地下牢
「おのれらの処分は放逐刑とあいなった」
獄吏は冷たく言い放った。
俺は相手のあばた面を見返した。じめじめした地下牢にお似合いの
ここは伝馬町の地下牢である。晩冬の冴え切った冷気が骨の髄まで染み渡る。このようなじめじめとした暗所に禁錮されておるのは、ひとえに我が身の不徳によるところといえど、それでも憎らしくもやり切れぬ。
俺は木枠の手枷をガチャガチャと振り鳴らした。
「それってのはなんだ、まさかこの下のドブ底に放り込まれるってんじゃないだろうな? 迷宮によぉ?」
「他にあるまい。――それに迷宮は下にあるではない。この地下牢は迷宮の地下一階層に隣接しておる。というよりむしろ迷宮の一部と言っていいであろう。言うなれば、貴様らはすでに迷宮に飲み込まれておるのだ」
心底の侮蔑を込めて獄吏は俺たちに向き合う。この獄吏が特段非人情なわけではない。罪人に親切な役人などいやしないのである。見た通り、俺は左腕をぐるりと巡る三本の輪を刺青された、立派な罪人だった。
「放逐刑、あるいは
同牢の男がふいに口を開いた。
ここへ放り込まれて以来、沈思にふけるばかりで滅多に喋ることのなかったのが、いったん舌を回せばとめどがない。
「放下刑とはつまるところ死罪と同じじゃあないですかい? 魑魅魍魎巣食う大迷宮に裸同然ならまだしも、手枷を付けられたままおっぽり出されりゃ死ぬは必定」
「ふん、江戸はなぁ大災難を被ってるのだ。おのれらは獄に繋がれておったから知らぬであろうが、一昨日の大火で江戸は丸焦げよ。目黒、行人坂は大円寺から出た火は麻布、芝、京橋まで拡がったのさ。とうとう本橋、神田、本郷、浅草、千住と炎は呑み尽くした」
「なんとまぁ」と盗人らしい男は唇を歪めた。
「
「ちぇ、するってえと、あたしらが盗むはずだった財もみーんな燃えちまったってことかい? やりがいのねえこった。切ねぇったらありゃしねえ」
鼬小僧とはどこぞで耳にしたことのある名だった。あこぎな商人や大名屋敷から銭を盗んでは貧民に配ったという噂があるが、半分は嘘であろう。この世に義賊なんざいやしないのである。しかし、この男の口ぶりはどうだ、己の命が風前の灯だというのに、盗めなかった財を惜しむとは、どこか妙である。迷宮の恐ろしさを知らぬわけではあるまいに。
「おのれら罪人は迷宮行きを畏れるがな、いまや地上とて地獄なのだ」
「そりゃそうだね」と鼬は調子を合わせた。「でも、こちらの御仁といっしょに送られるってのはゾッとしないねえ。なんでも人殺し、それも罪もない人間を幾人も殺めたって話じゃないかい」
「樋口が手にかけたのは八人。九人目の獲物をつけ狙っておったところをお縄になったのだ。猫目の芸者は、こやつの毒牙より命からがらに逃れおおせたのだ。いまごろは震えながら神仏に感謝しておるであろうさ」
フン、と俺は白い鼻息を吐いた。下手を打った、油断をした。同心に尾けられていることも知らず、目当ての女に迫ったあげく、あっけなく捕縛されたのである。すなわち俺がこんなしみったれた地下牢に居る、それが理由であった。それにしても八人とは少なすぎる。いまだ露見していない殺しもあるのだろう。
俺は未遂に終わった最後の殺しを惜しんだ。
(畜生、あんなにそそる獲物はついぞなかった)
「そんな物騒な人と二夜も越したわけかい、ひぇえ。おっかないねぇ」
獄吏のみでなく盗人までに冷たい視線を向けられるのを感じた。盗人風情に蔑まれるのは情けない。が、奇妙にも鼬小僧の口ぶりからは蔑みはあれど本当の恐れは伝わってこなかった。
「へっくし!」
俺は景気よく
「しかしな、この放逐刑にはよい面もあるのだぞ。万が一にも生きて迷宮を這い上がって来られれば、晴れて無罪放免というわけだ。だからのぅ、必死に上を目指すのだぞ」
わずかに希望をちらつかせる嗜虐的な趣味は、いずれの獄吏も同じである。
俺たちは牢を引き出されて、蝋燭のかぼそい光だけで照らされた通路を歩いた。やがて辿り着いたのは、地獄への入口であった。
ぽっかりと床に空いた七尺ばかりの不愛想な大穴。
「ここから地下五層に滑ってゆける。滑り坂の先は魍魎どもの世界だ。おのれらは感謝せずばなるまい。迷宮に無料で行けるのは
「いつか、てめえにも地獄を見せてやる」
憎まれ口を聞くが早いか、獄吏は俺を
「あんた余計な事を言うんじゃねえ! いい迷惑だぜ」
と鼬が非難するのを、俺は笑って返した。
「はん、迷惑上等。最期くれぇ、啖呵を切ってやらなきゃどうすんだい? 人生五十年って言うだろうが、気に食わねえやつは殺すか罵るか――」
残念だが、俺の長口舌はあえなく途絶した。
「もうよい、地の底へ落ちよ」
四方より無情の
そうして俺たちは迷宮に突き落とされたのである。
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