第4話 テラスにて②
漫画の話で楽しそうにしてる子たちのことを知りたい。
どうすれば知ることができるのか?
どうして知りたいと思うのか、わからない。
みんなが話しているのを見ているとなぜか胸の中にぽっかりと穴が開いていて、そこがギュッと締めつけられるような感じがする。
同時に目の奥が少し熱くなる。
私にはその感情がよくわからない。
こんなことで泣くとは思わないけれど、これは「泣く」という感情に近いのだろうか?
けれど私は決して泣くことはない。特に人前では絶対に泣かない。
母と離れることになった時も私は人前では泣かなかった。
母がこの家を去ったのは私がまだ小学校に通いだす前のことだ。私にはその理由が分からなかった。父にも叔父にも仕方のないことだと言われた。
私は寂しくてどうにかなりそうだった。
私は家の中を走り回って部屋のドアを一つ一つ開けて母を探した。
母がいる頃からそうして母を捜す習慣があったので疲れきるまで毎日屋敷中を走り続けた。
だが結局、母を見つけられず最後に開けた自分の部屋で泣いた・・泣き続けた。
以前は探し回ると、どこかの部屋には必ず母がいたのに、どこにも見つけられなかった。見つけられないのは自分の努力が足らないせいなのだと、自分を責めた。
まだ「離婚」ということが理解できなかったので子供がある程度の年齢になったら、母親という存在は子供の前からいなくなるのだと思った。
これからはどの部屋のドアを開けても母はいない・・そう思うことにした。
母がいた部屋が一つ、この家から消えただけだ。そう自分に言い聞かせた。
しかしそれは違うことがすぐにわかった。父がすぐに再婚したからだ。
その人の顔は私の前から消えた母の顔とは全然違っていた。
少しぼんやりしたところのあった母とは違って再婚した相手の人ははっきり物を言うし、動作もてきぱきとしていた。
私は思った・・この人は母親ではない、と。
私がそう思っていることがどうでもいいことのようにこの人はこの家にほとんど顔を出さない。情が移るどころか顔も時々忘れるほどだ。
あの人は東京にいた頃の小学校の入学式には姿を現し、一度だけ授業参観の時に教室に入ってきて他の母親と並んで、いかにも「あの子の母親です」というような顔をして立っていた。
家にいる時は父と仕事の話を夜遅くまで話していることがあった。
その中には私はいない。
私はあの人の作ったものを食べたことは一度もない。家の食事はその頃にいたお手伝いさんの島本さんが作ってくれていた。島本さんが私の母の代わりみたいなものだった。
そしてその島本さんも辞めることになってその代わりに静子さんが来た。
静子さんは料理や家事は島本さんより優れているとはお世辞にも言えなかったけれど、 島本さんよりずっと若く勉強やスポーツはよく出来た。私にとって静子さんはいい教師だ。
そして、母がいなくなり、父が亡くなった時も私は人前で泣かなかった。
父にずっと言われていたからだ。私は父の言いつけをきちんと守った。
後で父の言うことがわかった。人前で泣くと相手に弱みを見せることになるからだ。
父が言うのには私はいずれ父の事業を継がなければいけないそうだ。
まだ事業のこととかはよくわからなかったけれど私は人前で絶対に泣かなかった。
あの人・・形だけの母親がいたせいもあって、この人のいる所では絶対に泣かないでおこうと自分を勇気づけた。
どうしても泣きそうになった時には自分の部屋に入って思いっきり泣いた。
父が亡くなった時でさえ私は人前で泣かなかったのだから、もうこの先、一生、私は人前で泣くことはないと思う。
そう、静子さんは「慌てんぼさん」だけど、私の方は「強がりな女の子」だ。
「静子さん、そんなことはないわ」私は静子さんの言ったことを否定して「みんなの話してる漫画の世界の話には興味があるわ」と言った。
「そ、そうですか・・」
静子さんは自分の言ったことを否定され少し自信をなくしたように見える。
「たぶん、漫画の中の話だけど、魔法の・・」
「魔法?」
「ええ、魔法・・よ」
「それは魔法が使える女の子の話でしょう?あくまでも空想の絵空事です」
「みんなが言っているのはそれのことかしら?」
教室の中で聞こえてくるみんなの声はどれも断片的なことなのでよく理解できない。
やはり静子さんに漫画の本を買ってきてもらった方がいいのかしら?
「それと結婚・・の話とか・・」
「魔法」という単語の他にも「結婚」とかの言葉もよく出ていた。
少女漫画なのにどうして結婚の話が出るのかわからない。
「結婚?」
静子さんは口元に持っていっていたカップをお皿の上に戻した。
「そういえば静子さんは結婚はしないの?」
ついでに私は前から気になっていたことを訊ねてみた。
静子さんは結婚すれば今の仕事はどうするのかしら?
この家を出るのだろうか?それとも仕事を続けてくれるのかしら?
そのことを考えると少し不安になる。
「結婚ですか・・」
突然の問いかけに静子さんは戸惑っているように見えた。
◇
恭子さまはテラスの丸テーブルの向かいに両脚をきちんと揃えられてティーカップを手にしている。ティーワゴンには恭子さまがいつでも紅茶のお替りができるように準備してある。
これは私の好きな時間。とても大切な時間。
明日、駅前の本屋さんに行って漫画の本を探そうと思っている。
東京と違ってこちらの品揃えはどうなのだろう? 単行本よりまずは雑誌から読み始めるのがいいのかしら?店員さんにお勧めを訊いてみよう。
そうそう、明日は恭子さまの冬用のお洋服を揃えるのに仕立て屋が来る予定だったわ。
それでは本屋に行くのは明後日ね。
えっ?明後日も何か予定があったはず、後で手帳を見ておくことにしよう。
どんなお洋服が恭子さまに似合うのだろう。
想像の中で目の前の恭子さまのお姿に色んな服を着せてみた。
あれも可愛い、この服も可愛い、と恭子さまには断りもせず勝手に想像を巡らせる。
これなんかどうだろう?少し派手かしら?
あまり派手だと学校で浮いてしまうかもしれないのでこれはやめておこう。
日本人と違って何でも似合いそうだから少し羨ましい。
そう思考を巡らせながら恭子さまとおしゃべりの時間を楽しんでいる時に突然問いかけられた。
「静子さんは結婚はしないの?」
恭子さまは紅茶を飲みながら無邪気な顔で訊ねた。
「前から静子さんに訊こうと思っていたの」
あまりにも突然だったので飲みかけの紅茶をぷっと吹き出しそうになる。
「私は・・」私は少し口ごもらせ「私には、そんな相手、いませんから・・」と答えた。
私は紅茶カップを手にしながら、昔、コーヒーをよく飲んでいた日々のことを思い出していた。
私にもそんな相手らしき人が前にいることはいた。
それは恭子さまに初めてお会いした日のこと・・
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