第18話 第一部最終回 きっと悪だった吸血鬼

前回のあらすじ。

自身を利己的でどうしようもない悪だと評したナシロは、悪にしかできない方法をとることでギュンターを殺しきることに成功する。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――





『痺れは』


「問題ないよ。普通に動く」


 吐き出された紙はオレンジ色に照らされていた。

 ナシロが小声でリュックのなかに声を返すと、カリカリと小さな音が漏れ聞こえてくる。一番目の子蜘蛛が丁寧に筆談している。

 聖呪器に貫かれたナシロの足の治癒には二日ほどかかり、痺れはさらに一日残った。

 その程度で済んだといえる。もし混血でなかったのなら、間違いなく死んでいただろう。

 駅のベンチに腰掛けて、ナシロは再び言葉を送る。


「手はずは覚えてる?」


『私が先に行く。混血のアンタは聖水を飲んで、あとから町を出るんでしょ。手間がかかるとかで』


「人間みたいにはいかないよ。屋敷に証拠は残していないけど騒がれてる。吸血鬼の出入りのチェックは普段より厳しくなってるし」


『……あとからって言っても、あんた、どうするのよ? 私はここに来る前に住んでた家にいったん戻るけど……。甚だ、ほんとに、私としては不本意だけど、アンタに行くところがないなら』


 言葉を選んで話しているのか、文字列には空白が多かった。


「好きな人がいるんだ」


『……………………は?』


「その人のところに行ってみようと思ってる。行けるかは、わからないけど」


『……馬鹿なの?』


 線路を挟んだ向こう側、ベンチから呆れた視線が注がれるのを肌で感じた。


「大真面目だよ」


『というか――なに? 牽制みたいに言われるの、心底むかつくんだけど』


「え、ちがっ」


『冗談よ、……まぁ半分は』


 反対ホームでユウヒが俯き気味にこちらを見ていた。肩を竦め笑ったように見えた彼女に、感心ともつかない妙な感慨を胸に覚える。

 棘の無い冗談を、ユウヒに言われた。


――なんかやさしい……。


 呆れた雰囲気を引っ込めて、ユウヒは胸元に下がる何かを手に取る。


『アンタ、ずっと私に隠し事してるでしょ』


「…………」


『それも凄くやましいこと。……そのお詫び、これ? 大事な物なんでしょ?』


「大事だけど、お詫びじゃないよ。ユウヒさんに持っていてほしいんだ。お守り代わりに」


『代わりじゃないでしょ、なに言ってんのよ』


 カタカが作って、ずっとナシロが下げていたもの。いまそのお守りはユウヒの首から下げられていた。

 ご利益があるのかもわからない。きっと無いだろう。特別な力など宿ってはいない。お守りには何も入っていない、空なのだから。


『隠し事、アンタ面倒くさい性格してるでしょ。なに隠してるのか知らないけど、本人が許すって言っても、自分が許さなそう。――聞けば、私も許すかわからない』


 市販品ではなく明らかな手作りで。ナシロが後生大事にずっと下げていたお守りだ。

 そのお守りを、ユウヒは遠目でもわかるほど丁寧に掬い取り、服の下にしまいこむ。


『ずっと、アンタのこと薄っぺらい奴だと思ってた。嘘と隠し事ばっかり。でも、私の目的と重なってるなら、それでもいいと思ってた』


 ユウヒの声を拾う子蜘蛛は、静々と文字を連ねていく。

 どこか、郷愁に似たさびしさを滲ませながら。


『でも、違った。嘘も隠し事も多かったけど、薄っぺらじゃなかった。よっぽど大事な何かを隠してるって、少し、わかるようになった。いまになってね――だから、黙ってなさい。隠し事は黙ってて。そしたら、怒らずに済む。、アンタのことを嫌いにならないでおくから』


 アナウンスが走った。電車の陰に入る前、ユウヒが立ち上がったのを視界に捉える。

 これから、ナシロとユウヒは別々に生きていく。

 一生、会うことはない、会えば疑いをかけられかねない。

 ユウヒもそれは知っている。

 紙だけが押し出されてきた。


『あー、アンタ。その、な、な、ナシ……。あらためて言うと恥ずかしいわね』


「?」


 意味不明な短文が送られてくる。

 数秒待って、まだ来ない。


「ユウヒさん?」


『やめた』


 ユウヒが乗り込む――その前に。


「ナシロ! アンタに言いたいことがある!」


「え!?」


 紙ではなく声がした。

 ホームの向こう側。ここ数日で聞きなれた、ナシロとユウヒの関与が知られてしまうかもしれない、危険な声が。

 思わず振り返った。電車に遮られて姿など見えるはずもないのに。

 声は続いた。


「ずっと言いたかった。ナシロ、アンタ悪者に向いてないわよ!」


 声を返すわけにもいかずに慌てて周りを見渡した。さいわい誰も見ていない。


「それでも、アンタがいたからここまで来れた!」


 電車のベルが鳴り響く。もう出発だと音が背を押す。

 かき消されながら、微かに最後の声が聞こえた。


「だから、言いたいことも、聞きたいことも、次に会ったときまで取っておいて。……それまでは、バッグの中のものでも食べて、待ってなさい」


 じゃあね。ドアの閉まる音にまぎれた言葉を最後に、電車が走り去っていく。

 目で追うことは許されない。

 ベンチが見えた。すでにそこには誰もいない。

 バックがぽつりと置いてある。


「……パペット」


 一番目に回収を命じた。

 ユウヒの言葉に導かれて自分のバッグを開けると、そこには四角い見知らぬ包みがあった。


「やっぱり、好きだったんじゃないか……」


 入っていたのはお弁当だった。からあげがどーんっと、大きく入っている。

 淡く、ナシロの頬がつりあがる。

 出会ってすぐの頃、あのときはコンビニのからあげだったか。

 些細な言い合いを思い出した。

 お弁当を持ち上げると、もうひとつ見知らぬものが敷かれていた。

 一行ほどの手紙のようで便箋でもなく、切ったノートの一枚だ。紙は何にいれられるでもなく裸で敷かれていた。


『家族以外につくるのは初めてだから、感謝しながらたべなさい』


「――――」


 ホームには夕焼けが入り込んでいる。眩しくて、綺麗な夕日。

 敷かれていた手紙を取り出し、躊躇って……。

 千切って捨てた。証拠を全て取り壊すために。

 パペット本体を呼び出した。長い影から現れた白蜘蛛はナシロの横に身体を伏せる。

 お弁当に箸を伸ばして蜘蛛の身体を一撫ですると、身体を揺らしてカチカチと牙を鳴らした。

 紅く染まった四つの眼は、少しも薄まらない。

 道具屋は言っていた。

 混血は矛盾した生き物である。同じ器に完全と不完全が同居している。

 混血の進化は、完全と不完全が、同じ歩幅で近づいてくる。

 道具屋に聞いたとき、完全の意味だけがわからなかった。

 不完全は知っていた。

 吸血によりスイッチが切り替わり、進行がはじまる。


「ギュンターの屋敷でお前が動かなくなったとき、不完全が来たと思った。でも思い返せばあれは違う。四番目が覚醒するための前段階だった」


 だとすると、動かなくなったのは不完全というよりも、むしろ完全性の発露と考えたほうが自然だろう。

 もう一度思い出す。


「同じ歩幅で、か……」


 ――もう少し。


 懐に差し込んだ手でもうひとつのお守りを握る。

 無くしたはずの、ナシロが作ったカタカのお守り。

 遠い日に幼馴染みプレゼントしたお守りは、酷く汚れて、あの灰部屋にゴミのように落ちていた。

 ゆっくりと日は沈み、もうじき夜がやって来る。


「もう少し、だから」


 食べ終え、お守りを首に下げ。


「復讐を終わらせる」


 投げた紙片を舞い散らせながら、ナシロは駅をあとにした。



 #          #


 日は暮れきり、吸血鬼にはよく似合う深夜も近い時間となった。

 家までの途中にある電灯の下に、うつむいて、誰かがまっていた。


「――……どうしたの、こんな夜中に、危ないよ?」


「せんぱい、デートしましょう」


 黄みがかった電灯に照らされていたのは、ウリハだった

 地面を見ながら、ウリハは小指を一本立てる。

 何度もしたいつものやり取りだ。

 指には、何かが込められて、立てられているようだった。


「ずっっっと遠くに行ってみたいです。先輩と一緒ならどんなに遠くたって。市の外まででも……」


「もう暗いから。今日はあんまり送れないけど、近くまで」


「先輩」


 何度も繰り返してきた指切りに気付かないかのように、ナシロは約束を返さない。それどころか、ウリハを照らす丸い光に近づこうとさえしなかった。

 ウリハは光のなかで待っていて、ナシロは暗闇のなかで対峙する。


「最後まで騙しきっても、くれないんですか……?」


 返そうとしない。


「約束しました。指きり。――覚えてますか? カタカ先輩の復讐はしないって、いなくならないって、約束しました」


「…………」


「検分が終わりました。六位の遺灰が確認されました。屋敷は損壊が酷くて、落とし穴に落ちたみたいに崩落してて、なにかもわからなくて。……地下にあったあの、石も、壊れてるみたいでした……」


「…………」


 顔を上げた彼女が見つめてくる。明るいところにいる彼女からは、ナシロの表情は伺えないだろう。

 それでも、臆することなく縋るように、言葉を吐いた。


「私は泣いてばかりだったけど、先輩がいてくれたから、六位に会うたび斬りかかりそうになる自分を抑えられました。あの石像だらけの部屋で動けなくなっても、先輩がいてくれたから、がんばれました」


「…………ウリハさんが思うほど、僕は大したやつじゃないよ」


 言ってしまった。

 言葉を返さないと決めていたのに。

 頭のどこかでウリハが待っているのではないかという予感があった。

 出会った時とは大きく印象の変わった大事な後輩。

 彼女の期待に応えるのが先輩の役目なのかもしれない。だけど、もう時間がなかった。

 だからせめて、真摯に向き合おうと。

 これから酷い重荷を背負わせることへの贖罪のように、言葉を返すことにした。


「カタカがいなくなったあとに変なこと質問したよね、正義の味方ってどういう人なんだろうって……」


 冗談のような質問なのに、なぜかウリハは真剣に答えてくれた。


「君は曖昧に首をかしげていたけど、こう答えてくれた。カタカ先輩みたいな人……って」


 自分でも腑に落ちないような顔で、あのときのウリハは答えをくれた。


「僕にとっての正義の味方は、自分のなかの正義を貫ける人だ。どうあっても僕なんかじゃない。それでも、これからすることだけは貫きたいんだ。悪者だからこそできる、最後の足掻きだ」


「悪者……? それはナシロ先輩が、カタカ先輩を助けなかったからですか?」


「知っ、てたの……?」


 カタカの最期も、いなくなってしまった理由もウリハには伝えていないはずなのに、まるで見てきたかのように彼女は語った。


「わかりますよ。ふたりのことをずっと一番に見てましたから。困ったときにどうするのか、悲しいときになにを思うのか……私が泣いていたら何を言ってくれるのか」


 段々と熱がこもっていく。


「ナシロ先輩……貴方がカタカ先輩を救えなかったとしても、それは先輩が悔やむことじゃない。自分を悪者だなんて貶す必要は絶対にない!」


「ウリハさん」


 ウリハが一歩、ナシロ側に踏み込んでくる。

 電灯が照らす円から、半歩だけ、つま先が暗闇に触れた。


「いまならもっと、ちゃんと言えます、――――!!」


 張り付いたような足を剥がして、ナシロはウリハとの距離をつめていく。

 だんだんと足早に、暗闇から出て光に混ざろうとするかのように。

 そうして。


「ぁっ」


 ナシロは――ウリハの首を締め上げた。

 大事な後輩の表情が苦しげに歪む。

 汗ばんだ彼女の首に爪を食い込ませ、ギシギシと骨が軋むほどの力をこめる。

 酸素を取り込もうと半開きになった口からは、彼女のコンプレックスである二本の牙が見えていた。

 そのまま吊り上げた。彼女の足が、地面から離れていった。


「即刻その手を放せ、混血」


 周囲に人影が現れる。

 囲まれていた。塀の上。標識の後ろ。退路、進路上。

 ねずみ一匹逃さないと言わんばかりに立ちふさがる彼女たちの顔には、緊張と薄い恐怖が刻まれている。

 ゆっくりと威圧するように、ナシロは彼女たちと目を合わせた。


「純血様が怯えたらダメでしょ? 混血相手にはもっと堂々と、いつもみたいにしてないと」


 侮蔑の表情を浮かべ吐き捨てると共に、締め上げる手に力を込めた。

 力は強まるにつれ、周囲を囲む者達の顔に強い嫌悪が浮かびはじめた。


「贈り物は気に入ってくれた? 襲撃前に組織に手紙まで送ったのに、全然警戒してくれない。差出人不明なのがダメだった? それとも、高を括っていたのかな?」


 息苦しさから涙を浮かべたウリハが縋るような目で見つめてくる。

 周囲から向けられる熱量が段々と増していくのを見るまでもなく実感できる。

 ウリハの口に、親指を押し込んだ。


「ぅぁっ」


 入ってくる侵入物を避けるかのようにウリハが舌を揺らす。

 その舌ごと、頬も一緒に直接指で撫で付ける。


「やわらかいねウリハさん? ほら、ベロもほっぺも、ぷにぷにしてて、唾液でぬめって、あったかい。まるで、血みたいだね?」


「その手を放せと言っている!!」


 嫌悪と義憤の二色を強めて、駆け出した少女の一人が切りつけてきた。

 腕を切断される寸前、ナシロはウリハを投げ捨て後退していく。

 どさりとウリハが腰をつく。割り込んできた少女は咳き込むウリハを背にかばう。

 睨みつてくる少女に向かってひらひらと手を振りながら、無抵抗を装うように、さらに数歩下がった。


「図に乗るなよ……ッ!」


 今にも破裂しそうなほど周囲が孕む怒気は膨らみきっていた。


「貴様には第六位様殺害の容疑がかかっている。屋敷跡からひとつだけ無事な、感知器のレコーダーが見つかった。記録されていた反応から、お前が割り出された。こんな物まで、ご丁寧に添えられてな」


 一人、端にいた女が歩み出る。

 女が取り出したのはナシロの情報が載った一枚の紙。それと、ギュンターの灰が入れられた灰棺キニスケースだった。

 それは短い万年筆を思わせる形で、本来は近しい者の灰を収めるための小さな棺。

 道具屋に向かった日、現れたギュンターが配下であるアンネの遺灰を持ち帰るのに使っていたものだった。


「助かったでしょ? きちんと照合できるように、あいつの灰を詰めておいてやったんだ」


 女は灰棺を握り、憎々しげにナシロを睨む。

 彼女らは懲罰部隊。

 それも夕暮市にあるそれぞれの地区を管轄する、地区隊長の集まりだ。

 彼女たちにとってナシロは、位階保有者を単騎で殺すほどの不気味な存在であり、最悪なことに聖なる物が効きづらい混血だ。

 一般隊員がこの場に招集されていないのは、役不足だと判断されたからだろう。代わりに、強大な敵を相手とするため、市を取り仕切る隊長格が一人残らず招集された。


「最終勧告だ混血、大人しく帰順しろ。無抵抗ならば無駄な傷が増えずに終わる」


「馬鹿な冗談はやめてくれ。捕まったら意味が無いだろう、これから他の位階保有者も殺すのに」


「…………たかが混血が、あまり調子に乗るなよ」


 どうやら周りを仕切っている少女は激情家らしい。


 ――ちょうどいい。


「勝てるつもりか寄せ集め共……血統だけに頼る、自信過剰はそっちだろう」


 集められたのは計五人の少女たち。

 懲罰部隊の地区隊長には、適正条件というものがある。

 ここにいる隊長格は、一人残らず、その条件に当て嵌まる。


「ならば、決裂だ」


 リ・イーリン。

 バー・アルヘ。

 エイダ・オルコット。

 アクサナ・ルキーニシュナ・アブラモヴァ。


――彼女らは順に。


 位階保有者――。

 第十位階遠縁。

 第八位階遠縁。

 第七位階遠縁。

 第四位階遠縁。


――条件のひとつめ、必ず位階保有者の血縁であること。


 その実力は、並みの純血では及ばない。


「隊長。よろしいですか」


「………………」


 隊長と呼びかけられても、ウリハは答えない。

 懲罰部隊の格付けは、血族の順位に縛られる。

 十位遠縁より八位遠縁が偉い。

 八位遠縁より七位遠縁が偉い。

 七位遠縁より四位遠縁が偉い。

 隊長は、最も偉い。


「……隊長」


 、木魅羽莉杷(きみうりは)は答えない。

 座り込んだまま、立ち上がることができないでいた。


「せん、ぱい」


 ウリハには、友達がいなかった。

 位階保有者の遠縁だった。懲罰部隊の地区隊長だった。

 そして、あまりに強すぎた。

 本来であれば地区隊長の中でも最下位のはずだった彼女は、その強さゆえ、縛りすら不本意に引き千切り、懲罰部隊、総隊長の座を手に入れた。

 彼女は周りから恐れられ、友達などできるはずがなかった。

 そんな彼女に、話しかけた人がいた。


「……せんぱい」


 特区と共に組織の支部も建てられる。

 組織に複数存在する実行部隊の中で、懲罰部隊は、特殊な役割を背負っている

 万が一、特区内で位階保有者が組織と対立した場合、政治的、武力的に、位階保有者を抑えなければならない。

 そのため実力も当然ながら保持している。

 位階保有者に対抗するための切り札は、ナシロの名を呼ぶばかりで、部下が求めても答えなかった。


「……臨時で私が指揮を執る。総員、武器を取れ」


 先ほどから周りを仕切っていた長身の女性がウリハから視線を外し、腰に差す武器に手をかけた。

 合わせてそれぞれが武器を取る。バタフライナイフ、手鎌、短剣。

 ひとつ残らず聖呪器だ。自身の得物を手に取る部下たちを見渡し、


「違う」


 女性は叱責を飛ばした。困惑の色を浮かべる部下たちに向けて、さらに言葉を続ける。


「手を抜くな、相手は位階を殺した混血だ――予備の副武装ではなく、最初から主武装を使え」


 武器は捨てられる。より明確に、殺傷用の物へと。

 バタフライナイフは、幅広で重いククリナイフへ。ちいさな手鎌は、牛も両断できそうな連結式の大鎌へ。短剣は、長く重厚に輝く西洋剣へ。

 長身の女も武器を取った。

 番えた太矢を自動装填する弩、連弩(れんど)。

 道具屋が用意した短剣など比べ物にならない、この町の全体で見ても彼女ら懲罰部隊しかもっていない高位の聖呪器だ。

 吸血鬼が装備するため柄にコーティングこそされているが、それでも刀身の毒性は強力

 無比というしかない。

 直撃すれば混血だろうと関係なく、致命傷を送り込まれることだろう。

 さらに。


「「「「パペット」」」」


 計四体の半身が彼女らの影から飛び出した。

 ナシロは跳び下がる。

 太矢がアスファルトを砕き突き刺さった。

 直前までナシロが立っていた場所に刺さった矢の一本一本が、聖呪器の力を帯びている。

 跳び上がった先、塀の上を駆けた少女のククリナイフが首に迫る。

 重心が先端に寄り加速しながら迫るナイフを屈み避け、蹴りを入れて位置を離した。

 飛び降りた瞬間、塀に沿い隠れていた大鎌が股下から振り上げられる。

 片翼で無理やり姿勢を変える。空ぶった鎌が髪を切り去っていく。

 着地――同時に顔を狙ってまたも太矢が放たれた。

 身体を逸らすことでギリギリ避ける。

 体勢が崩れた瞬間、前動作無く西洋剣が突きこまれ、


「パペット!!」


 影から飛び出した白蜘蛛が剣を叩いた。

 軌道は逸れ、塀を両断して引かれていく。

 実力伺いでこれだった。


「総員、いまのでわかったな。次は全力でいく」


 ここからは敵のパペットまで織り込まれる。

 長身の女の肩で、威嚇するように大ワシが翼を広げた。


「待って! アクサナさん、待ってください」


 ウリハが悲鳴のような声をあげて、アクサナと呼ばれた女性の脚にしがみつく。


「隊長……」


「お願いです、あと、少しだけっ!!」


「ですが……」


「お願いします、わかってます! 責任も、叱責も私が受けます! あと、ほんのすこしでいいから……っ」


「…………奴に動きがあるまで、それまでです」


 水平に手を掲げ、女性は仲間を下がらせた。

 入れ替わりに、ふらふらとウリハが一人、前にでた。


「血を、飲んだんですか……?」


 雲に隠れていた月がウリハを照らす。

 ずっと見えていなかった彼女の眼は虚ろで、水嵩を増していた。


「ウリハさん、もういい」


「よく、ないです!! どんな気持ちで、この数日どんな気持ちで、いたんですか? いつ飲んだんですか、最初に飲んでから、どれくらい、経って……」


「……もういいと言ってる。わかってるから急いでる。ウリハさん、いい加減」


「先輩は死んじゃうんです! 混血が血を飲んだら、もう、助からないんです……。 ここを逃げ切っても、混血が一回でも血を飲んじゃったら普通じゃいられない。施設で教えられたはずです、飲んじゃダメだって、飲んだら終わりだってわかってて……それで、飲んで。どんな気持ちで私と会って、いたんですか? 自分がもう死んじゃうってわかってて、この数日、何を思っていたんですか……?」


 混血はすべてが半端にできている。

 翼はあるが、片翼。

 牙があるが、一本。

 血を飲めば機能するが――飲んでしまえば生きていけない。

 組織が混血に血を吸うことを禁止した理由は三つ。

 そもそも必要が無いから。

 飲んでしまっては聖呪器が効き辛い吸血鬼に、力がついてしまうから。

 そして、聖呪器が効き辛く殺しづらい吸血鬼が、最後には必ず暴走する定めだから。

 人の身――つまり不完全が混ざりこんでいる混血にとって、血の強化は劇薬に等しい。

 摂取せずとも生きていける代わりに、摂取すれば身体が耐え切ることが出来ない。

 あの雨夜の日、ユウヒの肌を齧った瞬間、ナシロの終わりは始まっていた。

 一口飲めば、その瞬間から転がり始める。


――道具屋が言っていた完全と不完全。


 不完全がなにかはわかっていた。

 施設で何度も、耳が痛くなるほど繰り返し、言われたことだ。

 血を飲んではいけない、と。


「どんな気持ちで……!!」


「どうもこうもない」


 感情の乗らない無情な声で、ウリハの叫びを切り裂いた。

 今にも倒れてしまいそうな彼女を見て、ほんの一呼吸、ためらってしまった。

 背後にいたアクサナと呼ばれた女が、怪しげにこちらを見ていた。


「馬鹿な後輩を利用して、適当に位階共を殺せればいいとそう思っていたよ。結局、君は役に立たなかったけどね。こんなことなら、とっとと吸い殺しておけばよかったと、今でも後悔している。そうしたら、少しは腹の足しに――」


 ナシロの顔の横、数ミリの位置に射出された矢が突き刺さる。


「その口閉じろ、汚らしい混血が!」


 一筋の涙がウリハの頬を伝った。

 見開かれた大きな眼はくしゃりと歪み、小さく、小さく、ウリハは零した。


「なら、なんで……っ!」


 唇を噛み締め何かを飲み込み、少女は続ける。


「なんで――私に飲ませたの?」


 ちいさすぎて、誰にも聴こえなかったことだろう。

 発した言葉も、迫り上がってくる感情も、彼女は残らず押し流すようにして。


「隊長」


「………………パペット」


 ウリハの影から身を乗り出したのは、この場を占める最後の一体。

 角に見えるそれは、正確にはキバである。

 ウリハの影から現れたは、キバを振り回しその全貌を示した。

 それは紛れもなく、ギュンターの蝶を吹き飛ばしたあのパペットだった。

 パペットの形状は、自己認識、他者認識に強く関わる。

 多くは血筋、例えば鬼吸種だったなら幻獣や鬼などの影響を受ける。

 例えば鱗吸種だったのなら、鱗の動物。爬虫類や、海に生きる生物を模す。

 もし鬼吸種と鱗吸種を親にもつ、第二種純血ならば、二種の影響を受けたパペットができあがる。

 例えば海に生き、角のような牙を持つ、イッカクのように。


――順応剤を飲んでいたんだ……。


 ウリハの首を締め上げたときに押し込んだ指先には暖かな咥内の体温と、飴玉の感触がまだ残っている。


『願掛けは、もういいんです』


 祭りの日に聴いた、一歳だけ幼い少女の言葉が甦る。

 屋敷に侵入したとき、ナシロのお守りには飴玉はひとつしか入っていなかった。

 裏切りを持ちかけたアンネはひたすらに主への忠義を尽くした。あの純血は飴玉を差し出すことはしなかった。

 ではどこで、二つ目の飴玉を用意したのか。


――もうひとつの飴玉は、最初から屋敷に隠されていた。


 幼馴染みの、カタカの像の影に隠されていたのだ。

 カタカにゆかりのある者だけにしか、わからないように。


――いつもお祭りで願掛けをする彼女が、今年だけはしかなかった。


 尊厳で、誇りで、時に自分の命よりも大事な吸血鬼の半身を、博打のように手放す行為をとるということ。

 願掛けというにはあまりにも儚すぎる選択だ。

 どれほどの願いと覚悟があったなら、そんなことができるのか。

 ナシロが犯人だったなら彼女の想いは打ち砕かれ、もし願いが叶ったとしてもウリハはパペットを失ってしまう。

 ウリハの選択は、必ず大事なものをひとつ失う。

 失ってでも叶えたいと、ウリハは賭けた。


――――。


 加減などする気は消え失せた。確実にウリハと懲罰部隊を倒すため、殺意を発する。

 アクサナと呼ばれた女性が不快を浮かべる。

 彼女のもつ連弩の照準がナシロの頭部を狙う。

 予告も無く矢は放たれた。

 片翼を広げる。楯にする。


「パペット、糸――」


――……そっか。


 もう、来たのだと、頭のどこかで冷静に思った。

 自分の腕に、白い蜘蛛が噛み付いていた。

 真っ赤に染まったぎらついた眼で、必死に牙を突き立てている。

 擦れたような音がする。

 蜘蛛は狂ったように、噛み付いたナシロの腕から血を吸い出そうともがいていた。

 次の瞬間、太矢が片翼を貫通する。

 易々と、楯にもなる翼は聖呪器の矢を止められない。

 矢は白蜘蛛を貫いた。


「ギィィィイ!!」


 断末魔をあげた白い塊が、視界の端まで飛んでいく。


「混血、お前はもう話さなくていい。――総員構えろ、始まるぞ」


 パペットは宿主の負担の半分を肩代わりしている。それは肉体的と精神的負担。

 パペットの眼は薄桃だった。次は薄紅。今は紅。血のように真っ赤な深い色だ。

 次々と、時間と共に変わっていった白蜘蛛の眼は、新たな子蜘蛛が生まれたこととは関係が無い。


――あれはタイムリミットだったんだ。


 パペットが持つ負担が増えていくごとに、眼の色が染まっていった。

 いま、そのパペットが死んでいく。

 どうなるのか。簡単だ。

 負担は纏めて――――舞い戻る。



 


 

 ウリハは想う。彼が悪だというのなら、コウモリ像で共にいた見知らぬ女性は、なんでここにいないのか。

 なんで、ナシロがひとりで、六位を殺したことになっているのか。

 灰棺に詰められた遺灰と、ひとつだけ無事だった感知器に残っていたナシロの反応。事件が始まる前に、組織には差出人不明の脅迫文まで届いている。

 そんなの、見つけてくれといっているようなものなのに。


――どうしてこうなってしまったんだろう。


「牙の異常伸暢を確認」


 エイダがナイフを構えるのを見ながら、壊れていくナシロを見ていた。

 ナシロの牙が伸びていく。数ミリ、数センチ。


「翼の形状変化、意識混濁を確認」


 穴のあいた片翼が、不定形になり、痙攣を始める。

 アクサナが放った矢は激しく翼を蝕んでいた。


「対象を黒と認定」


「吸血鬼管理組織日本第一支部、執行部麾下、懲罰部隊副隊長、アクサナ・ルキーニシュナ・アブラモヴァ、特例二十八の黒を確認。――――隊長、ご裁量を」


「――連行を中止、これより、対象の駆除に移ります」


 上の歯列の一本牙が伸び切って、下唇を突き破る。


「ぐぁ、えぇ!」


 髪を掻き毟りながら、ナシロはよくわからない音を発する。


「いくよ、パペット」


 一度は身体から切り離したパペットに命令を下すとイッカクは電気を帯びる。

 帯びた雷光は全身に行き渡る。

 巡った雷はやがて、質量をもってキバに密集した。

 パペットは元の宿主が使ったとき、本来の力を発揮する。

 もし他の誰かが飴玉を飲んで使っても、十分の一も使えない。

 見せ付けるのは、第十五位階遠縁でありながら隊の長にまでなった力。

 イッカクのキバがウリハの背中に突き立った。

 雷が身体に染みこんでいく紫電を纏い、雷と同化するように高速に。

 ナシロとの距離を殺した。

 隊員は、誰もついて来れない。

 ウリハだけの世界で、視界にはナシロだけが映ってる。

 振り払うために振るわれたナシロの腕はやさしい手加減なんてしてくれない。

 増した膂力は純血とも遜色がない。

 悲しいほど、


「遅いです」


 いまのナシロは弱すぎる。まだ剣術を教えていたときのナシロのほうが強かった。

 置き去りに、刀を振り切った。

 一太刀。


――力は今のほうが強いのに、先輩の攻撃に当たる気がまったくしない。


 先輩の腕を切り飛ばした。きりきりと、腕は血を吐き、灰となる。

 今までたくさんしてきたように、ウリハの身体は勝手に動いた。

 首を狙った一撃、本能だけで身体を逸らしてギリギリで回避される。

 頚動脈を狙った一撃は、紙一重で当たらない。

 顔をしかめ、さらに踏み込む。

 先輩が逃げていく。

 混濁した意識の中で跳び下がる。

 跳び下がろうと、した。


「逃がすか!!」


 ナシロのふくらはぎに矢が突き立った。灰が広がる。

 矢を引き抜こうとナシロは手を伸ばした。

 ウリハは下がる。大きく、数歩。

 刀を構えた。いつしかナシロに教えた剣術を、ナシロに向けて振るっていた。

 柄を握る。強く、握った。


「先輩」


 腰を落とした。身体が勝手に動いてくれる。

 踏み込んだ。

 カタカが死んでしまったとき、酷く泣いたのを覚えていた。

 ナシロの胸で、顔をうずめて。

 ナシロは、泣こうとしなかった。ウリハを抱きしめていた。

 あのときにはもう、考えていたのだろうか。

 切っ先が流れる。軌道にすでに乗っている。

 変わっていくナシロに、気付いていた。

 酷く面倒ごとを背負い込むこの先輩が、苦労性の先輩が、ある日を境に、感情を見せなくなっていった。

 下手な作り笑いを、偽物の表情を見せるようになっていた。

 気付かないふりをした。これ以上、何かが壊れるのは嫌だった。

 それが、いけなかったと言うのだろうか。


「せんぱい…………ッッ」


「ぐァ、ウッ!」


「先輩が自分のことが恨んでいても」


 だとしても、間違っていても、ナシロだけでも残ってくれた。それが、ウリハにとって正しいことで。


「私とカタカ先輩は、そんな先輩が好きだったんです」


 ああ、そうだ。

 いまになってわかってしまう。


「おうう、え」


「私にとっての正義の味方は、利己的だったとしても誰かを救えてしまう、先輩みたいな人でした」


 ナシロは、笑う。

 困ったように笑って、呟いた。



「ごめ――ね」



「――――う、ぁ、ァァァァっっっっッ!!」


 振り抜いた。

 高く高く、大好きだった先輩の、最後の友達の首が飛んでいく。

 くるくると、血を噴き出して。






 視界が空を飛ぶ。ナシロはぼやけて考える。

 灰となり、身体が溶けていく。

 暗い快楽を伴う、どこか甘美な感覚に包まれる。

 雷光を纏ったウリハは青白く輝いていた。

 正義を胸に持つ彼女たちの輝きはあまりにも眩しすぎた。

 正義には決して届かないこの汚れた身でも、それでも、悪にしかできないことがあるのなら、信じて、成そう。

 悪にしか出来ない、最後の役目を。

 悪役に、悪者だからこそできる、最後の結末。

 噴水のように首から上がった血流が、落ちる前に灰になる。


――ちゃんと、渡るだろうか。


 ぽとりと、血流を割いて何かが落ちた。それは、血で汚れてしまったちいさな包み。

 飴玉が入ったお守りを……汚れた袋を、ウリハが拾う。

 これならば押収品として、お守りはウリハの手に渡るかもしれない。

 ナシロとの関係も、パペットの貸与も、共謀も、疑われることなく。

 カタカの残した最後の残滓が、後輩の手の内へ。

 灰が降りしきる。雨のように、雪のように。


「最後、なんて、…………言ったんですか……?」


 膝をつく、少女の泣き叫ぶ声が場をうめていく。

 落ちた頭が、ころころと転がった。

 悪者に出来る最後の、役目。


――正しいものに征伐される終幕を。


 全ての終わりを引き連れて、せめて幕を引けたのだと。

 少年は、困ったように笑って、死んだ。

 一番多く、大事な人に向けてきた。

 ただひとつだけ残された、本物の表情を浮かべながら。

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