第2話 非日常に叫ぶ夕暮れ

「──うっ、ぁぁっ」

 

 うっすらと目を開けると、窓から夕日の光が部屋に入り込んでいるのが見えた。

 

 三時間くらい寝てた、のか?

 

 まだ朧気な頭で少しだけ記憶を遡ると、すぐにそれらしいモノを思い出した。

 

 烈華れっかが出してくれたお茶、か。そういえば変な香りもしてたし……何か入れ──

 

 

「──もぅっ、お兄ちゃん起きちゃったじゃん」

 

「──烈華がトリップして回想ばっかしてたから」

 

「──は? あんたがお兄ちゃんの匂いずっと嗅いでたからでしょ?」

 

「──む、人のせいにするのはよくない」

 

 

 なにやら、二人が言い争っているのが聞こえてきた。

 

 俺は重たい体をゆっくりと起こし、二人に投げかける。

 

 

「なぁ烈華、白咲、なにしてんだ?」

 

「なにって」

 

「兄さんを脱がそうとしてるだけ」

 

「まじでなにしてんの!?」

 

 俺は咄嗟に二人から距離を取る。確認したがまだ服は脱がされていなかった。

 

 危ない、間一髪だった。けど……、

 

「どうしてこんなことを?」

 

 俺の記憶が正しければ、二人は兄の服を脱がそうとする変態じゃなかったはずだ。なのに、どうして──



「お兄ちゃんって、鈍感だよね」

 

「なっ、なんだよいきなり……」

 

「ここまでされてそんな顔できるなんて、兄さんの鈍チン」

 

 どうして俺は妹たちにここまでボロクソに言われているのだろうか。

 

「もぅ、ここまでしてお兄ちゃんは気づいてくれないの?」

 

「いくら兄さんでも、少し呆れる」

 

「なっ、お前ら俺のこと嫌いなのか!?」

 

 あまりの言いぐさに泣き叫ぶと、二人は声を揃えて「逆だよ」と言い切った。

 

「???」

 

「気づいてくれないから言うけど、あたしはお兄ちゃんのことが好きだよ」

 

「私も、結婚したいくらい兄さんのことが好き」

 

「……………………は?」

 

 実妹と義妹からの突然の告白に、俺は思考停止してしまった。

 

 超絶美少女の烈華と白咲が、どうして俺みたいな凡人を?

 

 こんな状況で言うのも何だが、俺──新稲穂高ほだかは特筆すべきことがない平凡な男子高校生だ。強いて挙げるとすればオタク趣味があるくらいだが……好かれる要素ではないはずだ。

 

 なのに──

 

 

「どうして?って思ってるんでしょ?」

 

「だから心を読まないでくれって」

 

「あのね、お兄ちゃんは自分で思ってる以上にかっこいいんだよ?」

 

「ん、兄さんはすごいかっこいい」

 

「いやいや、俺はそんなんじゃ──」

 

「過ぎた謙遜は嫌味だよ? お兄ちゃんはすごいかっこいいんだから」

 

「ん。ただし、私たちみたいに長い間一緒にいないと気づかないけど」

 

 ……それは本当にかっこいいのだろうか。家族贔屓というものじゃないだろうか。

 

 なんて心配になっていると、二人はゆっくりと俺に近づいて来て、

 

「お兄ちゃん、大好き……っ」

 

「兄さん、愛してる……っ」

 

 そんなことを言いながら抱きついてきた。

 

 柔らかい感触と、女の子らしい甘い匂いについドキッとしてしまう。

 

「すぅ、はぁっ……お兄ちゃんの匂い~♪」

 

「んっ、ふぅっ……兄さん、興奮していい?」

 

「なにやってんの!?」

 

 抱きついてきたと思ったら、二人は俺のにおいを嗅ぎ始めて。俺は慌てて二人を押し離した。

 

「えへへぇっ、お兄ちゃん好き~♡」

 

「兄さん、結婚して……っ♡」

 

「えっ、ちょっ、二人とも?」

 

 俺から離れた二人は、目がとろけていて息が荒くなっている。

 

 おかしい、今の一瞬で何が起きた。

 

「ねぇお兄ちゃん、あたしもう我慢できないよ……っ」

 

「私も、身体がお兄ちゃんを求めてる……っ」

 

「……」

 

 もうやだ、逃げたい……。

 

 

 

   ─  ◇ ♡ ◇  ─

 

 

 

 そして今に戻る。

 

 場所は俺の部屋。状況は相変わらずピンチ。扉は二人に塞がれてリビングのときのように逃げることは不可能だろう。

 

「というか、俺鍵かけたはずだよな? どうして──」

 

 そう尋ねようとしたところで、烈華の手に握られた鈍色に光る物が目に入った。

 

「それって」

 

「うん、お兄ちゃんの部屋の鍵だよ」

 

「いや、なんで烈華が俺の部屋の鍵を持ってんだよ!?」

 

 というか、部屋の鍵は机の引き出しに入れていたはず。

 

 俺は慌てて二人に背を向けて、鍵を入れていた引き出しを漁った。

 

「な、ない……だと?」

 

「ふふっ、そんなとこじゃ危ないって思ったから、あたしが預かっておいたの」

 

「その預かってる人が悪用してるんじゃ意味ねぇよ!?」

 

「きゃーっ、お兄ちゃんが怒ったー」

 

 笑顔を浮かべはしゃぐ烈華に、俺は毒気を抜かれてしまう。

 

 あぁもう、何かいいんじゃないかって思ってる自分を殴りたい!

 

「……はぁ」

 

 乱れた思考を落ち着かせるためにため息を吐き、冷静に考える。

 

 部屋に追い詰められたからって諦めるわけにはいかない。かといって目の前の扉は二人に塞がれて使えそうにない。なら──

 

 俺はこの部屋に一つだけ設置されている窓へと目を向けた。

 

 あそこから逃げるしかない、か。

 

 正直怪我とかしたくないけど、今二人に捕まるよりはマシだ。それに思い立ったら即実行て言うしな!

 

 

「あー、お兄ちゃんまたなにか企んでるー」

 

「兄さん、悪足掻きはしない方がいい、どうせ無駄」

 

「ふっ……無駄かどうかはっ」

 

 俺は振り向き窓を開けて、

 

「わからないなっ!」

 

 勢いよく飛び降りた。

 

 ひぃっ、やっぱ怖い!

 

 そんな弱音も生垣に突っ込むことで掻き消され、俺は何とか脱走に成功した。

 

 

「お兄ちゃん!?」

 

「兄さん!?」

 

 心底驚いたのか、二人は窓から身を乗り出して声を荒らげた。

 

 ふっふっふ、さすがにこれは想像できないだろ。

 

 なんて調子づくのもこれだけにして。二人の姿が部屋の中へ消えたのを確認して俺は走り出した。

 

 といっても俺は今裸足だ。この足でコンクリートの道を走れば血だらけになるのは間違いないだろう。

 

 なら、ここはあえて、

 

 

「失礼しまーす……」

 

 俺は隣家にお邪魔させてもらい、身を隠す。

 

 これで二人が俺を探して出たのを見送れば、靴を取りに戻れる。

 

「ふぅ、完璧だ──」

 

 

「お兄ちゃんみぃつけた♪」

 

「兄さんは考えが甘い」

 

 

「……」


 どこか異様なオーラを放つ二人の笑顔を見て、全身からサァっと血の気が引くのを感じる。

 

 俺は今日、何回絶望すればいいのだろうか。

 

 すっかり茜色に染まった空を仰ぎ、俺は深いため息を溢した。

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