第3話 一匹とバックパッカー

 前回のあらすじ。

後輩であるウリハとの下校を終えたナシロが家に帰るとひとりの少女が待っていた。

少女の名前はカネシロ・ユウヒ。雨の夜に吸血鬼の屋敷から逃げ出し、ナシロが拾った少女だった。

ナシロは混血のため。ユウヒは家族の仇を殺すため。純血吸血鬼の上位である位階保有者を狙う。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



朝早く、まだ暑さもそれほどでもない時間、ユウヒは民家の塀に体重をあずけて寄りかかっていた。

 大きなリュックを背負い、頭には目深に帽子をかぶり、それほど長くない髪を短く括って防止の隙間から出していた。

 朝のランニングに出かけるスポーツマンにも見える格好でユウヒはつま先に視線をおとす。しかし、スポーツマンというには抱えるほどもある大きなリュックは不自然だった。

 がさごそと、リュックが勝手に揺れる。


「動かないで」


 見られてないかと視線をはしらせ背中に声をおくる。腕時計で時間を確認すると、予定の時刻はもうすぐ。そろそろ連絡が来るころだろう。

 ユウヒの思考に合わせる様なタイミングで、チャックがひらく。丸められたメモ用紙が押し出されて頭を出した。


『予定通りに』


 短く一文。読み終えたメモを千切ってからポケットにしまい、目的の場所を目指して塀から背中を離した。

 ナシロが『道具屋』という人物をさがすため、ちいさな三番目の子蜘蛛を放ったのが数日前。

 たった数日で、件の道具屋はみつかったらしい。

 目立つのをさけるためという理由で別々に家をでて、違う道を辿り道具屋の付近で合流する。その予定通ってユウヒはいま、ひとりで歩いていた。

 正確にはひとりと一匹。だろうか。

 背負うリュックにはパペットが入っている。もちろんユウヒが出したモノではない。

 吸血鬼の半身とも呼ばれるパペットは混血のナシロであっても関係なく存在する。それぞれが自分だけの半身をもっているなかでナシロのパペットはランドセルほどの大きさの白い蜘蛛だった。

リュックに隠れているのは白蜘蛛が生んださらに一回りちいさな蜘蛛で、ナシロは“一番目の子蜘蛛”と呼んでいた。

 一番目の子蜘蛛は二匹一組であらわれる。固有の能力は、筆談での通信。

 一番目はお互いに意識を共有している。さらにナシロの意思次第で消せるため、盗聴の心配などなく、筆談で残る証拠はせいぜい使った紙くらいだ。その唯一の証拠も、ユウヒがばらばらに引き裂いた。あとで処分すれば消えて無くなる。

 意外にずっしりした重みを持つ荷物は、いまもナシロが連れているもう一方の子蜘蛛と意識を共有し、必要とあればせっせと紙にペンをはしらせるだろう。

 ユウヒはリュックを体の前にまわし、スマートフォンを取り出した。

 暗いままの画面をタップして、操作するふりをして耳に押し当てる。


「別々に動く意味があるの?」


『一緒にいるところを見られるとちょっと困る相手がいてさ。まさかこんな朝早くから会うとも思えないけど、念のため』


 ユウヒの声を拾い送ったのだろう。すぐに返信が押しだされてくる。


『一番目の子蜘蛛はお互い場所を把握してる。万が一僕らが危ない目にあっても、消えない間は位置情報ごと伝え合えるよ』


「便利なもんね」


 呆れと感心と、少量の皮肉。ユウヒはため息まじりの声をもらした。

 吸血鬼の力は幅広く、相手にすれば極めて厄介だ。しかし共闘ならば、有利な場面はいくらでも出てくる。


 ――まぁ、敵も吸血鬼だけど。


 帽子のつばを掴んでおろす。ランニング中の初老の男性が息を切らしながら擦れ違っていった。

 ここは吸血鬼が多く住む町。お膝元のひとつ。

 ひとくちに吸血鬼といっても、それは総称に過ぎない。さらに細かく分類されている。

 人吸種。プリームス・パニーニ

 鬼吸種。ラルゥァ・パニーニ。

 鱗吸種。スクァーマ・パニーニ。

 獣吸種。ベースティア・パニーニ。

 超常の生き物のなか、とくに吸血鬼に限定してもこれだけの種類が生きている。

 各国各地に散っているとはいえ、総数が万をこえるというのも納得の多様性で、それが通常はひとの姿をとり、ひとの血を狙い餌とし、しかもほとんどの人類はその存在を知らないのだから、人の身からすればぞっとする。

 誰を警戒し、誰を信用するか。そんな風に悩んでいては暮らせない。

 すべからず、一人残らず警戒すると決めていた。

 もちろん、ナシロ相手でも。

 同じ目的のために手を組んではいるが、ナシロは必要以上に自分を明かそうとはしてこない。

 話していると、まるで透明な壁越しに声をかけられているような錯覚をユウヒは覚える。まちがいなく隠しごとがあるのだろう。なにせ自称悪者だ。


 ――感情もまともに見せないくせに信用して貰おうって思ってるのかは、微妙だけど。


 ユウヒは、ナシロを怖く思う。警戒し、気色悪くすら思える。

 たった数日過ごしただけだが、ナシロは怒らない。絶対に。

 罵倒しても、文句を言っても、皮肉をぶつけても、ナシロは困ったように笑うだけ。怒りなど匂わせもしない。たとえ殺意をぶつけたとしても、眉を下げて困って笑うだけ。そんな気さえした。

 誰がそんな相手を信用する気になどなるのか。恐怖を覚えても、親愛など感じない。

 まるで最初から入力された機械の反応のような、人間味のない気色の悪い感情。

 不気味な薄っぺらい奴。それがユウヒの抱くナシロ評だった。

 どういった考えで悪者などという身分を名乗ったのか、声にだしては拾われてしまう。ユウヒは仏頂面のまま頭のなかだけで思考を巡らせて足を動かす。

 目的地は遠く、不特定多数にかこまれる公共交通機関にも頼っていない。時間が進むに連れて道には人が増えていく。

 と、幼い少女が民家から走り出てきた。手を繋いでとなりにいるのは少女の姉か。お互いに小学生ほどで「待ちなさい」と少女の姉がすこし焦ったように注意する。

 微笑ましく、幼い少女も早くと姉の手をつよく引いていた。


「…………」


 知らず、喉が詰まり足が止まる。立ち尽くす。

 警戒し、隠すべき部分が出てしまう。

 ユウヒの表情は強張り、気が付けば二人をじっと視線で追っていた。体よりもっと深い部分に耐えがたい痛みが突き抜けていく。

 深く深く、帽子を被る。顔が完全に隠れるように。主張を増してきた日差しを今だけは、目に入れたくなかった。

 日差しがダメなんて、まるで物語の中の吸血鬼だ。そんなつまらない冗談が浮かび、乾いた笑みが口元に貼り付いた。

 日の光もにんにくも十字架も効かず、水の上も渡れる。

 現実の吸血鬼に、おとぎ話のような大量の弱点などありはしない。


『どうしたの?』


 止まったことを感じ取り伝えたのか、何も言っていないのに紙が出てくる。

 なんでもない。そう返信してユウヒは自分の頬をつよく叩いた。

 目に見えない、まだ新しい傷口がぐじぐじと痛む。もしかしたら一生、痛み続けるのかもしれない。

 少しだけ、安心した。痛みは家族の存在を強く思い出させてくれるから。


「お姉ちゃんがんばるからね、朝顔(あさがお)」


 妹の名を呼んで、それから慌てて、今のは伝えないでとリュックを揺らした。

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