大江戸大迷惑〜迷宮無頼剣〜
十三不塔
序章
明和九年/前口上
冷え切った飢えだ。
底なしの欠落だ。
どん底を踏み抜いた先にこの場所がある。同胞の肉を裂き、血を
そうだここは、――明和九年。
後年、
あれらの厄災のごときに比べたら俺の所業など如何ほどのこともない。幼子が虫けらの脚をむしり取るが如き児戯でしかない。
火に、風に、水に、疫病の類が、それぞれにこの都で猛威を奮ったのだ。それにあの途方もない大地の裂溝、突如現れ出でては混沌をまき散らしたかの大迷宮はどうであろう?
俺が幾人の人間を屠ろうとも敵うものではない。あれらはあっけなくも無慈悲にあらゆるものを奪い去る。
血族を。
従者を。
愛妾を
財を。
禄を。
赦し難き仇すらも。
俺は嘆いているのではない。小気味いいのだ。口元が綻び笑みが浮かんでしまう。俺は俺と似た笑みを浮かべた男を知っているが、そいつはいけ好かない奴だった。
これはつまり、俺が俺自身を忌み嫌っているということかもしれない。たとえば、そいつはこんなふうに言った。
――所詮この世は地獄に薄皮一枚ひっかぶせただけの安い張り子よ。もとより破れ目だらけ。亡者や餓鬼が我が物顔でのし歩く苦界や。
話が逸れた。続けよう。先ずは名乗るべきか。
俺は名を樋口二郎實之と云う。
侍の家に生まれたが、なんのことはない。江戸の夜を行き交う人喰いだ。獣の身に堕ちた人外である。
家伝の業をもって人を斬り、それを喰らう。恨みのない無辜の民を……女も子供も分別はつけぬ。俺こそが――天地の気まぐれには及ばねど――ひとつの災厄なのである。
人の命なんぞ平等に無価値で取るに足らない。仏の慈悲も奉行の世話焼きも、荒ぶる天地には敵うべくもない。そうだ、この一年に限って言えば貧者も富者もなく、侍も町人もなく、塵芥のごとく皆死んでいったのだ。この世のタガが吹き飛んだといえばいいか。
明和九年の地獄をまじまじと眺め見てみれば路傍の人喰いの狂気など知れている。大江戸が多大な迷惑を蒙った一年である。俺が何を殺そうと何を喰らおうと誰も構いやしないのである。暇で奇特な連中を除けばの話だが……。
前口上が長引いてしまった。ともかくもこれから幕を開けるのは俺という鬼畜外道の物語であり、その因果極まる顛末である。またこの大江戸が
では、ご笑覧あれ。
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