2冊目 叶 春陽という女

 朝起きて真っ先にすることを聞かれたらシャワーと答える。

何分低血圧な上に低気圧にゲロ弱い女が叶 春陽だ。

くそ眠いし体は重いしとにかく気怠い。働きたくない。一生遊んで生きてたい。

 推しのために働いてるし、っていうか働いてるだけで褒められたいし生きてるだけで褒めて欲しい。毎月150万円振り込まれたい。

 とは思いつつも今の仕事も暮らしもそれなりに満足しているのだ。

オタクやってる友達もいるし、スマホを開くとTwitterランドには大好きなフォロワーも溢れてる。コンテンツ性の高い選りすぐりのフォロワーだ。


「うわ、まいまい大変だったんやな……」


 テレビをつけてアニメを消化しながら軽めの朝食。

 飲みに連れ回されて死ぬ、とツイートしてる瑞希に「おつぽよ……」と励ましの言葉をかけてスマホを閉じる。

 わたしも早いとこ人間の準備、もとい化粧をしなければいけない。

 ところで最近瑞希とよく話すんだけど、女の化粧やファッションにケチをつける男は何なのか。

「それ男ウケ悪いよ」とか。うるせーしらねーお前の為に着飾ってねーよ大事なのは自分ウケだ黙っとけ。ていうか同性同士なら褒めてくれんだわボケ。

 とはいえ、わたしは普段から清楚な格好をしているので男ウケは良い方だ。ただウケなくて良いんだよなといつも思う。

 顔色悪いよ?と言われる肌の白さに、セミロングの限りなく黒に近い茶髪。黒目がちなたれ目とコンプレックスだがよく褒められる小さい唇。適度な肉付きの身長160cm、Gカップ。

 今日の服はネイビーのフレアスカートにオフホワイトのブラウス。紛うことなきオフィスカジュアル。アイメイクはブラウン、ただリップだけはお気に入りの青みピンク。

 どうだこの男ウケ抜群ですみたいなスペックは。外見の男ウケは完璧だなと鏡を見る度に思う。


「おはようございま〜す」

「おはよう、ひなちゃん」

「ひなちおはみ〜」


 先輩達に軽く挨拶も済ませてデスクに着いて一息。

 コーヒーを飲みながらソシャゲのログインを済ませると高田先輩がポッキーをくれた。


「ひなち聞いた?新しい営業の子の話」

「あ〜、社内メールで見ました。桜庭さくらば みかどさん」

「めっちゃ出来る営業らしいよ。ひなちの隣のデスクだって」

「は?!うち事務じゃん、営業にデスク無いんですか??」

「営業のシマは今書類だらけだし片付ける暇ないんだって〜。てことで、最初の研修はひなちの担当だから」

「そんなあ……」


 そんな気負わなくていいよと笑ってるけどそうじゃない。事務の中でオタクは隠してないけど営業部でのわたしの評判は可愛くて人当たりが良い、だ。それが実はアニメの為に定時退社をキメたりソシャゲの推しイベの為に早上がりするような女だと知られるのは正直厄介だ。イメージは大事にしたい。

 海よりも深い溜息を吐けば、仕事の時間。今朝はその新入社員の顔合わせがある上に、事務に来るのはデスクの割り当て的には最後かと思うと既に家に帰りたくなっていた。


「みんな、少し手止めて〜。どうぞ、西田さん」

「すみません、業務中に」


 午前10時半、業務もそれなりに波に乗ってきた頃合いで全くもってその通りだ。

発注の手を止めて西田さんの方を向くとバッチリ目が合った。が、わたしはその隣の新入社員に釘付けだった。


「営業の新人紹介です」

「初めまして、桜庭 帝です」


 ハスキーボイスにスラッとした細身のスーツ。特徴的な金フレームの丸メガネに若干青みがかった黒髪。確実に私より少し高い身長。


「よく名前だけ見たら男って思われるんですけど女です。営業部が落ち着くまでデスクは此方だと伺いました、よろしくお願いします」


 あ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!最高に顔が好き!その整った顔立ちも何もかもがストライク。えっ、こんなのが隣に来るのやばくない??メイクもっとちゃんとしとけばよかった!


「デスクはひなちの隣ね、ニッシー」

「初めまして、かのう 春陽ひなたです。分かる範囲でしか答えられないけど、何かあったら聞いてくださいね」

「叶は営業のことも以外とよく見てるからな〜。バンバン頼っていいぞ」

「ハードル上げないでくださ〜い」


 西田さんが任せたと立ち去ったところで席に着くように桜庭さんに伝える。

 失礼します、と席に着いた時にホワイトムスクの香りがした。匂いまでパーフェクトじゃん。抱いてくれ。


「社内の案内とかって受けましたか?」

「いえ、まだ部署巡りだけで全く。西田さんが叶さんに任せるからって」

「あらら……、ちょっとこの受発注だけかけるから待っててもらっていい?高田さん、佐々木さん、」

「いいよ、ひなちゃん。やっておくから案内したげて」

「うちの若きエース様に案内してもらいな〜、新人」

「エースじゃないです〜」


 先輩たち2人に仕事を任せて立ち上がって隣に並ぶとまあ背の高い。

 わたしだって今日はパンプスのヒールで163cmはあるというのにまだ見上げる高さだ。

 同じフロアの部署をサラッとおさらい的に説明後、廊下に出てエレベーターを待つ。上のフロアにうちの目玉、商品企画の花形部署があるのだ。


「……叶さん、」

「はい?」

「彼氏っていますか?」

「いいえ。いませんよ?」

「意外ですね。スタイルいいし可愛いからいると思いました」

「滅相もないです」


 上の階のボタンを押して隣を見上げれば、肌の触れ合う距離。

 桜庭さん、と疑問の声をあげる前に一瞬塞がれた唇の柔らかさ。


「む、思ったよりリップついたな。まあいっか。叶さん、お手洗い寄っていいですか?」

「は、はい……降りて右手側奥です……」


 桜庭さんの後ろ姿を見送って思わず口元を手で抑える。嘘でしょ。あの肉食獣。マジで。

 出会って数時間の女にエレベーターとはいえ人目につくかもしれない密室で不意打ちにキスなんてする?!?!!!少女漫画か!!

 動揺したまま5人組と名前のついたライングループにチャットを飛ばす。

 呼吸を落ち着けたと同時にお待たせしましたと戻ってくる新人。


「それじゃあ改めて、上の階も案内しますね」


 なんてことない顔の桜庭さんと、何も無かった素振りのわたし。

 ただ、心臓だけがバクバクと早鐘を打っていたのは隣の彼女には秘密だ。


 "今夜誰か夕飯して。やばい新人が来た"


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