第12話 灰の部屋

 前回のあらすじと予告。

想い出の神社で、お守りを手にしながら後輩とでかけたナシロ。

毎年していたお参りをしなかった後輩に違和感を覚えつつも、影を残して祭りは終わる。

そして、道具屋から連絡が入った。

――――――――――――――――――――



「どうっ! 完璧でしょ? 血ぃちょうだいっっ」


 押し出されたジェラルミンケースをあけて確認した途端、道具屋はもうまちきれないと眼を輝かせて、座ったまま前傾に身を乗り出してきた。


「ちょっと待ちなさいって」


「やだぁ! 今すぐ今すぐ、いますぐ欲しいっ!! 器具はあっちに用意してるからぁーっ」


「落ち着きなさい」


「うぇー」


 ユウヒに頭をおさえられても止まらず、道具屋は手足をじたばたと振りながら床を転がった。長すぎる髪に巻きつかれて身動きが取れなくなっても呻いていて、駄々をこねる子供そのものだ。

 六位の配下に追われて移り住んだ新しい隠れ家は転げまわれる程度には広いものの前よりは狭い。用途のわからない機会群もいくらか数が減っていた。

 その清潔感のある部屋の片隅にひとつだけ整備された道具が置かれていた。どうやって運び入れたのかマッサージチェアに似た装置の横には採血針などを載せたテーブルが控えている。

 

「もういいでしょっ? ささ、座って!」

 

 反響する道具屋の声は徒競争の前に響くスターターピストルを思わせた。

 ナシロとユウヒが椅子に座ると、抑えを解かれた道具屋は跳ねながら机に飛びつき、医療用ゴム手袋に手を通す。


「覚悟はいい? はじめるよ」


 #     #


「ユウヒさん、飲んだね?」


「ええ」


 近すぎず離れすぎず、適度な位置に隠れながらナシロとユウヒは夜闇にまぎれて身を潜めていた。

 ユウヒの手には空になったスキットルがある。瓦状で銀色、洋酒入れに似ている。

 懐にしまえる程度の大きさで、容器の内側には聖銀がうすく塗布されている。これによりスキットルに入れた聖水の効力を保つことができる。

 配下と戦ったときのような変装は一切していない。となりで身をかがめるユウヒのしかめっ面もよく見えた。


「すこし痺れるんだけど、大丈夫なのこれ?」


「さっき僕が血を吸ったからユウヒさんの身体は強化されてて、そのぶん体内の聖水が反応してるんだと思う。害がでるほどじゃないはずだけど」


「まあ平気か、あんたのほうが面倒そうだし」


「………………」 


「なに?」


「いや、ちょっとびっくり」


――いま、気を遣われた?


 ユウヒとぶつかったあの夜からだ。

 いつの間にか、少しだけ、互いのことがわかるようになってきている。

 心の内を微かに緩めて、こちらも平気だと無言のままに頷いた。

 濃い雲に翳る月に照らされて、敷地のなかで六位の屋敷は魔城のように浮かびあがっている。

 囲う柵に等間隔に付けられた感知器が発する光源は不気味な眼球に見えて、近づくものを補足しようと光を落としていた。

 聖水を飲んだおかげで感知機に見つかることはない。それでも人目をさける必要はあった。

 屋敷の外はすでに探り終えている。


「危険はあったけど三番目の子蜘蛛を飛ばして屋敷の外に見張りがいないことは確認できた。まだ僕らは見つかってない」


 ナシロの手の上に米粒よりちいさな白い蜘蛛が乗っていた。


「いま見てきた、間違いない」


 吸血鬼の半身であるパペットはそれぞれが固有の力をもっている。ナシロのパペットである白い蜘蛛は三匹の子蜘蛛を作り出せる。いまナシロの手に乗っている三番目の子蜘蛛は情報収集を得意としていた。

 あまりに非力で知能も特別高いとはいえず、人間の赤子はもちろん、普通の蟻にすら敵わないほど脆弱。だが、弱すぎて感知器に引っかからない。

 三番目が見聞きした情報は、本体の白蜘蛛まで生還することで初めてナシロにも伝わる。手紙の配達人のようなものだった。

 ほとんどは生還できずに死んでしまうが、その代わりに数が多い。数匹が事故で死のうとも、残りの子蜘蛛が最低限の情報を集めてくる。警備状況を見てきたのも、道具屋を見つけてきたこともこの三番目の功績だ。


「それじゃあこれから、僕とユウヒさんは別々に屋敷に潜入する」


「……ほんとにやる気?」


 ユウヒが怪訝な顔でみつめてきた。


「聖水が効いているあいだは、僕もユウヒさんも感知機にはかからない。でも、この市から無事に逃げるためにはあとひとつ、絶対に必要な条件がある――――屋敷にいる全員を、殺さないといけない」


 証拠を消したなら、次は目撃者の排除が絶対だ。


「どちらにしてもギュンターと同時に誰かを相手にするのは厳しすぎる。ギュンター対、僕ら二人の状況にしないといけない」


「だから他を先に倒すって? 理屈はわかるけどでもそれ、アンタが殺されなかったら、の話でしょ」


「…………心配してくれてる?」


「冗談言わないで」


 げしっと蹴られた。


「冗談。でも作戦は本気だよ。僕らは吸血鬼がひしめく位階保有者の屋敷にたった二人で乗り込むんだ。どうしたってリスクは必要になる」


「…………はぁ」


 一転まじめになったナシロに合わせて、ユウヒはわかったとため息を吐いた。


「それじゃあ」


「ええ。なかで会いましょ」


 彼女は左に。ナシロは右に。

 ユウヒとわかれて全くの逆方向に視線を向けて、敵の居城に乗り込んだ。




 コツ、コツコツとナシロの靴音がひびく。腰につけたポーチが揺れて、なかのスキットルが擦れて金属音に似た音を立てる。それ以外に音はない。


――――元から警備が少ないのは知っていたけど、いまは配下を二人殺されてさらに人員は減っている……はず。

 

 位階保有者が素性もわからない吸血鬼を身内に迎えるとも思えない。ギュンターはドイツを本拠地としているが、本国から信用できる増援を頼むのには時間が足りない。なら敵は少数、せいぜい十数人ほどだろう。

 ナシロの役目は屋敷内の敵の排除であり、六位との戦いに専念するための下準備だ。外は子蜘蛛でしらべたが、室内まではさすがに子蜘蛛を入り込ませることはしなかった。

 だから踏み入れた瞬間に飛び込んできた光景は、まったくの想定外だった。


「誰がやった……?」


 壁にはヒビが走り、壁紙はところどころ焼け焦げている。

 等間隔で設置されているスピーカーには、杭でも叩きつけたのか、丸い穴が何本もあいていた。その下には灰の小山が落ちている。

 まるで誰かがスピーカーに吸血鬼を打ち付けて、それが朽ち果てたようだった。


「……音がしない。痕も古いし、戦ったのは何日か前……? 僕らが道具屋を待っているときに誰かが入ってきて、屋敷にいた純血たちと戦った」


 戦ったといっていいのか、戦闘は一方的だったのかもしれない。というのも痕跡にいくつか時間のずれがある。

 砕けて乾燥しきっている椅子の残骸の上に、なぜか食べかけのパンが落ちていた。

 パンを持ち上げると、その下に灰とほこりがつもっている。

 一度目の戦闘のあと、このパンは置かれた。

 耳を澄ませながらパンを握ると、硬くなったパンはあっさりと崩れた。


「誰かがこの部屋で食事をしてた。灰は死体だ。吸血鬼の死体が転がった部屋で、これをしたやつは過ごしてた。それも何日も」

 

 なんのために。

 わかっている。


「まだいる。殺しきってないから、逃がさないように屋敷の中を探してる」

 

 外観ではわからなかったのは、外から見ただけでは中の状況に気付かれないようにするため。

 外と通じる出入り口はこの正面玄関を除けばほとんどない。窓から逃げたとしても、庭に出れば大量の感知器が待ち構えている。

 感知器のレコーダーは室内にあるだろう。なら純血が外に逃げ出せばすぐにわかる。

 これをやった誰かが警戒するとすれば、外から気付かれることだ。大使館とおなじ性質をもつここならば、治外法権といえども騒ぎを知れば必ず誰かが増援を呼ぶ。

 この事態を引き起こしたやつはひとつだけ残った危険を絶つために、わざわざここで食事をしていた。

 屋敷のなかにまだいる。

 吸血鬼を殺して回ることのできる力を持った何者か。

 可能性としては純血の吸血鬼。そいつは相当な力をもっている。

 動機があって、たとえば他の吸血鬼が反乱を起こしたときに制圧できるような……。


『願掛けは、もういいんです』


「…………ありえない」


 後輩の言葉が浮かんで、消し去るために頭を振った。

 懲罰部隊に属しているウリハならば可能かもしれない。だが動機の面で言えば位階を殺してその席を奪いたい吸血鬼などそれこそ、どこにでもいる。ギュンターの派閥でない吸血鬼すべてが容疑者だ。

 可能性としては低すぎる。ウリハじゃない。


「いまは、ユウヒさんとの合流を急がないと」


 どこに敵が潜んでいるかわからない。道の真ん中など歩けないので物陰に隠れて警戒しながら一階の捜索を進めた。

 屋敷はとてつもなく広かった。配下用の寝所に、娯楽室、トイレやバスルームもいくつもあった。

 脳内の間取りにあわせて覗いていくとやはりどの部屋も荒らされていた。特に配下用の個室が酷い。

 ベッドがふたつ置かれた部屋の扉は斜めに両断されていた。そして灰が落ちている。

 糸で編んだ細身の白いナイフが握る。

 硬質の蜘蛛の糸で編んだことで十分な切れ味を持ち、刀身はやや長く吸血鬼殺害条件である頚椎や心臓の破壊を問題なく行える白蜘蛛の特注品だ。

 向こうも家に自分以外の殺人者が潜んでいるなんて思わない。出会い頭に不意打ちすれば勝機は高い。

背中に嫌な寒気が走る。

 知らぬ間に猛獣の口にでも飛び込んでしまったかのような不気味な静寂が周囲を包む。抑えているはずの自分の呼吸が、耳元に押し当てられた不気味な吐息のように感じた。

 しかし引き返すなど論外だ。

 ナシロはひとつ、大きな扉を見上げて足を止めた。

 シンプルな両開きで、三メートル弱はある巨大な扉だった。

 間取りは頭に入っている。ここがどこに繋がるのかも知っている。本来なら寄る予定はなかった。向こうには一階なかで最も広い特別な空間が広がっている。

 ざすっと雪に沈むような物音がした。部屋の中からだ。

 完全には閉じてなかった扉を引くと、荒い息遣いが聞こえてきた。

 くちゃ、くちゃ。

 誰かいる。

 ここは灰を捨てる前に溜めておくためのゴミ部屋だ。

 大量に積みあがった灰の座っているそいつは、長い髪を灰の上に垂らして、一心不乱に足元に顔を寄せていた。

 顔を離すと女の声でそいつは喋った。


「こんなところに隠れて、気付けなかった」


 話しかけられたのかと身構えたが、女の声は灰の山に向かっているようだった。

 いまが好機かもしれない。誰と話しているのかはしらないが、姿の見えないもうひとりは動く気配がない。されるがままだ。


「お互い不運でさ、まさかこんなふうに終わるなんて予想もしてなかった。覚えてるカミラのこと? 私の同室の子だよ。みんなびっくりして、物音で起きてとなり見たら、カミラが食べられてたんだよ、信じられる?」


「ぁ、だ」


「あら覚えてないか。しょうがないね、アンネがここに来たのはちょっと前だものね」


 アンネ、その名前は覚えていた。

 道具屋と会った日にマルセルとディアーナという純血ふたりと戦ったあと、ギュンターと一緒にやってきたナシロたちと同じ年頃の少女だ。

 灰を回収してただ去っていくギュンターとは反対に、溢れんばかりの憎悪を向けられたのはまだ記憶に新しい。

 女の言葉を信じるならば、部屋のなかにいる姿の見えない誰かはそのアンネということになる。口ぶりから察するに室内のふたりは共にギュンターの仲間のはず。

 だとすると、疑問が芽生えた。どうみたってあの女は自分の後輩を食っている。

 同じ派閥の相手から血を奪うなどいくら吸血鬼でもありえない。


「ふっ」


 浅く鋭く息を吐き出し、扉に身を隠しながら隙間を広げた。

 反応も罠もないことを十分に確かめたあと、思い切り引いて飛び込んだ。

 知っている。


「なんだよお前は!!」


 女が言い切る頃には、ナシロはことを終えていた。灰の山に新たな欠片が加わった。


「ぉ、ぁ、え」


「話せ、なにがあった」


 灰の山にはほかにも無数の衣服が混ざっている。

 扉があらわすように、奥行きも幅も、当然高さも、必要以上に取られていた。一般家屋なら丸々縦に二部屋、抜いたほどの大きさだ。

 そのすべてを灰が占拠している。

 吸血鬼の屋敷。積もった灰。含まれる衣服。

 元が何だったのかなど考えるまでもない。

 部屋中に蔓延した灰が煤煙(ばいえん)のように舞っていた。

 何人、何十人いればここまでの山を作れるのか。死んだ純血と、混血。ここにいるのはその成れの果てだ。人間も含まれているのかもしれない。

 人間を殺して血を吸い尽くしたとしても灰にはならない。どこかに埋められているか廃棄されたか……燃やされてここに棄てられたか。

 口元を押さえ、積もった灰にふくらはぎまで埋もれさせて、ナシロはアンネと呼ばれた純血に近寄った。


「っ?」


 すると女がなにを食べていたのかがわかる。アンネの腕だけが灰を突き破って飛び出ていた。

 

――――細い。


 あまりにも、細い。肉というよりも骨と皮しかない。老人と呼ぶのもはばかられるほど年老いきった枯れかけの腕はミイラのようだった。


「パペット」


 声に応じて灰に差す影の中からランドセルほどの白蜘蛛が這い出てくる。瞬時に放たれた糸は突き出た腕に絡みついて、パペットが壁に跳躍し張り付くと同時、腕の持ち主が釣り出される。


「随分と様変わりしてるね」


 前に見た面影はない。

 変わりきった姿と、いまだ理性を宿すその瞳。

 あのときに見た生気はなく、眼は落ち窪んで、肌は乾燥しきっている。

 アンネはギョロギョロと眼球を動かすと眼を瞑り、震えながら息を吐いた。


「こ、殺さないで」

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