第17話 洗礼教会の最終戦

 マディンソンの東にはマサササップ川という大型河川が南北に流れている。人々のライフラインであるのはもちろん、その透き通ったコバルトブルーの清流や流域に広がる草原の美しさから重要な観光資源としても知られている。

「それにしても。いろんな乗り物に乗る旅だねえ」

「旅だからな」

 川が流れているのをひたすら眺めるのもいいが、やっぱりウッド・ボートに乗ってゆっくり川を下るのが一番よね。と、ものの本には書かれていた。

「イナはボート漕ぐの上手だね。意外すぎる。健康的なことはすべて苦手だと思ってた」

「ロウの訓練生時代に川の渡し守をやらされてたからな」

「……ロウの訓練生って訓練してるの?」

「期待されてるヤツはな」

 オールの先端はぱちゃぱちゃと快い音を立てながら水の中から顔を出したりひっこめたりしている。

「ヘル。それさっきからなに読んでるんだ?」

 彼女は凄まじく珍しいことに本を読んでいた。イナにはまったく判読不可能な文字が書かれている。

「これはね。パパを復活させるための呪文を復習してるの」

「呪文……。大丈夫なんですかねェ」

「大丈夫だよ。これは文言さえあってれば魔力みたいなもんは関係ないから」

「……それならいいけど」

 イチマツの不安は拭えない。

「ねえ。ところでさイナ。この先に行くとなにがあるの?」

「滝」

「――!? うわあ!!!」

 数メートル先にザザザと音を立てながら水が落下する絶壁が見えた。

 二人とボートは垂直に落下する。

「臓物――――――!」

 滝つぼにダイブ。ヘルの一帳羅の黒ワンピースはスケスケと化した。

「まざー臓物ふぁっかー! 服濡れるの超嫌いなんですけど!」

 ワンピースの裾を絞りながら悪態をつく。

 イナはまったく悪びれる様子はない。

「仕方ないだろう。こうしなければ目的地に辿り着けないんだから」

 などと滝の中に突っ込んでいく。

 ヘルは首を傾げながらもイナにつづく。

 滝の『裏側』には人間がゆうに歩いて通過できるくらいの大きな洞窟があった。

 奥行はおよそ五メートル。一番奥には――

「な、なんでこんな所に教会が……」

 大きな十字架が掲げられた建物。大きくはないがところどころが金メッキで装飾された妙に派手で少々下品な印象のデザインであった。

 ヘルは観音開きの扉に手をかける。だが。カギがかかっているらしく開かない。

「ハルホーン天啓教会。なんでこんな所にあるのかは知らん。まァバカなヤツが『行きづらい所にあったほうがアリガタイかもー』とでも考えたんだろうな」

 イナは扉に前蹴りをいれる。バキッ! という音と共にドアが部屋の中に倒れた。

 すると。真っ白な光が二人の目を刺す。

「まぶしっ!」

「うざってえな」

 一点の曇りもない真っ白い大理石の天井、床、壁。すべてが真っ白な空間。

 洞窟の中だというのに奥の方が霞むくらいに広い。

「うっ――!」

 ヘルは両手で口を抑えながら、紫色の血液を吐きだした。

「大丈夫か? まあこれはおまえでなくとも異様には感じるよなあ」

 こくこくと頷くヘルの口を手ぬぐいで拭いてやる。

「出ててもいいぞ」

「ううん。大丈夫。びっくりしちゃっただけだから。しかしきっついねえこれは。なんで洞窟の中なのにこんなに明るいわけぇ?」

「聖ステファーン様の御威光がどうのこうのって言ってた。しかし。夜中だからって見張りもいないで不用心だねえ」

 二人はゆっくりとした足取りで奥へと進んでいく。

「お。あったあった。目的はこれよ」

「おえっ。またキモいものがある。なあにい? これは」

 そこには優しい微笑みを湛えるクリスタルの女神像と、透明な水で満たされた二メートル四方くらいの泉があった。

「これは聖女ステファーン像。この国の人間の九割がとりあえず信仰しとけば仲間外れにされないっつって、信仰してるフリをしている聖教ステファーンの偶像だそうだ」

「なんでこんな臓物ブスを崇拝してるの?」

「な。これを崇拝するなら魚のアタマでも崇拝するわ。でもな。この国のガキ共は十歳になると選択の余地なく、ここで天職天啓っていうのを受けさせられる」

 ヘルがはっと目を見開く。

「聞いたことある――! つまり!」

「そう。勇者ヒロハ・スリングブレイブが己の天職が勇者であるという宣告を受けたのがこの場所だ。俺もその場にいた。ちなみにこの俺にはそういったものは一切なかった」

 忌まわしき光景が瞼の裏に浮かぶ。

「そして。聖教ステファーンを信仰するわけではないが、どうも天職天啓というものには実際に神通力のようなものがあるらしい。その後のヤツの暴れ具合を考えればな」

「……だろうね」

「だから」女神像のアタマにペチッと手を乗せ、さらに両手で乳を揉む。「こいつを木っ端みじんに破壊する」

「なるほど――」

「そうすれば。勇者の力は半減する。ハズだ」

 ヘルはゴクりと唾を飲む。

「大丈夫なの? こいつには本当に神通力みたいなものがあるんでしょ?」

「問題ねえさ。根拠は一切ないけど。強いていうなら俺にゃあ信仰心みたいなもんは一切ないからたぶん大丈夫だ」

「それだったらヘルがやろうか? ヘルのほうがより信仰心ゼロだと思うし」

「いいよ、俺がやるよ」

「いや、ヘルが」

 現代で言う大阪のおばちゃん状態である。

 結局、二人でやれば祟りも半分になるという結論に落ちついた。

「じゃあいくぞ」

 二人同時に女神像のアタマをわしづかみ。頭突きの体勢に入る。

 ……祟りがあるならこの時点でもう発動しそうな気がしないでもない。

「せーーーーーの!」

 その瞬間。ステファーン像が黄金に輝いた。

 強烈な光線に目がくらみ二人は仰向けに倒れる。

 そして。背後からガシャンガシャンという金属質な足音が聞こえた。

「――誰だ!」

「こっちのセリフだけどね」

 そいつは肩も胸も足もパンパンに膨れ上がった黄金の鎧に身を包んでいた。背中に背負うのは巨大な剣。フルフェイスの兜で顔を覆っている。

「イナ。もしかして」

「………………ああ」

 イナはワザとらしく笑顔を作って見せた。

「久しぶりだな。元気だったか?」

「そんなに久しぶりでもないよ。キミの寝顔はちょっと前に見たからね」

「ああ。そうか。いままでなにしてたんだ。みすみす脱獄させて」

「寝てた。どうせキミたちしばらく起きないと思って。許可なしに王宮の牢獄使ったからさあ。あとで怒られるよ」

「相変わらずだな。ひとつも頭がよくなってない」

「キミは。ちょっと痩せたね」

「ちょっとどころの騒ぎじゃないだろう。適切な言葉を使え」

 ヒロハはフッと笑い声をたてながらフルフェイスの兜を脱ぎ、その端正なマスクと金色に輝く髪の毛をあらわにした。

「いろいろ聞きたいことがあるんだけどさ。ひとつだけ教えてよ」

「めんどくせえな早くしろ」

「キミの目的はなに? あとそこの可愛い子は誰? カノジョ? その服装はなに? なんで濡れてるの?」

「ひとつって言っていくつ聞く気だ」

「……やっぱ最初のふたつだけでいいや」

「目的は――これだよ」

 マントの内ポケットから禍々しい紫色のアクセサリーを取りだしてそれぞれを身に着けた。なんとも似合わない。

「やっぱりキミだったのか。師匠たちをやったのは」

「残るはあとひとつ、おまえが持っている剣さえ手に入れば揃う」

「なんのために――!」

「質問は二つだと言っただろ。三つ目はダメだ。二つ目の質問にだけ答えてやる」

 そういってヘルのアタマに手を置く。

「この爆列に可愛いメスガキはな。魔王のムスメだ」

 ヒロハは口をぱっかりと開きヘルを仰視した。

「似てるかも……!」

 イナは思わずブッと噴き出す。

「言うことはそれだけかこの天然野郎! こいつにとっちゃおまえは親のカタキだぞ!」

「なるほどそっか……つまり目的は親の仇を倒して魔王を復活させること……」

「そういうことだ。もう話はいいな。さっさと始めようぜ」

 ふところからナイフを取りだした。

「待ってよ。その子の目的はわかった。でもなぜキミがその子に協力する必要がある?」

 イナは答えない。

「それに! どうやって三人をやった!」

 その質問に少々口の端を上げながら応えた。

「おまえにもわかるようにダサい言葉で言うとな。アクマに魂を売ったのさ」

 そういうとイナはナイフを自分の二の腕に深々と突き刺す。

「なにを――!」

 ナイフは突き刺さったまま腕の表面を滑り、漁師が釣り上げた魚を捌くがごとく腕に裂け目を引いた。血が噴出。その色はほぼ完全な紫であった。

「おお。ついにここまでになっちまったか」

 ヒロハの体が震える。歯がカチカチという音を鳴らす。

「そして。そんな俺におまえは勝てないぜ」

 イナは拳を振りかぶって、背後の黄金に輝く女神像に強烈なアッパーカットを食らわせる。聖女の首がゴロンと落ちた。

「なッ――!」

「おまえは勇者であると承認されているらしいけどな。こうなったらどうする?」

 すると。なぜかヒロハはくすっと笑い声を立てた。

「やっぱりキミは天職天啓なんて信じてたんだね」

「あ……?」

「あのときそこの首なし死体が光ったのはね。ボクたちの父親代わりの神父さんがボクを高く売りつける為に光の魔法を使って一芝居打っただけなんだって! ほらこんな風に」

 ヒロハは光の魔法で首なしの女神像をチカチカと明滅させてみせる。

「まあある意味で感謝するべきなのかもしれないけど。彼のことをなんとなく好きでなかったボクたちの人を見る目は確かだったってことだね」

 イナのナイフを持った手が震える。

「ではなぜ……俺とおまえはあんなに差がついた……?」

「……ボクの方が少しだけ才があったのか。努力の仕方が正しかったのか。それとも自分が勇者だなんて信じこんでいたのが良かったのか。それはわからない」

「……そりゃあなかなか衝撃の事実だ」

「衝撃? いやあ大したことないでしょ。ボクが受けたショックに比べればね」

 それを聞いてイナは思わず苦笑い。

「ねえイナ。もしキミが魔族になってしまったのだとすれば。ボクはキミを殺すよ。だって魔王が復活しちゃったらさ。今度こそ人間は滅びるかもしれない」

「もしじゃない。なっている」

「ボクの感情やキミのキモチに関係なく。弟や妹たち――人間たちはなんの罪もない。だからボクは彼らを守るために。キミを殺す」

「魔族にも罪はないぞ。俺はともかくこいつなんかいいヤツだぜ」

「知らないよ。ボクは人間だもん」

「ははっ。そりゃそうだ。正しい。おまえはまったく正しいよ」

 ヒロハは巨大な『魔葬剣』を背中に背負った鞘から取り出し上段に構える。

「こちらも準備をするか――<<凍血剣>>」

 右手から噴き出した血は氷のごとく固まってゆき、イナの右手を覆う剣と化した。今までのものよりも遥かに大きい。大きさだけなら魔葬剣とほぼ同等だ。

 ヒロハは眉をひそめる。

「……痛くないの?」

「死ぬほど痛いに決まっている」

「じゃあなんでそんなワザ使おうと思ったの」

「言っただろう。アクマに魂を売ったと」

「なんのために」

「強くなるためだ」

「なったの?」

「ああ。だから。全力でかかってこい」

「最初から――そのつもりさ!」

 ――ヒロハは両足で地面を蹴った。宙空を疾駆し一瞬にしてイナの眼前に迫る。

 重力も空気抵抗も鎧の重さもまるで感じさせない。

 ヘルは背中に翼が生えたように錯覚した。

「はああああ!」

 そして巨大な剣を袈裟に振り下ろす。

 普通の人間ならなにかが光ったとしか感じられないスピードだ。

「舐めるな」

 イナはそいつを凍血剣で簡単に弾くと、剣の腹でヒロハの鎧の胸部を叩いた。

 金属同士がぶつかるカーン! という音とともにヒロハは二メートルばかり真後ろに吹き飛んだ。かかとで着地してすぐに体勢を立て直す。

「全力で来いと言っただろ。いくら速くても、そんななんのフェイントもかけない攻撃なんて当たるものか」

 ヒロハはチッと舌を鳴らした。鎧にわずかにヒビが入る。

「昔から剣の使い方はまあまあ上手いよね」

「俺が上手いんじゃなく、おまえが大したことないんだ。サンマルチノごっこでも最終的に肉弾戦ばっかりだっただろ」

「別に剣の腕にプライドなんてねーからいいし。ようは勝てばいいんだよ」

 ヒロハは再び魔葬剣を大上段に構えイナに迫る。

「またバカみたいに突っ込んで来やがって」

 振り下ろされた剣をイナはバックステップして躱す。

 足もとに剣が突き刺さった。

 このスキに反撃に出ようと前に出る。――が。

「ハッ――!」

 ヒロハは剣をついた勢いでそのまま宙返り。イナの頭上を超えた。

(得意技だ。ガキの頃からの。そうくると思ったぜ)

 バックにまわったヒロハは魔葬剣をイナのアタマに振り下ろす。

(やっぱりな)

 カーン! という快音。剣の腹がイナのアタマを強打した。

「生温いことをしやがって」

 イナはモグラみたいに低い声で呟く。

「キゼツさせてその場凌ぎをしようってんだ。生温いったらありゃしねえ」

「なっ――!」

 イナの髪の毛がうぞうぞと伸び、頭に置かれた剣に茨のごとく巻きついた。

「キモッ!」

 ヒロハは剣を引き抜こうとするがビクとも動かない。

「<<蠢き死髪>>。こいつは頂くぜ」

 イナは魔葬剣に手を伸ばし、柄の部分に取り付けられた紫色の物体――封印されし魔王をムリヤリ取り外した。

「あっ――!」

「どうするかなあ。他のもんみたいに身につけられるようにはなってねえ。じゃあ。食っちまうか」

 イナは大口を開けると、その蜜柑ぐらいの大きさの球体をひと飲みにした。

「うまかねえ。うまかねえが……」

 ――瞬間。イナの体からおぞましい紫色の煙が溢れる。

「これは――!」

「いい気分。ドえらくいい気分だぜ」

 イナは無造作に軽く触るくらいの前蹴りを放つ。

 ヒロハは真後ろに吹き飛び壁に叩きつけられた。

「力が溢れる。四つ揃うとここまでいくのか。こりゃあいい」

「ぐぅぅう……」

 ヒロハは腹を抱えて呻く。腹部の鎧が砕けて破片が床に落ちた。

「ク! ク! ク!」

 強烈な高揚感に凄まじく甲高い声を上げて笑う。そして。

「死、死、死、死、死、死ィィィィィィ!」

<<凍血剣>>を頭上に構え全力で振り下ろす。

 イナは勝利を確信した。だが。

 ヒロハの肉を切る手応えが全くない。

(むしろ。マイナスの手応え。クソが――!)

「トライアド・ブロー!」

 凍血剣が首を飛ばすよりも一瞬だけ早く。ヒロハの拳は剣のハラを叩いた。

 剣は他愛なく、実に他愛なく根元からぽきりと折れ床に転がった。

(この威力。こんな技、俺が習得できねえわけだ)

 ヒロハはイナの左脚をローキックで払い、床に転がした。

(また負けた。ガキの頃のルールならこれで俺の負け)

 そしてそのままイナの胸に馬乗りになる。

 結んだ金色の髪の毛の先端が頬をくすぐった。

「ハァ。うんざりだなあ。キサマの出鱈目ぶりには」

 ぼやくイナに対して、ヒロハは瞼を閉じてこんな風にささやきかける。

「帰って。帰ってよ」

 声がかすかに震えていた。

「封印されし魔王を置いて。ここから出て行け。二度とボクの前に姿を現すな」

 イナはそれを聞いて苦笑。

「そうもいかねえのさ。安い命だけど、おまえに勝たねえとどうやら死んじまうらしいからな。それに――」

 背後からカラカラというわずかな音。

「まだ決着はついちゃいねえ」

 二人の上空に赤い刃が現れた。さきほど折れて地面に転がった凍血剣だ。

「<<残骸酷使>>。これはただのかっこいい剣じゃねえ。生き物なんだぜ」

「――!」

 刃が重なり合う二人に振り下ろされる。

 上に乗っていたヒロハは必死で床を転がってこれを躱した。

 だが。

 ざくっ。という肉の切れる音。

「――イナアアアアアア!」

「ウソ……!」

 ヘルとヒロハの驚声が響く。

「痛てぇ……なあ……」

 イナの体は腰の辺りで真っ二つに切り裂かれた。

 双方からどぼどぼと血が溢れ鉄の臭いが鼻を刺す。

 ヒロハはそいつに背を向けて拳を握りしめた。

 ヘルは叫び声を上げながらイナに近づき、<<死に至る治癒>>を開始する。

「おいおいよせよ。せっかくのチャンスなのに」

「えっ?」

「己血術・三大酷技<<半人半血・二骸分身>>」

 ヒロハが振り返ると。

「増えたぜ」

 イナは飄々とした様子でそこに立っていた。しかも。二人いる。

「――うううぅぅぅ!」

 ヒロハはひどい吐き気に口を抑える。

 二人のイナは片方が『上半身は人間、下半身はぶよぶよとした血の人形』もう片方は『上半身は血の人形、下半身は人間』という状態で立っていた。

「やれ! もう一人の俺! なんてな」

『上半身が人間のほう』の指示により『下半身が人間のほう』がヒロハの背後に周り羽交い絞めにする。

 ぶよぶよの両腕は見た目からは想像しえない、どこから産まれるかわからぬ剛力でヒロハを押さえつけた。一切身動きをとることはできない。

「今の俺はな。死にかければ死にかけるほど強いんだぜ。とはいえ。長くはもちそうにないからさっさと行くぜ」

『上半身が人間の方』は赤く透き通る脚をムチのようにしならせ、連続で蹴りを放った。

「あっ――!」

 肩、胸、脇腹にヒット。

 鎧が砕けパラパラと地面に散らばる。

 さらに。『下半身が人間のほう』の上半身が熱を帯び、やがて火がゆらめき始める。

「熱ぅぅぅぅっぅぅぅぅーーーーーー!」

「もっとあったかくしてやるよ」

『上半身が人間のほう』が同じように燃え盛った下半身で飛び蹴りを食らわせた。

 二つの火焔が反応し合い爆発が起こる。

 ヒロハは壁を貫通し、建物の外まで吹き飛んだ。

「――ちっ。ここらが限界か……」

 血の下半身と上半身は燃え尽きて、後にはふたつに切り離された一人だけが残された。

「ヘル。治癒を頼む」

 ヘルはポカンと開いていた口を閉じ、イナに駆け寄る。

「だ、だ、だ、だ、だ、大丈夫なの!? こんな技――!」

「かなりダメだな」

 さすがにおふざけをすることなく、治癒を開始する。

「勇者は……死んだのかな……?」

「さあな。そうだといいけど」

「それにしても。あんなにキモチが悪い――人間の基準で言ったらめちゃくちゃカッコイイ人だったんだね。想像とちがった」

「のんきなヤツ。こっちは死にかけてるのに」

 地獄の苦痛の後、天にも昇る快感。

 イナは元の一人に戻った。

 しばらく床を転がってうめき声をあげた後、立ち上がる。

 ――すると。

「けっこう先までつながってたよ洞窟。奥になにかあるのかな」

 壁の穴からよく通る爽やかな声が聞こえた。

「ちっ。ほとんどダメージなしか」

「うん。とはいえ。この鎧がここまでボロボロになったのは初めてだよ」

 あちらこちらが欠けたりヒビが入って、強く叩けばバラバラになるような状態だ。

「イナ。キミは随分強くなったね」

 ヒロハはにっこりと微笑んでイナを見つめる。

 なぜか。ヘルの胸がざわつく。

「ただ、さ」

 床に転がった魔葬剣を拾い上げる。

「ここまで魔族になっちゃうとね。ボクに勝つのは難しいよ」

「どういう意味だ」

「――それはね」

 ヒロハは目を伏せてポツり呟く。

「剣はうまくない、武術も師匠には負ける、魔法も得意じゃない。そんなボクが勇者になれたのは――」

 魔葬剣が青白く輝き始めた。

「この術が誰よりもうまく使えたからなんだ。あの勇者サンマルチノが魔族を一秒で消滅させるために編み出したけど、自分でも使いこなせなかった技なんだって――」

「ぐっ――!」

 イナは危険を察知し、ヒロハから離れる。

 だが。遅かった。

「<<ジ・エンド・オブ・トラジェディー>>」

 かかげられた剣から光の柱が伸びる。天井を突き破ってどこまでも上昇。ほとんど太陽のような異常な明るさだ。

 ヘルは強烈な頭痛にアタマを抱えて床にうつ伏せに倒れた。

 イナは――。

(目で見るには綺麗だと思うけど。イヤな感じだ)

 全身が熔けるような、肉が剥がれるような、不思議な感覚。

 ヘルの<<死に至る治癒>>とも少し似ているが少し違う。

 胸に去来するのは苦しさや怒りではなくなぜか寂しさだった。

「死ぬのかな?」

 イナが着ていた自慢の一帳羅は灰色にくすみ、やがてボロボロに剥がれ落ちる。

 素っ裸になったイナの体も全く同じように無残に滅び尽くされた。

 元々骨と皮だけというくらいに痩せていた彼の体は――

「イ……ナ……?」

 実際に。骨だけになってしまった。

 ヘルは光の消えた目でただ立ちつくす。

 ヒロハはゆっくりと歩きガイコツの前に立つと、

「もう殆どが魔族だったんだね。骨の髄からとまでとはいかなかったみたいだけど」

 それを愛おし気に抱きしめた。

「どうして。こんなことになってしまったの?」

 震える声で頭蓋骨に問いかける。

 ――――――――すると。

「……さあ。なんでだろうな」

「なっ――!」

 信じがたいことに。その声は目の前の骸骨から聞こえた。

 彼が放った掌打がみぞおちにヒット。ヒロハは吹き飛ぶ。

「俺ももはやよくわからねえんだ。でもこうなったらなるようになれだ」

 骸骨が口をパクパクさせて言葉を発する。

 その様子はどこかユーモラスであると言えた。

 イヤリングやサークレット、ロザリオを身に着けた様も大変シュールだ。

 ヒロハから奪った破片もなぜかアバラに刺さっている。

「己血術・最終酷技 <<死に損ないのサレコウベ>>」

 ヒロハもヘルももはや目の前でなにが起こっているのかわからなかった。

「不思議なもんで。信じられないくらい良い気分なんだ。体の中に爽やかな風が吹いてるみたいだ」

「ねえイナ。きみはさ」

 ヒロハは魔葬剣を拾い上げ、構えながら呟く。

「なぜこんなになってまで闘うの? キミはこの世になにを求めているの?」

 イナは少し考えたが結局答えない。逆に質問を返した。

「おまえはどうなんだ? なんのために生きている?」

「ボクは。楽しくやりたいだけ。平和な世界でさ、なんの心配もなく飯食って遊んで」

「そうか。おまえは意外とそういうタイプだったな。そういうヤツがきっと勇者にはふさわしいんだろうな」

 イナは<<凍血剣>>を拾い上げて構える。その姿はまさに邪悪そのものであった。

「キミの方は教えてくれないの?」

「そんなことを自分でペラペラしゃべるなんて安っぽいと思わんか?」

「なるほど。たしかにそうだね」

 二人はまっすぐに見つめ合う。目の前にはあの日の草原が広がっていた。

「じゃあ。行くぞ。ヒロハ」

「来いよ。また負かせてやる」

 二人は同時に床を蹴り、殆ど同じくらいのスピードで迫った。

 距離は一瞬して縮まる。

 繰り出した技もほぼ同じ。右から左へ袈裟に振り下ろす斬撃だ。

「のれえわ!」

「ありんこ野郎がホザくな!」

 剣と剣が音を立ててぶつかり合う。

 反作用で両者の距離がわずかに開いた。

 足癖の悪いヒロハはそこへ前蹴りを放つ。

 イナも骨張った拳で右ストレート。

 同時にヒットした。

「効かねえよ。ハナクソ野郎」

 イナは左手で自分の右半身のあばら骨を折る。四本。そいつをブン投げた。

「キモイ!」

 ヒロハは跳び上がってこれを躱す。

「もう片方あるぜ」

 今度は左側のアバラをヘシ折り投擲する。

 まだ空中にいるヒロハは身の躱しようがない。

「あっ――!」

 鎧の胸辺りに深く突き刺さる。

 ヒロハ、やや体勢を崩して着地。

(チャンス――! ここしかねえ!)

 ――オオオオオオオ!

 イナは地獄の底から湧き上がるような雄たけびを上げた。

 そして。

 紫色の剣が輝く。

 輝いたのは光ではなく闇であった。

 闇は部屋を覆っていた光をすべて飲みこんだ。

「<<死せる死骨の死生観>>」

 暗闇の世界に斬撃の音が響く。

 一撃、二撃、三撃……十撃、二十撃……百撃、二百撃……千撃、二千撃……。


 ――――――――無限に続くとも思われた連撃が終わった。


 すべてを出し尽くしたイナは呆然と立つ。

 骨体は腐ったような緑色にくすみきっていた。

 やがて。闇が晴れ光が部屋を満たすとき。

(――な、なにいいいいいぃぃぃぃぃ!)

 ヒロハは悲しみの感情の浮かんだ笑顔でそこに立っていた。

 周囲には光の柱のようなものが展開されている。

「ごめんね」

 子供をあやすかのような優しい声色でヒロハは呟く。

「魔葬剣はね。本当にピンチになるとこんな風に守ってくれるんだ。ボクの意志とは関係なく。もちろん誰でもってわけじゃないよ。ボクだけを」

 イナはこんなことを考える。

(めちゃくちゃな話だ。ここまでやって、まさかさらに差が開いてやがるとはな)

 ヒロハは愛しい女性とダンスでもするかのように優しく、大外刈りの要領でイナの足をひっかけて床に転がした。

(やっぱり。凡夫がなにをやっても。そうでないヤツには勝てないんだな。この長い旅で随分強くなったと思ったけど)

「今度こそ。さようならだね」

(俺はなにひとつ成し遂げることなく死ぬ。まあ仕方のねえこった。でもあいつは――)

 首をギシギシと軋ませながらゆっくりと捻り、ヘルの方にむけようと試みる。

(あいつには。ヘルには悪いことをした。ヤツの願いをかなえることはできなかった、まァ自己満足にしかならねえが一応謝っておくか)

 視線をヘルの方にむけると。

(――ん?)

 ヘルは床にしゃがみこんでいた。

 紫色のインク――恐らく自分の血であろう――でなにかを描いている。

 判読はまったくもって不可能だが、それは文字のように見えた。

 ヘルはいつもとは違う重々しい声でそいつを読み上げる。

「すべての闇の象徴。すべての悪の根源。すべての魔なるものに光をもたらすもの。

 オラーラム・クロス・ツームストン・ジ・アンダーテイカー。

 決して滅ぶことのない概念よ。今封印から解き放たれよ」

「――!?」

 文字が鋭い光を放つと、それに共鳴したように封印されし魔王が紫色に輝き始めた。

「ふう……。うまくいったみたい。完全復活させられるかどうかはわからない。でもイナに力を与えるには十分。どうする? 勇者さん」

 イナの骨体が今度はルビー色に輝き始める。

「……なんだよ。この臓物みたいな力は。どうなってやがるてめえのオヤジは」

「あっ! 口癖パクらないでよ! ホネホネ人間のくせに!」

「そういうなよ。なあヘル」

「なあにぃ?」

「ありがとうな」

 するとヘルは珍しく『哀』の感情を浮かべながら笑った。

「イナがお礼を言うなんて。天地がひっくりかえるのかな」

「この旅で起こったことに比べれば。天地がひっくり返ったくらいで驚きゃしないだろ」

 ヘルは確かに――と笑った。

「ねえイナ。ここまで来たんだから。もう行けるところまで行っちゃえ」

「ああ」

「なるべく死なずにね」

「うん」

「勝てるよ。わかるでしょ? 今物凄い力を手にしているのが」

「ああ。でもよ。コントロールできるかな」

「してみせろ!」

「応よ――!」

 ルビー色で骨だらけ、アバラが全部ない玄妙珍奇な物体は空間を飛び越えて移動。

 ヒロハの背後に周り後ろから両手を巻き付けた。

「しまっ――!」

「抱き心地わりいなおまえ」

 二人の体はふわっと浮き上がり、さっきヒロハがあけた天井の穴から空に消えた。

「おお。こりゃ絶景だ」

 見下ろせばマディンソンの街の灯、見上げれば満天の星空が見える。

「こういうの見て一応綺麗だと思うからなあ。まだギリギリ人間なのかもしれんな」

 ヒロハは懸命にもがく。だが。ロックは外れない。

「じゃあいくぜ。覚悟しな」

 イナは全身を駆けめぐる己のものならざるエネルギーを懸命にコントロールする。

 そして。

「くたばりやがれええええええ! <<焔ゆる死骨の膨張宇宙論>>!」

 ――爆発。

 巨大な爆発音がマディンソンやステファーン大聖堂、さらにはイナの故郷のアデイチの村辺りまで響いた。紫色の火の粉が花火のごとく連続で空を舞う。なにも知らない奴らは「なんて綺麗なんだ! たまたま起きててよかったー!」などとホザいた。

 ヘルはそれを見あげながら考える。

(――キレイ。もしかして。ヘルのために?)

 爆発ショウは十分ほど続きいよいよフィナーレ。

 最後の巨大な一発が空を燃やした。

 そして。

「イナ!」

 紫色の光と共に燃えカスがヘルの視界に現れた。全身真っ黒のススだらけになったイナはゆっくりと降下して足から着地する。

 それに遅れること数秒――。

 空気を切る音と共にヒロハも降下してくる。身に着けていた黄金の鎧は殆ど吹き飛んでいた。髪を結んでいた紐もほどけたようで金色の髪がバサバサとなびく。

(ん? ん?)

 ヒロハは体をVの字に曲げて尻から落下。一回転してうつ伏せに倒れた。

 そのまま目を閉じてぴくりとも動かない。

 イナはそれを見下ろして呟く。

「……勝った」

 それから叫んだ。

「勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! 勝った! ついに勝ったぞおおおおおおおおおおおおお!」

 動きは大変ぎこちなく両腕を上下させるだけだが、声だけはバカでかい。

 あまりの狂喜ぶりにさすがのヘルも少々苦笑いをしてアタマをかく。

 ――だが。しばらくして。

 そんなイナに冷徹なツッコミを入れるものがあった。

「どこが……だよ……」

 ヒロハが両手に力をこめてゆっくりと体を起こす。

(――!?!? あれえええええええ!?)

「キミの方がよほど凄まじいダメージを喰らってるじゃない」

 鎧が吹き飛んでヒロハの身体が露わになっている。ところどころコゲてはいるが新雪のように白くキメ細かい肌は触り心地がよさそう。長い金色の髪の毛と美しいコントラストを描いていた。

(――ってゆうかなにより!)

「ガキの頃のルールじゃあ、尻餅をついたり背中を地面につけたら負けだっただろう」

(――おっぱい!)

 細身の体の胸部には豊満なものが付随しており、赤い下着から少しはみ出していた。

「バカなこと言って」

 彼女はヒザを震わせながらも立ち上がる。そのボディラインは女性のもの以外のなにものでもなかった。

(――そうか。今初めて分かった。イナがああまでして闘った理由)

「そんなルールでも一回も勝てなかったんだから。立派になったもんだ。俺も――――」

 そんな言葉と共に。イナの体はバラバラに崩れ地面に散らばった。

 真っ黒い頭蓋骨が転がってゴロゴロという滑稽な音を立てる。

 ヒロハはその転がった球体を抱き上げると愛おし気に撫でた。

「ねえ」

「……なん……だ……」

「結局わからなかったよ。キミは。なんでこんなになってまで闘ったの?」

 ヒロハの目から涙。アゴを伝って骸骨の上にぽとりと落ちた。

 イナは珍しく素直に聞かれたことに答える。

「おまえに勝ちたかった。ただそれだけなんだ。ロウに入ったのも、こんな術を見につけたのも、魔王のムスメ――ヘルの仲間になったのも」

「なんでそんな――!」

「なんでって。ガキの頃からずっとそうだったんだから仕方がないだろう」

 ヒロハはそのときまで想像だにしなかっただろう。あの草原での闘いごっこにイナにとってそんなに大きな意味があったなどとは。

「なあ……そんな顔するなよ……世の中には人生に目標なんてものなにひとつ見つけられないヤツも多い。あったとしてもしょうもない誰でも叶えられるような小―――さな目標しかないヤツが殆ど……でもよ俺の目標は世界最強の勇者を倒すことだったんだぜ……大したもんだと思わねえか……?」

 イナは辛うじて言葉を紡ぐ。どうやって声を出しているかはわからない。

「ここまでたどりつくのにとんでもない旅をしたんだ……サンマルチノなんかよりもよほどすごい旅だった……楽しかったぜ……ウソじゃなく……めちゃくちゃに苦しかったけど……本当に楽しかったんだ……結果だけ見れば……なにも得ることのできないムダな旅だった……でもよ……なにもしねえよりよほどよかった……よかったんだよこれできっと……」

 その声はどんどん弱々しくなってゆき――

「それに……最後に一度だけ……おまえに勝つことができた……それは良かったな……ククク……」

 ここで言葉は終わった。

「イナ……」

 しばらくの沈黙の後。ヒロハは目からあふれ出た感情を爆発させる。

「バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカーーーーーーーーーーーーーー! なんだよそれ! なんだよそれ!」

 床にヒザをつき、なんども両手の拳を叩きつけた。

 地震が発生し床に穴が空く。

「なにが勇者を倒すだ! ザコのくせに! ありんこのくせに! なんでボクがおまえなんかの目標に――敵にならなくちゃいけないんだ!」

 拳から血が噴きだしてもそれを辞めない。

「僕はキミを! 愛していたのに! ずっとずっと――!」

 子供のように鼻水を垂らして泣きじゃくる。

 ――そんなヒロハに。

「ね。わけわかんないよね。ホントに男の人って」

 ヘルがぽつりと語りかける。

 魔族とは思えないというくらいに穏やかで優しい笑顔だ。

 ヒロハは振り返って呆然とその顔を見つめる。

「でもね男の人ってさ。強さがすべてなんだって。単純な力だけじゃなくてね。ケーキ屋さんにはケーキ屋さんの、詩人さんには詩人さんの強さがあるらしいよ」

 ぽつぽつと語る言葉にヒロハは懸命に耳を傾ける。

「そんでね。その強さによってもたらされるホコリが胸にないと男の人はダメなんだって。ねえ甘いものって好き? 男の人にとってホコリがないっていうのは、女の子にとって甘いものがないのと同じことだって。彼は言っていた」

 ヒロハは改めてヘルの顔を仰視する。なんたる可愛らしい顔であろうかと今更ながらに思った。

「彼にとってはそのホコリっていうのはアナタに勝つこと……いや正確にはアナタに強いって、対等だって認めてもらうことでしか得ることが出来なかったみたいだよ」

 そういってヒロハの背中をさすった。

「どうもイナ自身も気づいていなかったみたいだけど。彼はあなたのことが死ぬほどに愛おしくて愛おしくてどうしようもなかったみたい。だから。あなたに愛されるだけではイヤ。あなたと対等でありたい。もしかしたら俺が守ってあげたいと思っていたのかもね」

「そんで。その結果がこれ。そんなに愛しているあなたをボロボロになりながら追いまわして。ここまで命懸けでやりあって。一応満足はしたみたい。一体どんな種類の変態なんだろうね」

「キモチは理解できるけど、あそこまでやるのはやっぱりけっこうアホだと思うよ」

「わたしだったらなんにも気にせずにあなたとケッコンして幸せに暮らすな」

「でも。そんな彼だからあなたも好きになったんだよね? そう考えると。うーん」

 一方的にまくしたてるヘル。ヒロハは唇を震わせながら彼女に問いかける。

「あなたは一体……」

「魔王のムスメだよ。名前はヘル。人間大嫌いだけどイナが大好きな魔族です」

 ヒロハはアゴに手を当てて彼女を仰視する。

「ねえ納得できた? イナのキモチ。あなたに理解されなかったら可哀想だからさ」

「よ、よくわからない」

「そっか。残念」

 そういうとヘルはイナの頭蓋骨を拾い上げた。

「ねえ。安心してよ。彼はまだ生きている」

「えっ!?」

「そして。わたしなら彼を治せる――かもしれない」

「――!」

 ヒロハはヘルの胸ぐらを掴んで懇願した。

「治して! 治してくれるなら! 魔王のムスメでもなんでもいい!!」

「うん。でもちょっと待ってね。もうちょっと待たないと。そろそろアレが来るから」

「アレ……?」

「すぐにわかるよ。ほら。もうすぐそこだ」

 ヒロハもそのとき感じとった。なにか地鳴りのようなものが聞こえる。

「なにせ攻撃と治癒を同時にやらないと保ちそうにないんだ。どっちにしろヘルはたぶん死ぬんだけどね」

 やがて。さっきまで静かだった空間がドやかましくなる。

「ここかあああああああ! 脱獄犯め!」

「娘はいるようだが、男の方は!?」

「ん……? この女の人誰……?」

 馬に乗った騎士たちの大群が現れたからだ。

「うるさいなぁ……こんなに狭いところにこんなたくさんで来なくてもいいじゃん! やっぱり人間ってキホン臓物だよねー」

 ヘルが悪態をつくと。軍勢の最後方からどこかで聞いたような声が聞こえてくる。

「どうも。その節はお世話になりました」

 現れたのは。青い法衣に身を包んだ銀髪の男。首や肩には痛々しく包帯が巻かれている。

「ミズさん! どうしてここに!?」

 ヒロハの驚きに別の声が答えた。

「わたしもいますよ」

 後ろから現れたのは桃色の髪の拳闘士。

「げげげ……もうひとりヤバイのが来た……」

 カイリはにっこりと口元をほころばせるが目は笑っていない。

「彼はどこですか?? リベンジを果たしに来たのですが」

 拳が怒りに震えている。

「……あっ! カイリさん! アレを」

 ミズはヘルが抱える頭蓋骨を指さした。

「……どうやらもう終わってしまっているようですよ」

「――なんてこと!」

「ヒロハと闘ったのでは仕方がありませんね。私も残念です」

 二人は嘆息とも安堵ともつかない溜息をついた。そこに。

「そんなことはどうでもいい!」

 女性のけたたましい金切り声が響く。

「――! 魔法使いの……」

 ベリアイノはだらだらと汗を掻き、焦りを顔全体に浮かべていた。

「いいから! その子供を殺せ! それもただ殺すのではない! 粉々に消滅させて完全にこの世から消し去らないとダメだ!」

 ミズたちを含め、全員が彼女を唖然とした表情で見る。

「さすが。人を見る目があるね。歪みまくった形とはいえ、イナのことを好きになるだけのことはある」

 ヘルはいつのまに拾っていたのか、懐からイナが愛用した『ドス赤い』刃渡りのナイフを取り出した。

「ヘルの体の中にはね。本当は物凄い魔力が秘められてるんだって。魔法使いのお姉さんはわたしが頭突きでアタマから血ぃ出したときに気づいたんだよね?」

 ナイフを鞘から取り出して自分の首に当てる。

「だからさ。それを解放してあげればイナも治癒できる。ここにいるヤツらも全員吹き飛ばせる。同時に回復と攻撃をするのはちょっとむずそうだけど」

 顔に浮かぶのは彼女を象徴する無邪気なほほえみ。

「ちょっとやそっとカラダを傷つけたぐらいじゃダメだったけど。本気出せば行けると思うんだよね」

「……まさか!」

「大丈夫。みんな死にやしないよ。死ぬのはヘルだけ」

「なぜそんなことを!」

「だってさ。彼は。イナはわたしを守ってくれたんだ。なんどもなんども。それこそホントに文字通り自分の身を削って。嬉しかった。だってそんなことして貰ったことないもん。そりゃ別にヘルのためってわけじゃなかったけどさ」

 目からひとすじの涙。

「それでね。たぶんだけど。この世でたった一人。少しだけヘルのことスキになってくれたんだよ。たぶんだけどね」

 イナとの思い出が甦る。

 出会ったときのこと。一緒に闘うことを決めたあの夜のこと。安酒場で一緒に大好きな甘いものを食べたこと。なんかさみしくてムリヤリ一緒のテントで寝てもらったときのこと。観光ではしゃぎすぎて頭をどつかれたこと。そして。一緒に闘ったこと。

 さらに涙が止まらなくなる。

「あなたもイナのことずっと好きかもしれないけど。ヘルだってイナのこと出会ったときからずっと好きだったんだよ? まァついこの間のことだけどね」

 ヘルの涙は少しだけ紫色がかかっている。

 ヒロハはそれを美しいと感じた。

「だから。なにも怖くない。死ねる」

「辞め――!」

 ヘルはナイフを握る手に力をこめると、

「バイバイ。勇者さん」

 自分の首をぶった切って落とした。

 騎士たちは驚愕のあまりあんぐりと口を開いて身動き一つとれない。

 やがて。ヘルの首から紫色がごぼごぼと溢れた。血だ。

 それと同時になにか凄まじいものが溢れ出ていることをその場にいる全員が理解した。

 さらに。右手に持ったナイフは四肢すべてを切断。そこからもなにかが噴き出す。

 床に転がった首がしゃべった。

「やっぱりここまでやらないとダメだったんだな」

 ――暴風。

「さようならイナ。ヘルね。最後の瞬間。幸せだったよ。だってアナタを胸に抱いて、アナタのために死んだんだから。へへへ。ヘルらしくないでしょ」

 紫色の暴風が吹き荒れる。

「龍! 紫色の龍だ!」

「逃げろーーー!」

「バカ! 教会を守るんだ!」

「いやもうムリだろ! とんずらだーーー!」

(ヘルちゃん――いいなぁ。羨ましいよ。ボクもこんな風に素直になればよかった)

 聖ステファーン教の象徴であるハルホーン天啓教会は完全に崩壊。暴風はどんどん広がってマディンソンの街をも巻き込んで甚大な被害を出した。

 だが。長くは続かない。やがて消えた。

 封印されし魔王もどこかに飛んでいってしまった。

 あとにはなにも残らない。

 小さなつむじ風だけがいつまでもそこでくるくると回っていた。

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