第3話 テラスにて①
◇
今日は日曜日、小学校はお休み。
けれど私には何の予定もない。
そんな日はたいてい陽のあたるテラスで静子さんとティータイムを楽しむ。
夕方にはピアノの先生が来る。それまでおしゃべりをする。
静子さんもそれがわかっているから紅茶を淹れて白い丸テーブルの上に静かにカップを並べる。
傍にはおしゃれな白いティーワゴンがある。静子さんは本当はコーヒーの方が好きらしい。東京の学生時代には毎日のように飲んでいたそうだ。
けれど、私といる時は紅茶にして合せてくれる。別にコーヒーを飲んでくれてかまわないと言うのだけれど香りが混ざると良い気分になれないそうだ。
私がミルクティーで静子さんはレモンティー。
小鳥の囀りがお庭のあちこちで聞こえ、時々、何匹かの蝶がテラスに迷い込む。
「クラスの女の子はよく漫画の雑誌を読んでいるみたいなの」
クラスのみんなは学校には持ってきてはいけない漫画の話をよくしている。
「漫画、ですか・・私は読みませんね」
「静子さん、時々、お母さまのお部屋でご本を読んでいるものね」
「恭子さま、ご、ご存知でしたか・・」
少し慌てたような表情を見ると、知られたら恥ずかしいことだったようだ。
静子さんは私の本当の母の部屋を毎日のように掃除している。人がいなくても掃除をしないと部屋がダメになるそうだ。
しかしその部屋で母は過ごしたことがない。
その部屋は父と母が離婚しても東京の邸宅に残っていた母の部屋をそのまま神戸に移したものだ。
部屋には母が結婚する前に買った本、結婚してから買った本が書棚にぎっしりとあり図書館でもできそうなくらいだ。
母は父と別れる際、それらの本は全て残していった。
母の部屋のドアから灯りが零れている時は静子さんが母の残した本を読んでいる時だ。
「静子さん、最近は何を読んでいるの?」
私は嬉しかったのだ。静子さんが母の部屋で本を読んでいることが。
あの部屋に灯りや、人の温もりがあると母のことを肌で感じるように思い出せるからだ。
「え、ええ、太宰治の全集を片っ端から・・」
静子さんは目の前を飛んでいる虫を払いながら答える。
「片っ端」という言葉が少し可笑しかった。
「そんなにたくさん?」
太宰治なんてまだ私には難しそう。
「学生時代には太宰治の有名な小説「人間失格」や「走れメロス」などは文庫本になっているので読めたのですけど、他に読みたくてもどうしても読めないものがあったものですから、それを見つけて読む勢いが止まらなくなって・・」
「よかったわね」
「ええ、ここはまるで天国・・」
そこまで言うと静子さんは自分の失言に気づいたように口元に手を当てた。
「い、いえ、私にとってはまるで図書館のような・・」
そこまで言うとまた言い直す。
「恭子さま、ごめんなさい!・・お母さまの大切にされていた本を勝手に読んだりして」
母も静子さんのような人に読んでもらって幸せだと思う。
「別にかまわないわ、勝手に読んでも・・私には読むのはまだ無理そうな本ばかりだから」
「そ、そんなことはありません。この前などは恭子さまは山本有三の『真実一路』などを読まれていたではありませんか」
「あの本もどちらかと言うと子供向きよ」
「そ、そうだったしょうか?」
静子さんは納得がいかない様子。
「恭子さまはご自分の読まれている本よりも、クラスの子の読んでいるものの方にご興味があるのですね?」
「別に興味とか、そんなのではないけれど、少し、漫画というものがどんなものなのか知りたいだけよ」
私のカップが空になっているのを見て静子さんは「恭子さま、お替りをお淹れしますわ」と言って側のティーワゴンに置いてあるティーポットをとりカップに注いだ。
私はその中に好きなだけミルクを注ぐ。
「恭子さま、今度、漫画のご本を買ってきましょうか?」
静子さんは気をきかせたつもりで訊いてきた。
「でも、私、どの漫画が面白いか、わからないの」
「私、調べます!」
静子さんの勢いに気後れしていると、テーブルの上に戻されたティーカップの音がカチャッとした。
カップから目の前の静子さんの方に目を戻すとその目は透き通るように見えた。
「恭子さま、本当は漫画なんてご興味はないのではありませんか?」
静子さんの綺麗な瞳は私の視線を捕らえたまま逃さない。
静子さんの言うことは当たっている。
静子さんは慌てんぼさんだけど、こういうこと・・つまり、私のことはよくわかる。
私は漫画には興味はない。
それを話題にしているクラスの子たちに興味がある。
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