第6話 彼女の甘味

 前回のあらすじ。

復讐のために道具屋を見つけたナシロとユウヒだったが、そこに現れた一組の男女を道具屋の監視カメラが捉える。モニターをみてユウヒは表情を変える。見間違うはずがない。

映像には仇であるギュンター・ゼクストの側近を務める、純血の吸血鬼が映し出されていた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 下がっていいと伝えると、一礼した部下は素早くビルの上を渡って去っていった。


「当たったな」


 屋敷で燕尾服を消えていた男、マルセルは凝らした目で寂れたビルを見据えた。さきほど少女らしき人影と、正体不明のもうひとりが入っていったと連絡のあった場所だった。

 上から監視していたためと、帽子で顔までは伺えなかったが間違いない。


「もうひとりはあの夜、カネシロ・ユウヒを連れ去った男で当たりかな」


 町を囲う監視機器の情報を私的に覗き、少女が市から逃げていないことは確認している。

 町からでるようすもないのなら彼女の目的はマルセルたちの主であるギュンター・ゼクストへの復讐に違いない。ならば聖水をはじめとした道具は必須になる。おのずと、出没する可能性の高い場所の検討はついた。

 聖水を用意できるものなど限られる。市内、町中に限定すればせいぜい数人。そういった道具を調達する者たち――通称『道具屋』の存在を組織も純血達も知っている、町に潜伏していることも。

 それでも黙認し、吸血鬼に害を成す者達を排除しないのは、吸血鬼もまた、道具屋を利用しているからだった。

 他の吸血鬼に知られずに感知機を入手し、整備させる。道具屋との繋がりは同属との戦いの多い吸血鬼にとって必須であり貴重。彼らの主は、その繋がりを捨てることも厭わずカネシロ・ユウヒを追うことを選んだ。

 ならば尽くす彼らに異などない。黙々と実行するのみ。

 存在を確認している道具屋の潜伏先すべてに部下を飛ばし、監視させ、同年代ほどの顧客が来れば報告させる。当りが来れば向かい、捕らえる。


「……ここは念のため、お互いに血を吸っておくかいディアーナ?」


「冗談はやめて」


 屋敷で侍女に徹していた女性、ディアーナは感情の乗らない声で拒絶した。


「私の血を吸っていいのはゼクスト様だけよ」


「そこまで徹底しなくてもいいと思うが……。だがそれでは完全には遠く及ばないままで戦うことになる。相手は未知の、恐らく他派閥の同属だ。血液パックも持ってきていない」


「私たちは是クスと様の側近よ。素の状態でも二人がかりで負けたら、それこそ帰れないわよ」

 

 しっしと手を振り「もういいでしょ」とディアーナは風で暴れる長い髪を抑えていった。

 吸血鬼同士は吸っても、吸われても、強化される。互いに吸い合えば二重の強化にもなる。戦闘前に吸うのが定石で、できれば出立前に主に吸ってもらうのが理想ではあったのだが、彼らはそれを言い出さなかった。

 それはディアーナが言ったプライドの問題でもあり、マルセルの掲げる戦いの流儀も関係していた。


「どうせ敵も気付いている。逃げられるわ」


同僚である女性が主を深く敬愛していることをマルセルは知っていた。マルセルとディアーナはお付きのなかでも最古参であり、ギュンター・ゼクストがまだ位階に入っていない頃からともに側近を務めている。もう数百年の付き合いになる。

この同僚が冷静な顔をしていても、主からほめられることが何よりも好きだということをマルセルは知っていた。

待ちきれないと身体を傾ける同僚にすこし呆れて、だが諌めることしない。マルセルも足を屋上のへりに落ち着けた。なぜならマルセルもまた、敬愛する主に褒められることを望んでいたから。 


「それでは我ら眷属、あの方の名を背負った力を、彼らにお披露目するとしよう」


 気取った仕草で肩をすくめてマルセルは腰を落とす。目標の建物を捉えた二人は、血を吸わずとも超常的な身体能力を発揮し、足場を蹴った。

 コンクリートに亀裂が走る。爆発的な速度で、位階六位の側近ふたりは目標に向けて跳びかかる。


 #    #


室内に重苦しい沈黙に満たされ、モニターの明かりが三人の顔を照らしていた。

もぞもぞと、道具屋が身体を揺らす。


「あのね、信じてもらえないかもだけど、私が――」


「私たちを売ったわけじゃないんでしょ。それくらいわかるわよ。あんたはそういうことするタイプに見えないし、――すくなくとも私は、疑ってない」


「僕は疑ってるみたいにいうのやめてね?」


「それよりあのふたり、六位と一緒にいたやつらよ」


 ユウヒの声にはまだかすかに硬さが残っていたが、大きく息を吐くと、モニターを睨みつけるのをやめてそう言った。

 道具屋はほっとした表情を浮かべると、眉を落として気の抜けた声をだす。


「うーん。私、裏切られちゃったみたい。けっこう貴重なつながりなのに、おにいさんたち、よっぽど狙われてるみたいだね」


 話す内容に反してにへらっとした顔で「どうしよう」と体を揺らす。振り子のように左右に揺れて、最後はパタンとクッションに倒れた。


「しかも第六位のお家。……誰を狙って何してるのか、聞かないほうがいい?」


「そうだね」


「あんたら、笑ってる場合じゃないでしょ」


「大丈夫。おにいさんたちが何を狙ってても、今回の報酬のためなら私、がんばっちゃうからっ!」

 

よしっと勢いよく起き上がる道具屋は急いで服の山を掘り進めた。布がどかされ現れた床にはトビラがあり、道具屋はそのまま床下収納にもぐっていったがすぐに顔を出した。


「これもあげる」


 差し出された手には錠剤が詰まった円筒状の小瓶が握られていた。一見すれば風邪薬のようにも見えるその正体をナシロは知っていた。


「順応剤、はじめて見たよ」


「吸血鬼のもろもろ、効果をあげてくれるお薬だから。吸血後の効果を、早く、長く、深くしてくれるよ。二人が死んじゃうと困るし、裏口あるから二人は逃げて。私も適当に逃げるから」


 頭にほこりを乗せて床下を指し手招きする。そこに裏口があるのだろう。

たしかに順応剤を飲み、身体強化をすれば純血が相手でも逃げ切ることは可能だろう。さらに道具屋が住処としているこの建物にはさらに大量の罠が仕掛けられているはずで、囮と足止めならば十分にこなしてくれる。


「いや、君が逃げて」


 だがその提案をナシロが断る。


「純血相手だよ? それもたぶん眷属。あのヒトたちちょっと切ったり刺したりしたくらいじゃぜんぜん死なないよ?」


「知ってる。僕も半分は吸血鬼だから」


 ギュンター・ゼクストなど位階保有者は、ほとんど不死不滅に近い。

 及ばないまでも、純血もまた死は遠く、殺すに難い。


「あんたは逃げなさい」


「いたっ」


 ユウヒのデコピンが道具屋の額を弾いた。


「私は黙って逃げるなんて嫌。こっちは何とかするから」

逃げることなどありえない。なぜならユウヒたちの目的は純血も、位階保有者も殺すことなのだから。


「むしろちょうどいい肩慣らしになるわ」


「…………」


 道具屋が見上げる。

ユウヒの表情はナシロには向けたことがない表情で。きっとここにはいない、もうどこにもいない肉親に過去、向けていたであろう姉としての顔だった。

 優しく、思いやるような温かい表情を道具屋はじっと見つめる。

 やがて別の場所を指差した。


「じゃあ奥の部屋を使って。やるんだよね。血」


 見られたくないって聞いたことある。そう続けられ、ユウヒは強張る。

 血を吸う場面は確かに誰かに見られたいものではなかった。


「私はここの処分をするから」


 道具屋が床下収納に消えた。残されたナシロとユウヒは、しばし沈黙を保っていた。


「あ、ちゃんと防音だよ」


 もどってきて、余計な気遣いをしてまた去っていく。


「ユウヒさん」


「わかってる」


 時間がない。そのことが急ぐ理由になってくれる。気の進まない背を押してくれる。

 ビニールカーテンの向こう側、黒く固く閉ざされた重厚な扉をくぐった。

部屋には壁際に沿って乳白色のスチールラックが鎮座していた。ガラス戸越しに見えるよくわからない機械や部品群が、等間隔で規則正しく並べられている。

先ほどまでの汚れきった部屋とはあまりにも対照的で、とても同じ人物が使っているとは思えなかった。ほこりひとつ見当たらない。人が使う部屋というよりも、まるで一室丸ごと工業製品のような無機質さが感じられた。

 白色電灯にまぶしく照らされた滑らかで沈み込むようなリノリウムの床だけがどこか生物的で、床に直接座り込んだナシロとユウヒは視線を逸らして体だけで向き合った。

 この時間が嫌いだった。ナシロもユウヒも、別々の理由で。

 まだ二度目。一度目はユウヒと出会った晩。共に逃げるために。

 腰を浮かせるとユウヒが鋭い視線を向けてくる。が、顔を歪めたユウヒもまた、自分からナシロへと近付いていった。

 立ち上がらず床に脚をこすりつける形で距離が埋まっていく。

 距離は残り数十センチほど。前髪の影がかかり、首を伸ばせば届く。吐息の熱ですらももう伝わる。


「ごめん、ユウヒさん」


 手を伸ばそうとして、ナシロは躊躇う。

 少女が着るのはボタンの少ないポロシャツで、首もとのボタンは一番上まで閉められている。このままでは血が吸えない。


「……自分でやる」


 遮って、ユウヒは自分でボタンをつまんだ。細い指によって、ひとつひとつ外されていく。鎖骨周辺から少しずつ、染みひとつない肌が露出していく。

 透明感のある肌。

 肩の部分をユウヒは引いた。首元はうまく現れてはくれない。


「…………」


 くちびるを噛み、細く鋭い息を吐き、ややあって、一気に服がめくり上げられる。

 持ち上がった髪が落ちた。脱いだ服をユウヒは膝の上に乱暴においた。

 逸らされた視線は細められ、キャミソール姿で、少女は感情を固める。

 遮るものはほとんどない。下着と、それを覆い隠す飾り気のないキャミソール。

 薄布に隠された曲線から、少女の持つ色が生々しく放たれている。

 二本の肩紐ストラップが弾かれて、絡まりながら肩を下り、二の腕で止まった。

 ユウヒは腕で落ちかけの服を押さえ、「早くして」と硬い声で言った。

 抗いがたく、ナシロの喉が鳴る。意思に反し、視線が一点にあつまっていく。

 横を向き、首元が押し出される。

 牙が疼いた。喉が渇き、腹の中心にぽっかり穴が空く。そんな錯覚を覚える。

 眼を逸らす、そんな考えは頭のどこにも見つからず、消えていた。

 触れることを躊躇する。静まりかえった部屋に重ならない息がふたつ満ちていた。

 うなじに落ちた黒髪が、蛍光灯に照らされて一束の黒い線となって白い肌に差している。

 少女の色が際立ち、やわらかな質感が映える。

 ゆっくりと、伺う余力もなくナシロは、その皮膚に牙を乗せた。


「――――」


 吸血を行うとき、吸血鬼の牙の感覚は鋭敏になる。

 それは種としての進化であり、肌の下を流れる血の振動がわかるほどになる。

伝わってくる温度と振動が彼女の命を感じさせ、どこに牙を押し沈めれば餌にありつけるのかを教えてくれる。

 全神経が牙に集中した。白く張りのある肌に牙を押し当てると、瑞々しくもささやかな抵抗感があった。肌がたわみ、プツリと越えて、ゆっくりと沈んでいく。


「……っ」


 押し殺された声が少女の口から漏れでる。

 突き越え、やがて弾力間のある肌が、牙をなぞって戻っていく。

 混血は牙が一本しかない。それでも、血の吸収方法は純血と変わらない。

 血の栄養はふつうの食事のように喉に落とし飲んで胃腸で吸収するのではない。牙が直接、吸収する。血に触れると牙が必要な栄養素を吸収していく。

 口に流れ込んだ血液が牙をなめて舌を包む。

 舌に血が染み込んでくるようだった。体が、吸血鬼としての本能が揺れていた。

 ユウヒのあらゆる情報を伝えてくる。

 舌に触れた血に必要な栄養はない――はずなのに。ユウヒの体液は果実を含む風味水を思わせる、淡い甘みに満ちていた。

 さらさらと血が流れていく。とろみは少なく、甘みもほのか。

 だが飲みやすく、気付けば幾度も繰り返し喉を伝って落としている。

 血は彼女の熱を運んだ。ゴクゴクと、なんども繰り返し嚥下する。痛みからか、むず痒さからか、ユウヒはきつく眼をつむっていた。

 吸われる者もまた、感覚に変化は訪れている。

 ユウヒは今、痛覚も触覚も鈍化して、ぬるく痺れたような感覚に包まれているはずだ。

 痛みを抑えるために血はゆっくりと吸いだされる。それでも浮くような感覚が彼女を蝕んでいるだろう。絶対に声を出さないよう噛み締められた唇から一筋、血が垂れていた。

 その血すら、甘いのだろうと視線が引き寄せられていく。

 反射的にユウヒの手が泳いだ。

 ナシロの服をなぞる。

しかしそれだけ。掴むことはしなかった。


「っ……まだ、なの」


 泳いだ手は戻り、膝上の服をキツク強く握りこむ。爪から血が引いて白くなる。

 やがて、


「……終わったよ」


「…………」


 はぁっと、どこかぼやけていた彼女の視点が定まった。

 口元を染めるユウヒの血を拭い、手の甲についた紅をナシロは眺めた。彼女の痕跡が擦れて延びている。自分が吸血鬼として、彼女を傷つけた証だった。

 ユウヒの首元には、ホクロに似たちいさな黒が、ぽつんとひとつあいていた。

 部屋に入る前に飲んだ順応剤は、早くも効果をあらわしている。

 得体の知れない力が満ちていくのを感じる。それはユウヒも同じだろう。彼女は服を着なおし、自分の体を見下ろした。


「暑い」


「行こう」


 留まる熱を振り払う。黒く閉ざされた扉をみつめた。

そして。

 

弾丸のように一直線に飛び込んでくるマルセルとディアーナを、ナシロは横から蹴りつけた。

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