第35話 姉妹の力②


「姉です」と村上くんの叔母さんはあたりまえのように言った。

 私は村上くんの叔母さんの言った意味をすぐに理解した。

 悠子にもすぐにわかったはずだ。

 たぶん、村上くんの叔母さんは私たちが姉妹であることに気づいている。

 そして、あの人は私たちに姉妹であることを隠さず生きていけ、と言っている。

 そう思うのは私の勘違いだろうか?

 でもこういうことって私たちがいくら隠そうとしても、気づかないうちに水のように溢れ出し周りの人に伝わっていくものなのかもしれない。

 隠す? 一体誰のためだろうか。

 お父さん? お母さん? それとも悠子のお母さん?

「仁美、お父さんが話があるんですって、ちょっと降りてきなさい」

 階下でお母さんが呼んでいる。

 本を読むのを中断し下に降りるとお父さんがソファーに座っていた。煙草を燻らせている。ふーっと煙を吐き出しているところだった。

「仁美、夏休みの宿題はもう済ませたのか?」

「もうとっくに済ませました」私は淡々と答えた。

 テーブルの上にはウイスキーの瓶、水割り用の氷入れや灰皿が置かれている。

「仁美は出来がいいからな。何でもやることが早い」

 お父さんはグラスの氷を回しながら言葉を続けた。

 お母さんはキッチンで洗い物をしている。

「お父さん、話って?」

 私は待ちきれず訊ねた。あんまりここに長居したくない。

 この部屋は外の音が聞こえにくい。アパートで何かあってもわからない。

「なんでも噂では仁美が下のアパートの女の子と一緒に遊んでいるとか・・」

 奥歯に物が挟まったような言い方というのはこういうことを言うのだろう。

「友達です」私はきっぱりと言った。

 きっと悠子のことだ。誰かが告げ口をしたんだろう。

 お母さんは私が悠子と会っていることを知っているが、お父さんはまだそんなに知らないはずだ。

「友達も選ばないとダメだ」

 お父さんは煙草を灰皿の縁でトントンとたたいた。

「どうしてですか?」

「仁美の将来のためによくないからだ」少し顔が険しい。

「わかりません、私には・・」話の相手をするのに疲れてくる。

「仁美も大きくなれば、お父さんの言っていることがわかる日が来る」

 テレビドラマで聞いたようなセリフだ。

 お父さん、私は今は子供だから、わかんないよ。

「お父さん、どんな子だったら、お友達にいいの?」

「そうだな、清田さんの娘さんとか」

 ふーん。長田さんじゃないんだ。

「仁美、お父さんの言うことは聞いた方がいいわよ」

 お母さんが手を拭きながら来た。

 はいはい。二人に言われたんじゃ、頷くしかないわ。

 でもね。お父さん、お母さん、私は将来あなたちの言ういい子にはならないと思う。

「お父さん、もういいですか? 私、本が読みたいの」

 私は上に上がろうと立ち上がりかけた。

「だから、仁美、アパートの子とはもう・・」

 お父さんの本音が出た。

「悠子でしょっ、お父さんの言いたいのは、ちゃんと名前を言ってよっ」

 思わずお父さんの前で悠子の名前を出してしまった。言わない方がいいのかもしれなかったけど止められなかった。

 お父さんが煙草の灰を灰皿で落とさず、そのままにしている。

「お父さん、煙草の灰、落ちるよ」

 私に指摘され「ああ・・」と言って灰を灰皿に落とした。

「仁美、お父さんになんてことを!」お母さんが慌てて言った。

 確かに言いすぎだ。お父さんも仕事で色々あるに違いない。それに私はただの子供だ。

「私が誰と友達になろうと自由でしょ」もうここに居たくなかった。

 その時、何かが割れる音がした。

 私の心? 違う・・聞こえた。私は二階に駆け上がり部屋の窓を開けた。ムッとする夏の夜の空気の流れとともに悠子の叫ぶ声が流れてきた。

「おかあさん」と確かに聞こえた。私は急いで再び階下に降りた。

「ごめん、お母さん、私、出てくるっ」と言った時にはもう靴を履いていた。

「待ちなさい、仁美、こんな時間にどこに」

 お母さんではなくお父さんが後ろから私の肩を掴んだ。

「理由を言っていい? お父さん」私は振り返るとお父さんの方を少し睨んで言った。

「言いなさい」

「妹のピンチなんやっ!」

 そう答えた後、お父さんの顔を見ている暇もなかった。私はドアを開け飛び出した。

 家の東側の非常階段を下りていく。ギシギシと音がする。暑いのに風が強く吹いている。落ちそうで少し怖い。怖いけれど早く行かないと、悠子が・・

 なんて長い階段なの、と思った時には足を踏み外していた。ずさーっと地面に落ち、うつ伏せに倒れ込んだ。けれど、すぐに起き上がった。下の方だったから衝撃も小さくて済んだ。少し擦り剥いた程度だ。痛くもない。私はスカートに付いた土をぽんぽんと手で掃うとアパートのドアに向かった。

 まだどの家にも灯りが点いている時間だ。

 子供の笑い声や、大人の話す声、色んな食べ物の匂いがした。暖かい家庭の匂いだ。

 しかし、今の悠子はそのどれも味わうことができない。

「小川」の表札があった。やはり中で悠子が何か言っている声がする。

 もう我慢できない。私は悠子とのルールを破り呼び鈴を鳴らした上でドアをドンドンと何度も叩いた。

 予想通り、男がドアを開け出てきた。あの男だ。こいつのせいで悠子は・・悠子のお母さんは変わってしまった。

「なんやお前は?」男の顔は怖い。お父さんとは全く違う世界の男だ。この男はきっと人も殺せるのだろう。でも今の私にはそんなこと関係ない。

「この子の姉です」私は村上くんの叔母さんが言ったような口調で言った。

「仁美ちゃん!」

 きっと悠子にも村上くんの叔母さんが見えたと思う。

 ああ、あの人・・村上くんが好きになるはずだ。

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