿方にとって、胴衣は非常に重視される事柄だとお聞きしまして」

「ああ。生命線と言っても過言ではない」

「やはりそうですか…」


当たり前である。戦場において身に付けた鎧の種類や性質は生死を左右する。

そうして勘違いはそのまま進む。シャールカの中では下着が生命線だと思っている男になっているのだが、バルトロメイは気付かない。


「まず、色だが…派手な色彩のものを着るべきだな」

「派手、ですか…?」


それを受けて、シャールカがぱちりと瞬く。彼女の調査によると、淡い色合いの方が男性が好みがちな傾向にあると聞いた。

自身の着る戦鎧のことだと思っているバルトロメイは、真剣な表情で先を続ける。


「いや。俺も華美な装飾には然して興味がない。が、端から見て一目で分かる印は非常に重要だ。士気を高めるにも役立つ」

「なるほど、旦那様の志気が…」


ヤる気は非常に重要なことである。シャールカは心の中の購入すべき下着一覧に、「派手な色」を追加する。


「これまで青銅や鋼鉄でできたものが主流だったが、時代と共に移り変わるものだな。今は鎖子甲さしよろいと言う鎖状の鎧の導入を考えている」

「く、鎖ですか…?」

「ああ。比較的軽量で実用性に富んでいる」

「じ、実用性に…!」


一体何の実用性なのかと言う話なのだが、その辺りの具体的な描写がふわふわしているシャールカは気付かない。自分には到底及びもつかない使い方があるのだろうと納得する。すっかり下着の話だと思っている彼女は、得た知識を元にバルトロメイに質問した。


「紐状や透けているもの、いっそのこと何も身に纏わないなど、そのような選択肢もあるようですが、閣下はどちらかといえばその、硬質のしっかりした作りのものを好まれるのですね…」

「ああ。紐はよく分からんが、軽量であることもひとつの戦略だ。その分機動性に優れる。ただ当然、耐久力が無い。俺のような戦い方には合わんだろう」

「た、耐久力…!?」


下着に耐久性が必要とされるなど初耳である。一体どのような夜の戦い方をするのかと、シャールカが困惑していると、バルトロメイは続けざまに言った。


「俺は相手に囲まれることも多い」

「か、囲まれ…!?」


(さ、さすが旦那様…!相手が1人では足りないと…!)


恐ろしい事実を聞かされて、シャールカが震える。衝撃でくらくらする頭を抑え、元の位置へ戻る。小さくなりながら、呟いた。


「単体でもご満足頂けるよう、な、何とか…!精進致します…!」

「……?そうだな」


シャールカの決意の意味は少し分からなかったが、バルトロメイは頷いておく。精進するのは良いことである。


「ここまで語りはしたが、重視すべきは中身だろう」

「な、なかみ…」


言いながら、シャールカは自身の体へと視線を落とす。目に映ったのは控えめなふくらみ。よもや下着のことだとは露程も思っていないバルトロメイは、そのまま人の上に立つ将軍論を語る。


「どれだけ外見を取り繕ろうと、中身が貧弱であればどこかで必ず綻びは生まれるものだ」

「ひ、貧弱…」


彼の容赦の無い言葉は平均値よりも慎ましやかな胸に、ぐさぐさと刺さる。まさか大好きなぱいぱいを絶賛傷付けている最中だとはいざ知らず、バルトロメイは尚も続けた。


「自信の無い者は来るな。部隊には、そう通達してある」

「……隊?」


シャールカが顔を上げた。下着の話をしていた筈なのに、突如として屈強な男達が現れた。同時に彼の部下を思い浮かべる。


鍛え上げられた厚い胸板にシャールカの胴回り程もありそうな太い脚。日夜鍛練に励む彼らの体は豊満な中身には違いない。戦場。鎧。部隊。本当ならばここで、シャールカはふたりを包むこの違和感の正体に気が付いたのかもしれない。


「ま、まさか閣下…!」


だがしかしそうはならなかった。理由はただひとつ。シャールカが主人に対して、ある疑惑を抱えていたことだ。


「ストラチル様に…その少々特殊な、胴衣を…!?」


驚愕で目を見開く彼女に、バルトロメイは頷いた。


「無論だ。部下全員に着せる」






「とんだ変態ですね」


翌日。シャールカから話を聞いたエリアスは、開口一番そう言った。起こるべくして起こった勘違いの為に、バルトロメイは派手な下着の装着を部下全員に強制する異常者である。これを変態と言わずして何とする。


(やはり無理にでも引き剥がさなければ…)


そう心に決めるエリアスの体が、がたんと揺れる。車輪が小石でも踏んだのだろう。馬車全体が軽く揺れた。外からは中が一切見えないよう覆われた箱の外からは、蹄の足音が聞こえてくる。隣に座るのはシャールカ。エリアスの希望で、バルトロメイ達瑞の護衛は置いて、北クルカの関係者だけで外出している。


(やはりこのまま、連れて行くべきか…)


そんな彼の思惑などいざ知らず、シャールカは意気揚々と結論を口にした。


「と言うわけでエリアス。下着の件は、派手な色の鎖状の物を購入しようかと…」

「まだ買う気ですか!?」


未だ諦めていない彼女に、ぎょっと目を剥く。シャールカはむうと唇を尖らせて、下着の購入への意欲を呟いた。


「私では中身が伴わないと分かってはいますが…まずは見た目から入ることも大切ですし…」

「そう言った話をしているのではありません」


エリアスがはあとため息をつく。膝に置く彼女の手に、自身の手を重ねる。強い口調で語りかけた。


「シャールカ。貴女があの男の元に居続ける必要は無いんですよ」


エリアスの力をもってすれば、何とでも都合はつく。小さな手を外側から強く握って、彼はシャールカを見据える。


「このまま、俺と行きましょう」


深紅の瞳には決意が映る。


(もう二度と、離さない)


北クルカに逃げてきた胡国の民の中にシャールカが居ないと分かった時、彼が感じたのは絶望だった。民の為に囮となったと聞いて、彼女らしいと思うと同時に、何もできなかった自分に愕然とした。よその国の出来事だ。介入する義務もなければ、権利もない。西胡による侵略戦争が激化して行く中、彼は待つことしかできなかった。


(その結果がこれだ。もう、あんな想いは…)


「エリアス」


静まり返った室内に、彼の名前が落ちる。シャールカがもう片方の手で、そっと彼の頬に触れた。その熱に反応し、エリアスが思わず顔を上げると、目が合う。青の瞳が揺れた。


「貴方は私が、お役目の為だけに、バルトロメイ様の元にいるとお思いなのですね」

「…それは、そうでしょう。貴女はあの男に買われたのだから」

「ええ。貴方の仰る通り、性奴隷としての意地や面子の為と言うのも、ほんの少しあるのですよ」


拾ってもらった恩と、役目を全うしたいと言う使命感が、シャールカの原動力だった。


「そうして閣下のおそばに居て、閣下のことを知って、何度も守っていただいて。今はそれよりも大きな理由ができました」


彼女の頬が鮮やかな薔薇色に色づく。声に輝きが乗って、珠のように弾む。そのまま、彼が見たことの無いような表情で、シャールカは微笑んだ。


「私は、私の初めてを、旦那様にお渡ししたい」


柔らかな声は車内に響く。手は彼の頬から、自身の膝の上へと落ちた。


「ですからエリアス!」


次にきらりと目を光らせて、エリアスに向き直る。


「多少こちらの初期装備が心許なくとも大丈夫です!」


続けて思い切り手を突き上げる。勢い余って握った拳が、天井にごんとぶつかった。


「父は言いました!『自分が変われない時は世界を変えろ』と!」

「……」

「必ずや!この小さき乳で旦那様を虜にして…」

「……」


そう決意を新たにしながらも、シャールカの言葉尻が小さくなった。すっかり静かになってしまった彼に、視線を戻す。


「エリアス。心配してくださって、ありがとうございます。けれど1人の殿方に対してこのような気持ちを抱いたことは、私。他にはありません。分かって頂けますか?」


言いながら顔を覗き込んだ時、エリアスが動いた。彼女の腕を掴み、体を引き寄せる。そのまま、シャールカを抱き締めた。


口元が、互いの体に埋まる。ぴたりと密着した熱からは、心臓の音がした。


「エリアス…?」


シャールカが目を丸くさせて彼の名を呼ぶが、それでも回した手は離れない。その小さな肩を強く抱きながら、エリアスは呟いた。


「ええ。よく、分かりますよ…」


絞り出すように、そう溢す。やがて反響が完全に消えた頃に、もう一度口を開いた。


「シャールカ。俺は貴女に、言わねばならないことが…」


エリアスの表情は見えない。壁の向こうで、馬の嘶きが聴こえた。






「っ…」


ヨハナがびくりと体を震わせる。勝手知ったる屋敷の中。元彼女の部屋で、唐突にばきんと大きな音が鳴ったからだ。


「兄様…?」


音の正体を追って、目の前の人物に話しかける。先日持ち手が大破した椅子に腰掛ける、バルトロメイである。


そんな彼の大きな手。つい先程まで華奢な茶器が収まっていた筈なのだが、その影は跡形もない。代わりに手に破片が挟まり、指の隙間からは茶の汁らしきものがだらだらと流れている。そして当の本人と言えば、心底不思議そうに首を捻った。


「いや。何か知らんが急に…腹が立った」


(怖い…)


野生の勘を発揮している兄を前に、ヨハナは息を吐く。今日も今日とてエリアスの案内役、延いては兄が殺人事件を起こすのを止める為に訪れた彼女を、予想外の展開が待ち受けていた。


『貴方のような異常者に護って頂かなくとも結構です』


バルトロメイに対し、エリアスが護衛の解任を言い渡したのだ。いつも通りの笑顔ではあったが、凄まじいまでの嫌悪感が滲み出ていた。


(兄様、一体何したの…?)


それに関してはバルトロメイがいちばん疑問に思っていたものの、まさかとんだ濡れ衣を着せられているとは知る由もない。軍部を通され、正式な命令として御役御免を言い渡されてしまった。


そうしてエリアスの要望の通り、バルトロメイは買い物に行くと言うふたりの背中を見送るしかなかったのだ。


(間違いなく、兄様の機嫌は悪い筈…!)


「ヨハナ」


そっと部屋を後にしようとした瞬間、突如名を呼ばれた。恐る恐る振り返ると、バルトロメイの真っ黒な瞳が、こちらを捉えていた。


「生活は、どうだ」

「え」


顎に手を当てる。質問の意図を考えあぐね、慎重に回答を返す。


「兄様が興味を持ちそうなことは、何も、ないけど…」


その答えを受けて、バルトロメイは一度ぱちりと瞬きをする。


「そうか…」

「ええ…」


再び静まり返る。しばらくして、バルトロメイはまた口を開いた。


「不自由は、してないか」

「え…?ええと。して、ない…」


まるで尋問のような質疑応答を繰り返した後で、ふと気付いた。恐る恐る兄を見つめ、ヨハナはひとつの可能性を口にする。


「兄様。心配、してくれているの…?」


この兄との交流など、あまりにも馴れていなかったので認識が遅れたが、これは世間一般で言う世間話ではないだろうか。兄妹に現状を聞く。ともすれば、嫁に行き新しい生活を始めた妹を、案じている。


「……」

「……」


その可能性を、バルトロメイは否定しなかった。彼の肯定だろうと、ヨハナも勝手に判断する。


(……)


彼はまだ、答えを待っている。少し考えた後に、そっと口を開く。


「…私が、あの人を幸せにしようと思って結婚したの」


人の良い夫の顔を思い浮かべて笑う。


「けど…むしろ私が、幸せにしてもらってるみたい」

「…そうか」


バルトロメイの仏頂面に大きな変化はなかったが、包む空気が少しだけ緩んだ気がした。わずかに吐いた息は安堵の為だろう。それを受けて、ヨハナも兄に話し掛ける。


「兄様も、上手く行くといいわね」

「……」

「シャールカの戸籍。取るんでしょう?」


そこでバルトロメイはこちらに背を向けてしまった。けれど直ぐに、大きな背中からは返事が返って来る。


「ああ。あと、少しだ」

「…そう」


(シャールカは、きっと。驚くでしょうね)


想像し、くすりと微笑む。今度は主従関係ではなく、友人として会えたら素敵ね、なんて思う。


(姉って呼ぶのは、やっぱり嫌だけど)


「失礼します!閣下!」


目の前の扉から声がした。開けようと手を伸ばすが、扉は急いだ様子で外から開かれる。ヨハナが入ってきた人物の名を呼んだ。


「ストラチル様」

「よ、ヨハナ嬢。いや、ペシュカご夫人」


息を乱している。ずいぶん慌てた様子だ。室内のバルトロメイを視認すると同時に、声を張り上げた。


「緊急事態です!コゼル殿下が消えました!」


そしてわずかに迷った後に、言いづらそうに口にする。


「それと、閣下の性奴隷も共に」

「…コゼルが姿を消したのは、国外逃亡か?」


バルトロメイが立ち上がる。エリアスはシャールカを奪う為なら何でもすると宣言した。強行手段に出てもおかしくはない。けれどツィリルは首を振った。


「いいえ。それが、北クルカの人員は残したまま。怪我人も多数出ています。彼らの証言によれば、馬車を襲撃され、ふたりとも連れ去られたと」


いちばん高い可能性を提示する。


「おそらくは――誘拐かと」

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