第9話


「ヨハナ。貴女は大変に、幸せな結婚をするでしょう…」


机の上に広げられた結果を前に、ソニャはほっと息を吐いた。彼女の職業は占い師。客の意に沿わない報告をしなければいけないこともままある。けれど今回はどうだ。占い結果には、文句のつけようがない素敵な運命が表れている。うら若き乙女ならば皆が皆喜ぶ報告の筈だった。


「……」


ところがどうして、その結果を受けたヨハナの眉間には深い皺が寄った。そして口をへの字にひん曲げたまま、立ち上がる。


「シャールカ。行くわよ」

「おおお待ちください!こう見えてわたくしの占いは当たると大変評判でございますからぁあ!!」


問答無用で天幕の外に出て行こうとするその背中に、ソニャが必死で追い縋る。


「評判ってアンタ…」


彼女の言葉を受けて、ヨハナが辺りを見回す。路地裏の隅にひっそり建てられた、小屋と呼ぶのも憚られる布のかたまり。明らかに手作りの“ソニャの占いの館”と書かれた看板に、びしりと音を立てて亀裂が走った。決して流行っていないことは明白である。


「ヨハナ様。易者の方はただ仕事をしただけですので…。あまり困らせては…」


背後から、シャールカがそっと主人の腕に触れた。けれどヨハナの仏頂面は晴れない。


「私、そもそも占いって好きじゃないのよ。この子が客が来ないって泣きついてきたから仕方なく。…けど言うに事を欠いてあの結果だし」


ちらりと追い縋る顔を見やる。褐色の肌に異国の顔立ち、申し訳なさそうに垂れ下がった藤色の瞳がこちらを見つめる。


シャールカとふたり、大通りを歩いていた時のことである。少女に声を掛けられたのだ。内容は「占いを受けていかないか」。所謂客引きだった。当然、無視を決め込もうとしたのだが、彼女は必死だった。通りの端から端までひたすら追いかけてくるなど朝飯前、屈強な護衛に止められても掻い潜り、土下座する勢いで来られてはさすがに振り切ることができなかった。と言うわけで、この閑古鳥が鳴く“館”に引きずり込まれた訳である。


そして当のソニャと言えば、人差し指と人差し指を合わせ、もにゃもにゃ口の中で呟いた。


「うう…ここでは主流ではない占術ですので、少々人気はなく…。けれど内容に間違いはありません!あまりに正確で具体的な結果の為に、皇帝さえその指示を仰ぎ、使用を禁止された時代もあったとかないとか…」

「聞けば聞くほど胡散臭いわね…」


言いながら、ヨハナが彼女とその手元を眺める。机代わりの木箱に並べられたのは木の破片。シャールカがひっくり返すと、裏には異国の文字や柄が描かれている。


「なるほど確かに、珍しい占いですね。見たことのない言語ですし、方法も瑞の易学とはまた違うようです」

「うう…」


ソニャの口からは呻き声が漏れる。手巾を取り出し、ずびりと鼻を啜った。


「大国の方が稼げるとの噂を耳にして北から来たのに…道中では御手洗い中に御者に置いていかれ、金目の物は強盗に根こそぎ取られた挙げ句に、遭遇したおじさんから占いの代金だと押し付けられたのは妙な形の弓だけ…!家賃も払えないし食費もカツカツ、ここ1週間は水で腹を満たす日々…!ソニャはもう駄目です…」

「妙な弓?」

「アンタ占い師のくせに運が悪いわね…。分かった分かった。それとなくここのこと宣伝しておくから」


ヨハナがため息をつきながら、占いの代金を置く。同情として差し出されたそれに目を輝かせつつも、だがしかしソニャにも占い師としての矜持がある。これでは終われない。負けじと、シャールカを手で示した。


「お連れの方も如何です?もちろんお代は結構ですから!」

「まあ!本当ですか!?」


誘いを受けて、シャールカの顔がぱあっと輝いた。そわそわと隣の主人を見る。


「ヨハナ様、宜しいですか?」

「それは構わないけど…アンタが占い好きなの、ちょっと意外ね」

「いえいえ。占術とはまさに民族の文化。私共の暮らしにも深く根付いておりました。様々な家畜のくるぶしの骨を使った占いや、羊の肩甲骨を炙り割れ方を見る卜骨ぼっこつなど非常に盛んでしたわ」


そこで言葉を切って、シャールカは息を吐いた。どこか遠くを見ながら、続ける。


「懐かしい思い出です…。自分に都合の良い結果が出るまで繰り返し行い、思い通りの目が出ると嬉しくて…」

「シャールカ。それたぶん占いって言わない」


そこでふと、ふたりの会話は咳払いに止められた。ソニャが占いを終えたのだ。小麦色の手の下に、並べられた木片が現れた。神秘的な色の瞳が結果を映す。


「シャールカ。貴女は直ぐに、恋の目覚めを迎えることになります」


彼女の占いで分かる運勢は、未来だけではない。現在過去、近い将来から遠い未来まで、様々な時代が見渡せると言われている。それら全てに目を通しながら、ソニャは運命を紡ぐ。


「その恋はやがて身を捧げるような深い愛にまで発展するでしょう。ですが…」

「違います」

「えっ」


顔を上げる。するとこれ以上ないほど真剣な碧い瞳が、ソニャを見ていた。


「私がお伺いしたいのは、性行為に至ることができるのか否かですわ」

「……?で、ですからあの、恋愛に関する運勢を占ってみたのですが」

「違います!私が知りたいのは性行為が達成できるかその可否です!恋だとか愛だとかそのような邪な気持ちの話をしているのではありません!ただ性行為ができるかどうかのその一点のみが重要で」

「!?」


混乱に陥る占い師を前に、シャールカはこだわりを語り出す。背後でヨハナが呆れた声を出した。


「アンタの方が困らせてるじゃないのよ…」






天宮てんぐ。瑞の首都慶閣から程近い、山間部に位置する町である。至るところで湧く温泉に並び立つ露店。民宿も多く、貴族の別荘地としても、湯治療養地としても高い人気を誇る。瑞国内でも最大級の保養地である。


「良い休暇日和ですね!」


出自が有数の名家であるツィリル・ストラチルも例外ではなく、幼い頃から天宮には足を運んでいた。その為に休養や息抜きの重要性は、大いに理解している。


「妹君は先程宿にお帰りになりました。付けていた護衛から報告が」

「そうか…」


彼は客室の窓を開けながら、バルトロメイを振り返る。今回、彼とその妹を天宮まで連れてきたのは、ツィリルだった。普段過酷な任に就くことが多い上司を、気遣っての行動だった。


「妹君は易占を受けていたとか。非常に女の子らしいですね」


(あまり妹君との仲は良くないとは聞くが、それを取り持ってこそ部下だろう)


そうひとりごち、うんうん頷く。


(ただひとつ、予想外のことはあったが…)


「ストラチル」

「はい!閣下!」


名を呼ばれ、ツィリルは目を輝かせて振り返る。そう、彼は名家の出。将軍の率いる隊は、その将によって、一般階級の出自と、貴族階級の者に分けられる。父親の地位が高くとも、母方の姓を名乗るバルトロメイは平民として扱われている。通常ならばツィリルは当然、別の隊に入る筈だった。しかし、彼は望んでこの職に就いた。理由などただひとつ、尊敬する将軍の部下だったからだ。


(平民出の閣下の成功を良く思わない者もいるが、些末なことだ。これほど素晴らしい上司は他にはいない!)


副官のツィリルは誰よりも知っている。将軍にまで上り詰めた実力は伊達ではない。戦場では自ら先陣を切って命を張る。一度戦に出れば確実に武勲を立て、その勇猛果敢な背中に憧れる者は多い。


「何でしょう、閣下!」


だから、ツィリルはバルトロメイの命令ならば命さえ惜しくはない。


(僕は幸せだ…!)


「脹ら脛に性感帯がある場合…どうしたら良い?」

「…は?」


ところがこの時出てきた上司の発言は、どんな予想とも違った。ツィリルの口からは思わず変な声が出る。


「露出させた場合、風の抵抗や些細なきっかけで発情してしまう可能性もあるだろう。下衣で覆えば良いと思っていたが、むしろ衣擦れで興奮するのではと思い至ってな」


バルトロメイは何でもないことのように続ける。ツィリルはもう、付いていくので精一杯である。


「か、閣下…?」

「そもそも、脹ら脛に性感帯があるなど、有り得る話なのか…?」

「い、いえ…。個人差がありますので一概には言えないかと…」


何とかそれだけ絞り出す。一体何を言っているんだと、呆然を上司を見たその時だった。


(はっ…!)


ツィリルはひとつの可能性に気付いてしまった。


(まさか閣下が、脹ら脛で感じる体質なのか…!?)


上司の知ってはいけない秘密を悟ってしまった。だがしかしツィリルは部下だ。しかもバルトロメイが白と言えば白、右を向けと言えばたとえ首が折れていても右向け右を貫く忠義に厚い男だ。今こそ忠心が試されている――ツィリルはそう判断した。


「か、閣下!性感帯が脹ら脛だったとして、何らおかしなことなどございません!」


はっきりと宣言をする。続きを口にすることが憚られ、一瞬口ごもる。だがしかしそれでも尚顔を上げ、ツィリルは絞り出すように言った。


「僕の性感帯は…耳の後ろですので…!」


妙な時間が流れた。突き刺さるような静寂の中、外の喧騒だけが室内に響く。

やがてバルトロメイが、口を開いた。


「…そうか」

「!は、はい!」


(これで安心して頂けた筈…!)


ぐっと拳を握る。そこそこの生き恥は曝したものの、彼の心に後悔はない。


「それで…」


すると無表情のまま、何事か思案していたバルトロメイが顔を上げた。


「具体的にどうなるんだ?」

「えっ」

「それで不利益を被ったことはあるか?欲情の程度は?我慢できなくなる程なのか?」

「えっいやその」


答え辛い、非常に答え辛い質問を前に、ツィリルが固まる。


「どうなんだストラチル」

「っ…!」


詰め寄られ、逃げ場の無くなった彼の顔が青を通り越して白くなる。ひとつ言っておけば、バルトロメイは決してこのような上司ではなかった。軍人生活一筋、当然、脹ら脛など特殊な場所に性感帯があるような男ではなかった。好色とは正反対、どんな女にも靡かない鉄壁の堅物だった筈なのだ。


だから彼をこのような男に仕立て上げた女など、心当たりはただひとりだけ。今回の慰安旅行の予想外。彼の妹の傍に立つ金糸を思い出し、ツィリルは脳内で力の限り叫ぶ。


(あの女は閣下に何をしたァアアアアア!!)

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