第19話
「次あんな理由で夜中に起こしたらクビにするからね…」
翌朝、ヨハナは自室に居た。外はすっかり秋めいた陽気である。寝苦しい暑さが引き、涼しく過ごしやすい日々が訪れたものの、ヨハナの表情は疲れ切っている。目の下にうっすら隈を作った彼女は、恨めしげな視線をシャールカに向けた。
「も、申し訳ありませんでした…」
珍しく神妙な顔つきで謝罪を口にする彼女を見ながら、ヨハナが息を吐いた。
(ちょっと面白そうだったから止めなかったけど、まさかあんなことになるなんて…)
昨夜のことである。真夜中に叩き起こされ、扉を開ければ物理的に胸を膨らませた性奴隷と、それを抱えた兄の姿。一体何だと寝惚け眼で見つめていると、彼はシャールカが病気に罹ったと言い出す。ふざけているのかとも思ったが、バルトロメイは本気だった。医者を呼ばんとする兄を「一時的なものだから…」と言う台詞で何とか納得させたのだ。
そして全ての元凶であるシャールカは、ばつの悪そうな顔で口を開いた。
「私も旦那様をお止めしようと思ったのですが、その辺りから記憶が、ええと、途切れまして…」
「はあ…?」
顔を赤らめて視線を外す。けれどヨハナがその意味を汲み取る前に、慌てて胸の前に手を翳した。
「そ、それはともかく!ヨハナ様!今日のご郵便ですわ!」
言いながら、数枚の封書を机の上に置いた。束を広げ、ふたりしてしげしげと眺める。一通り送り主を見たところで、シャールカが眉尻を下げた。
「最近はペシュカ様からのお手紙がありませんね…」
「…飽きたんでしょ」
文通相手が居なくなったと言うのに、ヨハナの反応は素っ気ない。あっさり言い切って、ふと指先で厚めの封書を差す。
「これ、間違って私のところに来てるわね」
手に取りシャールカに渡したのは1通の招待状。消印が無い為に、直接誰かが持ち込んだものであると察する。中には唐木細工の木札。整然と並んだ木目の上に彫られているのは美しい装飾。裏面をひっくり返せば特徴的な花が彫られている。1本の茎の周りに咲く9つの花。
ヨハナはこの花を知っている。
「皇帝陛下よ。年に一度開催される、園遊会のお誘いですって」
札と共に同封されていた手紙をヨハナが読み上げる。宮内の庭園を開放し、功績を挙げたごく一部の国民、主要な地位に就く要人、その配偶者を招く。そんな千人ほどに満たない招待客の中に、呼ばれる心当たりは無い。
「兄様宛でしょう?」
将軍位に就くバルトロメイならば納得だ。ヨハナは確信を持って言ったことだったが、シャールカは首を振った。木札の裏に刻まれた二人ぶんの名前をなぞりながら読む。
「いいえ。書かれたお名前は、ヨハナ様です」
「……?」
「あと、私の名前もあります」
「…へ?」
何かの間違いではないかと繰り返し読むが、やっぱりどうして二人の名だった。戸惑ったようにシャールカが顔を上げる。ぱちりとお互い瞬きをした。
晴れ渡った空の下を色鮮やかな紅葉が彩り、近くを流れる小川のせせらぎが耳に心地よく響く。今日に向けていちばん美しい状態で整えられた樹木に、四季折々で何かしらの色を添える草花。これほど見事な庭園を歩くことなどそうは無い。
「ヨハナ様!」
日傘を手に持ちながら、シャールカが興奮気味に辺りを見回す。
「園遊会とは素晴らしいものです!あちらでは丸々とした家鴨と羊肉を焼いていましたし、珍しいことに西瓜などもありました!著名な楽器隊も居て…これらが全て無償とは…!」
「そうね。素早く取って、隅っこに座るわよ」
対照的に、ヨハナの顔色は芳しくない。どこか警戒したように辺りを見回し、シャールカの差した傘の奥に引っ込む。
「ご挨拶などはよろしいので?」
重役が一堂に会するとは同時に、社交の場ともなる。周囲では挨拶を交わし合う声や誰かを紹介する台詞が続く。降り止まないそれを聞きながら、ヨハナは首を振った。
「ここに何で呼ばれたのかさっぱり分からないけど…。気を付けるべきはただひとつ。やらかさないことよ」
はっきりと断言する。今日この場には多くの貴人が来ている。恐らくは将軍である兄の関連で呼ばれたのだろうが、何より大切なことは彼の顔に泥を塗らないことだ。
「アンタ思ったより目立つし」
「……?そうでしょうか」
心底不思議そうにシャールカが首を傾げると、髪飾りがさらりと鳴った。突き刺さるような周囲の視線を感じながら、ヨハナは渋い顔で頷く。
「うん、すごく」
いくら侍女の立場とは言え、全く着飾らないのも失礼だろうと少し手を加えたら、予想以上の仕上がりになってしまった。そして黒髪ばかりの瑞人の中で、陽の光を反射し輝く金糸は目立つ。とにかく目立つ。ヨハナは普段から見慣れていたので、すっかり失念していた。
「…招待状を頂いた手前来ているけど、あんまり顔を合わせたくない人もこの場には居るのよ」
少しだけ声を低くさせそう呟く。頭に疑問符を浮かべるシャールカにそれ以上の説明はしないで、彼女は伏し目で瞬いた。
(呼ばれているのは上級役人に配偶者…ならばあの人達も来ている筈…)
「だからアンタも今日は大人しくして…」
「性奴隷ー!!」
そんなヨハナの思惑が音を立てて崩れ落ちる。よく知る大きな声の後、だだだと足音が聞こえて来た。
「性懲りもなくまた僕の前に現れたな…!」
ツィリルである。背後に部下であろう男達を引き連れ現れた。今日は少しばかりめかしこんだ彼の登場にヨハナが頭を抱え、シャールカが腕を組み睨み付ける。
「貴方こそまだ、閣下に付き纏っておいでですのね…!」
「僕は閣下の副官だ!お側に控えるのは当然だろう!」
がるると互いに噛み付きそうな顔で睨み合う。ヨハナがシャールカからさっと傘を引き抜き、背を向けた。
「私先に行くわね」
面倒なことになると判断し迅速な撤退を決める。ツィリルの部下、延いては兄の部下にお疲れ様と言ってを声を掛けると、貴女様もですと返ってきた。
「今日と言う今日は許せん!」
シャールカに向かって、ツィリルはぷんすか憤慨した様子で口を開く。
「園遊会は普段国の為に仕える者達を陛下ご自身が呼び労う一大行事!配偶者も参加が可能とは言え、貴様のような身分の者が参加できることなど有り得ない!どのような手段を使って潜り込んだ!」
「まあ失礼な!招待状はヨハナ様と私宛に2名分頂いたのです!何もやましいことなどありませんわ!」
そう言って、シャールカが招待券を取り出す。封書に入っていた
「はあ!?そんなわけがないだろう!」
けれどそれでもまだ、ツィリルは認めない。
「招待にあたっては厳重な身の上調査が行われる筈だ!いくらクルハーネク閣下の存在があるとは言え、間違っても貴様のような…」
言葉の途中で、ちりんと鈴の音が鳴った。決して大きな音ではないのに、空高いところにまで響く、麗らかな音色。
「っ…!」
その瞬間、まるで条件反射のように、ツィリルが口を閉じ座り込んだ。片膝を抱え頭を下げ、最敬礼の構えだ。見ればその場に居た誰しもが一斉に頭を下げている。シャールカが呆気に取られ固まっていると、ツィリルが慌てて声を掛けた。
「おい!無礼だぞ!貴様も頭を…」
「良い。その娘の王は私ではない」
低いが、凛とした声だった。シャールカ以外で唯一、その場で背筋を伸ばして立つ人物は、護衛や従者であろう数人を引き連れて現れた。ツィリルを目に止めると、悠然と口を開く。
「ストラチル。せっかくの余所行きの服が汚れるぞ。面を上げよ」
「は…!」
困惑した様子の彼を、頭の冠を傾け覗き込む。その指先がシャールカを示した。
「なぜこの場にこの娘が入れたのかと聞いたな」
「っ、は、はい…!」
「許せ。これは私の主催する小宴。私たっての望みだ」
「…っ!?」
突然現れた人物のことを、シャールカは呆然と見つめる。堂々とした出で立ち、そしてこの会の主催者、衣装にあしらわれた花は一茎九花。
(ならば、この方が…)
「っ、陛下!」
ツィリルや従者が止める間もなく、その人物が一歩近付いた。そのまま、シャールカの顔を両手で挟む。瞬間、辺りに立ち込めたのは柔らかな花の香り。並んだ指輪同士が頬の上で当たり、かちんと音を立てた。
「他ならぬお主に用がある。私の個庭に共に来てはくれないか」
飾り玉の隙間から、彼女の顔が見えた。美しい顔立ちだった。顔の中心を通る鼻は高く形をしていて、切れ長の黒い瞳には銀色の煌めきが散る。笑うと、目尻に細やかな皺が寄った。最後に、赤い唇の端が弧を描く。
「北の大地、東胡の姫よ」
オルドジシュカ・ゼレナー。瑞を統治する第3代皇帝。女帝である。
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