第37話 懇親会の夜
◇
コック達が朝から慌しく動く。
水周りも直し、奥さまの指示通り植木も直してもらった。
ピアノの調律も終え、恭子さまは何度か、そのピアノを弾いた。
「静子さん、そんなに心配しなくても大丈夫よ」と恭子さまは私を安心させるように微笑んだ。あとは滞りなく懇親会を終えることができればいい。
夕方、予定通りの人数が大広間を埋め尽くした。万全の準備だった。
立食パーティー形式で各所に丸テーブルが置かれ、その周りをグラスを手にした貴賓が囲む。ワインにビール、日本酒、ウイスキーの水割りが振舞われ、神戸の高級牛肉が中央で焼かれだすと煙と匂いが漂い始め客人たちの顔が酔いや熱気で赤くなる。
奥さまは客人の対応に余念がない。あちこちのテーブルに寄っては満遍なく挨拶を繰り返し笑顔を惜しげもなく見せている。
恭子さまが短い挨拶をして「エリーゼのために」を弾き始めた。
貴賓たちも酔っているせいなのか、あまり聴いていないように見える。
コンクールに備え人前で弾くという練習にはなるかもしれない。
私は厨房と広間との往復で恭子さまのピアノをゆっくりと聴いてもいられない。
少し、時間が出来て広間の片隅に立ってピアノの音色に耳を傾けていると、お酒に酔った年配の男に絡まれだした。
「家政婦さんもこっちに来て一緒に肉を食ったらどうだ」
「いえ、仕事がありますから」丁重にお断りする。
「かたいことを言う家政婦だな、愛想のない!」
困った。
パーティではよくあることだが、私は酔った男の対応は苦手だ。それに私はあしらい方も上手ではない。
「そうそう、ヤマネさんの言うとおりだぞ」
もう一人の年かさの男が酔ってきて顔を近づける。息がアルコールと煙草の匂いでムッとする。いつまでたってもこの匂いには慣れない。
腕をぐっと掴まれた。酔っ払いで一番イヤなのは体を触られることだ。
自分たちの席に連れて行こうとしているのか?立場上そういうわけにはいかない。
腕を掴んだ男が床に躓いたのかグラスが傾き私のスカートにワインがかかる。
そんなことで謝りもしないのが酔っ払いというもの。
私は男の手を振り払おうと腕に力を込めた。
その時、男たちの向こうから声がした。
「あら、ヤマネさん、それにサエグサさん、お仕事のお話の続きをあちらでしましょうよ」
奥さまがグラス片手に男たちに向かって微笑んでいた。
「遠野さん、ここはいいわ」
奥さまは小さな声でそう言い、どこかに行くように目配せをした。
「は、はい・・」
奥さまに助けられた。
ヤマネと呼ばれた男が「しょうがねえなあ」とぼやくのが聞こえた。
私は男たちから離れ、とり合えず厨房に入った。
また後で奥さまからお叱りを受ける。
恭子さまのピアノが終わったらしくまばらに拍手が上がった。
私の聴く限りではミスはなかったみたいだ。
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