第7話 灰棺

 前回のあらすじ。

復讐のため、ユウヒは憎悪する吸血鬼に血を捧げる。

血を捧げた者、飲んだもの。どちらの肉体も一時的にだが強化される。

監視カメラに映る位階六位の側近が、今まさにナシロたちの潜むビルへと飛来した。

ユウヒの血を飲んだナシロは単身で側近ふたりを蹴りつけた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



  ナシロは、速度に比例して勢いよく飛んでいく男女をみつめる。

 完璧。ナシロが仕掛けた不意打ちは誰が見てもそう評するほど見事だった。

 ギュンター・ゼクストが背負う家紋を翻らせた男女ふたりが道具屋の拠点である ビルに迫っていることは監視カメラの映像もありすぐにわかっていた、だからこそビルの別口から出て潜み、横からの不意打ちを仕掛けることができた。

 敵はすでに足場から跳んでおり弾丸さながらの速度で空中を滑空していたのだ。視界には目標であるビルしか捉えてていなかったはず。不意打ちとしてはこれ以上ないタイミングだった。

 そのはずが直撃の寸前、横合いから迫るナシロに気付いた敵はコンマ数秒の間に吸血鬼の特徴でもある翼を展開して挟みこみ、衝撃をやわらげていた。

 あの一瞬で避けられないと判断して、翼で受け流すように蹴りをいなしたのだ。

 どれほどの経験を積み重ねれば可能なことなのか……。吹き飛んだ男女は危なげなく着地する。

 並びあい相談をはじめた。


「ふむ。どうするディアーナ、図らずも二対一になってしまった」


「少女は逃がしたようですね。まぁいいでしょう、大差はありません」


 無言のままアスファルトに立つナシロはフードを被り直した、道具屋に借りた包帯でも顔を隠している。唯一、目元だけが露出していた。

 左右のビルから影が差し、幅のひろいこの路地裏は街中でありながら人の気配が感じられない。数年前までは活気に満ちていたこの一帯も、吸血鬼同士の争いにより複数の建物が崩落する事件があってからは変わってしまった。

 事件の理由が一般に公表されなかったためにいくつもの憶測が生まれ、修繕も終えないままで放置されて、最後には誰も寄りつかなくなった。

 その寂れた場所で、三人の吸血鬼は向かい合う。 


「所属を明かしなさい。私たちが誰の遣いかを理解しての凶行ですか」


 問いかけに答えない。数分、「そうですか」と女は冷めた声を発した。


「では邪魔です。そこをどく気がないなら大人しくしていて下さい」


「…………」


 張り詰めていく空気――――壊したのはナシロ。

 一気に転進する。ユウヒの血で強化された脚でビルの壁面を交互にを蹴りつけ、屋上まで一息に上っていく。

 視界がひらけ、頭に地図を描いた。


「おっと?」


「追いますよ」


 敵対もせず逃げるとは思わなかったのだろう。敵も呆けたあと、同じように壁を蹴りつけた。

 速い。動きに一切の無駄はなく最短で追ってくる。

 背後から注がれるプレッシャーはやむことはないのに、足音だけが聴こえてこない。異様な状況が不気味さをより強めていた。

 敵はただの純血ではない。ギュンターの側近ならば眷属になっているはず。

 吸血鬼の結ぶ契約の一種である眷属になったからといって、能力が増えるなど目立った変化は発生しない。純粋に、肉体の限界値が引き上げられる。

 背後から追い立てるように男の声がした。


「纏う紋の示すとおりに我らは第六位様の眷族だ。君がどう足掻いたところで、御名を背負う我々から、逃げることなどできはしないよ」


 余裕を隠す気もない声音。一段階、男たちのギアが上がる。速度が爆発的に増加していく。

 眷属とは吸血鬼同士が血を媒介として結ぶ契約である。効力は単純であり、主となった者の能力値が高いほど、眷属の力も強化される。いわば主に引き上げられるように、眷属の肉体も強化されていくのだ。

 ここにひとつの単純な図式がある。

 人間よりも混血がつよい。混血よりも純血がつよい。ただの純血よりも位階保有者がつよい。

 眷属はこの図式に介入する。背後の敵は眷族となったことで通常の純血よりも位階保有者に近い。

 ただの混血でさえ純血との差は大きいというのに、ナシロと敵との実力差はさらに開いていた。

 ナシロは振り返らない。そうすれば最後、取り返しのつかないことになるとわかっていた。建物から建物へ跳び、室外機を避け、踏み切る。

 屋上から宙に身を躍らせる。フードがはためく。足場は無い、地面はとてつもなく遠い。

 浮遊感。加速しながら体は地面へと急速に近付いていく。映画フイルムのように窓が下から上へと流れていった。


「ぐッ!」


 五メートル近く落ち、脚から伝わる衝撃音が脳にまで響いた。コンクリートを割って着地する。

 同じ高さから追手の男女も降りたはずだ。しかし背後で鳴った足音は小鳥が降り立ったような微かなもので、距離はいつのまにか手が届く寸前まで迫っている。ビルの森を駆け抜けながら頭のなかでうるさいほど警鐘が鳴っていた。

 挌上だった、それも圧倒的に。まだ誰もパペットすら出してはいないのにそれがわかる。

 パペットは吸血鬼の根幹であり力の芯と言ってもいい。形は様々で能力も膨大。さらにそれだけはない。どのパペットも肉体的、精神的な負担を肩代わりするという特性をもつ。

 。たとえ呼びだしていない状態でも半分はパペットが背負う。痛覚や疲労もパペットが生きている限りは軽減される。吸血鬼の超常的な戦闘ではパペットを隠す戦い方すらある。

 パペットを隠す理由はリスクがあるから。

 パペットが殺されたとき、負担はまとめて戻ってくる。倍の痛みと、倍の苦しみが、一息に襲い掛かってくることになる。

 パペットはいちど殺されてしまえば、すぐにはだせない。

 場合によっては吸血鬼本人が負傷しようとも、パペットを優先する場合すらあるほど、吸血鬼の戦闘ではパペットの使い方が肝になる。


「もういいでしょう」


 女が高く飛びあがり、ナシロを飛び越え、目の前に立ちふさがった。

 やむを得ず脚を止めると、当然ながら。


 ――――挟まれた。


 前門、後門、共に純血に塞がれる。


「待ちたまえよキミ。ここならちょうどいいだろう。邪魔も入らない」


 気付けば、足元に大きな影が落ちていた。

 病院でも建てる予定だったのか、異様に巨大な鉄サビ色の建物がカバーもなくそのまま放棄されていて、太い鉄骨がところどころむき出しになっている。三人が立つ広場は駐車場の予定地だったのかもしれない。優に数百台は停められそうだ。


「一言も喋らず、所属も明かさず、少女が逃がすための時間稼ぎですか。確かに有効です。そこの男が部下もさがらせてしまいましたし、今回もまたあの少女を逃がしてしまうでしょう」

 

 靴を滑らせると砂粒が歯軋りに似た音が立つ。半歩さがるようにして、ナシロは腰を低くする。互いに手が届く一歩手前。もし敵が武器を隠してるなら、ナシロすでに射程圏内に入っている。 


 ですが、と前置きして女はつづけた。


「少女は逃がしても、貴方を生け捕りにするくらいは造作もない。自決も許しません」


女の視線は鋭く射抜くようなもので、次は転進しようと逃がさないという確固たる意思が込められていた。


「待つんだディアーナ。私がやろう」


「マルセル、あなたね……」


「知っているだろう。私にも流儀があるんだよ」


 あきれる女を押しとどめ、男が前にでた。


「少年。名乗らない君とは別に、私は名乗る理由がある――」


 男は笑い、


「失礼」


 男の手がナシロの腹に添えられていた。

 予備動作無く踏み込まれた。。

 これぞ眷属の力だと言わんばかりに莫大な力でもって高く高く、数十メートル空まで打ち上げられ、建設途中の太い鉄骨に落とされる。

 鉄骨が震えて背骨が軋む。ナシロのからだが反り返る。

 鉄骨と背骨にプレスされた肉がイヤな音をあげた。


「……ぅっ、ゴホッ!?」


 建物にして十二階の高さを何の準備もなく投げ上げられた。

 抑えていたものをかみ殺しきれずに肺が歪んで声が出る。。

 

――――吸血してなかったらやられてた……ッ。

 

 激痛に身もだえ、体を丸める。


「その声、やはり同性で、すこし幼い。肉体年齢は十代ほどかな」


 気付かれた。年齢も読み取られる。隠していた情報を抜き取られる。

 距離をあけて男も別の鉄骨の上に降り立っていた。舞台は地上数メートルに塗り替えられ、強風で足場全体が低い唸り声を上げている。


「そろそろ名乗ってもいいかな?」


 暴れるマントを意に介さず、男は気取った笑みを浮かべた。


「我が名はマルセル! 歴代二人目の真祖、深山王フランキスクスが作り源流とした槍術の使い手にして、現第六位、ギュンター・ゼクスト様の第一の側近!」


「誰が第一ですか……」

 

 マルセルと名乗った男は仰々しくも誇らしげに名乗りを上げた。

 中世未明、人間の決闘を見たひとりの純血が考案し、広まった作法。この作法を遵守する一部の吸血鬼は一対一を好み、名乗りを上げる。

 女は呆れた目で、下からこちらを静観していた。


「従える眷族は無く、半身たるパペットは身に針を湛えし勇壮なる」


 続く。ナシロは起き上がる。

 口元を隠す包帯を荒っぽくずらした。

 息を吸った。まだ背は痛いが口は動く。舌を慣らす。

 軽快に名乗りを上げる男はまだ気付いていない。


「六秒かな」


「…………あまりに無粋だ。君も吸血鬼ならば名乗りを妨害しないのが暗黙の了解だと知っているだろうに」


 暑いのを我慢してずっとかぶっていたフードを下ろした

 しゅるしゅると、顔の包帯もといていく。


「あいにくと、純血のルールには明るくないんだ」


 言葉の意味がわからないと、男は疑問符を浮かべて手を止めた。

 包帯は何重にも重ねて巻かれている。上から順に、顔のすべてに風に当たるのはまだ時間がかかる。


「ユウヒさんが町を出ていないことはどうせ掴んでいたんだろう、彼女の目的は、きっとアンタたちの予想通りだ」


「共謀を認めるのかい……? なら君の目的は」


「アンタたちの主を殺す以外に何がある」


「――そうか。ディアーナ、絶対に手を出すな」


「そう」


「貴様を殺す」


 男の宣言と共にナシロの包帯が完全に落とされる。鉄骨の隙間からひらひらと強風に煽られた包帯は、しかし不自然な軌道を描いた。


「繰り返すよ、六秒だ」


 男は気付いていない。

 背後から白い影が忍び寄る。


白蜘蛛パペット。繋ぎ繋げる一番目ブロートン・パペット


 ぼそりと自由になった口をあけて声を出す。

 呼びながら、ナシロは跳んだ。男の背後に潜んでいた白蜘蛛は声に応えて二匹の子蜘蛛を生みだした。

 白蜘蛛の身体からあふれ出たのは意思共有の一対の子蜘蛛。道具屋に出向く際にユウヒとの通信に使った一番目の子蜘蛛だった。


「っ?」


 男がくぐもった声をだす。三匹の蜘蛛が、鉄骨から男を突き落とす。

 今まさに跳びかかろうとしていた男の力を利用した蜘蛛は、さらに男の首に糸をくくった。

 男の足が宙に浮く。

 勢いをそのままに首吊りになる。


「あまり俺を甘く見るなよ」


 はずだった。だが自身の首にかけられた糸を掴んだ男は踏ん張る蜘蛛を重石として身体を振り、縦の鉄骨に足をつけると体勢を変え、伸びきった糸を蹴りつける。

 位階保持者、六位の側近が放つ回し蹴りを、繋がったままでいる蜘蛛は耐えることができなかった。

 引き寄せられる前に自らの糸を自切する。

 解放された男は次の鉄骨に狙いを定める。落下しながら翼を展開して空気を受ける。

 すでに跳んでいたナシロの手には蜘蛛の糸で編まれた三叉の槍が握られていて、刃先が男の心臓を狙い定める。


「着地前に狙われようと、お前程度に止められるものか!」

 

 男の背から展開された鈍い黒の両翼は、風を受け止めることで鉄骨に辿りつく必要すらなく迎撃準備を整えていた。


「アンタは強いよ。僕よりも確実に強い。でもそれをアンタ自身が知らないんだ。だからアンタ蜘蛛と僕がいる上を警戒しないといけなかった。下なんて見向きもしなかったんだ」

 

「マルセル!!」

 

 不自然な光景を見ていた女が気付くと同時に叫びを上げた。だがもう遅い。

 男が顔色を変えたのは、自分の身体が空中にいるのにも関わらず完全に静止してからだった。

 まだ鉄骨に届いていないのに男の体は落ちることなく空中で留まって動かない。

 広げた両翼もそのままに、時間が止まったかのように投げ出されている。

 白蜘蛛がキシキシと不気味な音を奏でた。

  

「アンタは僕を建物の上まで投げ飛ばした。自分も上まで跳んできた」


「貴様の巣か……、一体いつから」 


 誰も骨組みの隙間は通っていない。

 流れ作業のようにナシロは握った槍を突き出した

 なにもわからず、男は自分の胸元をみおろした。

 その一瞬だけは、ナシロの存在が頭から抜け落ちていたことだろう。

 

「もがいていいよ。六秒くらいは止められる」

 

 突き抜けた槍の先端が、赤い塊を咥える。


「…………あっ」


「その前に終わるけど」


 怯えたフグのように膨らんだ赤黒いかたまりは、ぴゅっと小さく液体を流す。

 原則、膨大な生命力を保持する純血を殺すには、確定的で、絶対的な死が必要である。

 生命活動の絶対的な停止。主に頚椎、頭部、心臓の完全な破壊。及び摘出。

 純血が不死に近いというのは戦いにおいて急所しか致命傷にならないためであり、誰もが優先的にその場所を守る。だから殺せない。だが、巣に捕らえられているのであれば話が変わる。

 たった六秒は、取り返しのつかない停止に変わる。

 抜き出された心臓が、血を吐きながら萎えていく。

 聖呪器でなくても仕留める方法がこれであり、男の眼がナシロを捉えた。


「ここはいい場所だよね」


 敵がナシロたちの目的から道具屋に来ることは読めていた。ならば敵の動きを逆算できた。

 街には複数の道具屋がいた。誰を選ぶのかを決めたのはナシロだ。場所も、向かう時間も、周辺状況すらナシロが管理し、操作する。

 選んだのは混血に興味があり、人通りがなく障害物の多い地点に住んでいる道具屋。


「経験を積んだ数百年を生きる六位の眷属だろうと関係ない。半身である白蜘蛛パペットがどういった戦い方をするのかは僕が一番知っている」

 

 戦い方も立ち回りも、白蜘蛛に合わせて整えた。

 饒舌にまわる口元は遮り無く男の視線を受け止める。


「歯列に片牙、……混血か!」


 苦しげにもらす高潔だった男の瞳には一瞬で軽蔑が、そして絶望に満ちていく。


「俺は、混血にやられるのか…………?」


「動かないほうがいいよディアーナさん、そいつらには毒がある」 


「――――」


 背後から近づいていた女に警告を飛ばすと、踏み出される寸前で脚が止まった。もうひとりの側近の目の前に、立ちふさがる形で三匹の白蜘蛛が待ち構えていた。


「卑……怯、もの――!!」


「僕が、正義の味方にでも見えてたの?」


 状況はすでに覆っている。いや、最初から傾いてなどいなかったのだ。ここに敵を誘導できた時点でナシロの勝利は確定していた。

 敵を横目に抵抗を押して槍を捻った。

 男は、男だった肉体は、灰になって落ちていく。

 槍の先端、萎んだ心臓も一拍遅れて灰になる。 


「ま、毒があるなんて嘘なんだけど」


 通信しかできない一番目の子蜘蛛は馬鹿にされたと思っているのか、威嚇するようにナシロに向かって前足を挙げる。

 糸に積もった微かな灰が、ぷらぷらと風に揺らされて落ちていく。高層建築の足場に吹いた強い風は地上まで落ちきるまえに灰を吹き散らしてしまうだろう。

 抜け殻の服が落ちるころには、すでに女の姿は消えていた。


「もういないか……。パペット、繋いでるね」


 あれほど怒りに震えていたのに二対一の利点が消えた途端、感情に流されず撤退を選ぶ。ここまでくると本当に挌上なんだとぼやくしかない。

 

「…………パペット?」

 

 この場所に仕掛けた罠は蜘蛛の巣だけで終わりではない。骨組みに入った時点で女の足には追跡のための蜘蛛の糸が付着している。しかし糸を管理しているはずのパペットに呼びかけてもなぜか答えは返ってこなかった。

 見えると、大きな白蜘蛛は顔の一部を痒そうに掻いている。

 普段は隠されている薄紅色の三つの眼球も開かれていて、掻いていたのは、眼の横にあるなにも無い部分だった。

 返事はないが、手はずどおり糸は紡がれていた。本体からほとんど透明な糸が伸びていく。まるで迷宮で迷わないための目印のように、逃さないため繋がれていた。


「追うよ」


 手に乗った灰を払い落とし、鉄骨を渡り飛び降りる。灰を踏みしめ糸を辿った。

 一番目の子蜘蛛は消え、億劫そうにパペット本体もナシロに続く。

 手はずどおりに極細の糸は伸びていて、暗い路地に消えている。


「?」


 気付くと、糸は伸びることをやめていた。


「う、アァァァッ!」

 

 女性の甲高い悲鳴が響く。声は自身を鼓舞するようにも聴こえた。

 腕がみえた。路地から投げ出された細い女性の腕なのだが、あるはずの先がなく、どこにも繋がってはいない。肩と繋がっていたはずの場所はすでに灰と化し、順に指先まで粉に変わっていく。

 飛び込むと、ディアーナと呼ばれていた女が自分の肩を切り落としていた。

 落ちた肩も一拍遅れ、灰になる。


「逃がさない!!」

 

 路地裏には武器を翻すユウヒの姿があった。

 純血の女は出会い頭に斬りつけられたのだ。

 待ち伏せしていたユウヒが握るのは道具屋から手に入れた短剣型の聖呪器せいじゅきで、一見すれば軍用サバイバルナイフに似た見た目で、特別な力があるとは思えない。

 宗教的な名称と役割に反して聖呪器の形状は明確に武器だった。峰には凹凸があり、艶消しされた黒い刀身には奇妙な文字が刻まれている。

 だが間違いなく聖呪器は吸血鬼にとっての猛毒を帯びている。

 あまりに強力なため、吸血鬼が使用する場合は柄を伝って使用者にも毒は流れ込んでしまう。防ぐためには威力の減退と引き換えに何重もの保護が必要となる。

 だが幾重にも重ねられた保護も、人間であるユウヒが使うのならば全て取り払われる。人にとって聖なる物は毒ではないのだから。

 保護を取り外され遮断も軽減もなくなった聖呪器は、純血ならば触れただけで身を焼かるだろう。

 吸血され身体能力の上がったユウヒが、猛毒の短剣で純血を斬りつけた。

 聖呪器でつくられた傷口は広がっていく。神々しくも聖なる呪いは毒となり、純血の身を焼いていく。すぐさま傷口を切り離さなければ、あっというまに胴まで達してしまうだろう。

 女は動転していた。

 予想もしてなかった敗北。撤退し、ユウヒに奇襲され、追いついたナシロをみて双眸を見開く。

 そのときはじめて自身の足につく糸に気付いたようだった。

 前門、後門。逃げ場はない。

 振るわれる二振り目は、意識の端にもあがっていない。

 刃先が胴に突き刺さる。

 致命傷だった。


「あ……っ」


「ッ! ッ! ふッ!!」


 押し倒した女に、ユウヒは短剣を何度も繰り返し振り下ろした。

 純血が保護のない聖呪器などまともに食らえば一撃でも致命傷だ。

 それでも止まず、胸を刺しては抜き、繰り返す。

 ナイフに付着した返り血がすぐに灰へと変わる。羽毛のように灰と血が混ざり合って舞い上がる。


「ッ! このッッ!」


 すでに女は事切れて、胸の中心は、灰へと移り変わっている。

 ユウヒはそれでも黒い短剣を振り下ろした。刃先がアスファルトを叩いて硬質な音を鳴らすまで。

 憎悪と覚悟と、仄暗いに何かに突き動かされたユウヒの手は止まらない。


「…………十分だよ、ユウヒさん」


 苦しそうに歪められ、ユウヒの表情は湧き出る感情を押し殺しているようだった。

 舞った灰が髪に付着し、揺れに合わせて彼女の頬をくすぐっては涙のように落ちていく。


「ッッッ!!」


 短剣が滑り落ちた。

 聖呪器の毒は容赦なく純血の体に巡る。樹のウロのように開いた胸の穴は、全身へと広がっていた。

 ユウヒは崩れる灰に座り込み、震える自身の手を、憎しみに満ちた眼で睨みつけた。


「ユウヒさん……」


「なんで、震えてんのよ。たった一人、仇でもない奴を殺した程度でッッ!!」


 彼女の意思に反して、今度こそ本物の涙が流れだす。

 感情の雫をユウヒは乱暴に拭い去る。


「家族が出て行ってから、半年。父さんと母さんに言われたとおり待ち続けたわ。妹の体がよくなるように、その手立てが見つかったって両親と妹が出て行って、ずっと、待ち続けた」


 しかし次から次へと溢れ出てくる涙は、遂には落ち、灰を濡らしては固めていった。


「迎えに来たのは――――この女だった。父さんでも母さんでも、朝顔でもない! この女が澄ました顔して……三人をどこへやったのよ!! ふざけるな、簡単に死ぬなぁぁぁぁぁ!!」


 涙を含んだ灰を握りこむ。ミチミチと固まり遺灰が軋みをあげた。


「妹を守りたかった。色んなことも学んだ。強くなろうとした。でも、何も出来ずに、弱いまま、一人じゃ復讐する力も無いまま、震えて……。何なのよ、私は……ッ!!」


髪をかきむしる。髪のなかに灰が混ざりこむ。


「ユウヒさん、行こう。増援が来るかもしれない」


「触らないで!!!!」


 差し出した手は弾かれる。彼女は手で首を隠した。

 彼女の肌にある吸血痕はまだ消えていない。


「……触らないで、アンタなんかに、吸血鬼なんかに触られたくない。自分で、立てる」

 

 何度も、何度も転んでしまう。立ち上がろうとして幾度も失敗した。

 そのたびに服も、濡れた頬も、どんどん灰で汚れていった。


「両親も、妹も救えなかったくせに、まだ仇もとれていないのに、吸血鬼を一人殺した程度で立ち上がることも出来ない、そんなの、絶対、認めない……っ!」

 

 建物の壁面に爪を突き立てるようにしながら、ユウヒは震える足に力を込めた。

 ゆっくりと、体重を壁に預けながらでも、一人で立ちあがってみせた。

 それを、


「素晴らしいね、カネシロ・ユウヒ」


 褒め称える男があらわれる。丸々とユウヒの眼が見開かれた。

 満面の笑みで拍手をしながら男は、ゆっくりと歩み寄ってきた。


「ギュンター・ゼクスト……?」


「そう! 気軽にギュンターと呼んでほしい。でもそれよりも、君のその生き様。高潔な精神。まさに、私の理想だ。真っ直ぐ伸びる憎悪が身に刺さる、心を燃やす復讐者の眼だ」


 男は位階保有者、第六位を名乗る。

 数歩分の距離を開け、ユウヒの眼を覗き込むように、長身のギュンターは身を屈めた。

 次いでナシロを覗き込み、つまらなそうに眉をひそめた。


「それに比べて。……君は、あまり美味しそうじゃないな少年。不味そうで、復讐者じゃない。燃えていない」


 そうして歩みを止めると、散らばった灰に手を沈めた。

 灰色の粉が降り積もる服を手にとった。


「お疲れ様、ディアーナ」


 動けなかった。

 動いた途端、この男がどう反応するのかわからない。

 それ以前に、状況に体がついて来なかった。


「本当は見て終わりにするつもりだったのに、あまりにも素晴らしくて、つい出てきてしまった」


 今更ながらにナシロは気付く。ギュンターの背後、路地の入り口に自分と同年代ほどの少女が立っていることに。

 ギュンターとは正反対に少女の視線は憎悪で形作られていた、ナシロとユウヒに注がれ、その手は自身の腕を血が出るほど強く、握り締めている。


「まさか、ふたりも」


 悲しげにまぶたが伏せられ、ギュンターは女の服を撫でる。

 そしてそっと、ナシロの首元に顔を近づけると耳元でささやいた。


「そんなに怯えないで、今日は何もしないから。――行こう、アンネ」


「ゼクスト様ッ!?」


「速く行くよ。マルセルも連れて帰ってあげないと」


 ギュンターは懐に手を差し入れると小型の筒を取りだす。

 万年筆にも似たそれは灰棺キニスケースと呼ばれるもので、近しい者の遺灰を一匙掬い、保管するための容器だった。

 ギュンターは黒地に金細工が施された灰棺をディアーナの灰に潜らせる。蓋を閉めたあとシルク生地の小さな袋を取り出して、愛おしそうにしまいこんだ。

 入ってきた方向とは逆の、路地の出口。

 ナシロとユウヒ。ギュンターとアンネの二組は擦れ違う。肩が触れ合うほどすぐ近くで。


「何のために彼女の協力しているのかは知らないが、物分りが良くて助かるよ」


 擦れ違いざま、ギュンターはナシロの肩を親しげに叩いた。


「……ッ!」


「ユウヒさん!」


 ユウヒの腕をナシロが止める。

 男は去っていく。続く少女もまた、去っていった。殺意に満ちた視線を残して。

 ナシロは動悸を自覚した。


「あれが、ギュンター・ゼクスト」


 ユウヒは一時もやまず、ギュンターを睨みつづける。

 その眼に一切の誤解はなく、動揺も怯えもない。殺すべき相手の姿を焼き付けようと、ただ一心に睨み続けていた。

 紛れも無い復讐者の姿だ。ナシロはひとり、沈黙する。

 その胸にいくつもの感情が現れては、消えていく。

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