エントリーNo.04

ーーヤブ蚊がいない。

川辺の公園をぐるりと一周し、自販機に飲み物を買いに行く彼の後ろ姿を見遣ったところで、彼女は感じていた違和感をようやく言語化できた。


蒸せるような雑草の匂い。どこからともなく寄ってくるアブやヤブ蚊。それらを振り払ってズンズン先に進む兄の背中と、それに追い縋ろうとする足をもつれさせる大小不揃いな河原の石ーー彼女が「川」という言葉に抱くそんな雑多なイメージは、けれどここには存在しない。

休憩スペースは木材を模したタイルが敷き詰められていて、草の一つも生えていない。川沿いの道(こちらも土を踏み固めたものではなく、煉瓦舗装のおしゃれな代物だ)の手前に並べられている数個のプランターは、一つ一つ色を揃えた花が植えられている。彼を待ちつつ確保した椅子とテーブルにはパラソルまで据え付けられていて、初夏の日差しくらいなら簡単に遮ってくれる。それでも暑くなった日には後ろの赤い建物ーーさきほどまで買い物をしていた公園併設の商業施設に引き返せば、24℃に設定されたクーラーが快適さを保証してくれるだろう。

聞こえた子供の泣き声に、川辺の方へと目を向ける。彼女の他にも何名かが同じく首を動かしているが、その顔に焦りの色はない。泣き出したのは、川敷への坂の途中で転んだらしき未就学児童。「お姉ちゃんなんだから、一人で起きられるでしょ」と励ます母親らしき人の姿からも、命に関わる事態ではないことが分かる。そして、それでいいのだとも思う。

この公園は、あの「川」とは違う。増水時にダム放流を無視してバーベキューを続けでもしない限り、命を落とす危険は無い。川敷の草も刈払機で丁寧に刈り込まれていて、たとえ半袖半ズボンで駆け回っても手足をすり切らせる恐れすらない。それはカップルや親子ずれに人気のスポットとしては大前提以前の条件で、そして彼女も今はもう、その評判を小耳にしたカップルの片割れーー探検と称して男子とともに茂みを掻き分け川をどこまでも遡っていたお転婆娘のままではないのだ。


それは少し寂しいけれど当たり前のことで、いつまでも変わらないものなんてもう変われなくなってしまったものだけだ。

だから彼女は、自販機から戻ってきた彼に振り向いて、


「悪ぃ、午後ティー売り切れてたからコーヒーでいいか?」

「えぇー、だったらジュースがよかったのに」


小さく、頬を膨らませて見せた。

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