きけはるのこえ
半崎繁
第1話
春は、うるさい季節だ。よく晴れた日の昼間など、目も口も鼻も耳も体に空いた穴という穴を閉じて、亀のように引きこもってしまいたくなる。
きけ花々のこえ。道端に咲いた梅の花を見て春が来たね、綺麗だね、などと言っているカップルには花を毟って投げつけてやりたくなる。お前らは花が何と言っているのかを知らぬのだ。蜂よ、蝶よ、名も知らぬ羽虫たちよ、こっちに来て遊ばないかい?ほら蜜だって、花粉だって少しは分けてあげてもいいいぜ?その足にくっついた花粉、分けてくれないかしら?私を孕ませて!ああ聞いているだけで頭がお花畑になりそう。綺麗?清楚?冗談じゃない。雄蕊を見よ。雌蕊を見よ。生殖器を丸出しにして。なんとふしだらなことか!
きけ花粉のこえ。あけすけに孕ませたいとささやくこえを。幾万幾億の声がわたしの耳元で囁く。花粉症には男も女も関係ない。とはいえ、犯してやる。孕ませてやる。そんなこえが絶えずわたしに囁きかけるのを耳で感じ、体内に侵入しようと試みるのを全身で感じて…ああもう無理。想像しただけで鳥肌が立つ。
きけ土筆のこえ。オギャアオギャアとわめきたてるこえを。保育園建設反対を声高に叫ぶ老人どもに聞かせてやりたい。根茎からニョキニョキ生えてきて、赤子のくせして傘をひらけば立派に胞子をまき散らす。スギの花粉は還暦をとうに越えたジジイから放出されたものが多く、粘着質で気が滅入るけれど、土筆の胞子は若々しくて情熱的だ。だからといって敵であることには変わりないのだけれど。スギナはシダ植物門の中の特にトクサと近しい血縁関係にあって、その親戚は恐竜が地球上を闊歩するよりもずっと前、古生代石炭紀のころから存在していたというのだから、わたしと同じように胞子の声を聞いたことのあるヒトが、ひょっとすると恐竜が、いるかもしれないと思ってちょっぴり感傷的になる。
だからといってずっとはるのこえに耳を傾けるなんてご免だ。耳鼻科でとびっきり強い薬を所望して、副作用を利用してずっと寝ているのが一番だ。ベッドの中はもちろん、電車の中でも、授業中も。春のこえたちは耳を貸さなければ憂鬱になることもなく、もちろん孕むことなんて原理的にあり得ない。頭で理解しているし、わたしの子宮もそう言っている。でもそれと心の問題は別のところにある。その上人間の男どもに鼻詰まりで覇気を失った声や真っ赤にはれた目をさらして、大丈夫?なんてゲスい心が透けて見えるお優しい言葉をかけられるなんて、ゾッとする。
わたしには、永遠に春が来ない。
きけはるのこえ 半崎繁 @Uyu_kiss
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