第14話 熱と血と味

前回のあらすじ。

吸血鬼の半身であるパペットは所有者と切り離されたとき、飴玉に姿を変える。死に掛けのアンネに飴玉を渡すかわりに復讐をするともちかけるナシロ。

その裏で、ユウヒは位階第六位と対峙していた。

純血すら殺すことのできる聖呪器を六位に突き立てるユウヒだったが、圧倒的な回復力を前に聖呪器の毒は抑え込まれる。

さらに、なぜか六位は二人いた。

捕まり絶体絶命を迎えるユウヒ。そのとき床が破裂した。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 屋敷の一部だった物がガラガラと崩落していく。

一階を力強く支えていた柱は巨大な破片となんって次々とあたりに降り注いだ。

 轟音が鳴り止まないなかに、悲鳴にも似た少女の怒声が紛れ込んでいた。


「アンタやることが派手なのよ! 助けようと思っても一階を崩落させるな、地面が消えていく恐怖がわかんないのか!!」


「あ、安心してユウヒさん。一番目の子蜘蛛でユウヒ位置はわかってたから、気にしたよ? 怪我は?」


「ない! ……っとに。問題といえば、いま死ぬかと思ったことくらいね」


 悪態をついてはいるが、ユウヒの声から怒りはあまり感じられなかった。それよりも地下室に轟く崩落音が耳を刺激してくる。鈍痛をこらえながらナシロは神妙な面持ちで頭を下げた。


「ごめん、僕の読みが甘かった」


「曲がり角に六位が待ってるなんて思わないでしょ、普通」


 柔らかな声でユウヒはバシンと軽く、形だけナシロを叩いた。

 

「にしてもここ地下室でしょ、ボロボロね」


 辺り一帯なにも見えない。崩落はやむことがなく、こうしている今も大小様々な建造物の破片がここに落ちてきていた。

 屋敷の地下に作られたあまりにも広大な部屋には、白の粉塵が立ち込めている。

 視界はゼロに近いほど悪い。すぐとなりにいるユウヒがかろうじてみえる程度だった。


「私を助けるためなのはわかってるけど……崩れないわよね? 地下室の柱を壊すとか、度胸あるのかアホなのか……」


 酷い言い草に苦笑する。

 見渡すと、ほんとうに地下空間と思えないほど広い。そこらにある地下駐車場など足元にも及ばない。直線にして何百メートルあるのか。

 敷地の下にまで這う特別なこの場所は、屋敷を提供した国がある目的のために作った場所だった。屋敷のなかでも特に頑丈で、生半可な造りではない。


「この地下室は最初期の名残だよ。市と一緒に、まだ吸血鬼への理解が浅い頃に作られた部屋なんだ」


 ここ夕暮市は人工河川に囲まれている。それは吸血鬼が流水の上を渡れないという、迷信を元に整備されたから。そして市とともに作られたこの屋敷にも、ある迷信を基にして設計された。


「吸血鬼は日光に当たると灰になる。……これは迷信だけど、ここが作られた時代はまだ吸血鬼のことを詳しく知る人間が多くなかった」


 吸血鬼は日光を苦手とする。吸血鬼が眠るときは地下室の棺で眠る。

 そんな迷信を国が信じて施工図に組み込んだ結果、普通なら使い道のないほど異様に広くて頑強な地下室が作られた。

 位階保有者の派閥の全員が、同時に眠ることを想定して造られている。それこそ数百の棺を並べられる。


「簡単に崩れるなんてことはない。そんなことになれば外交問題どころか宣戦布告だ」


 事故だろうと吸血鬼が大量に死にましたとなれば、報復される。

 当時の担当官の気持ちになれば頷ける。必要以上に強く造りたくもなる。


「それで、その強すぎる地下室の柱を吹き飛ばしたと」


「道具屋に頼んでおいた爆弾で支柱を何本か爆破できた。何の材料なんだかよくわからないけど、妙に爆発したから」


 道具屋から渡されたのは、見た目はふつうのプラスチック爆弾だった。


『ぺたっとやって、ぶすっとして、くるくるってして、カチリってやればいいよっ!』


 そんな雑な説明と共に渡された爆発物は、ナシロの想定を越えた威力をみせた。

 指向性爆薬なことと、一番目の子蜘蛛の能力で位置は把握できていたため、ユウヒを巻き込みこそしなかったものの……。


「あと一歩近かったら、僕が死んでたよ」


 あれはプラスチック爆弾の威力などではなかった。手に持てるレンガほどの大きさの爆薬なのに、抱えられないほど太い支柱を一発でへし折ったのだ。

 もう治ったが一度は鼓膜をやられた。内蔵がほぼ無事だったのは奇跡だろう。


「……これで、良かったのかもね」


 爆発とは別に、ユウヒは悲しげな表情をつくりだす。

 どこかさびしげで、清々したようであり、心苦しそうでもあった。

 視線のさきには、粉々となった大量の胸像が転がっていた。

 ナシロが部屋に入ったとき、大理石で出来た胸像たちに出迎えられた。狂ったように歓喜の笑みを浮かべていた胸像たちも、今はほとんど残されていない。

 爆発に巻き込まれた胸像は、被害に差はあるが無傷のものは極めて少数。ドミノ倒しや飛んできた破片と衝突したことも関係して、ほとんどが大破していた。

 ユウヒは切り替えるように視線を外し、一度伏せてから顔をあげる。


「ギュンターは二人いたわ」


 本人もよくわかっていないのだろう。確信を込めた声ながらも歯切れが悪い。

 だがその答えはすでにもっている。


「あれがギュンターのパペットの能力だ」


「――?」


「会ったんだ、アンネって純血に」


 灰が山となった部屋にいた朽ち欠けの少女は、マルセルとディアーナを殺したあとにすれ違った純血の少女だった。

 一言でユウヒは納得する。「……そう」とだけこぼした。


「やつのパペットはギュンターの分身を作り出せる。それも実力が全く同じ分身だ。位階第六位が二人いると考えていい。奴のパペットを倒さない限り、僕らに勝ち目はない」


「どうやって、……倒す当ては」


「ひとつだけ考えがある」


 訝しげにするユウヒには悪いが説明している暇はなかった。

 ギュンターはユウヒの近くに立っていた。ならアイツもこの部屋にいる。まだ粉塵が薄まっていないためにわからないが、きっとそう遠くない。


「ユウヒさん」


 何をしようとしているのかわからない。そんな様子のユウヒを連れて、部屋の隅、胸像の土台の影に身を潜めた。


「道具屋から貰った順応剤はあるよね。それと、――――これ」


 すでに覚悟は決まっている。そんな雰囲気すら漂わせて、ナシロは淀みなく自分の拳を突き出した。


「なにこれ、?」


 握っていたのはパペットが所有者から離れたときに造られる小さな飴玉だった。


「強くなるしかない」


「……よくわからないけど、やるしかないんでしょ。こっちも」


 襟元がずり下げられてまっしろな首元が露出する。

 そのとき。

 ドカンッッ!! 数メートル横で何かが四散した。


「どこにいるの……?」


 続けて二度、三度と爆撃のように鳴り響く。


「ひどいじゃないか、こうなっては作り直しだよ! いくら全員分覚えているからといって、大変なんだよ?」


 まだナシロ達の位置はわかっていない。近く、遠く。様々な位置に土台や建材が飛ばされてくる。

 ぱらぱらと、近くに当たって砕けた無数のつぶてが降ってきた。

 ユウヒがひとつ、深く深く、息を吐き出した。

 行動とは逆に、覚悟を飲み込む様な空気を纏って。


「やって」


 首筋に、一本牙を突き立てた。


「――――」


 最初に伝わってきたのはやわらかな肌の感触。

 ぷつっと肌を抜けた瞬間、咥内に血が流れ込む。

 とろみを帯びた彼女の熱が絡んだとき、驚愕に身が震えた。

 こんな味は知らない。道具屋で飲んだあのときの彼女の血は、もっと違った味だった。

 淡く風味水のようだった血が、濃厚な林檎に似た甘みを含むように変化している。

 禁断の果実のようだ。一度でも味わえば虜になる。そう危ぶむほどに濃い味がした。


 ――――美味、しい……?


 喉を焼きそうなほどどろりと濃く、ユウヒの血が舌に絡み付いてくる。


 ――子供のときに考えたことがある。自分の血を舐めても生温かな鉄の味と、独特な匂いがするばかり。美味しいなんて微塵も思えない。純血が飲むのは生きるためで、血液は薬と同じで仕方なく飲むものなんだと。


 あのときの答えは、このときをもって変わる事となった。

 香りが鼻腔を抜けていく。鉄と林檎の混じった匂いは反発せずに、むしろ混ざり合い風味を高め合っていた。

 林檎の風味と少しの苦味。それとユウヒの飲んだ聖水由来だろう、ピリピリと舌を焼く炭酸に似た微かな痛みが走った。

 汗ばんで匂い立つ少女自身のどこか甘い体臭と、混ざり合い口に広がる林檎の香り。

クラクラと酩酊したように視界が揺れる。

 ほとんど無意識のうちにユウヒの身体を抱き寄せていた。びくりと肩を震わせたユウヒは、受け入れるようにして、おずおずと抵抗を弱める。

 抱き寄せた彼女の身体はナシロよりも熱かった。


「んぅ」


 吸血鬼が求めるとき、血液には質が生まれるという。

 相手の新年や心持ち、ときには容姿など。誰かを好ましく思うように、吸血鬼は血液を好ましく思える相手がいる。より深く求めてしまう相手がいるというのだ。

 高質な血はとても美味しくて、飲むことで吸血鬼の身体はより高みへと進化する。

 ごくり、飲むほどに身体が高まっていくのがわかる。

 ぷちぷちと、シャボン玉が弾けるような音がする。

 細胞が急速に産まれ変わっていく。五感で感じ取れるほど激しく、ナシロの身体は吸血鬼として進化していた。

 もっと寄越せ! 命じられるままに嚥下した。

 道具屋で飲んだときとは明確に違う。あのときはまだ狂おしいほど美味ではなかった。なぜ変わった。彼女の血が変わったのか。

違う。変わったのはナシロだ。

出会ってから幾日もの時間と出来事を経て、彼女への気持ちが変わった。

 ユウヒの血液を求めているのは自分だと気付かされる。


――――なにも知らなかった。


 穏やかに悟った。

 吸血鬼としての本懐、自分にとっての最高質を口にした血が教えてくれる。

 自分が求めるのはどういった相手の血なのか。


――――どうしても届かない相手を、僕は求めてしまう。


 自分は悪であり、だからこそ正義を、信念を通す者の血に焦がれてしまう。

 どうあっても手が届かない。そんなヒトこそ欲してしまう。


「…………」


 あまりに美味で芳醇な血が、奔流のように舌を伝って流れ込む。

 どこまでも、それこそ飲み尽くしてしまいたいという渇望が脳を浸しはじめていた。

 強く吸い落とした。


「っっぁ!」


 必死に抑えていたユウヒの口から声が溢れ出る。

 いつの間にかユウヒの靴は脱げていた。靴下に包まれた指先が丸まる。

 ユウヒの手が伸びてくる。

 ためらいながら――――微かに、ほんのすこし、指先だけでナシロの服を掴みとる。

 頼るように淡く、だがしっかりと。

 視線で問うと、ユウヒは気恥ずかしげに強がって視線を逸らした。


『……なによ』


 そんな意味合いが込められた視線だ。

 ユウヒを押し倒す。


「んっ」


 遅れて、先ほどまでユウヒの頭があった位置を鋭い破片が通過した。

 ひしゃげた胸像のプレートが跳ね、ナシロの頬を掠めていった。

 頬に一筋の赤い線が作られた。

 線は切れた端から修復された。 

あたりに変わらず音が響く。ギュンターの攻撃がやむことはない。

 破片が飛び交い粉塵が漂う。ぱらぱらと、飛び散る破片を浴びながら、最後にゴクリ、大きく一度温かな血を吸った。

 白く引かれる皮膚から、ゆっくり牙を抜いていく。

 頬を紅潮させたユウヒは、深く熱い息を吐き出した。

 残っていた血のしずくが牙から垂れて、赤い点が肌を汚す。

 わかる。ナシロの身にもユウヒ身にも、かつてないほど力が滾る。

 屋敷前とこの場所、吸って、吸われて。一日に二度の吸血。

 ふたりのあいだに言葉は無い。ユウヒは順応剤と飴玉を口にする。

 数回喉が膨れて、準備は整っていた。

 ユウヒの芯の通った声が轟音を裂き、凛と。

 叫んだ。


「パペット!!」


 音は紡がれ、少女の影から浮き上がるのは、一匹のイッカク。

 本来の持ち主が真に望んだとき、パペットはその形状を変え、身体から離れていく。

 半身を譲り渡したいと、持ち主が願うことでパペットは飴玉の姿をとる。

 道具屋さえ手に入れることは難しいといった、故に希少で、尊い結晶。

 本来の持ち主がナシロに託した、パペットの一体。

 額から角を生やしたイッカクは悠々と宙を泳ぐ。


「そいつの能力は――」


「わかってる。飲んだとき伝わってる。――あんたのやりたいこともわかった」


 吸血と、順応剤のちからを借りて、人の身に吸血鬼の半身たるパペットを宿し込める。

 人間には過ぎた力を行使できる時間はほんの一時の間だけ。人の身に、吸血鬼の力の化身が閉じ込められた。

 ナシロとユウヒは立ち上がる。

 気付くと攻撃は止んでいた。

 粉塵の向こうで、おなじ動きの純血がふたり、姿を現す。


「「やっと見つけた」」


 ナシロとユウヒ。

 ギュンターとギュンター。

 ギュンター・ゼクストたちは、裂けんばかりに口の端を吊り上げる。

 晩餐を前にして、舌舐めずりをするように。


「「準備はいいかい?」」

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