第34話 姉妹の力①


「おまえ、香山の家の娘やったんやないかあ」

 家に帰り、ドアを開けるとあの男が目の前にいた。

 強いお酒と煙草の匂いが鼻をつく。お祭りの楽しい思い出が一瞬で吹き飛んだ。

「そういうええ話は、はよ教えてもらわんと困るなあ」

 誰がこの男に言ったの? 敏男?・・まさか、お母さん?

「ええ金づるできたやんかあ、なあ」男はニヤニヤと笑っている。そばに敏男もいる。

 いつだったろう。お母さんはこの男をお父さんと呼ぶように言っていた。

「これでお前も、もっとええ暮らしできるで」そう敏男に言った。

 どうして今日いるの? 昨日は女の家に泊まっていたのに。

「ちょっと、一緒に香山の家までつき合えや」

 絶対イヤ! 私は絶対に行かない。

 この男、仁美ちゃんの家に行ってお父さんに会うつもりだ。

「言うこときかんと、痛い目に合わしたるぞ」

 痛い目に合わしたらいい。でも私は大声を出したりしない。

「私は行きません」私は持っていた手提げを抱え精一杯の反抗をする。

 男は真横から私の体を蹴った。

 変な苦痛が体を襲い、背骨が一瞬ぐにゃっと曲がったように感じた。

 私の体は下駄箱に当たって、そのまま弾かれたように玄関に転がった。どこを打ったのかわからないくらい全身が痛かった。

 下駄箱の上の花瓶が落ちて割れ破片が床に散乱している。

 手提げは? 急いで確認する。中身は無事だ。

 血の匂いがした。どこからか出ているのだろう。

 痛いよ、お母さん、助けて。私は口に出さず心の中で泣き叫ぶ。

 いつも私はお母さんに口に出して助けを乞うのを我慢する。言えばお母さんが怒るから決して言わない。お母さんが嫌がることはしない。

 私は男を見上げた。

「腹立つ奴や。この目や、俺のこと馬鹿にしてるんや」

 そんなこと思っていない。ここから出て行って欲しいだけだ。

「父ちゃん、俺、ほんまに見たんやで」

 敏男だ。やっぱりそういうことだったのか。

「敏男、お前、ええもん見おったなあ、こんな貧乏たれの娘が、あんな金持ちの娘とお祭りなんか行けるわけないやろがあ」

 私はたしかに貧乏の娘やけど、お祭りは別に誰と一緒に行ってもええやん。

「仁美ちゃんは同級生の、と、ともだちです」

 仁美ちゃんは私が守る。

「友達だあ?」男はそう言って私を蹴ろうとしたが「そやそや、大事な金づるや、傷つけんようにせんとなあ。おまえの親父に怒られるわなあ」と言ってまたニヤニヤ笑った。

 絶対、お父さんに会わせるものか。

「あんたっ、もうやめてっ」お母さんが奥から出てきた。

 お母さん!

「違うんや、敏男の勘違いなんやっ」

 そう言いながらお母さんは男にしがみついた。

 どうして? いつものお母さんじゃない。

「あの人の家に行くんだけはやめてっ」

 お母さんのこんな悲しげな表情、今までに見たことがない。

「お前は黙っとけっ、今までわからんかったこと、これで謎がいっぺんに解けたわ」

 男は私を蹴る替わりにお母さんの頬を叩いた。お母さんは襖の方に倒れた。

「やめてっ、お母さんに手を出さんといてっ!」

 私は大きな声で叫んでいた。

 この男はお母さんを叩いた。優しいお母さんを叩いたんや。

 私の声はご近所まで聞こえたはずだ。きっと崖の上の仁美ちゃんの家まで・・

 仁美ちゃん、ここに来たらあかん!


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