第11話 雀入カタカという幼馴染み

 前回までのあらすじと予告

ウリハは六位の邸宅で部下からの報告を受け取った。ナシロと分かれたあの日、あの場所で原因不明の戦闘があったようだと。

ナシロはユウヒと不完全ながらも和解を遂げて、後輩との祭りに出かける。

それぞれが感情を秘めながら想い出の祭りがはじまる

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 ウリハはその日、自室でそわそわと落ち着きなく過ごしていた。


「着付けよし、髪型よしっ。――デートじゃない、デートではないけど、休日にふたりっきりででかけるのなんて滅多にない、もしかして、はじめてかもしれない」

 

 深い海のようなあおみがかった黒色の髪。もうなんども直した前髪をさわると、髪までも指の上を慌てたようにすべっていく。

 大きな姿見に映る自分は、白地に藍色の藤が咲く浴衣を着ていて最近、伸ばしはじめた後ろ髪をアップにまとめている。

 くるりと回ったときに見える涼しげなうなじがチャームポイント。

 デートではないと自覚し、相手に伝えてあっても、ふたりきりという事実がウリハの頭を一杯にする。

 約束は夕方なのに朝はやくから準備に着手し、それだけ時間をかけたのに、まだ物足りない。それでも時刻は迫ってくる。


「もういくしかない!」


 後ろ髪を引かれながらも、あわてて部屋をとびだした。

 十七時ごろ。夏の日は高い。

 待ち人は約束の十分前にあらわれた。


「せんぱ――っ」


 ぼろぼろの、疲れきった姿で。


  #    #



「あ、うりはさん、おはよぅ」


「こんにちは、です…………大丈夫ですか?」


「ちょっと寝不足で……。それより浴衣なんだね、似合ってる」


「あ、えっと、ありがとうございます……?」


 十分前に到着したのに、綺麗に着飾った後輩はすでに待っていた。走ったのかもしれない。浴衣やや崩れていて、それでも清純な雰囲気が醸しだされている。

 対して、ナシロは普段着。昔からさげているお守りも、いつもどおり首もとで揺れている。

 夜通しユウヒと血なまぐさいことをしていたため寝不足から頭がぼんやりとする。つい恥ずかしげもなにもなく言葉が出てしまった。邪気もなくほめられたからか、ナシロが変だからか。ウリハはリアクションに困ったように小首をかしげていた。


「すこし顔色わるいです。休んでから行っても」


「混むと入るの大変だから。ありがとう、行こう?」


「それなら、……はい」


 すでにひとの波ができていた。毎年行われる祭りはそれなりに大きく、他県から来るほどではないにしても少なくないひとが集まってくる。

 夕方になり気温がさがりはじめても湿度は高く、ややじめっとした不快な空気がひとの隙間を埋めていた。

 となりでからころと鳴るウリハ下駄が耳に心地いい。不快感をやわらげてくれる。

 薄っすらと汗のしずくを浮かべて、ウリハはまだ心配そうに見上げてきた。きのうから刺されたり蹴られたりしてましたなどと、口が裂けてもいえるわけがない。平気だと笑ってみせた。

 いまいち覚醒しない頭でも、歩幅を調整して歩くことくらいはできる。過ごした数年でウリハとの距離感は自然とできあがっていた。少しくらい距離があいても、ウリハは無理に急ごうとしない。あせる必要はないと知っているから。

 ナシロには相手をよく見る癖があった。もとからあったのではない。暴走する幼馴染みにふりまわされて気付けば身についたのだ。

 この癖についてウリハに説明したとき、となりで聞いていたカタカは悪びれもせずテヘヘと照れながら頭を掻いて、ナシロは半眼で睨んだ。


「……一緒にお祭りに来るの、三回目ですね」


「ほとんど四年近い付き合いになるのかな……。最初にあったころに比べて、ウリハさんの印象もだいぶ変わったから」


「うっ」


「私に話しかけないでください。混血風情に同情される謂れはないです。死ぬほど嫌いなので近づかないでください……とか。懐かしいな」


「ぜんぶ覚えてるんですか!?」


 まだまだあった。


『年功序列に従って、けいしきじょうは、敬語を使ってあげます。感謝してください』

『ろくでもない人たちですね、ハッ! これだから混血ってやつはまったく』

『ノブレスオブリージュ! わかりませんよね、私が、先輩たちにしてあげていることですよ』

『友達がいないんじゃありません! 私が、気を使って、距離を取ってあげてるんです!!』 


 どれもこれも、まだトゲトゲしていたころのウリハに真正面から言い放たれた言葉の数々だ。いくらだって思い出せる。言うたびにナシロの幼馴染であるカタカに可愛いと捕まえられていた。

 ウリハは視線を泳がせ、胸のまえで落ち着きなく手を振るう。


「あ、あのときはまだ出会ってすぐでしたし、先輩たちのこと、ただの変な人としか思ってなかったんですよ……」


 耳を紅く染めたウリハはナシロの服を掴んで勢いよく引いた。

 前後にはげしく揺さぶられるナシロはまた「懐かしいなぁ」と気の抜けた声をだす。


「最初にお祭りに来たときには、少し柔らかくなってたかな? たしか、カタカにりんご飴かじられて怒ってたけど」


 知り合った時期にはその年のお祭りは終わっていて、一年近い付き合いを経て初めてのお祭りに行った。そのとき、真っ赤になってウリハは怒っていた。

 怒ったあと、カタカにおんなじ色だと飴と交互に指差され、もっと怒った。

 共有する思い出ひとつひとつを重ねていく。口にするたびにウリハの顔は紅く染まった。

 恥ずかしく、過ぎ去った過去だとしても、ひとつも欠けることなく温かさに満ちていた。


「もうっ、その話はいいんです! ほら着きましたよ!」


「背中押したらあぶないよ?」


 幼いころからなんど見ても、この光景は眩いほど特別に輝いていた。

 神社へと続くまっすぐに伸びた広い道と、その左右にずらりと並べられたきらびやかな露天。壮観に並び立つ店の上では提灯が蛍のように揺れている。

 沈みつつある夕焼けに溶け込むようにして場を埋める幻想的な明かりは、まとわりついてくる蒸し暑さを吹き散らしていった。


「きれい」


 ウリハが零し、ナシロも静かに頷く。

 はじめて来たとき、ふざけないでくださいと文句をいいながらも、ウリハは抵抗しているようすもなくおとなしく手を引かれていた。

 

「あのときもウリハさんも、いまとおんなじような顔をしてたよ」

 

 関係性は変わっても、抱いている気持ちの根っこは変わらない。そんな気がして暖かいものが胸にこみ上げた。

懐かしさを噛みしめていたナシロは、あることに気付きウリハの袖を引く。


「ウリハさん」


 先ほどまでウリハが立っていた場所に大学生らしき集団が流れこんできた。

 危ないと袖を引いたつもりだった。


「っ?」


 すこしだけ遅かった。

 押し寄せるひとに押され、ウリハがすこしよろけてしまう。

 スピーカーから広がる祭囃子の音は白昼夢に作られた世界のように現実離れした雰囲気をかもし出す。

 がやがやと雑踏を満たす話し声が、祭り独特の、浮き立つ空気を作りだしている。

 気付けば、抱き合う形でウリハを受けとめていた。


「えっと……。ウリハさん?」


「――――」


 時計の針が止まったみたいにウリハはうごかなくなった。こんなときばかり、周りの人間は好奇の視線を注ぎながらもお行儀よくよけていく。


「ウリハさん、ウリハさん? 僕もちょっと恥ずかしいんだけど!?」


 針のむしろだった。人ごみの隙間から視線をぶつけてくるなかには学校で見た顔もある。


「あ、生活指導の先生が見てる……!」

 

 おそれていた事態がおこった。教師とナシロの視線が重なる。

 数秒、向こうもぽかんと固まった。筋肉に恵まれた体格のいい体育教師がそうしているのは少しおもしろくて、気持ちは痛いほど伝わってくる。

 往来で堂々と抱き合っている教え子に意表を突かれたその表情は、徐々に険しいものへと変わっていった。

 ずかずかと怒りも隠さず大またで近づいてきた教師は、そこでやっと抱き合う少女がウリハだと気付いたようだった。たしかあの体育教師は吸血鬼の教員だ。

 懲罰部隊の威光が響く。

 ウリハの顔を視認するや否や、教員は顔色を変えて、咳払いをして去っていく。

 権力がより大きな権力に呑まれる場面を目撃し、しかしウリハを押しのけることなどできるはずもなく、一分ほど経ったころだろうか。おずおずとウリハから身体を離した。


「下心はありませんから」


「ちっとも疑ってない」


「体温とか匂いとか、意外にからだおっきいなとか、微塵もないですからっ」

 

 もっというならきっとそれは男の台詞だ。

 無言でウリハに手をひかれる。下駄を履いていることも関係なしに彼女は器用な早足でどんどん奥へ向かっていく。ひかれるままに歩いたさきには境内が待ち構えていた。

 長い長い石段をのぼって鳥居をくぐると、玉砂利がやかましく出迎えの音を発する。


「ウリハさん!」


「っ!」


 びくりと震えて、足が止まった。


「大丈夫……?」


「ほんのちょっと、動揺してました」


 それはわかる。手が強すぎるほど強くにぎられているから。

 顔だけでなく、後輩は手まで真っ赤に染めている。だれがみても動揺してると気付けるだろう。さらにウリハ自身が、手を繋いでいることに気付いていない。


「――…………」


 ナシロは気まずさを押し留める。自分よりちいさく細い少女らしい指に意識を向けないようにして、ウリハのようすを伺った。

 異様な発汗。異様な赤面、浅く激しい呼吸に、頬からは汗が一筋流れ落ちている。


「下心なんてないんです、ほんとです、ちっともトキめいてませんし、常時平常心でした」


 ぶつぶつとかろうじて聞き取れるほどの音量で言葉がしぼられる。下駄で玉砂利を掘りはじめた。突然の暴挙から白い砂利たちが逃げ惑う。

 後輩を怪獣みたいだと眺めていると、頬を叩く破裂音が鳴った。


「んっ、もう大丈夫です!」


「そ、そう」


 いつのまにか日が暮れている。

 ここにまでは提灯が用意されていなかったが、石段をのぼり明かりと喧騒がかすかに漂ってきている。

 社務所も作られている境内はとにかく広い。日中はよく子供が駆け回っている場所だ。いまはその社務所も含め、だれもいない。正真正銘ナシロとウリハのふたりきりだった。

 もうすこしはやく来ていれば、お守りなども、売っていたことだろう。


「思い出しますか?」


「ちょっとだけね」


 ウリハの言葉に呼応して、ナシロの視界にふたつ、半透明の子供の影が重なった。

 一方は自分。客観的にみる自分の姿は妄想でできている。

 だがもう一方はちがう。影は幼いころの幼馴染の姿をしていた。


「…………」


 ナシロは首にさげたお守りを手に乗せる。ウリハの視線もつられて袋に注がれた。

 ひと時もはずすことなく下げているお守りはぼろぼろで、年月の劣化だけではない、元からの縫製の甘さが伺えた。


「ナシロ先輩が、直しているんですか?」


「うん。作った人――カタカ、不器用だから」

 

 ほんとうに、ため息が尽きないほど彼女は不器用である。


「料理をすればボヤを起こしたし、道具も壊す。なんど怒られないように焦げ付いた鍋を必死になって一緒に洗ったかわからない。カタカが料理をするとき必ず横で備えるんだ。消火器は必需品だよ」

 

 思えば癖も、好き嫌いも、得意なことも。


――すべてにおなじ顔がちらついた。


 性格を映したようなくりくりとした大きな目。混血だが吸血鬼らしい白い肌。肩甲骨の下まで伸びる濃い雀茶色の髪。

 いつも追いかけたし、連れまわされた。

 記憶に多く浮かぶのは、背の上で揺れるしなやかな髪。

 不器用だった幼馴染みにあわせて、ナシロが器用になっていった。裁縫だろうと怪我の手当だろうと、いまでは迷うことなく行える。

 ナシロとカタカは、同じ混血施設の出身だった。一定数集められ混血は施設で育てられる。親のことを一切知らされることはなく、天涯孤独に。

 しかし最初から知らず、周りには同じ境遇の者しかいない。それゆえ妙な劣等感や、憧れなどを持つことはなかった。


――違うかな。


 親のことも境遇も、気にする暇もなかった。もっと手のかかるのが近くにいた。

 幼い日のことを語ると、となりに立つウリハの相好がゆったりと緩む。

 伺うようなものから、やさしい共感に移り変わり、占められていく。


「カタカ先輩はヒーローですから、ちょっとはた迷惑な」


「ほんとに」


 困った人を見つければ助けに入り、悪者の鼻をへし折りにいく。自分のなかの正しさが指す方向に、目を輝かせながら向かっていく。

 失敗すると悔し泣きしていた。一晩中。炭酸で酔って、小さな頃はそのままナシロを布団に連れ込んで眠りにつくのだ。

 施設では本来の相手から、いつの間にかカタカへと同居人が変わっていた。毎度めんどうごとに巻き込まれた。


「いつも追いかけてましたよね。カタカ先輩をとめられるのは、ナシロ先輩だけで……それで一番、被害も受けてましたけど」


「笑いごとじゃないよ……」


 口に手をあててくすくすと、浴衣の袖を揺らしながら、後輩は幸せそうな笑みをうかべる。


「でも、流されるときも多かった。とめられないこともあったよ」


 幼い日のとある夜も、まさしくそんな日だった。

 カタカと共に施設を抜け出した。お祭りに行くために。

 正確には、いやがるナシロを無理やりカタカが連れ出した。

 そう、忘れもしない。あの日もふたりでこの場所に来た。


  #     #


『ミーちゃんもルーちゃんもチーちゃんも怒られるから嫌だって……』


『僕だって嫌どけど!? 抜け出してお祭りになんて行けないよっ』


 施設の子供たちに軒並み断られて消沈したようすのカタカが腕にすがりついてきた。


「お祭りに行きたいのはわかったけど外出時間は過ぎてるし、こんな時間に外出るのは無理だって。バレたらごはん抜きじゃすまないよ」 


 言うと腕を掴む力がすこしゆるんだ。体ごと巻きつくようにして体重を預けてきていたカタカはそれでも服をつかんで離さない。

ナシロはムリムリと首をふって逃げようとした。


『…………っ』

 

 でも上手くいかない。カタカが強めたわけじゃない。

 カタカはほおを膨らませて、目に水の膜を浮かべていた。掴む力が弱くなるにしたがって水位は増していく。

 普段はひとのことを振り回してわがままばかり言うくせに、こういったときはなにもいわない。もしここでナシロが部屋に戻るよと強行すればカタカもあきらめるはずだ。

同室のナシロが慰めることになるのはまちがいない。


『――なんか、行きたくなってきたな』


『ナシロっ!』


 逃げればこの喧しいルームメイトは、一週間は拗ねつづける。布団に引きずり込まれ、毎夜抱き枕にされ、よだれが服を汚し、希少なおやつをひたすらに奪われることだろう。


『いっておくけどすぐ戻るからね!』


『準備する!』


 施設の部屋に窓はない。涙と鼻水を擦り付けるように抱きつくカタカを引き剥がし、結局よごれた服を着替えて、廊下の窓からこっそり施設を抜けだした。

 廊下に巡回はいる。それでも見回りにみつかることがなかったのは、こんなこともあるかもしれないとナシロが巡回の時間を把握していたからだった。


『さすがナシロだね!』


『うれしくないよ……』



#         #



『そこまでだッッ!!』


 夏の熱気を裂き、幼い少女の制止の声が破裂する。

周囲の人が向けていた注意を男達から子供ふたりへと変えた。

 しつこくカップルに絡んでいた男達も呆気に取られ、絡まれていた男女も、逃げだせばいいのか迷ったようすで動こうとしなかった。

 見上げるほどの身長差がある男たちを止めたのは、キャラクターのお面をかぶった幼い少女と、となりの明らかに戸惑っている別のお面の少年だった。ふたりの素顔はデフォルメされたお面に隠され伺えない。服装から性別がわかるくらい。しかし、少年の意図だけは誰が見ても明らかだった。

 止められなかったのだろう。少年の指はむなしくも必死に少女の袖を掴んでいた。その少年を引きずりながら仮面の少女は前進する。


『お兄さんたち止まって。それはよくない!』


 突如あらわれた面を被った少女は、レフェリーのように二組のあいだに割って入った。少年もずるずると引き摺られていく。


『お互い下がって!』


『待とうって言ったのに……!!』


 頭上で膨れはじめた怒気を感じ、少年がか細い悲鳴をあげる。


『大丈夫、私に任せて――ナシロ!』


『名前を言うなよ! なんのためのお面!? 僕の五百円が……』


 止めているもののカタカをする心配の必要はない。カタカは鬼吸種の混血である。

 本来は親を知らされない混血のなかで、鬼吸種だけは牙の生える位置によって親の種がわかる。そして鬼吸種は膂力に優れるという特徴がある。

 たとえ子供の体であろうとも、人間の青年に負けることなどありえない。

 まだこの頃はカタカのほうが成長は早く、ナシロよりも背がほんのすこし大きかった。

 腕力も身長もカタカのほうが上で、現にさきほどからナシロはカタカをとめられていない。

 カタカの特徴など知るよしもなく、限界まで膨らんだ男達の怒気は破裂する。

 大人気なく野太い怒声を子供にぶつけて、見ていた数人が肩を跳ねさせて散っていった。カップルも決断したのかいつの間にか消えていて、相対するのは厳つい男達と、ふたりの子供だけ。

 屋台の店主が他所でやれとばかりに、面倒くさそうに眉をひそめる。

 逃げられたことに気付いた男たちはついに我慢の限界を迎えた。

 助けは見込めず、大鎌のような足がカタカ目掛けて刈り上げられた。

 カタカは腰を落とす。慣れたように、かかって来いと鋭い蹴りを眼で捉えていた。

 脚の長さはカタカの身長ほどもあり、遠心力がかかったつま先が飛んでくる。

 関係ない。受け止めて掴んで、そのまま投げ捨てるつもりだ。カタカならば不可能じゃない。

 問題なく済むはずだった。


『ごほっ!』


 ナシロが入らなくても。

 割って入ったナシロの腹に男の爪先がめり込んだ。からだはちいさな重みにふさわしく、サッカーボールよろしく軽やかに宙を舞う。

 屋台のカウンターすら越え、射的の景品棚にぶつかった。棚が割れて激しい音を響かせる。見て見ぬふりをしていた大人たちが堪えきれずに悲鳴をあげた。

 驚いたのは大人だけじゃない。


『ナシロ――!!』


 ――だから名前っ。

 

 舌はせり上がってくる酸味のある液体を舐めるばかり。役割をまともに果たしてくれない。

 ナシロがあまりに飛んでいったからだろう。さっきまで息巻いて眉間にシワを寄せていた男たちはすっかり青ざめていた。細く「ぁっ」と声にもならない息を漏らす。

 子供の脆いアバラならば折れていて、最悪、内臓破裂もありえただろう。

 動けないナシロをみて――殺してしまった。そんな想像に頭を埋め尽されてもおかしくない。

 ただ吸血をしなくても混血だって頑丈だ。心配はいらない。


「ナシっ、だ、だ?」


 なぜか、そのことをよく知っているはずのカタカがいちばん動転していた。


――せっかく、さっき泣き止ませたのに。


 施設をでる直前の幼馴染を思い返した。せっかく危険を犯して施設を抜け出したのに、ここでカタカに泣かれてしまえばすべてが終わる。

 責任を負うのを嫌がって周りの大人が動けないなか、当のナシロは一言も発することなく立ちあがる。

幽霊でもみたように、誰もが眼球だけでナシロの動きを追っていた。

 おぼつかない足取りで、ナシロはカタカの手を取った。


『…………』


『ナシ、ロ?』


『逃げるよ!』


 全力で走った。周りが正気に戻るまえに駆け抜けたかった。

 すでに助けようとしたカップルの姿はなく、これ以上騒ぎに入る意味もない。

 意味がわかったのか、まだおどろきが消えていないのか。カタカも引かれるままに足を動かす。迷子にでもなったみたいに不安げだった。

 踏み出すたびに鈍痛が下腹部から染みだしてくる。足に伝って動きを鈍らせる。

 それでもどうにか走り抜けて長い石段をのぼりきると、本殿の土台の隙間に身をもぐらせた。


『ここなら子供じゃないと入ってこれない、から』


 秘密基地のような狭い空間なら息苦しかったお面もやっと外せる。はぁはぁと落ち着きのない吐息がナシロの口からこぼれでた。


『…………』


 カタカもお面を外すと、幼い拗ね顔があらわれる。無言のままに顔を俯けて唇を噛む表情はあの男達を倒せなかったことと、正義を満足に行えなかったこと。なにより、ナシロに怪我をさせた怒りがカタカ自身に向けられているのだと、聞かなくてもわかった。

 伏せられた目が伺うようにナシロの肩に向けられる。

 釘にでも引っかかったのだろう。服が切れ、赤い線が走っていた。

 さらに浅くだが、小さな木片まで刺さっている。見ているだけで痛々しい。

 ため息をついて、一思いに引き抜いた。どうやら浅かったみたいで血は出なかった。 


『心配しなくて良い、施設の先生も言ってるでしょ。僕らの身体ならこのくらい半日もすれば治るよ。それより、いつも言ってるけどね』


『ごめんナシロ』


『…………怒る前に謝らないでよ』

 

 出鼻を挫かれた。

 微妙な気持ちになりつつ、珍しい光景に首をかしげる。

 ぼやをおこしたとき、野犬を退治したとき、いじめっ子を殴り倒してジャイアントスイングで川に放り投げたとき、その苛めっ子をナシロが泳いで回収にいったとき。

 お説教にはいつも巻き込まれていたし、ナシロだって怒ったこともある。

 カタカに謝られたことだって、それこそ数え切れないほど何度もあった。だけど暗く重くうな垂れた姿で謝られたのは初めてのことだった。

 いままでになく派手に飛ばされたからだろうか。木片を気にしているのか。

 カタカの幼いてのひらは固く握り締められている。

 木組みの隙間は熱気がこもる。光が差し込まないほとんど真っ暗な空間だ。


「ごめん、ちゃんとナシロの言うこと聞くべきだった」


 遠い祭囃子だけが狭い空間に木霊していた。普段と様子がちがう幼馴染みを前にして、とある場違いな感想が浮かんでしまう。


「あれ……?」


 眼を伏せる幼馴染を、綺麗だと、思ってしまった。

 ずっと一緒のはずの幼馴染は見たこともない表情をしていて、妙に速い心臓の音を無視するには、ナシロの人生経験値は絶望的なほど足りていない。

 よく知るはずの幼馴染みが、知らぬ間に大人になってしまったかのような焦燥感にも似た熱が胸のなかを駆け回る。

 いつの間にか鈍痛も消えていた。こんな場所に打開策など落ちているはずがないのに必死に視線をめぐらせる。

 考えていた文句はどこかにいってしまって、なにも代替案が浮かばない。

 顔が無駄に熱かった。

 互いのおねしょの回数からホクロの位置まで知っている。そんな知りすぎている幼馴染みに、なぜかいまの自分の表情を見られるのだけは、嫌で嫌で仕方がなかった。


――なんだこれ!?


『ナシロ? なんでお面、かぶりなおすの? 痛いの隠してるの?』


『別に。――ない』


『?』


『なんでもないっ!』


 わけがわからなくて、噛んだ。声も裏返った。

 外れるな、めり込んでしまえとお面を自分の顔に押し付けた。

 カタカをみてこんなよくわからない気持ちになったことがなくて、急に知らないひとになったみたい。


――籠もった熱気に、頭も心もぐちゃぐちゃにされたに違いない。


『んんっ! ……カタカ、もう帰るしかないよ。ここにいるのは危ないよ』


『うん。……わかった』


 落ち込んだまま、それでも自分が悪いとおもっているのか不満もいわない。

 あれほど、泣いて喜ぶほどいきたがっていたお祭りを、大して楽しみもせず帰るのに。


『カタカっ』


 彼女の行動は間違ってなどいないのだと、いつもみたいに正義で、正しかったと伝えたかった。

 呼ばれたカタカが振り返る。見知っていて、それでも見たことのない、しっとりと濡れた瞳がこちらを じっとみつめてくる。

 狭い視界は、カタカでいっぱいになる。

 いうのだ。間違ってないと。そう、おもっても。


『………………ご、めん。なんでもない』


 いえなかった。喉の奥からは、どうしても言いたい言葉がでてこない。

 首を傾げて、『ごめんね』とまた謝るカタカをまえにして、僕こそごめんと、聞こえないほどちいさな声で謝った。


   #     #



「せんぱい?」

 

 あのころよりも高い視線で、屋台の光を境内から見下ろす。過去を思い出しながら、ナシロは抜け出したあとの騒ぎを思いだしていた。

 苦笑と、すこしの、言いようのない感情を浮かべて。

 視線を移し、本殿をじっと見つめる。

 そんなナシロを不思議がり、心優しい後輩が心配そうに顔を覗き込んでくる。


「もう入れないなって、思って」


 子供が四つん這いでどうにか入れた本殿の下だ、いまのナシロでは入れない。

 あのときおもったことを、結局一度もいえていない。

 お守りは、あのあとに貰った。

 

――貰ったというより、被った、んだけど……。


 なんだか申し訳なくて、買うお金はなくて、神社から帰るまえに社務所の閉じた窓の向こうに置かれたままだったお守りを、見よう見まねで作って渡した。


『『?』』


 わたしたときは吐息が重なり、直後にカタカが同じ形の白いお守りを取り出したのには驚かされた。同じ手作りのお守りだった。

 なんてことはない。幼馴染み同士で同じことを考えていたんだ。行動が重なったことが妙に気恥ずかしかった。

 言葉を交わさずともふたりで受け取って、交換した。

 ナシロは、カタカの作ったお守りを。

 カタカは、ナシロの作ったお守りをもっている。

 以来、ずっと身に着けている。まともに経験のない子供の手作りで、本物には遠く及ばない。

 カタカは特に不器用で、あのとき、作った手にはちいさな傷がいくつもあった。


『私のぼろぼろ……』


 同じ形、同じ物を理想としていても、できあがりは違う。

 走り回るカタカがやりすぎないように助けていたナシロは、裁縫の経験もそれなりにあった。それだけだ。


『う、ごめんナシロ! 作り直すから……』


『これがいい』


『な、なんで? ぼろぼろだし、破けちゃうかも』


『カタカが作ってくれたから』


 自分でつくった中途半端に綺麗なお守りよりも、ずっと輝いてみえる。

 細かい作業が苦手で、同じ作業をしてもナシロより何倍も時間がかかる。なぜならカタカは種族的に力が強い。細かい作業はひとの何倍も苦手なのだ。

 針を何本折ったのかわからない。指をなんかい刺して、どれだけ血を流したのか。


「ありがとカタカ、うれしいよ」


 気付かれないようにこっそりと縫っていたに違いない。涙を浮かべながら奮闘する幼馴染の姿が浮かんだ。

 あのときお祭りで感じた違和感も消えていた。きっと気のせいだと思った。目の前にいるのはよく知った手間のかかる幼馴染みだ。

 もういちど御礼をしてナシロがぎゅっとお守りを握ると、カタカは『でへへ』と溶けるような笑みを浮かべて、胸に飛び込んできた。ナシロは転んだ。支えきれずに頭を打って耐え切れずに「うぐ」と呻いた。


『来年こそは無事にお祭り!』


『懲りないな……』


 文句をいいながら、次の年も抜け出した。

 お守りをみるほどに、記憶と懐かしさがこみあげてくる。

 貰ってからも何年も経つうちに、なんども直した。紐が切れたことも一度や二度ではない。袋がすこし破れたこともある。

 数え切れないほど直して、原型は薄れてしまっている。しかしあのときの温かさも輝きは、欠片たりとも薄れていない。


「先輩」


「んっ?」

 

 ウリハのてのひらが、想い出に浸っていたナシロの頬に添えられた。

 頬に唐突に触れる体温と少しだけ冷たい後輩の指先が、沈んだ思考を浮かびあがらせる。

 遠く去りかけていた意識が、目の前へと引きもどされた。


「先輩、この数ヶ月で急に変わりました。…………大人っぽく、なりました?」


――疑問系なんだ。


 頬をつままれて喋れないまま首だけを傾げると、ウリハは物寂しげに微笑む。


「好きです。先輩のその表情。――カタカ先輩も、おんなじこと言ってたんですよ? 困ったみたいに笑った顔が、先輩の表情のなかで一番好きだって。私もおんなじです」


「いつも困らされてたから」


 きっと一番カタカにみせていた表情は困ったように笑ったものだ。それが好きだというのもどうなんだとナシロは思う。

 すこしだけウリハの手から力が抜ける。

 ひとつ年下で友人として好ましく思っている、友人としての贔屓目を抜いても可愛らしい少女に頬に触れられている。困惑が隠せるはずもない。

 男のものとはまるでちがう、筋肉など感じさせないやわらかなてのひらだ。

 振り払ってしまえば傷つける気がした。対応に迷い落ち着きなく腕を上げ下げしてしまう。

 普段ならば、まずないことだった。だからこそ余計に緊張してしまう。

 後輩の少女はいつも、必ず一歩分は距離を開けてとなりに並ぶ。

 気遣い屋のウリハなら、ナシロの困惑にも気付いているはずだ。それなのにまるで、自惚れでなければ、離すことを嫌がっているかのように手を動かそうとしなかった。


「なにか……あったの?」


「先輩は、なにも無いですか?」


 じっと、痛いほど真っ直ぐ眼と眼を合わせて聴き返される。

 ウリハの意思が水になり、奥の深くまで流れこんでくる。

 異様にも思える静かな声は、ともすれば威圧にも聴こえた。

 だから答えた。


「いつもどおりだよ」


 ナシロの表情は、ぴくりとも動かない。


「……――なら、いいんです」


 十秒ほどして、ウリハは静かに身を離す。そしてずっと繋がれていた手にやっと気付いた。


「ごめんウリハさん、すぐ離す」


 ナシロがはなそうとした手をぎゅっと、ウリハの手が握ってとめた。


「えっと?」


「もっと強く、痛いくらいに、握って欲しいです」


「――――」


 何もいわずにほんのりと込める力を強めると、ウリハの頬は嬉しそうに淡くゆるんだ。


「先輩、りんご飴食べたいです。おごってください」


「いいけど、お参りはいいの? いつもしてるのに」


「今年の願掛けは、もういいんです。それより飴です。前は丸々一個たべられなかったので!」


 もう行こうと歩きだすなかで、ウリハは一本だけ小指を立てた。

 応え、手をつなぎながら小指をからめた。

 悲しいほど、気付こうとしないまま。

 隠し事だけがふたりの間で膨れていく。


「それと先輩、次はデートしてくださいね」


「えっ」


 空虚な祭囃子が響き渡る。耳に痛いほど、強く。

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