第8話 完全と不完全

 前回のあらすじ。

パペットと聖呪器により位階六位の側近である二人を打倒することに成功したナシロとユウヒだったが、その直後に仇であるギュンター・ゼクスト本人が現れる。

難を逃れたものの、ユウヒは仇の一端である側近を殺したことで動揺している自分に気付き、激しい自責の念に駆られてしまう。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――-




「しばらくひとりにして」


 ナシロの家で膝を抱え部屋の隅に座り込みながら、ユウヒは自分の腕に爪を突き立てた。ナシロは何も言わず、家を出て行く。

 ギュンター・ゼクスト。位階の六番。純血のなかの一握り。

 男は宣言通り配下の遺灰を回収すると、こちらには見向きもせずに去って行った。

 恨み言をぶつけるでもなく、愛臣あいしんを殺された暗い感情も向けることもしなかった。

 同行していた少女だけが、苛烈なほど露に感情をぶつけてきていた。


「まだ、残ってる……ッ」


 家主のいなくなった一人きりの部屋で少女は手を痛いほど握りこむ。ギュンターが現れたことで薄れた震えが舞い戻り、しつこく指にこびりつく。

 敵の女を殺した動揺は、奇しくもギュンターの登場で混乱が深まったことで表から消え、沈んでいった。だが深く荒れる感情は、自分でも制御することが出来ない大きな潮流となって心をいびつに削り取る。

 仇を目の前にして、なにも出来なかった自分。

 敵の端を殺して、それだけで座り込み、武器を手放してしまった自分。

 ユウヒが思い出すのは、家族との最後を思い出す。


 ある場所にとても仲の良い一家が暮らしていた。

 三人家族。のちに娘が増え、四人家族となった。

 姉になった少女は大層喜んだ。妹を深く愛し、可愛がった。

 妹は病弱だった。

 寝込んでいることが多く、家からほとんど出ることもできない。

 少女はそんな妹とは対照的に、活発に信念を抱きながら育っていった。

 妹を守るため、身を守る術を学んだ。妹の体調に合わせるため、様々な知識を蓄えた。

 両親はそんな姉妹の姿を見ながら、沈んだ感情をどうにか保って、探し回った。

 妹は長くは生きられない体だった。両親はどこからか情報と伝手を手にいれた。

 それはひとでない超常の生き物との繋がり。悪魔でも天使でも神でもなく、現実的な生物とのつながり。

 ある日、妹の車椅子を押しながら、両親が言った。


「出かけてくる。少しかかるかもしれない」

 

 不安はあったけれど、少女のなかではもっと大きな感情が膨れていた。

 帰ってきたら、妹の身体はよくなっている。

 両親がユウヒの手を握って教えてくれた未来は、ずっと寝たきりの妹を見てきた彼女にとって世界が変わるほどの朗報だった。

 

「おねえちゃん、わたし――戻ってくるから」


 妹との言葉が気になったけれど、帰ってきたら外で遊べる。買い物にもいけるし、一緒に学校にも通えるかもしれない。 これからは楽しいことも大変なことも、一緒の時間で共有できる。

 ベッドに横たわってすこし寂しそうにせがんでくる妹に今日の出来事を語らなくても、手をつないで、となりで感想を言い合えばいい。

 不安を期待で包み込んだユウヒ、は家から一歩も出てはいけないという両親からの言いつけをひたすらに守って、待ち続けた。

 両親の書斎にあった古ぼけた書物を読んだ。人ではない者達の世界を学んだ。

 聖呪器もパペットも純血も。

 一歩たりとも家から出ずに、ひたすらに知識を蓄える毎日。

 少女は聡明であった。何度も読み返されたであろうよれたページに書いてあることこそ、両親が縋り、妹が救われる方法なのだと推測し、可能性を探れる程度には聡かった。

 そして時間がかかりすぎていることも、理解することができてしまった。

 半年間。一歩も外の空気を吸うことなく過ごし続け、備蓄食料がなくなったころ、外から扉は叩かれた。

 そこには淑女然とした女がひとり、立っていた。

 ご両親に代わり迎えに来たと、少女に深く一礼しながら。


「父さん、母さん。……朝顔。ごめんね」


 思い出す。むかえられ、屋敷でギュンターに見せられた家族の姿を。

 あのおぞましい、石で出来た表情を。

 贖罪に成りきらない言葉はあまりに弱く、不甲斐なさで出来ていた。

 暗い部屋には身を萎ませたひとりの少女の姿しかない。


 #     #


「しばらくひとりにして」


 ナシロは逡巡し、先ほど入ってきた玄関からまた外へと足を向ける。

 深く吸い込んだ空気が生温かい。すっかり昇った日が建物どころか町全体を温めていて、夏の空気は湿度も高く汗は止まることを知らない。袖で額を拭いながら手を握り込んだ。


「冷たい」


 指先だけは体温が逃げ去っていた。熱を増していく身体のなかでそこだけが数時間前のできごとの存在を証明している。

 まだ身に薄く残る吸血の効果で鋭くなった聴覚が、ドア越しに部屋の声を拾いあげる。すり潰すように抑えられた自責の声が……家族への、妹への謝罪の声が、繰り返し聴こえていた。

 ナシロは思う。例えどれだけ悔しさが身に溢れようとも、逃げ道が作られようとも、一度始めた復讐をユウヒは投げだすことはしない。


――――否、できないだろう。


 たとえ一時身を休めようとも、ユウヒの復讐にかける想いは重く、厚すぎる。他者から見れば悲惨なほどに、彼女の深くに根を張っている。

 聞こえてくる声が少し水気を含みはじめたことをきっかけにドアから背を離して階段を下りた。足音をわざと大きく立てながら。

 首から下げられた小さな袋が揺れる。

 よく見るとそれはボロボロのお守りで、小袋は裁縫が甘くなっていて、日に焼けていて、直した跡がいくつもあった。

 意識しないまま、ナシロは袋に手を添えた。


『おにいさん、通じてる?』


「――――、大丈夫だよ」


 がさごそと、手に持つリュックが紙を吐き出す。敵を倒したあとに道具屋の元へ送り出していた一番目の子蜘蛛は、支障なく機能していた。


『どうにかこっちは隠れられたよ。いまは一息つけてるところ。それでご注文の聖水三つなんだけど、ちょっと時間かかりそう。あれは作らないとだから』


 頼んだ物は二人分。敵の住処に潜入するために必要な二個と、混血のナシロが町から脱出するための一個。


「驚いた。作るの?」


 道具屋は軽くいうものの、あれは聖職者しか作れないはずだった。欲に真っ直ぐな道具屋の少女を思い浮かべるが、彼女が聖職者だとはとても思えない。


準秘蹟じゅんひせきだったよね、聖水作るのは」


『道が深く広くなれば裏道だって広がるよ。だいたい一週間で用意できるとおもう。……だから、ね?』


「もちろん、わかってる」


『やった!』

 

 純血に襲われて家を失ったというのに、パペットが感情を拾い文字に反映させていているのだろう、文面に載る道具屋の文字からは喜びが強く感じられた。

 文字は踊り、覗くと心なしか文字を描くパペットですら楽しげに筆をふるっていた。

 その変わらない調子に肩から力が抜けていく。張り詰めていた糸がやっと余裕を取りもどした。


『輸血パックも用意しておく? 正確な混血の資料は少なくて、おにいさんのほうが詳しいでしょう?』


「パックはいらない。正直なところ自分でも、飲んでなにがおこるかわからないんだ」


 純血を研究する錬金術師は多い。錬金術師の主な思想のひとつに完全を目指すというものがあり、吸血鬼の純血はヒントとなるからと。対して、混血の研究は進んでいるとはいえなかった。

 そもそも混血が世界でもせいぜい数百人しかいないことと、混血の研究をする物好きがまずいないためだ。

 錬金術師としても、純血に比べて完全完璧にはほど遠い混血を題材とする意味は薄い。

 混血は血を吸うことも戦うことも禁じられていて、混血を研究したところで金銭などの実入りも少ない。混血の研究を中心とする者は娯楽や、道楽、または偏執に近かった。その道楽に興味津々なこの筆談相手は、少数派に含まれる。


「パックの代わりにいくつか爆発物を用意してほしい。……報酬が足りるかは、わからないけど」


 報酬がどの程度の希少度を持っているのかわからずに伺うように聞いてみる。

 紙は予想よりも荒っぽく吐き出された。


『なに言ってるの、血だけじゃないよ! 皮膚も髪も目も臓器も翼も唾液や汗だって、もっと言えば牙! おにいさんのぜんぶに価値がある! 絶対数が少ないせいで市場にまず出回らないし、欲しがる人は少ないけど、言い換えればレアだし。しかも、しかも加えてユウヒおねえさんの血まで!! もちろんおにいさんが追加で報酬くれるなら断らない。戦うのが目的だって言うなら障害にならない範囲で、髪とか、ちょっとの皮膚とか、あ! そうだなら男性――』


「ペンが折れた……圧を抑えて」


 男性。その先に何が続こうとしたのか。か行だろうか。クモがペンを折ってしまった。


『――途切れちゃったけど、貴重なものが何の検閲も通らずに手に入るんだよ? 報酬としてはよだれが出ちゃうよ? 爆弾くらい安いもんだよ?』


「……パペット、音を書かなくていい」


 予備のペンにより、じゅるりと大きく書かれた紙が一枚、押しだされてくる。


「ならよかった。なんにせよ僕が持ってる混血の知識もたかが知れてる。養護施設で受けた講習もほとんどは純血が偉大だって話で、あとは身体的特徴と、禁止事項くらい」


 組織自体、混血の知識が万全とはいえないのだろう。講習の多くは純血に関する説明が占めていた。だが一方で、混血は中途半端な生き物だとも説明を受けている。

 牙も翼もあるが、一方のみ。

 血を吸わずとも生きていけるが、血を吸えば吸収されて機能する。

 まさしく混血であり半分。どちらにも寄れない。そう繰り返し教え込まれた。

 多少なりとも、差別意識も存在している。劣った存在と見られがちになる。

 混血は、深く自分たちのことを調べることすら禁止されていた。

 もちろんこうして血を代価にしていることも、当たり前に禁止事項に触れている。それはもうベッタリと。知られれば、叱責だけでは終わることはないだろう。

 道具屋にもっともっととせがまれて、なけなしの知識を言葉にした。口にしていて思うのは道具屋のほうが知っているのではないかという予感。

 裏付けるように蜘蛛が静かに筆を走らせる。


『ある種の食事だけで世代を超えずに進化する完全生物の卵みたいな純血と、短命で虚弱、いくつもの世代を跨がないと進化もできない人間。混血はふたつが混ざって、完全と不完全が、一個の器に同居してできあがるんだ』


「君の研究思想?」


 完全と不完全。矛盾が、矛盾せずひとつの器に収まっている。

 吸血鬼の至上命題は真祖に至ることである。血の質、量を高めると近づいていく。まずは位階に。やがて真祖に。

 吸血鬼は子を必要とせず、真祖という完全に至る卵と捉え。

 人間はその逆、多くの時間と世代を巻き込み進化する不完全。

 と、道具屋は捉えているようだった。

 実際は違う。


「純血も世代を跨ぐよ。保険をいくつもかけながら進化していく」


『いくつも方法があるのはしってるよ。ひとくちに吸血鬼っていってもそれは総称で、純血だけで四種類の吸血鬼がいる』


 ほとんどが他殺で命を終える吸血鬼は、子を要する。自身の血族から真祖を産むために手を尽くす。後輩であるウリハのような第二種純血もその一環だった。

 おなじ吸血鬼の純血でも、鬼吸種と鱗吸種など、別の純血を重ねて産まれる子供は第二種純血に分類される。 純血至上主義が強いため敬遠されがちな手法であるが、後輩であるウリハはこの第二種だ。

 ただ道具屋の持つ思想もまちがってはいない。死にさえしなければ吸血鬼は世代など跨がずに進化し、真祖にまで至れるのだから。


『輸血パックの問題、もし、おにいさんが身体をじっくりねっとり詳しく調べていいって言うのなら、話は別になってくるのだけども……?』


「時間が無いかな」


『――――ぶぅ。ならいいよ。採血だけで我慢する』


 それから日程を決めた。

 聖水を作るのに数日。完成後、道具屋のもとで血を抜き品物と交換する。

 取り決めを最後に子蜘蛛を消そうとしたところで、急いだ様子で紙が出てくる。


『純血だけじゃなくて混血も、血を吸うと進化するらしい。それも、変わった進化』


「……?」


 蜘蛛がぴくりと震えたのは、道具屋のなにかを感じ取ったのかもしれない。

 記されていたのは先ほどよりも整った文字で一行だけ。


『混血の進化は、完全と不完全が同じ歩幅で近づいて来る』


「…………ごめん、どういう?」


『って聞いた。くわしくはわかんない。小耳に挟んだだけだから』


 そんな無責任な言葉を残し、『じゃあね』と続いて子蜘蛛は沈黙してしまう。


「なんだそれ……」


 ナシロはひとりになってしまった。

 どういうことだと首を傾げていると視界の端に、一枚のポスターが映りこむ。

 幼い頃から手を引かれて行っていた、すこし大きな神社で行われる恒例行事だ。公民館に張られた濃い藍色が印象的な大きな絵は、行事が近いことを示していた。

 疑問が解けることはなかったが、別の約束が頭を染めた。


「――――」


 ひとつの約束。

 ナシロはある人物に連絡をいれる。

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