第16話 叫ぶ半身

  前回のあらすじ。

 道具屋の爆薬によりギュンターのパペットである蝶を打倒しようとしたふたりは、落ちていく羽を見て勝利を確信する。

 だが、爆煙の向こうからギュンターの声がした途端、ナシロは崩れ落ちる。

 遅れて、頚動脈を切られたことに気が付いた。

 蝶は破壊されたあとも力を残すという能力があり、ギュンターは蝶の鱗粉を身に纏うことで完全な姿に変貌する。

 切られたことによりナシロのお守りが落下する。衝撃で袋から中身が転げ出る。

 それをみたユウヒは目を瞠はった。

 出てきたのはあるはずのない、もうひとつの飴玉だった。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――





 コロコロと転がっていく飴玉を見ていると、なぜかユウヒは悲しくなった。

 理由などわからない。倒れたナシロの表情は見えず、追い込んだと思ったギュンターは傷ひとつないどころか、蝶の力を受け取ってさらに強くなっている。

 なにもわからないなかで、なぜか、悲しさがこみ上げてきた。


「すずいり・かたか……?」


 ナシロの傍らにしゃがみ、繰り返すが、飴玉を見たギュンターが発した名前を聞いた覚えはなかった。

 飴玉の持ち主であるナシロにとってどういう関係の人物だったのか。なぜ、ギュンターが知っているのか。聞こうにも、今は答えられない。

 なぜなら、どうやってかわからないが、答えをもっているはずのナシロは頚動脈を切られてしまった。

 倒したはずのギュンターがどうにかしてナシロを攻撃したのだろうと想像はつく。

 しかし目で追うことすらできなかった。ギュンターと同等の力をもつ蝶にかろうじて勝てたときも、攻撃が見えたのに。

 復活したギュンターは、自身のパペットである蝶の力を得たことですべてが倍になったと言う。

 蝶はギュンターと同等の強さだったらしい。

 ならば、蝶と混ざってしまったギュンターは、どうなるのか。

 これが本来の戦い方だというのなら……。予想は考えうる限りで最悪に近い。

 この化け物を、どうやって殺せばいい。


「カネシロ・ユウヒ、君は彼女を知らないのか?」


「…………っ」


「そうか、ふふ、なら君はやっぱりナシロ君か。はじめまして、名前だけは知っていたよ? つらいでしょう。頚動脈の傷は再生のための血が流れ出てしまうから治るのが遅いんだ」


 気道まで達しているのか、しゃべろうとしたナシロはすぐさま咳き込んだ。

 それをみて笑うギュンターは、得意げに首を指差す。

 見る限りギュンターの所持しているもので武器になるのは、死んだ蝶の置き土産である鱗粉で作られた、腰に佩いたレイピアだけだ。

 ギュンターが纏う服や武器も、同じく蝶の鱗粉で作られていた。


「……そう、あの偽者がやってたみたいに剣が伸びるってわけ」


「元々、鱗粉は私が扱うためのものだよ? 蝶はそれを発生させるのが本来の役目だ。いうなれば、私のための武装をパペットが借りていたということさ。本来の所有者である私がパペットよりも高度に扱えるのは、至極当然な理屈だろう」


 ちらりとユウヒは視線を白蜘蛛に移した。ギュンターの言葉に思い当たることがある。

 ナシロのパペットである白い蜘蛛はこの地下空間にきてすぐに動かなくなってしまったが、ギュンターの戦い方はナシロのパペットと戦い方がよく似ていた。

 あの蜘蛛も糸を吐いてナシロに武器を提供する。


「私も思ったよ。彼のパペットである子蜘蛛が糸を吐き出すさまはさっき言ったように、私とよく似ている」


 心を読んだようにギュンターが微笑みを向けてくる。


「混血は親を知らされないというが、ナシロくんも人吸種なのかもしれないね」


 特徴的な一本だけの牙と、一枚だけの翼をみれば一目瞭然で混血だとわかる。だが種族まではわからない。

 ギュンターがナシロのことを混血だと知ったのは、マルセルとディアーナと戦ったときだろう。


「それにしても君が混血だと知った時点で気付くべきだった。この町に混血の施設はひとつしかない、それに君は、スズイリ・カタカと同じ年頃のように見える。どこかの派閥のものが手を貸しているのかと思っていたけど、君の目的はどうにも違ったみたいだね」


 ぎゅっと袖をつかまれる。視線を落とすと倒れたナシロが血に塗れた手で服を掴んでいた。喉を押さえる手はもっと血まみれで、どうにか言葉を発した。


「……逃げて、ユウヒさん」


 と。


「僕も、パペットも、動けない。武器はなく、あるのは聖呪器が一本だけ……ただ」


「ただ……?」


「その飴玉だけは、もっていってほしいんだ……」


 時間を稼ぐとナシロは続ける。

 逃げろといわれて否定しようとした口を閉ざしたけれど、出てきたのはやはりよくわからない言葉だけだった。

 思えば、ナシロは混血のために戦うといっていたけれど、彼が混血に執着しているところなんて見たことがなかった。


「私はさ、ずっとアンタのことがわからなかったのよ」


 吸血鬼だからと撥ね退けて、理解しようとする気もなかった。

 こいつは敵の一味のようなものだったから。


「どんだけタイミングがいいんだって話でしょ。私が屋敷から逃げたところに、アンタは狙い済ましたみたいに来るんだもの。裏を疑って、でも力をもらえればそれでよかった」


 罵倒しても、文句を言っても、皮肉をぶつけても、困ったように笑うだけ。怒りなど匂わせもしない。殺意をぶつけても、眉を下げて困って笑う。そんな気さえした。

 誰がそんな相手を信用する気になどなるのか。恐怖を覚えても、親愛など感じない。

 まるで最初から入力された機械の反応のような、人間味のない気色の悪い感情。

 不気味な薄っぺらい奴。それがユウヒの抱くナシロ評だった。

 そう――だったのだ、かつては。


「そんなに大事なものなら、自分でちゃんと守りなさい」


 純血ふたりを一緒に倒して、喧嘩をして。

 ギュンターの屋敷から逃げ出した雨の夜に、ナシロが話しかけてきた。


「ねえ、悔しくない? 私が逃げればアンタは死ぬわ。なにもできない、させてもらえない」


「…………」


「私は悔しかった。アンタがあの日、私を迎えに来てくれたからアイツと今、戦える」


「……これは君の復讐だ。君が死んでしまうのだけはダメなんだ。僕が殺されたとしても、君を逃がせればそれでいい」


「あのね……アンタは、隠すのが上手すぎるのよ! いまさら気付いた。――私が怒りで無理やりにでも前に進んだみたいに、あんたは、感情を押し殺すことで立ち止まらないようにしてたって」


 ずっと蜘蛛は動かない? それは違う。


「死んでもなんて嘘つかないで。アンタの蜘蛛はそういってない」


「蜘蛛……?」


 パペットは吸血鬼の半身だという。

 苦しみもつらさも痛みも半分背負ってくれる。

 それならナシロは、ウソつきだ。


「気付いてる? アンタが死にそうになっても動こうとしなかったパペットが、飴玉を前にした途端に動き出した。理屈なんて越えるくらい、あの飴玉とその持ち主が大事なんでしょ? ……大事なものはね、誰にも委ねちゃダメなのよ。必ず自分で護りなさい。そうじゃないと後悔しか残らないんだから」


 ユウヒは、スズイリ・カタカの名前を一度だって聞いたことはない。

 でも感情を押し殺し続けてきたナシロが、そのパペットが、今だけは必死に動いて取り戻そうとしている。

 ナシロはぼろぼろのお守りを出会ったときから下げていた。誰かの手製なのは明らかだった。

 一目で愛情をもって扱っているとわかった。

 まるで、自分に残った感情のすべて一箇所に集めたみたい。

 お守りだけは大事に、慈しむようにして下げていた。


「アンタが言わないなら私は聞かない。スズイリ・カタカって子がどうなったのかも、本当はなんでギュンターを倒したいのかについても」


「…………」


 悪者を自称する変な少年。

 混血だからと距離を置いていたのは自分だった。


「……やっぱ訂正、アンタ、意外とわかりやすいわ」


 這いながら移動した白蜘蛛は、飴玉をぎゅっと抱きしめて、もう放さないと八本脚で引き寄せていた。

 ユウヒの手には聖呪器が一本。

 手にした武器を握り締めると、倒れたナシロの前に出た。

 まだアンネを殺したトラウマは拭えていない。誰かを傷つけると考えただけで震えてしまう。


「アンタのことちょっとだけ、……ほんのちょっとだけ、大事になった」


 だから護る。もう後悔しないために。


「ナシロ。私がアイツを殺すところを、特等席で見ててよね」


 #           #


――むかし僕のことをナシロ、と呼ぶ子がいた。


 物心がつく前から一緒で、パペットよりも共にいた時間は長かった。

 ナシロには、自分のなにが気に入ったのかはわからなかった。けれど、気付けばいつも同じ時間を過ごしていた。

 パペットは産まれた時から一緒にいるわけではない。ギュンターが言ったように、自己認識や願望などから後天的に形成される。

 混血の施設にはたくさんの図鑑が置いてあった。幼い吸血鬼は日課として目を通す。

 幼馴染のスズイリ・カタカのパペットは、一匹の雀だった。

 羽ばたくたびに花びらを落とす、名前はそのまま花雀はなすずめ

 活発な彼女にはあまり似合わないかわいらしい能力で、施設の男子にからかわれては、よく喧嘩をしていた……。


「そう、君だけで来るのかい? スズイリ・カタカも美味だった。彼女もまた絶対の困難に立ち向かおうとするものであり、私の美食。胸像にして残すほど気高い血を身に流す少女だったよ」


 雀になった理由を友達に聞かれても、カタカは頑なに答えようとはせず、はぐらかすだけだった。

 理由はナシロだけが知っていた。

 いつものように、同じ日に見た、あの図鑑。

 女郎蜘蛛の糸は強靭で、ときに飛んできた雀さえ捕まえてしまうという。

 おなじ図鑑を覗き込んで、カタカは驚いた様子でナシロに向き合った。


『雀がだいすきって、蜘蛛に飛び込んだみたいだね』


 どう見ても捕まっているのに。


『それなら蜘蛛も、雀が大好きなんだよ。離したくないーーーーってさ!』


 それから間もなく、パペットは形を持った。

 カタカは雀。

 ナシロは……まんまと、蜘蛛になった。

 形成されたパペットを見て、恥ずかしくて転げまわって。

 カタカは今まで見たことのないくらい、うれしそうに笑っていた。

 幼馴染みにならって言うのなら、きっと蜘蛛はなによりも雀のことが大好きで、大事に想っていたのだろう。

 どれだけ喜んでいたのかもわからない、カタカは施設の子はおなじ名字だというのに、いつの間にかひとりで雀入と自称していた……。


「あぁ、あぁ! そんなに困難を乗り越えて――どこまで! キミたちは! 美味しそうになっていくんだい!?」


 むかし、彼のことをナシロ、と明るい声で呼ぶ少女がいた。

 ほかの子に呼ばれていたはずなのに、なぜか自分の名前を頭に思い描くとき、彼女の声で再生される。

 そしていま、ユウヒに呼ばれた。

 ずっとナシロの事を名前で呼ぶのを避けていた、復讐を誓う少女の声が頭に響く。

 その声が、離れていく彼女の後ろ姿が、自分を同じように呼んだ、あるひとりの少女を想わせた。

 妹であり、姉で、友達で、幼馴染みで、家族で。――だった少女。

 、あの子が浮かんだ。


「食べたい!! 毒抜きなんて待ちきれない、雑身だって今ならば美味なる一匙に変わるだろう。キミを食べたいよ。血の一滴すら残さずに、今すぐに啜ってしまいたい!!」


「せいぜい、余裕こいてなさい!」


 ユウヒは腰から二本目の短剣を取り出す。

 奥の手。道具屋がユウヒの血の代価として渡した、全く同じ形状の聖呪器だ。


「それは楽しみ」


 そう言うと、六位は一歩前に踏み出る。

 置き去りにされたかのように、ナシロと蜘蛛のパペットだけが、その場で動けなかった。

 ユウヒを身代わりにして、ナシロはいま、助かろうとしていた。

 鐘代夕日という少女を見つけたときに決めたのに。

 信念に突き進む彼女の背中に、護れなかった幼馴染の姿を見た。

 なにを捨ててもこの人だけは護ろうと、すべてに誓ったはずなのに――。


――パペット、パペット。…………パペットパペットパペット。動け。


「……では少年。復讐心を作って、より――美味しくなってまたおいで?」


「とっとと動けよパペットッッッ!!!!」


 裂けんばかりに声を張る。

 パペットは――――それでも動かない。


「…………ぁッ」


 ナシロは駆けた。

 ユウヒを追い越す。彼女は制止の叫びをあげた。

 待ち望んでいたように、レイピアの切っ先がナシロの腹を指し示す。


「また何もしないつもりかッ!! パペット、お前は僕の半身なんだろ!」


 掻いて掻いて掻いて、血が出そうなほど、白蜘蛛は顔を掻き毟っていた。


「君はデザートだ」


 視界が石で埋め尽くされた。

 身体が脱力する。


――なんで、また。


 今度は動きを見ていたはずだ。レイピアを伸ばしたとしても避けられたはずだ。

 それなのに、前のめりに倒れている。

 なぞるように、視線をうしろに向けた。

 身体を寒気が突き抜ける。考えたくもない事実が、頭を埋め尽くす。

 ギュンターのマントが変形していた。

 回り込んだ鱗粉が、


「流れでる量は少ないから」


 手脚の腱をひき千切る。


「ぁ……ぁぁああああ!!!!」


 腹に爪先がめり込んだ。蹴られ、誰かもわからない石像を壊しながら身体が飛ばされていく。


「ナシ――!!」


「やっと、家族で味比べだね」


 霞んでゆれる視界に、レイピアを収めたギュンターと、振り返るユウヒが映る。

 跳べば追いつくようなすぐそばで、ギュンターがユウヒの肩に手を添える。

 肩を引き寄せられて、ユウヒはギュンターを押しのけようと腕を伸ばした。

 また、なにも出来ない。起こそうとした身体に激痛が走る。


『助けて、ナシロっ』


『カタカ、先輩は……』


 誰かの声が記憶のなかで響いていた。

 自分を呼ぶ声と、泣きそうに震える少女の声。

 守ることのできなかった少女たちの声が、責め苛むように、形のない音となって耳に流れ込んでくる。

 牙がユウヒの首に添えられた。

 少女の力ではもう、押しのけられない。


――まただ。また、何度も、進歩もなく、力もなく。覚悟も正義も、悪もなく。


「パペット……動けよ、臆病者! 僕を引きずって、くれよ……。今度こそ間に合わせるんだろ!!」


「……ガァ」


 パペットが、なにかを語りかけるようにこちらをじっと見つめていた。

 蜘蛛は細い脚を持ち上げて、ユウヒの肩を指し示す。

 彼女の髪をかきわけて、ギュンターの牙が肌に押し当てられる。捕食が開始されようとしている。


「ガァ」


 パペットは自分の顔を指し示す。なんだ、と違和感に気付かされる。

 強く顔をこすっていたパペットの、眼の横が腫れていた。

 こすりすぎて裂けた顔に、切り傷に似た赤い線が走っていた。

 パペットが知らせるその線が、ただの傷口ではないと理解した。

 傷口の向こうに、何かがあった。


「ガァ!」


 手を伸そうにも、腕は動かない。

 口をあけた。舌を伸ばした。

 歩み寄ってきた白蜘蛛の傷口に、ズブリと、舌を押し込んだ。

 舌先で奥にある球体を舐めることで確かめる。

 力をこめて、傷口を裂いて、広げた。


「来い」


 いつの間にか、死人のような真っ白な腕が一本、ユウヒの背中にしがみついている。

 ぷらぷらと揺れる一本腕には、肘から先が存在していなかった。

 そもそも肩に続く肉がない。捕まれているユウヒですら、気付いていない。それほどまでに軽いのだ。

 まるで実体がないかのような奇妙な腕は、奇妙に指をうごかしながら器用にユウヒの服を伝っていった。

 じわじわと、首元へと近付いていく。

 進みながら腕は伸びていく。

 最初に肘ができあがった。やがて肩が、胴が、腰が、脚が。

 最後にぽこりと、頭が出てくる。

 肩越しに、ギュンターとマネキンが見つめ合う。

 影に気付いたユウヒが、振り向いた。


「なに、この白のっぺらぼう?」


 マネキンには、頭があっても顔がない。

 ギュンターに顔に理解が浮かぶ。驚愕に変わり徐々に、歓喜に塗りつぶされていった。


「まさか……」


 浮き立つ声で、ギュンターがぼやく。

 マネキンはユウヒを拾い、ナシロのもとまで跳び下がる。

 ユウヒをおろす手つきはブリキのおもちゃを彷彿とさせるほどぎこちない。

 糸で出来たシルクのように滑らかな全身。

 背中にほとんど埋もれる形で、ソフトボール大の八つ脚の長い蜘蛛が張り付いていた。

 それはどこか醜悪で、白く、だが美しい糸で編まれた人形だった。


「パペットは、強い感情に起因する。形状は宿主が持つ自意識、他者への意識に影響される」


 混血であっても得ている知識。

 傷口の奥、新たな眼球に触れたことで流れ込んだ知識が、子蜘蛛の名前を呼び起こさせた。


「まさか……っ!」


 もう一度ギュンターが叫び。

 ナシロが名前を嘔吐した。


偽称する影を彩る四番目テタルトス・パペット


「パペットを進化させたのか!?」


 四番目は長い脚を動かして、操り人形のようにマネキンを動かしていた。

 ユウヒの血を糧にして産まれた四番目の子蜘蛛は倒れたナシロに腕を伸ばした。


「これ、アンタが出したってことで、いいのよね……?」


 おろされたユウヒはいまだ眼を白黒させている


「……ユウヒさん、君のおかげだ」


 腱は切られてうごくこともできないナシロが、伏せたままに名前を呼んだ。


「君のおかげで、まだ戦える!」


「あぁ、また……ッ!」


 マネキンの身体に縦の切れ込みが入る。

 切れ込みは大きく開き、捕食するようにナシロを取り込み、閉じていく。

 身体に合わせて糸が蠢き、鎧はナシロの身体に合わせて細部を変える。

 鋭角的でありながら、生物由来の滑らかさを残した構造。

 関節部は繊維のようにしなやかに、兜は鋼鉄のように鋭い。

 鎧でありながら一切の継ぎ目は存在しない。

 のっぺらぼうと評された兜の目元が裂けた。緩やかなブイ字は白蜘蛛の眼のようだった。

 きりきりと音を立てて糸が伸縮する。起き上がれないはずのナシロが起き上がり、新たに編まれ槍を手に取る。

 糸製の金属音が、止んだ。槍を持つ、西洋甲冑の男がひとり。

 身にまとったのは白い全身鎧フルプレート・アーマー


「フルコースみたいだな、キミ達は!!」


 ギュンターの美しさと機能美を兼ね備えた全身武装と。

 重厚でありながら滑らかな、背に異物を残す白く醜く――美しい西洋甲冑。

 狂おしいほど似た能力。

 喝采が上がる。


「なんてっ……美味しそうなんだ!!!!」


 兜の下でナシロは嫌悪感を滲ませる。

 望んで得た姿ではない。無意識、無許可で形成されるパペット。

 そもそも――。


――能力が増えるなんて、聞いたことも無い。


 混血、だからなのか……。

 飴玉を摂取した訳ではなく、パペットがまるで進化するように能力を増やす。

 吸血を起点として成長し、完全な存在に近づいていくかのようだった。

 見せ付けるようにして、ギュンターはゆっくりと腰のレイピアに手を伸ばした。


「喜びが絶えない。どんどん美味しさと驚きが増していく」


 ベルトに下がるホルダーから、レイピアが徐々に抜き出されていく。

 鱗粉で煌く刀身は霧のように残る粉塵のなかでさえ、一条の光となって眼を焼いた。


「もったいないけれど、君だけは特別だ――ナシロくん、君の血は浴びるように飲むとしよう!」


 牙を見せつけ、ギュンターが嗤った。


「よ、避けなさい!」


 ユウヒが叫ぶ。ナシロはいまだ、自分の姿を見下ろしていた。

 ギュンターは瞬時に刀身を形作る鱗粉を湾曲させていた。

 まるで日本刀のように反ったレイピアは鞘を走り、居合い切りと似た技だ。

 一閃。伸びた刀身が一息の間に鎧に触れる。

 狙われたのは首。

 今度は動脈を撫で斬りにするのではない、頚椎ごと切り離してやろうという殺意で形作られた一太刀だった。

 ナシロの頚動脈と手足の腱を引きちぎった一撃は、編まれた鎧をぶちぶちと断線させていく。ナシロに一切の対応は許されない。

 ギシリと、ギュンターの腕が止まった。

 振り抜こうと身体を動かしている。ナシロはなにもしていない。

 そう、刀身が触れた瞬間、鎧がひとりでに糸を刀身に絡みけたのだ。


「防ぎもせずに止めるのかい……!?」


 縛るように押し留めた鎧は、武器を呑みこむようにして渦を巻く。

 刀身がきしみ、次の瞬間にはへし折れた。

 ハッと笑い、ギュンターは瞬時に刃を分解する。

 刀身は散って、男は感嘆の息を吐いた。


「そうか、治るんだ……」


 ギュンターに切られた首の糸を、背中の子蜘蛛が糸を吐いて修復していく。

 首を撫でると、脈動する鎧は何事もなかったかのように無傷な姿に戻っていた。


――完全に修復されてる。それに、身体も動く。


 手甲越しに鎧を撫でると、直接触っているかのように滑らかな手触りが伝わってきた。

 自動再生。

 自動防御。

 本来であれば、糸で敵の武器を絡めとる武器奪取も可能なのだろう。

 三つの高い基本性能をもち、鎧は糸を伸縮させることにより再生の終わっていないナシロの身体を外部から動かしている。

 ここに道具屋がいたのなら、眼を輝かせて小難しい言葉を並べたことだろう。

 きっとこうだ。


『対近接戦用、半自動迎撃全身鎧――名称は』


「テタルトスパペット、紡績ぼうせきの鎧」


 試すことにした。頭のなかに確信があった。

 一歩、それだけで充分だと。踏み込み、槍を振り切った。

 衝撃で床が弾け飛ぶ。


「あ、はっ!?」


 まばたきの一瞬でギュンターの懐に飛び込んだ。

 ギュンターが、位階第六位が、反射的に防御に転じた。

 糸に強化され補助された肉体は、通常時でさえ人間離れした混血の肉体を、さらに激しく底上げする。

 肉体は――純血すら飛び越える力を発揮した。

 だが近すぎる。


「わかるよ、まだ制御が効かないのだろう。これは槍の間合いではない!」


 ギュンターはあえて踏み込んでくる。

 近すぎて十全に振るうことが出来ない。威力が殺される。これはギュンターの偽者も使ってきた戦法だった。

 さらにギュンターは交差させた腕に鱗粉が集中させ、輝く楯として出現させる。


「何百年も生きてきた、不明な力の対処なんてね、嫌になるほどやってきたのだよ! いまさら間違うことなどありえない!!」


「僕も間違ってないよ。これは、正しくお前を貫く距離だ」


 編まれた腕甲が生き物のように蠢いた。

 そして、握った槍と同化していく。

 長すぎる柄は取り込まれるようにして徐々に腕に巻きつき、糸と絡み合う。


「鎧と槍は同化して、短槍となる」


 同化したことにより振り切った威力は余すことなく槍の穂先に注がれていく。

 強化された力が集い、尖端は爆発的な威力が塊となって敵のすべてを粉砕する。

 よって、急造の楯など、紙同然にたやすく貫いた。


「おぐっ!」


 それだけではない。

 楯を貫いた槍は止まることを知らず、ギュンターの腕を、ついには胸を貫通する。

 穂先がギュンターの背から顔を出す。

 まだらに紅く、男の吐血が白鎧(はくがい)を汚した。


「すば、らしいッ!!! 芳醇な香りがここまで漂ってきそうだよ!!」


「…………」


 槍をねじり込む。

 槍の穂先が針のように飛び出し、硬質化した糸が伸びる。

 無数の糸が、身体の内で咲き誇る。


「再生に血を使うほど、お前の身体は衰えていく」


「その前に君の喉、剥ぎ取って見せるからッッッ!」


 ギュンターは傷を無視してナシロの喉を握り込んだ。

 怪我を感じさせない異常な握力により、鎧が悲鳴と共に軋みをあげた。


「位階同士の戦いは部下を連れて行かないんだよ。補給されるから、戦いは血の奪い合いに発展する。傷付きあいながら互いの血で回復するんだ、このように!」


「テタルトス」


 剥ぎ取られんと歪められていた鎧の喉輪が声に従い形状を変える。

 作られたのは獲物を噛み切る蜘蛛の鋏角。

 一対の牙がむしゃりむしゃりと、ギュンターの指を咀嚼した。


「この鎧はパペットの一部だ」


「おいおい、指が……!」


 咀嚼される己の肉体を眼前におきながらも、ギュンターは恍惚の色を隠すことなく浮かべて見せた。

 拘束が解けた瞬間、槍を引き抜く。

 ギュンターを蹴り飛ばす。


「さっきのお返しだ」


 ミサイルのようにギュンターが部屋の端まで吹き飛んでいく。

 ガガガガガガガガガガガ! と道中に残る半壊した石像すら巻き込みながら、骨が砕けた音まで響かせて転がり、やっと止まった。


「……ほんと、凄いよ、君」


 立ち上がった血まみれのギュンター。


「位階の再生能力か」


 完治していた。

 息を乱し、服に血痕を残しながらも、怪我はどこにも見当たらない。


「美味しい。一挙動ごとに美味しさを増していくのが感じ取れる! こんなことは初めてだ! ――調理してみせる、調理してみせるよ君の血を!!」


 槍とレイピア。すぐにその武器の縛りは消えうせている。

 レイピアは次々と形を変えた。


「どれもダメだ……勝てる光景が浮かばない」


 飛針、サーベル、大戦斧。

 変幻自在の鱗粉は、位階に上り詰めるまでに幾千の敵を屠ったのだろう。

 だがどれもナシロの鎧を突き崩せない。

 諦めたように大穴のあいた天井を見上げたギュンターは、鱗粉を球状にして手のひらに集めていった。


「でも、これがある」


 最後に選ばれたその剣に、切っ先は存在しなかった。

 剣先は緩やかに丸みを帯び、両刃。


「やっぱり、やっぱり、やっぱりッ! コレでいくしかないようだね!?」


 突きを想定していないため独特な形状を持つ、ドイツ発祥、処刑人の剣。

 斬首のための剣。剣の名は――。


「エクセキューショナーズソード! レイピアは殺さないための武器なんだ。普段使うのは、生き血を吸うため。……だがこれは別、これは先代を殺しきった武器。誇って良い! 君は、いま! 位階保有者と完全に並んだ!!」


「それがお前の奥の手か」


「…………十回以上、君たちを殺すチャンスはあった。その度に、自分のなかで躊躇いが生まれた。これより先があるのではないか、と」


 興奮を吐き出すように男は深く、濡れた溜め息を吐く。


「まるで極上の一皿にかぶせられたクロッシュを持ち上げる直前のような、漏れ出す香りだけを味わうあの奇跡の一瞬を、君たちに感じていた。……先代の位階六位を殺したときに私は怯えた。震えながら手にした勝利の美酒を飲んだ瞬間に、これ以上の美味は一生手に入らないのではないかと。つまみ食いを数百と繰り返しても、その恐怖を拭い去ることは出来ず、それどころか確信に近づくことで、さらなる絶望を味わった……」


「何が言いたい」


「ありがとう。君たちは私の前にやってきてくれた。私の最愛の配下を殺し、蝶を殺し、私を追い詰めてくれた。間違ってはいなかった、君たちを殺すことを躊躇った私の直感は、運命だったと言い切れる」


 そう、と前置きをして、ギュンターは恍惚に頬を紅くした。

 指揮者のように手を揺らす。

 握られた処刑剣は言葉を積んでいくごとに輝きを増していく。

 もはや鱗粉の質感ではない。

 この世にある最高の鉱石でこしらえたような、究極の一刀。


「君たちを飲み干したとき、私はきっと位階保有者を飛び越えて、歴代三人しかいなかった真祖に至ると。さあ、抗っておくれ――その首、落としてみせるから」


 ふわりと、軽く処刑剣が振るわれた。

 あまりの殺気のなさに反応が遅れる。

 刀身が鎧の首に触れた。剣を捕まえるため糸が構えるように波打っていく。

 また捕まって折られるだけだ。

 迫りくる処刑剣が目に焼きついた。


「そうかな?」


 その剣は、触れた端から何の抵抗も無く、糸の鎧を寸断した。


「っ!?」


 今度はナシロが構える番だった。

 絡みつく糸を裁断しながら、丸い切っ先は止まる気配を見せない。

 切れ味が逸脱していると気付いたのは、首に届く寸前だった。

 横に倒れるように跳び避ける。


「君の血を零すことを許して欲しい、そうしなければ味わえないほど、君は強者だ」


 ギュンターの装備が薄くなっている。鱗粉が武器へと流れこんでいる。

 たった一刀。一本の剣に残存する鱗粉のほぼ全てが注がれていた。

 しかし防御が薄くなったことには変わりない。避けながらも、幾百もの傷をギュンターに刻みつけた。

 容易く穴を空け、肉を裂き、骨を砕いた。

 ギュンターを弾きとばす。一心不乱に槍をふるった。

 一方的な殴殺だ。だが、ナシロの頬に滝のような汗が流れる。


――――終わらない。


 そう、終わらないのだ。

 ギュンターは執拗なほど首のみを狙ってくる。他の部分には眼もくれず、血塗れの姿で。

 防ぐのは容易のようでいて、鍔迫り合いはゆるされない。防御不可だと本能が大音声で訴えかけてくる。

 触れれば最後、槍ごと首が落とされると。

 受けることができない刃は、付き纏うギロチンだ。

 純血や位階保有者ほどの治癒能力はナシロにない。首を落とされれば聖呪器で無かろうと、確実な死が待っている。

 もはや鎧は防御の役目を負っておらず、肉体の増強のみに終始していた。

 一刀も受けられず、ひたすらにギュンターを殺し続けるナシロ。

 いくら受けようが、一撃さえ入れれば、目的を達するギュンター。

 千日手の最中に血飛沫は舞い続ける。何百と武器を振るった。


「ありがとう。――カネシロ・アサガオ!」


「――――」


 選択を、誤ったと悟った。

 ギュンターはナシロの背後をみて感謝を告げる。

 ドンっと、背中がなにかがぶつかった。

 ほとんど壊れた、ナシロでは誰ともわらかない、胸像だった。

 隙を生もうが…………跳ぶべきだった。

 反射的に槍をかざすが、気付いたときにはもう遅い。


「いただくね?」


 かざした槍の柄に処刑剣が沈み込む。

 袈裟懸けに斜め上から迫る白刃の切っ先が、兜の中に入ってくる。

 刃を視界で捉えていた。

 音も無かった。槍は両断され。

 視界が片方、消えていた。


「ッ、ウぁ!!」


 兜が邪魔で傷口に触れられない。

 刃が入った瞬間首から微かに軌道をずらした。首の両断を防いだ代償は、片目の切断。

 よろめきながら下がると、ギュンターはじっと刃に付着した血を見つめていた。

 ぺろりと、赤く長い舌が刃を舐めあげた。

 舌は牙に擦り付けられ口腔を泳いだ。


「……おい、しぃぃぃっ!!」


――傷が深すぎる、再生が追いつかない!


 処刑剣は槍を両断し、兜を裂きながら頭蓋、眼球を通過していった。

 やっと再生の終わった腱と引き換えに、視界の半分が消え失せた。

 吸血鬼といえど重症で、ふらつくように、前へと進み出ていく。

 ギュンターに……歩み寄るかたちで。


「おや?」


 前後左右の感覚がない。

 両腕を振り回す形でふらふらと。


「――――」


 ついにはギュンターにしがみつく。


「なんだい?」


 ぼそぼそと口にした言葉は、至近距離でも聞き逃すほどの声だった。

 首にギュンターの視線が注がれる。

 ナシロは再度、繰り返す。

 それは、ギュンターに向けた台詞ではない。

 まして自分でも、ユウヒに向けた声でもない。


「弾けて、テタルトス」


 鎧の縫合が解かれていく。糸から開放される。

 刹那的にナシロを離した子蜘蛛は、構成していた糸を伸ばした。

 拘束衣のように、ふたりを収める形で鎧を閉じた。

 ひとつの鎧に位階と混血が収まった。


「うっ?」


「お前を殺すのは、僕じゃないんだ」


 ギュンターの背に、一本の短剣が、突き立っていた。


「…………カネシロ・ユウヒか。ちょっとだけ待っていて」


 短剣は柄まで突き刺さっている。

 毒が身に流れていく現状においてもギュンターは身をよじり、脱することのみに専念していた。

 ギュンターを聖呪器で殺せないことは、すでにわかっている。

 屋敷に来てすぐ、ユウヒはこの男を刺して、だが殺せなかった。


「君では私を殺せない。ほら、離れていて? かわいそうに、手が震えているじゃないか」


「…………」


 ギュンターの背に顔をうずめるように、ユウヒが一人で立っていた。

 いまだ震える手には二本の短剣。

 震えは彼女が臆病だからなのではない。

 やさしさが、道徳心が、滾る復讐心とぶつかって生まれている。

 その尊く優しい人間性を顕す震えだ。

 決して、決してギュンターやナシロが持ち得ない優しさを、その少女は持ち続けていた。


「悪手だよ少年。怯えた彼女には酷だろう」


 ギュンターが労りの声を出す。

 それを、


「馬鹿を言うなよ」


 否定する。

 ナシロは知っていた。その優しさに埋もれない強さを。

 二本目の短剣が突き立てられた。少量の血と灰が流れ、傷口は塞がった。


「だから……」


 一本目の短剣が抜かれた。


「ギュンター・ゼクスト、よく見るといい」


 二本目が刺さる。二本目が抜かれる。一本目の短剣が突きたてられる。

 ゆっくりと、交互に。聖呪器は刺さる速度を増していく。

 男は、気付いていなかった

 自身を拘束する糸がユウヒの足元へ忍び寄り、彼女の身体を徐々に包み始めていることに。

 ユウヒの速度と力が、加速度的に増していることに。

 どの場所に、短剣が突き立っているのか。

 背に。背骨に。

 紡績の鎧は空洞ののっぺらぼうだった。

 ナシロに合わせて姿を変えた。

 形状に縛られることはない。――何も、ナシロ専用の鎧ではない。


「なんだ……?」


 ユウヒの身が半分包まれた段階で困惑の声があがる。

 短剣は、腕に突き立てられる。

 刃先は腕の内側、胸寄りの位置まで達していた。

 脚に突きたてられる。大腿部、膝の上に。

 背後から、みぞおち付近にも。

 嗚咽のようにも聞こえる震える声で、ユウヒは言った。


「聖呪器の毒は、液体に近い」


 それは家族を愛したどこかの夫婦が、末娘救うために集めた知識。


「腕の内側、膝の上部、胃の後ろ。――上腕動脈、大腿動脈。……膵臓」


 妹を助けるため、とある少女は必死で学んだ。

 半年間。家族を待ち続け、ひたすらに家にこもって。

 溢れるほどの書物を読みふけり、あらゆる知識と、吸血鬼を知った。

 短剣は速度を激しく増していく。

 心臓を肺を頚椎を肝臓を抉りながら。

 位階保有者にとっても、聖なる物は毒である。

 効かない様に見えるのは、単に毒に蝕まれる速度を治癒能力が上回っているため。


「ならもっと効率的なら? より毒が回るやり方で、さらに傷が進行する方法で…………」


「待て、待て待て、カネシロユウヒ!!」


 それは、娘を救えなかった知識。


「調べる時間なら嫌になるほどあった。調べる方法は――両親が残してくれた」


 知識はいまここで、姿を変えて力に変わる。

 毒は紛れもなく、むしろより純粋な吸血鬼である位階にとって、変わらず猛毒である。

 やみくもに刺したなら再生に喰われてしまうであろう毒は体内で血流に混ざり、駆け巡る。

 太い動脈を道としながら、

 短剣から注がれる毒が、主要な臓器を塗りつぶしていく。


「妹はそんな風に言わなかった? 父さんは、母さんは? どんな風に殺したの。――いい、聞きたくもないし、止める気も無い」


「待っ」


 頚動脈ごと声帯が切断された。

 動脈や臓器から、毒は勢い良く運ばれる。

 一拍遅れ、再生していく。位階保有者の治癒能力で。

 糸に押されて速度は上がる。二拍遅れ、再生していく。

 純血の治癒能力があろうとも、聖呪器を使えば仕留められる。

 位階保有者の治癒能力は、生半可な傷では治してしまう

 ならば。

 毒を送るため、徹底的に効率化された刺し方で。

 その上で、パペットの補助を受けていれば、どうだろう?

 震える手は、短剣を手放さなかった。痺れるように指は鈍化しているはずなのに。

 保護をはずされた聖呪器(プセマ)が、パペットの力を借りて振るわれる。

 絶対にありえないはずの融合。吸血鬼と人間の相乗――。


「プセマ・テタルトス……!」


 加速する。

 血を吐かんばかりにユウヒは叫ぶ。

 子蜘蛛の糸が短剣ごとユウヒの手を包み込む。彼女の手は止まらない。

 ついに糸はユウヒの全身を包み込む。短剣が止まることはない。

 鎧により人間の膂力と速度を大きく逸脱した状態で、セーフティーの外れた聖呪器が振り下ろされる。


「っ、っ!」


 ぱくぱくと口を開きギュンターが自分の剣に指示を出す。形のある硬質な鱗粉はユウヒ目掛けて飛び立った。

 鱗粉は呆気なく切断された。

 音とも声とも取れる声を、あっ、とギュンターが漏らした。

 吸血鬼の力を固めた剣は、聖呪器の力を最も受ける。

 位階保有者第六位がー目を見開いた。迫る両の白刃を見つめていた。


「――――おねえちゃん、仇、取るからね」


 見開かれたギュンターの眼窩に、短剣二本が沈み込む。

 男はナシロの首元に口を寄せ……。


「――――――――」


 終わりだった。

 男だった肉体は、音を立てながら。

 一色の塊となって、朽ち果てた。


 #         #


「ユウヒさんッ」


 間一髪で膝から崩れ落ちたユウヒの背を抱きとめた。

 彼女が纏っていた糸の鎧が、端から徐々にほどけていく。

 すでに限界など超えていた。動けたのはひとえに、彼女の芯の強さがみせた奇跡だろう。

 ちからなく床に落とされた腕からは聖呪器が滑りおちていく。

 柄に糸が絡みつくが、毒により白い雫に変わった。


「たおせた……?」


「うん。灰になったよ」


 震えるまぶたでナシロが指差す先をみて、ユウヒは満足げに目を瞑る。


「おとうさん、おかあさん、……あさがお。お姉ちゃん、がんばったよ」


 熱に浮かされるように彼女はこぼす。そして、腕にかかる重さが増した。

 完全に脱力しながらも、ユウヒの胸は規則正しく上下していた。

 ユウヒの体内からも飴玉がひとつ、弾き出される。


「おつかれさま、ユウヒさん……」


 吸血と、順応剤の効果が切れたのだろう。飲んでいた飴玉は人の身体には収まらない。

 ユウヒは気絶しているだけだ。もういちど脈と呼吸をたしかめたあと、彼女を抱きあげて、壁際まで連れて行く。


「テタルトス、ユウヒさんについていてあげて」


 すでに鎧を作る力もないが、彼女を守るように、四番目は身を伏せた。


「…………」


 改めてみてもユウヒは寝ている。起きる気配はまったくない。

 これなら少し、騒ぎがあっても平気だろう。頃合だ。

 そして――、


「いつまで寝てる、ギュンター・ゼクスト」


 ナシロはひとり、積もった灰に呼びかけた。

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