第17話 利己的な悪

前回のあらすじ。

新たに産まれた四番目と、ユウヒのもつ聖呪器を重ねることでギュンターを倒すことに成功したナシロとユウヒ。

無事に復讐を遂げたことを確認し、ユウヒは力尽きたように気絶する。

残ったのは灰の山とナシロだけ。

ユウヒが眠っていることを確認したナシロは、ギュンターの成れの果てである灰の山に声をかける。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 正義とはなんなのだろう。

 悪を打ち倒すこと。

 悪との対比。

 誰かを護ろうとする者。


――僕は、信念をもってひたすらに、正しさを成そうとするひとだと思う。


 #       #



「まだ寝たふりを続けるのか?」


 問いかけるとさっきまでギュンターだった灰の山に変化が訪れる。

 ぶくぶくと泡立つと同時に、砂の彫刻のように手や足が出来上がった。

 灰色が肌の色に変わったとき、灰だったものは元の形を取り戻す。


「彼女は眠ってしまったのかい?」


「ユウヒさんは死力を尽くして戦った。血を吸われたことと順応剤があったとしてもパペットを人間の身体で使うのは負担が大きすぎる。そこに誰かを刺すトラウマと、復讐を成し遂げるってプレッシャーだ……。お前を殺したことで緊張の糸が切れたんだろう」


 ナシロは落ちた飴玉二つを手に取ると、慈しみさえ宿る手つきでお守りに入れ、それをユウヒの胸に置いた。


「ふふっ、彼女は健気(けなげ)だね。愛おしささえこみ上げてくる」


「彼女のご両親は吸血鬼のことを調べたみたいだけど、さすがに普通の人間では限界がある」


「そうだね、私のような位階保有者がどういった生き物なのか、知るのは無理があったのだろう」


 声が重なる。


「「純血は不死に近く、位階保有者は不死に近い」」


 聖呪器の毒に侵されて、ギュンターの衣装はところどころ穴が開いている。それでも彼が灰から戻ったときに鱗粉で編まれた衣装は不完全ながら再構成されていた。


「手痛くやられたのは間違いないがね、それでもこれくらいじゃ終わらない」


「……先代の第六位を殺したときはどれくらいの時間がかかった」


「二十日。殺して、殺されて、二十日間も繰り返してやっと殺し終えたんだ。一度死んだ程度では終わらないね」


 位階保有者同士の殺し合いは、流派に関係なく決闘のように一対一の形式が多い。

 それは血の奪い合いが戦いの基本で、根幹だからに他ならない。

 部下を連れていては、相手に血の補給をされてしまう。

 吸血鬼は血を原料としてパペットの使役や再生を行う。

 どれだけ相手から血を奪えるかが勝利条件となってくる。

 そうして尽きたほうが敗北するのだ。勝者は敗者の血を啜りきる。

 先ほどのような限界を掠める戦いを、数週間、長ければ数ヶ月続けることで、位階はやっと奪われる。


「ユウヒさんは確かにお前を一度は殺した」


「一度とはいえ殺されるとは、私も思ってなかったよ。彼女の奮闘は凄まじかった」


 だからこそ、だからこそだ。

 ここから先は、眠る彼女が知らなくていいこと。

 安らかに眠り、起きたときにはすべてが終わっている。


「……それで、そんなことを知ってる君は、私をどうしようというの? カネシロ・ユウヒがやったように自分を犠牲に彼女を逃がしたいという願いなら、悪いけれど断るよ?」


「そんなことを、言うつもりはない」


「そう?」


「ああ、だって復讐はもう終わっている。ユウヒさんが無事に、終えたばかりだ」


「…………?」


「これから僕がするのは後片付け。彼女が起きたときにはギュンター、お前が生き返った事実なんて無くなって、鐘代夕日が、復讐を完遂した事実だけが残るんだ」


 すべてはあの日にはじまった。

 ユウヒさんと出会った雨の夜から……半年、時間を遡る。

 六ヶ月前。

 幼馴染みが息を切らせて帰ってきた。

 誰かを背負っているのが見えた。


『助けて、ナシロっ』


――おろされた彼女は、僕を見上げて名乗ったのだ。


『はじめまして、カネシロ・、です……』


 と。

 カネシロ・ユウヒの妹。


――僕は彼女と会っている。


「復讐を終えた? 言ってる意味がわからない。けど、――君の意思は伝わった」


 ギュンターは服を払う。

 汚れを散らし、そして、叫んだ。


「はじめようか。……おいで、パペット」


 蝶が再び舞い上がる。

 殺したはず、すぐには復活できないはず。

 そんな常識など、位階保有者は突き崩す。

 ナシロが壊れた槍を投擲すると蝶の身体は一瞬のうちに壊された。

 しかし、ギュンターの最後の奥の手は、その一瞬で事足りた。

 遅かった。


「能力まで知っていても、これは知らなかっただろう? 位階保有者なら、殺されたパペットもほんの一時ならば、時間を待たずに呼び出せる」


 周囲を見回すがギュンターの姿はどこにもない。だが、ナシロは動揺を見せなかった。


「対応が速いな。鱗粉を使った透明化。君は物知りだ。アンネも知らないはずなのだけど」


「……パペット、武器だ」


 白蜘蛛は疲弊していて、槍はもう作れそうにない。

 薄い一振りの直刀が限界だった。


「これからすることに、ユウヒさんが関わる必要は無い。僕だけが知っていればいい」


 ぶんッと刀を一振りすると、ナシロは目を細め、上段に構える。

 過去に数回、大事な後輩に教わった剣術。

 触りだけだが身に着けている。

 ここでその技術を使ってしまうことへの罪悪感が痛みとなって身体に走る。


「やはり、君の目的を掴みきることができないな」


 どこからともなくギュンターの声が聞こえる。

 姿は完全に消えていた。降り積もる粉塵をみてもわからない。

 鱗粉を飛ばすことで居場所を偽装している。位置をつかませないために、常にいくつもの場所で粉塵が舞い上がっていた。

 探るような気配だけが周囲に満ちていく。


「知らないのならそれでいい。ユウヒさんの復讐理由だけを刻んでいけ」


 仮に目の前にギュンターがいたとして、気付くことが可能かもわからない。油断した瞬間に首を飛ばされていても、呑み干されていてもおかしくはない。

 すでに鎧はないのだ。ナシロは無防備で、ギュンターも武器は無いが、位階保有者の膂力ならば素手でナシロを殺す程度、造作もない。

 身じろぎひとつせず警戒を続けていく。

 そのナシロが、投げかけられた男の言葉に肩を揺らした。


「君がカネシロ・ユウヒの復讐にこだわる理由がわからない。私はスズイリ・カタカも殺しただろう?」


「……、…………」


「君は復讐が目的というには、私への憎悪があまり感じられない。そう、なんというか君は……別の相手に憎しみを向けている」


「黙ってろ」


 刀を振り回す。

 横一文字。そこには何も存在しない。


「掠りもしない、落ち着いて? 君はあまり感情的にならないように思えたのだけど」


 皮肉にもギュンターの言葉は的を射ていた。

 いつからだったか。

 そんな逃げがゆるされないほど、ナシロはハッキリと覚えている。

 感情を抑えるようになった出来事を。

 カタカが彼女――鐘代朝顔を連れてきたのが、六ヶ月ほど前のこと。

 幼馴染みのカタカは、正義のヒーローのような少女だった。

 成長し、カタカの身長を追い越すほどの時間が経っても、彼女は変わらず、困った人を助けていた。

 雀入カタカが本当に困ったとき、最後に頼るのが、幼馴染みの少年だった。

 夏の足音もまだ遠いあの季節、あの出会いがすべてのはじまりだった。


「スズイリ・カタカ、彼女には感謝しているよ。両親が逃がしたカネシロ・アサガオを、連れてきてくれた」


 まだユウヒがまだ家に隠れているころ、彼女達の両親はユウヒを残して家を出たあと、すぐにギュンターと接触することができたらしい。

 そして、血を吸われて殺された。

 鐘代夫妻は娘だけはどうにか逃がした。

 しかし朝顔は身体が弱い。車椅子も壊れてしまっている。

 どうすることもできず隠れていた朝顔をみつけたのが、雀入カタカだった。

 一週間にも満たないあいだ、ナシロとカタカと朝顔は、三人で一緒に暮らした。

 後輩に話すわけにはいかない。彼女は懲罰部隊に所属している。話すだけでなく、察せられただけでも迷惑をかけてしまう。

 カタカは朝顔をどうにかして、この夕暮市の外へ逃がすことを目的とした。

 位階保有者といえども、否、位階保有者だからこそ、簡単に特区の外へ出ることは難しい。

 朝顔は外に姉がいると言っていた。いまもひとりで待っているはずだと。

 姉の名前は夕日。

『優しくて大好きなお姉ちゃんなんです』緊張や状況に圧され、いつも昏い顔をしていたあの少し幼い少女が、姉の話をするときだけは明るく、嬉しそうにはにかんでいた。

 ほんの数日接しただけでも、彼女の優しさを、思いやりを、両親を殺されても決して折れない強さを知ることができた。

 だからナシロは、幼馴染みに懇願した。


『頼むから、アサガオさんを見捨ててほしい』


 絶対に位階保有者にはかなわない。無事ですむことはない。

 今回だけはお願いだと、それしかないと頼み込んだ。


――鐘代朝顔を見捨てろと、僕は、正義の味方に懇願した。


 二人きり、狭く暗い部屋で、畳に頭をこすりつけながら。

 わかっていた。それが幼馴染みの願いとかけ離れていることも。

 彼女の信念を、どうしようもないほどに汚すことも。

 罪もないひとりの少女を、確実に死に追いやるとしても……。


「ギュンター・ゼクスト。僕はアサガオさんを見捨てたことは、正しかったと思ってる」


――あの選択は正しかった。いまでもその答えに、変わりはない。


 翌朝、二人は消えていた。


「カタカとアサガオさんが消えて、町中を探した」


 吸血したこともなく、パペットはいまよりもずっと拙かった。

 さがして、数ヶ月続けて。

 思い当たる場所はほとんど回って、見つからない。


「あとはここしかないと思った」


 最後に残ったのは、六位――ギュンター・ゼクストが住む屋敷だった。


「本当は最初からわかってた。ふたりがいるとしたら、お前の屋敷しかないんじゃないかって」


 ためらってしまった。

 もしここにいるのなら、もう結末は決まってしまう。

 ここを探さなければ、万が一、もしかしたら、二人とも無事に特区の外まで逃げおおせたのではないかと、希望が持てた。


「踏ん切りがつかなかった。悩んで、もう探した場所を繰り返しまわって。……そんなとき、あの子がやって来たんだ……」


 パタパタと、窓際に一匹の雀がとまり――そして、力尽きたように飴玉に姿を変えた。

 焦燥に駆られた。

 弱すぎて感知器にも引っかからない子蜘蛛を使って、数ミリ。もどかしいほど遅い進みで屋敷を探って。

 数日を経てやっと、豪奢な絨毯に囲まれた、地下へと続く鉄扉をみつけた。

 身体を押し込めるように子蜘蛛は侵入させた。大きな階段があった。また大きな扉があった。目に痛いほどの装飾が施されていたのを憶えている。

 子蜘蛛の低い視界ではなにもかもが、見上げるほどに巨大で、そのなかでも両開きの扉は、まるで地獄の入り口のように不気味で、気味の悪い威圧感を漂わせていた。

 恐る恐る子蜘蛛は入っていった。

 広がっていたのは異様に広い空間で、子蜘蛛の目線からでは密林の巨木のように並び立つ無数のソレが何なのか、よくわからない。

 手近なソレによじ登った。

 大理石だ。どうやら誰の身体を模した、胸像のようだった。


「視界が高くなって、やっと人の高さで周りを見渡せるようになった」


 高くなった視線は晴れ渡り、周りを見渡すことができる。

 隣にも像があった。アサガオさんにどこか似ているニ体の像と、まだ作りかけの一体。

 そうして自分が足場にしている場所を、見た。


「忘れもしない、ゆっくりと、蜘蛛は自分の足元を見下ろした」


 見下ろして。――やっと、理解が及んだ。

 きっと雀茶色だった長い髪。何度も追った華奢な背中。


「そこにカタカはいた」


 真新しい胸像は、ほかのものと同じく、喜びに満ちた顔を浮かべて、今にも歓喜の涙を流しそうな滂沱の表情を見せていて。

 石でできた幼馴染みは、を浮かべていた。


「半年だ」


 ナシロは刀を握り締め、正眼に構える。

 律するように柄を強く握り締めると、爪が剥げそうなほど力を込めた。


「半年間、ずっと探っていた」


 カタカは殺されたのだと確信しても復讐には走らなかった。

 毎日毎日、ひたすらに情報を集めた。

 屋敷のこと。吸血鬼のこと。パペットのこと。道具屋のこと。

 道具屋はユウヒと出会ってから、探りだしたのではない。約半年の時間をかけて、条件に合う道具屋を探しあてた。

 ずっとずっとずっと、休むことなくパペットを走らせた。

 後輩に話した。心配し続ける後輩に、きっと、カタカはもどってこないと。

 後輩も調べていたようだった。深く聞きかえしてはこなかった。

 ただナシロの胸に顔をうずめて、ウリハは声を殺して泣いていた。

 感情を抑えるようになったのは、その頃だったと思う。

 調べていくうちに、気が付くと自分の表情が、鈍くなっていることに気が付いた。

 笑うのも怒るのも、感情ごと鈍化していく。

 いや、自分のなかの誰かが、感情を殺して回っていた。

 お前が笑うな、お前が悲しむな、お前が怒るな。

 ほとんどの感情と、ほとんどの表情は死に絶えた。

 沢山の偽物が生まれ、ひとつの表情だけが残った。

 初めての殺しを経験した。マルセルという純血を殺した程度では、動揺もしなくなっていた。

 ユウヒがディアーナという純血を殺して取り乱したとき、自分の対比のように激しく感情を揺らす彼女を見て、心臓がぐるぐると唸ったのを憶えている。

 記憶のなかのカタカや、ウリハ。最近ではユウヒに関わっているときだけは、感情がすこしだけ動いているのを感じた。

 偽物ではなく本物の感情が息をしていた。

 少しでも感情がうごくことで、彼女たちに向ける嘘が少なくなることに、安堵した。


――安堵した自分を、嫌悪した。


「お前たちが、ユウヒさんを連れてくることはわかっていた。ギュンター、お前の好みもしらべたよ」


 鐘代朝顔から姉の性格は聞いていた。

 ユウヒは家族を忘れて平穏になど暮らせない。

 ユウヒに復讐の道を提示する。

 屋敷に子蜘蛛を貼り付けて、敵よりもはやく逃げ出したユウヒの元に現れた。

 すべて、組み上げた予定のとおりに。


「……そうか、気付かないはずだ。君もやっぱり、復讐者なんだね。それで、君は、私に復讐しなくていいのかい? ここで逃がしてあげると言ったら、おとなしく逃げるのかい?」


「履き違えるなよギュンター・ゼクスト、何度も言わせるな」


「私が何を勘違いしていると……?」


「さっきも言った。これは彼女の復讐だ。彼女が決め、彼女が覚悟し――彼女が成した。鐘代夕日の復讐だ! 断じて、他人が成したモノじゃない!!」


 ナシロの声に呼応して、どこかで、ギュンターが醜悪に笑う。


「それならば――死人が君を食べるとしよう。終わったら、私を殺した、君の大事な、カネシロ・ユウヒも一緒にね!!」


 ナシロの脚に二本の聖呪器が突き立つ。

 ユウヒが手放し落ちたままだった短剣をギュンターが投げつけ、脚の甲を貫いた。


「いくら君が混血でも、聖呪器で全く無傷とはいかないはずだ。さて、どうしたい?」


 床と縫い合わされるかたちで突き立つ短剣からは毒が流れ、血と灰があふれ始める。

 体内に酸性の液体でも流しこまれたような激痛が走る。

 刺激は足の甲からひろがって、段々と身体を這い登る。両足に痺れがうまれる。


「急がなくていいのかい? 両足はすぐに朽ちてしまうよ」


 正眼に構えて立ったまま、ナシロはユウヒが無事なことを気配で探る。

 敵の意識は自分にしか向いていない。足の感覚が薄れていくなかで、構えを崩さず刀を保った。


「雑味が広がる前に、とっとと食べに来たらどうなんだ?」


「…………いいねぇ。確信する。ナシロくんは私至上、一番の味になってくれる!!」


 風を迫い、軌道に刀を挟みこむ。金属音。何かが刀と打ち合った。


「刀をへし折る鱗粉も無いのか?」


「ちょうどいい空腹だ。君の血を飲むにはね!」


――ギュンターの身体は毒で機能不全を起こしている。


 ユウヒの一撃は、今もなおギュンターの楔となっていた。

 眼を細める。胸のなかで、言いようの無い感情が芽生えたような気がした。

 しかし薄れた感情の土壌では、芽吹くこともなく踏み潰される。


「このままではカネシロ・ユウヒが目覚めてしまうよ。彼女の終わったはずの復讐が、終わっていないと知られてしまう。どうするんだいナシロくん?」


「余計なお世話だ」


 直刀で切り上げる。迫っていた見えない攻撃を斜め上へと跳ね上げた。


「スズイリ・カタカは最期の瞬間、君の名前を呼んでいたんだ」


 素早く持ち替え斬りつける。感触が伝わる。

 平行に走らせた刃は確実に相手を切り裂いた。


「っう?」


 ナシロの口から出た声は苦痛によるものだった。

 視線を落とすと、背中から、見えないナニかが胸を突き抜けている。


「刀身がぶれたよ。ほら、不恰好な鱗粉人形なら作れるんだ。不可視でもね」


 ナシロが切ったのは不可視の鱗粉人形。

 突き抜けた見えない武器が、ナシロの血に染まり紅く象られている。


「う、……うぅっ!!」


 直刀をほうり捨てた。胸から突き出る、氷柱に似た武器を掴み取る。

 背後から首元をとおり声がした。


「丁度いい位置取りだ、ナシロくん」


 ギュンターの吐息を首筋に感じる。

 牙を突き立てるための距離が生まれる。


「そうだ、丁度いい……っ」


「なに?」


「盲目蝋口二番目(デウテロン・パペット)!!」


 粉塵の海から白い小粒が飛び出る。

 ビー玉サイズの子蜘蛛が数匹。背後に密着するギュンターの足を登っていく。


「言っただろう、調べていたって。透明化も最初から知っていた。対策だって組んでいた。誤算というなら、蝶を爆発で殺せなかったことくらい」


「なんだい、これは……」


「毒蜘蛛だよ」


 地下室に辿りついたと同時に走らせた。

 まだ動くことのできた白蜘蛛に命令して、最後の子蜘蛛を潜ませていた。


「二番目は最初からいた子蜘蛛のなかで、唯一の戦闘特化型だ。だけど眼がない。呼び出した場所からほとんど動けない、動きも遅い。――数も少なく、外での急襲にはとても使えない。代わりに、巣を張って待つ。じっとね」


 まるで地雷のように。

 そして巣の振動を感じ取り、獲物のもとまで忍び寄る。

 口には蜘蛛らしい鋏角を持ち、毒腺から神経毒を流し込む。


「自分を餌に……っ」


「お前の好物だろ、釣れると思った。――それに」


 二番目はほとんど動けない。

 まさしく、ギュンターの言葉の通り。


「丁度いい位置に来てくれた」


 ナシロは呟き、脚をずらした。

 粉塵の下には二番目の縄張り、蜘蛛の巣が張られている。

 ギュンターは耐えられないと膝を突く。

 膝が笑い、立っていることも困難にさせていた。ナシロの胸を貫いていた氷柱状の鱗粉が、力を失い霧散する。


「道具屋は、こんなものをユウヒさんに渡していたのか……」


 屈み、呻き声を抑えながら、脚の甲から二本の聖呪器を抜き取った。


「三番目、傷口を塞げ……ッ」


 現れた百匹前後の子蜘蛛が足の甲の傷口を噛み、削っていく。

 聖呪器の毒が残った足の肉を取り込んだ子蜘蛛が次々と消えていくが、傷口から毒は消え去る。

 毒によって再生が遅れる、出血が止まらない。

 空いた穴に子蜘蛛を詰めた。

 子蜘蛛を使った醜い止血ができあがる。

 振り返ったとき、ギュンターはうつ伏せに倒れていた。

 ひゅーひゅーと、細い呼吸音が漏れている。毒が治癒されることはない。

 十匹近い二番目が噛み付き、絶えず毒を流し込んでいた。

 機能不全を起こした身体に、再生する端から新たな毒が補充される。


「さすが位階保有者。呼吸困難でも起きていられるのか」


「は、はは。ひどい、じゃないか!」


 ギュンターの指先が、か細く揺れていた。指一本満足に動かせないようだ。

 無理やり声を押し出しているが、呼吸ができず、さすがに頬を引きつらせていた。


「くるしめるのが、目的かい?」


「…………これからお前にすることは、正義の味方にはとてもさせられない。お前を憐れむほど、悪にしかできないことをする」


 手振りに合わせて残った蜘蛛たちは壁をよじ登り、ぞろぞろと天井の穴から出て行った。


――僕は悪だ。


 ヒーローに憧れた。

 カタカを救いたかった。なにを、誰を犠牲にしてでも。

 正義の味方になれなくても。


――アサガオさんを見捨てろと頼んだ。その選択を、間違いだとは思ってない。


 誰かが犠牲になっていた。無事に終わることはなかった。どこかで誰かは死んでいた。

 だから選んだ。朝顔を犠牲にする道を。正しかったと思っている。正しい選択だと思っている。

 選んで、その結果二人が死に、自分だけが残った。

 二人の屍の上に自分だけが立っている。のうのうと、浅ましく。

 本当に自分はカタカを守りたかっただけなのか、一片たりとも我が身が大事だと思わなかったのか。

 正しさに憧れた。正しきを行う人に憧れた。

 その憧れさえ抱いた正しさに縋り、言い訳にしなかったと、言い切れるだろうか。

 ユウヒは真っ直ぐに、失った人の無念を晴らそうとして、進むことが出来る人だ。

 カタカは誰かを助ける人だった。その身を危険に晒してまで行動する、正義の人だった。


――僕は誰も救えない。ただ悪あがきのように悪を成すだけ。


 どこまで利己的なのだろう。

 きっと、カタカの血も美味しかった。


――だって彼女は、自分なんかじゃ手が届かないから。


 届かない、届くはずが無い。

 あとになって、思ったのだ。

 カタカにとって、あの選択は正しくて。

 ナシロにとって、あの選択は正しくて。

 正しさを全うすることを選ぶ者しか、あの場にはいなかった。

 ひたすらに信念を貫くものが、ナシロにとっての正義だというのなら。


「間違いを選びたかったと後悔し続けている今の僕は、どうしようもない悪者だ」


 あのとき、カタカを助けていたら……

 何度考えても意味はない。


「アサガオさんを切り捨てて、カタカを助けず、ユウヒさんまで巻き込んだ」


 正義にも、高潔な悪になることもない。

 悪人に成りきれず、善人にはほど遠く、正義には掠りもしない。

 どれにも成れず、寄れもせず、中途半端な悪を成す。

 そんな自分はきっと悪役、それも小悪党で……。


「そうだ、僕は、悪なんだ」


 どこか安堵に似た、乾いた笑いが口から漏れた。

 そのとき、続々と子蜘蛛の群れが戻ってくる。

 その背には、妙な機械が乗っていた。太い円筒が、煙突のように乗る機械。

 ほかの子蜘蛛の手には、プラスチック製の太い麺棒のようなもの。

 また別の子蜘蛛は、ホームセンターに売っている、安い青色のポリバケツをもってきた。


「吸血鬼の不死性は血だ。吸血鬼の進化も栄養も司る血は、もう一つ主要臓器と言ってもいい。傷付けても再生される。位階保有者が相手となれば殺すには莫大な時間がかかる」


 今更なことを繰り返されて、ギュンターは脂汗を流しながらも怪訝な顔を隠さない。

 バケツを手に取ると、ギュンターの前に放り捨てる。


「よかった。充電式みたいだ」


 煙突の乗る妙な機械を眺めながら動作確認を進めていく。

 カラコロと転がる安物のポリバケツを、機械の前に立てて置く。


「簡単な聖呪器じゃ殺せない。でもそれは、身体全体、一個として捉えるからだ」


 スイッチを入れる。麺棒を持つ白蜘蛛が機械の上に飛び乗った。

 駆動音が鳴り始める。ごうごうと、工場のようなやかましい騒音が耳を刺す。

 吸血鬼は血のほかに、普通の食事も必要とする。


「さすがドイツ出身者。オートミンサーなんてものまで家にある」


 最近使った形跡もあった。朝食にソーセージでも食べたのだろう。


「不死性は身体に溜め込んだ血を燃料に起こし、身体全体を一個として捉えて実現される。ならその一個を細かくした上で、滅すればいい。丁度良かったよ、挽肉機オートミンサー。うってつけだ」


 配下により丁寧に手入れされた挽肉機は滞りなく動き出す。

 機械の上で、パペットが旗手のように麺棒を振った。

 麺棒は付属品。肉が詰まったとき、押し出すための専用品だ。


「……それと、最後はコレ」


 ただ細かくするだけでは寄り集まって終わってしまう。

 もう一つだけ、鍵がいる。

 ナシロが懐から取り出した物を見て、ギュンターが空笑いを浮かべた。

 痺れてわかりづらい顔だったが、どんな意味なのか理解することができた。

 男は呆れ、笑っているのだ。


「味で気付くべきらった! は、はは、は!! 混血が、血はんへ吸っへ、何事かと思ったら、最初はら、そのふもりらっはのかい!?」


 もう呂律が回っていない。

 懐から取り出した、スキットルの蓋を捻った。


「小悪党の、精一杯の背伸びだよ」


 道具屋から買った聖水は三本。

 一本は吸血されたユウヒが屋敷に入るため。

 一本はナシロが屋敷に入るため。

 最後は、混血であるナシロが、この町から出るために用意されたものだった。

 聖水を飲めば吸血鬼としての反応は薄れ、感知器に気付かれない。

 ナシロは封をあけたスキットル二本を、傾けた。

 二本とも、一滴たりとも減っていなかった。

 とく、とく、とく。バケツに透明な液体がなみなみと満ちていく。

 遠く、どことも知れぬ場所を見つめるような眼をもって、ナシロは落ちる液体を見つめ続けた。

 半年間調べた中に屋敷の見取り図もあった。

 感知機の配置、警備状況、マルセルやディアーナといった配下の情報……。

 ギュンター・ゼクストの力についても、調べ上げた。

 灰部屋にいたアンネという純血に聞いたのではない。すべて最初から知っていたことだ。


「…………アンネ、彼女は最期まで、お前のことを話さなかったよ」


 身体が灰になり死を待つだけの恐怖の中で、あの純血は恐怖を生んだ主を、売ろうとはしなかった。

 出来る限りの情報を漏らし、苦しまず、終わらせてもらう。ナシロにそう懇願してもおかしくはない状況で、彼女は最期まで自分の正義を貫いていた。

 ギュンターに伝えずともよかった、しかし、気付けば口をついて言葉は出ていた。

 名前くらいしか知らない、あの純血の気高き最期。

 誤解したまま終わらせることを、自分のどこかが拒絶した。


「そのアンネは? 最後は君が殺したんらろう? でもろうれもいい!! いまは君の血さえ飲めればいい! ちょっとれいいんだっ」


「……そうか」


 ぐるりと、満を持して旗手が棒を振るった。

 倒れたギュンターに、無数の蜘蛛が群がっていく。


「何て言ってるか、わからないんだよ」


 数百を越え、やがて長身の男は白色の粒に隠される。

 蜘蛛は肉を運び、投げ入れる。

 押し出され、肉はバケツに落ちていく。液に浸かって煙を上げる。


「……遅れてごめんね」


 ユウヒを優しく抱き上げて、ナシロは地下をあとにする。

 止まって、振り返る。

 柱についた残りの爆弾を確認した。

 壊れた、幼馴染みを象る胸像が転がっている。


「…………」


 強く、強く眼に焼き付けて、再び歩み始める。

 駆動音と水音と――悲鳴とも、笑い声ともつかない声を耳にしながら。

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