第14話 神戸


 神戸はヒルトマンさまの言っていた通り美しい町だった。

 邸宅は神戸の東にある町、そこに流れる小さな川「天井川」の近くに建てられている。

 完成する前、取引する業者の選定や家具の配置、庭の様子などを見るために何度か新邸宅に足を運んだ。

 東京の邸宅よりも大きい造りとなっている。住む人は少ないが来客の宿泊する部屋や晩餐会などの広間などを造ることになるとこれくらいの大きさは必要らしい。

 私の住み込みの部屋も東京より大きくなった。

 長田グループの事業の拠点が神戸に移されると同時に主な会社、工場の半分ほどが次々と神戸に移された。

 邸宅が完成したのは五月だったが、恭子さまの学校のことや、事業のことですぐには越せなかった。

 恭子さまが小学四年生の夏休みを東京でお盆まで過ごされ、新しい小学校の二学期の始業式に間に合うように越した。

 慌しい引越しだった。普通の家の引越しとは全く違う。引越しは真夏の中、行われた。一週間まるまるかかった。肉体的にもあれほど疲れた日々は他にない。

 私はヒルトマンさまの命が神戸に越すまでもつものとばかり思っていた。

 結局、ヒルトマンさまは桜を見るどころか、新しい邸宅で過ごすことはできなかった。

 けれど彼の希望通り邸宅の門を開けると桜の木が続く道がある。

 春になればこの道に桜が咲く。

 そのことを考える度にヒルトマンさまと語らった日々のことを思い出す。

 生きておられればヒルトマンさまはこの地、神戸で何をするつもりだったのだろう?

 ヒルトマンさまの目的は事業のこと以外に考えていたことがあったと思う。

 私は知らなければならない。

 ヒルトマンさまの前の妻、長田由希子のことを。

 彼女は今、神戸に住んでいる。

 私がこれほど彼女のことが気になるのには理由がある。

 それはこの邸宅のせいだ。

 この邸宅にはすごく不自然な場所が一箇所ある。

 信じられないことだが邸宅の二階にはヒルトマンさまの前の妻、由希子さまの部屋があるのだ。

 一体、ヒルトマンさまは何を考えていたのかしら?

 私はヒルトマンさまの悪戯っぽく微笑む青い瞳を想い出していた。

 ヒルトマンさまが今の奥さまにどのように言って前の奥さまの部屋を東京の邸宅から神戸にそのまま移すことができたのかわからない。

 本棚も含めて部屋の家具調度類、壁に掛けられた西洋絵画に壁紙の模様まで、あらゆるものが全て東京の邸宅の由希子さまの部屋そのままだ。

 東京の邸宅に由希子さまの部屋が残っていたことも不自然なことなのに、それを神戸に移すなんて私には信じ難い。

 恭子さまは喜ばれると思うけれど、いくら家にほとんどいない奥さまでも心中穏やかではないはず。いつかは奥さまに撤去されるかもしれない。

 それともヒルトマンさまの遺言に何か書いてあったのだろうか?

 私は相続関連の事務からは外されていたのでその辺りのことはあまりわからない。

 一度奥さまが言われたことがある。

「この家には亡霊が住んでいるのよ・・」と。

 前の奥さまの生霊があの部屋に住んでいるというの?

 ひょっとして奥さまがほとんど家にいないのはあの部屋があるせいなのでは?

 家政婦の身であれこれ詮索するのもよくないことは重々承知だけれどやはり考えてしまう。

 知らなければ私はいつまでも恭子さまと同じ位置に立てない気がする。


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