第30話 恋②
「私のいなくなったお母さまも?」
「恭子さま、ごめんなさい、私は由希子さまにはお会いしたことはないのでわかりません」
静子さんが色々わかっていてもそれを口に出す立場ではないことはわかっている。
でも、こんなことを訊くのは静子さんしかいない。
「少なくとも、あの人はやつれてなんかいないわ」
「恭子さま、『あの人』と呼ぶのはよくありません・・それに多香子さまにはもう夫である人はこの世におられません」
静子さんは「あの人」と言うだけで誰を指しているのかわかるのね。
「ごめんなさい・・でも本人には『お母さま』と、ちゃんと言っているわ」
前にも同じことで静子さんに怒られた。
どうしても静子さんの前であの人を「お母さま」と呼ぶことができない。
「お母さま」というのは私の中では、突然、私の目の前から消えた「お母さま」だけ。
「それで、ジュディがやつれたのは、夫が悪いの?」
ジュディが主人公と別れて結婚した相手については原作では詳しくは書かれていない。内容上、あまり関係ないのかもしれない。
「ああ・・別の男と結婚した後、おやつれになったジュディの話でしたね?」
うーん、と食事の手を止め静子さんは何かしら考えている様子。
しばらくして静子さんは口を開いた。
「結婚っていうのは『夢』を求めるものではないでしょうか?」
「夢?」
「これはあくまでも私の推測です。私は結婚していないのでわかりませんが、男と女、それぞれ自分の抱いている夢があると思います・・夢があるから互いに自分の夢を相手に求めたり、押しつけたり、そして、その夢が男女のすれ違いの原因になったりするのではないでしょうか?・・」
「『理想』とはまた違うの?」
「似ているようですけど・・『理想』と『夢』とは全然違うと思います。理想は万人に少し共通するものがあると思います。例えばお金や容姿だとか・・けれど夢はみんなそれぞればらばらです。一つとして同じものは存在しないのではないでしょうか?」
静子さんはきっぱりと言い「少なくとも作者のフィッツジェラルドは『夢』をを追い求めた作家だと私は思います」と続けて言った。
「それより、恭子さま、もっと召し上がってください。シチューのお替り、まだありますよ」
静子さんは私の手が止まっているのを見て言った。
「静子さんは何でも知っているのね」
私はスープを啜った。おいしい・・
「そんなことはありません。それに結婚のことなら、私ではなく島本さんならもっとご存知だったかもしれませんね」
「あら、島本さんは生涯独身って言ってたわよ」
「失礼しました・・そうでしたね」
叔父さまも何年も前に離婚されたあと、ずっと一人きり。
そして、あの人も・・再婚の話も出ることがない。
私のまわりの人は独りの人ばかり。
そんなことよりも最近、気がつくと静子さんの口から「島本さん」の名前がよく出てくることの方が気になる。
確かに幼い頃、私は島本さんになついていた。
でもそれは二年間ほどだ。母がいなくなってからだ。母がいた時は島本さんになつくことはなかった。
その頃は島本さんはただのよくできた家政婦だった。私の身の周りの世話をしてくれても母がいるから島本さんの方に甘えることはなかった。
身近な存在として頼りにしている期間はもうとっくに静子さんの方が長い。
それに島本さんの場合、今、思えば私はいい具合にあやされていた気がする。
それほど島本さんは私をあやすのが上手だった。
だから私も島本さんにうんと甘えさせてもらった。寂しくなると島本さんの寝室に行ってベッドに入って添い寝させてもらった。キッチンで忙しそうにしている島本さんの後ろをついてまわった。
そんな島本さんが私の幼い頃の母親代わりだったのなら、
静子さんは・・
気がつくと私は食事をし終えていた。
「ごちそうさまでした」
私は両手を合わせて静子さんの作ってくれた料理に感謝する。
島本さんの虎の巻に対してではない。
静子さんも食べ終えて水を飲むと食器を片づけ始め「デザートのリンゴ、お出ししますね」と言ってリンゴの皮を剥き始める。
「私には、結婚の話は難しくてよくわからないわ」
私はリンゴを口にしながら元の話題に戻る。
私は男女の「理想」も「夢」もわからない。大人になればわかるのかしら?
「恭子さまは、まだ子供でいらっしゃいますから、おわかりにならないのも無理もありません」
やっぱり大人になならいとわからないのね。
「けれど・・」
「けれど、何?」
「けれど恭子さまにも夢はあるはずです」
「私、今のところ、夢なんてないわ」
それは嘘。
「そうでしょうか?」
本当はいろいろある。
クラスの女の子たちとお話がしたい。私に合わせてもらうのではなく打ち解けて話がしたい。
そして、お母さまに会いたい・・
「私には恭子さまはたくさんの夢をお持ちのように見えます」
やっぱり・・そんなことがわかるのが静子さんだ。
「そうね、私も夢を持ってるわ・・」私は正直に答える。
「本当ですか?ぜひとも恭子さまの夢をお聞かせください」静子さんは身を乗り出す。
ちょっと意地悪をしてみよう。
「今度、静子さんの作る料理が食べたいわ、島本さんの虎の巻で作ったものではないものを」
「えっ」
私が淡々と言うと静子さんの目が一瞬丸く開いた。
「これが私の夢よ」
夢というか、私の願いかしら。
「だ、ダメですよっ・・恭子さま・・私はまだまだです」
静子さんは両手を大きくひろげて顔の前で扇のようにぶんぶんと振った。
「どうしてなの?」
「どうしてもです!」すごくむきになって返してくる。
「一体いつになったら静子さんの本当の料理を食べさせてくれるのかしら?」
少し静子さんをイジメている気分になってきた。
「恭子さま、困ります・・」
どうして、そんなにもしょげるの?
「でも、それだったら、いつまでたっても、静子さんの作るものが食べられないわ」
「そうですよ・・それでいいんです」
どうして、そんなに島本さんのことにこだわるの?
私にはわからない。
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