第16話 王都脱獄戦

 目が覚めるとまっくらなカビ臭い部屋にいた。

 体中に冷たく固い感触。両手両足を動かすことができない。

 喧嘩や無銭飲食、ギャンブルの金の踏み倒しなどで幾度となくブチこまれたことのあるイナは、そこが牢獄であることを即座に感じとった。

「安心感を覚える自分が怖いぜ」

 などと独り言ちながら口の中の肉に歯の尖った部分を突き立てる。口中に溢れた血をペッと吐きだし<<血炎>>の術によりそれに火を灯すと、あんのじょう何十年も掃除などしていなさそうな灰色の石壁があった。一列に並び行く手を遮る真っ黒い鉄の檻棒、自らの体を幾重にもしばりつける鎖とおもり用の鉄球も見える。

「……ん? なんだ? 文字?」

 よく見ると鉄球には白いチョークで大変汚い字が書かれている。

『やっと捕まえたよバカ。JJちゃんに感謝。

 六兆個聞きたいことがあるから起きたら拷問してやる。

 貴様の永遠の恋人 ヒロハ・スリングブレイブ様より』

「そういうことか……。あの野郎。相変わらず爆裂に頭が悪いな」

「むにゃ……そうだねー……」

 イナの独り言に乱入してくるのはもちろん――

「おまえが言えた義理じゃねえけどなヘル。ほら起きろ」

 体を鎖で緊縛されながら、赤子のような無邪気な寝顔でよだれを垂らしている。

「んん……ふぁーーーー。ねむい。おはよーー。ぞうもつーー。ごはんはーーー?」

「寝ぼけとる場合か」

 イナは足の親指と人さし指で柔らかいほっぺたをつねった。

「いって! なにすんだぼけ! 誰だこのやろー!」

「さわぐな。イナだ」

「イナ? あれ? 暗い? どこなのここ?」

<<血炎>>のわずかな光のみが灯す部屋をキョロキョロと見まわす。

「ちょっとは考えろ。わかるだろう。牢屋だよ」

「ろうや!? ヘルなにも悪いことしてないよ!?」

「むしろ悪いこと以外なにもしていないだろ」

「えーと……ジェジェちゃんと一緒に筋肉見てて、そしたら突然眠くなってきて……」

「どうやら。そのJJが裏切って、俺たちにクスリでも盛ったらしい」

 そういって鉄球に書かれた文言を見せる。

「ここは恐らく王宮地下牢だろう。ロウの訓練生時代にここで働かされたことがある。この部屋もなんとなく見覚えがあるな」

「うーん。驚いたは驚いたけど、ジェジェちゃんならやりそうなことって感じ」

 ヘルは眉をハの字にして苦笑。

「ヤツは金に誠実な女だからな。クズ野郎だとは思うがブレない姿勢は嫌いでない」

「ヘルもジェジェちゃん好き。それでどうするの? どうやら待ってれば勇者さんが会いに来てくれるみたいだけど。ヘル二度寝してもいい?」

「いや。ダメだ。ここを脱走する必要がある。言っただろう。ヤツと闘う前にやっておくことがあるって」

 イナは口から真っ赤なツバを垂らし、ヘルを拘束している鎖に落とした。

「バカなヤツだ。あのバケモノ三人を倒したヤツがこんな拘束で捉えられるものか――」

 鎖はなんかちょっとクセになるような焦げくさい臭いと共に液体と化した。自由を得たヘルはぴょこんと立ちあがる。

「あ、ありがとう。なんかちょっとドキドキしちゃった」

「なんでだよ。変なやつ」

 自分の鎖を同じように断ち切ると、檻もいとも簡単に突破。

 廊下を見まわっていた看守を殴り飛ばしてカギを奪った。

「カギ別にいらなくない?」

「まあ見てなって」

 イナはカギを使って地下牢内を巡回、罪人たちをすべて解放した。

 歓喜とイナへの称賛の声で沸き立つ。

「人に感謝されるのは産まれて初めてだな」

「イナ優しいー! いよっ悪人の味方! 臓物!」

「これで援軍が来てもいくらか時間が稼げるだろう。その間に脱出作戦を考えよう」

 イナはどっかりと廊下に座りこんだ。

「作戦? まず地上に出て普通に逃げるんじゃダメなの?」

「さすがにここを出る所の警備はキツいぞ。すぐに助けを呼ばれるし」

「じゃあ壁を壊しちゃえば?」

「ダメダメ。いいかこの地下牢は王宮の敷地のでっかい見張り台の塔の下にあるんだ」

「ヤケイとハナビを見た建物みたいな感じ?」

「そうだ。だから壁なんか壊したらこんな建物すぐに崩れちまう」

 当時の高層建築は基本的に石材をひたすら高く積んでいるだけのものである。従ってちょっと強風が吹いただけで崩れるようなことがよくあった。

「えー? じゃあ一番上までいって空飛んで逃げるとか?」

 イナはパチンと指を弾く。

「ヘル。それだよ」

「えええっ?」

「そうなると。まずはこの下の地下倉庫だな。そこに向かう」

 イナはガバっと立ち上がると駆けだした。

「待ってよ! イナ飛べるの!? 鳥の臓物なの!?」

 ヘルもそれを追う。


 牢獄エリアの最北部からは小さなハシゴ階段が架けられていた。そいつを降りると地下倉庫に辿りつく。

「広い! 臭い!」

 王宮と同じ広さのある広大な空間だ。ざっくりと『田』の字型に区画分けされており、貯蔵されているのは置き場所がない石炭などの採掘資源や古くなった武器、家財、衣服、飢饉に備えた保存食や酒。などなど。

「よし。じゃあ探し物するかな」

 イナは部屋の隅に積まれた木箱の中を漁り始める。

「あっ。ヘルも手伝うー」優秀な学生の如くしゅたっと挙手をした。

「そうか。じゃあそうだな。『箱』を探してきてくれ」

「はこ? その木箱じゃダメなの?」

「ああ。もっとデカイヤツがいい。一番でかいヤツを頼む」

「はいはーい。じゃあ探しに行ってくるね」

 ヘルは鉄扉を開いて隣の区画の探索に向かった。


 ――三十分後。

「おっ。いいのがあった」

 ヘルはイナの司令どおり、およそ二メートル四方に深さも一・五メートル弱はありそうな巨大な鉄の箱を発見。歓喜の声を上げた。中に入っていた剣と槍をポイポイポイと床にほおり出す。

「重っ! いや。でもギリで持てる」

 小さな背中にでっかい箱を乗せてトテトテとイナがいた区画に戻ると。

「あーーーー! なにやってんのーーー!?」

 イナは床にあぐらを掻き、倉庫に貯蔵されていたと思われる赤ワインを一ダースも並べてラッパ飲みしていた。

「ヘルが一生懸命働いているときに! この臓――――――――物―――――――!」

 イナを叩きつぶそうと背中の鉄箱を頭上に振りかぶる。

「おいおい待てよ。そんなもので殴ったら死ぬ。よく見ろ」

 床に並べたワインの瓶を指さした。

「ん? あれ?」ヘルは鉄箱を置いて瓶の口をすんすんと嗅ぐ。

「鉄くさい。ドロドロしてる」

「血だからな」

 どうやらイナが口に含んでいる一本のみが赤ワインで、他はイナの血液のようだった。

 左手の手首からはどくどくと血が流れて空のワイン瓶を徐々に満たしてゆく。

「中身を入れかえているところだ」

 ヘルはポンと手を打った。

「なるほど! 血の兵器を製造してるってわけだ」

「なんで今まで思いつかなかったんだろうなあ。これがあればカイリもベリアイノも楽勝だったのに」

 ヘルはそれを聞いて苦笑い。

「思いつかなくってよかったよ。『今のイナ』でなければ死んでるよ。こんなに血ぃだしたら」

「言われてみればそうだな」

 イナはくくくなどと陰鬱な笑いを漏らした。

「俺もバケモノになっちまったもんだ」

 ……なんと回答したらよいかわからないヘルは適当に話をかえる。

「えーと。ワイン全部飲んだの?」

「まさか。殆ど捨てたよ。飲んだのは一本だけ」

「闘いの前なのに」

「上等のワインだ。もったいないぜ」

 などと言っているウチにワイン瓶が血で満タンになる。

「よし。とりあえずこんなもんでいいか」

 ワインに栓をして、手首に止血のための布を巻きつけた。

「おつかれさま」

「おう。箱も見つかったみてえだな」

「うん。これでよかった?」

「ちょっと一緒に入ってみよう」

「へっ?」

 イナはヘルを後ろから抱き上げると鉄箱に身をおさめた。

「おっ。いいかんじだな」

「ちょ、ちょっと! 降ろしてよ!」

 ジタバタするがいじわるして離さない。ヘルはそのうち諦めた。諦めた頃になってようやく箱の中に降ろす。

「どうやって使うの? こんな箱」

「言ったら面白くないだろう。おまえを驚かせるためってのもあるのに」

「えー」

 ほとんどゼロ距離なのに二人とも少しも嫌そうでない。

「まあ見てなって。ああそうだロープもあった方がいいな。探しに行こう」

「うん。――ところでさ。向こうにでっかいハチミツが入ったツボがあったんだけど」

「……ダメだ。置いていくぞ」

「えー!? 兵糧……」

「いらん」

「イナはワイン飲んだのにー」

「……じゃあここで食べていけばいいだろう」

 そういうと顔をパアっと輝かせ、鉄箱からジャンプで飛びだした。それから。

「なんか。楽しいね」

 などとイナの方を振り返る。

「……まあな」

「これで命がけじゃなければもっと楽しいのに」

「バカ野郎――」

 ヘルの額にデコピンを食らわせる。どうやらなかなかゴキゲンがよい。

「命がけだから楽しいんだろう」

「……やっぱりイナの考えることって微妙にわからない」

 ヘルはぷいっと横を向いて頬を膨らませる。

「それはいいけどさ。いつになったら俺の減った血を元に戻してくれるのかな。ちょっと待ってみたんだけど」

「ああ。ごめん。じゃあいっしょにロープ探しながら治癒しようね。ほら手ぇ貸して」

 二人で手を繋いで(ハタから見れば)いちゃいちゃしながら地下倉庫を漁る。

「お。ロープあったな」

「なげーこのロープ。どうするのこんなの」

「これは箱にくくりつけて――。あ」

「あ」

 二人の目の前に。右手にランタン左手にサーベルをもったおじさんが現れた。

「な、なんだ貴様らーーーー!」

 騒ぎを聞きつけて奥から警備兵たちがわんさかと現れる。

 なるほど。地下倉庫の奥は彼らの詰め所になっていたようだ。

「に、逃げろーーーーーー!」

「あっ! 待ってよー!」

 イナは鉄箱にロープとワイン瓶を入れ、そいつを前に抱えてダッシュ。

 ヘルも後に続いた。


 螺旋階段を登って逃亡した二人は塔の頂上の見張り台に到着。

「たまらん景色だなぁ」

 イナは入り口の鉄扉を閉じると隙間に血を垂らしてそれを<<凍血>>で固めた。

「あれ!? 開かねえぞ!」

「構わねえ! 壊しちまえ!」

 追いついてきた警備兵たちがガンガンと扉をノックする。蹴破られるのは時間の問題であろう。さらに塔の周りも既に軍勢に取り囲まれていた。その数およそ二十。

 身を乗り出すイナたちに、軍勢のリーダーであると思われる老騎士が叫ぶ。

「貴様らは既に包囲されている! さっさと投降したまえ!」

「あーあー。ひどいねえ。どうすんのー?」

「大丈夫。すごくよい作戦がある」

「どんな風にすごくよいの?」

「あのな。すごい楽しくて面白い作戦なんだ。特におまえにとって」

「いいね。どんなどんな?」

 イナはヘルの小さな耳にそっと口を寄せる。

(いいか。まずはな。さっき拾った鉄箱にロープをいいかんじに括りつけろ)

(いいかんじにだね? OK!)

 ヘルがとりりかかろうとした瞬間。入り口の鉄扉が蹴破られた。

 警備兵たちがなだれ込んでくる。

「ちっ! 早えな! 俺が食い止めるからやっとけ!」

「オッケー!」

 警備兵たちがサーべルを抜く。

 イナもナイフを構え――

「イナ! できたよー」

「早や!」

 ロープは鉄箱にプレゼントラッピングのように十字に結ばれていた。ヘルはロープの余った部分を持って、酔っ払いが寿司折りを持つが如く鉄箱を持ち上げてみせる。

 これは実にいいかんじである。

「どうすればいい?」

「箱の中のワイン瓶をブン投げろ! できるだけ高く!」

「うーい! オラオラ! 臓物臓物ウ!」

 ヘルはジャグリングでもするようにワイン瓶を空中に次々ほおり投げた。半分ほど投げたところで――

「<<血炎>>!」

 瓶たちは空中で爆発した。真っ赤な炎が夜空に弾ける様子は花火のように美しかった、などと当時のマディンソン事件史には書かれている。

「からの! <<粘血厭附着>>!」

 さらに。その空中爆破した血液はゲル状に固まると、風船のごとく空に浮かんだ。警備兵たちや塔の下で構える軍勢たちはただただそれを呆然と見あげることしかできない。

「よし! 逃げるぞ! あいつに乗って!」

「えええ!?」

 イナはヘルの小さな体をポーンと放り投げ、ムリヤリ鉄箱の中にほおりこむ。それから括り付けたロープの先端を血の風船の中につっこんだ。すると。

「おおお??」

 鉄箱とヘルの体がふわりと浮かび上がる。

「よっしゃ。俺も乗せろ」

 イナも鉄箱に飛び乗った。風船は重みでいっしゅん下に下がったのち、ほんの少しづつ高度を上げていく。

「ん? ちょっと重いか? ヘル、ダイエットしろよ。甘いもの食べ過ぎなんだよ」

「い、イナ! これは!?」

「<<血気球>>なんてのはどうだ? おまえ、ベリアイノのところへ行くとき乗った気球を気にいって、また乗りたいって言ってただろう。その夢を叶えるためだけに開発したワザだ」

「わーい! イナのそういうところ好きー! でも鉄臭せえ!」

 警備兵たちはしばしその異様な光景にポカンと口を開けていたが――

「な、なにをやっている! 逃がすな! つかまえろ!」

 怒声を上げながら迫りくる。まだ十分にとらえることのできる高度と間合いである。

「うーん。やはりちょっと重くて動きが悪いな。ヘル。そのワイン瓶、残ったヤツも投げちまってくれ」

「オッケーぞうもつ!」

 ヘルは迫りくる警備兵に向かってワイン瓶をブン投げた。

 イナがパチンと指を弾く。

 ――<<血炎>>。

「ぐおおおおおお!?」

 爆風は警備兵を吹き飛ばすと同時に気球にさらなる推進力をもたらした。

「おおおおお! すごいすごい!」

「どうだ。俺の気球最高だろ」

「うん! イナがヘルのために作ってくれたんだもんね!」

 兵士たちは塔の屋上と根元のそれぞれで地団駄を踏む。

 二人はそれをニヤニヤ笑いながら見おろしていた。

 風が鉄箱から身を乗り出す二人の頬を優しく撫でる。

 気球はマディンソンの夜空をふわふわと漂い、徐々に街の外壁が見えてきた。

「このまま目的地まで行っちまいてえな。なんとかうまくコントロールできないものか」

「もう血の入った瓶は残ってないよ」

「ヘル。ちょっと突風を起こしてくれ」

「ふーふー!」

「お誕生日おめでとう」

 などと話していると。

「――カアアアアアアア!」

「おおん?」

「もう! 今度はなに!?」

 けたたましい鳥類の泣き声が聞こえた。

 翼長三メートルはあろうかという巨大な黒いカラスが目の前に出現。

 そいつは血の風船を鋭い嘴でついばみはじめる。

「辞め――! うおおおおお!」

 ぷしゅーという間の抜けた音と共に風船はしぼみゆく。

 鉄箱とイナたちは垂直に降下。

 ――ボムフン!

 奇妙な音と共に地面に墜落した。

「いててててて……。危ねえ。こいつのおかげで助かった」

 イナは下になって自分たちを受けとめてくれた血液のぷるぷるをバシっと叩いた。

「ラッキーだったね」

「どこがラッキーだ。なんだよあのカラスは畜生」

 辺りを見まわすとマディンソンの街壁が見えた。

 どうやらまだ街の中のようだ。

「とっととズラかろう。やっこさんらが来ない内に」

「うん!」

 二人は街門に向かって駆ける。が。

「――そうはいきませんわ!」

 背後からよく響く女性の声。振り返ると。

「あなたたち脱獄犯なんですって? 既に連絡を受けておりますわ!」

 そこにはマディンソンの街壁を警備する『シティ・ガーディアン』の証である薔薇の紋章入りの盾を持った女が立っていた。

「――おまえは!」

「アナタは!」

 金色の髪の毛をグルグルに巻いてド派手な化粧をした、なんとも浮世離れした女に見覚えがあった。

「サーシャ“ザ・ドリル”アンクス!」

「イナ・グロウリア!」

 ヘルは二人の顔を大変興味深そうに見比べる。

「説明しよう! サーシャ“ザ・ドリル”アンクスとは! 俺のロウ訓練生時代の同期生でアタマのネジがいっぱい抜けた召喚術士なのだ! 恐らく先ほどのカラスはこの女が召喚したものだと思われる!」

「なんなんですの!? その説明セリフは! バカにしてるでしょ!」

「懐かしいなァ、サーシャちゃん。元気だったかおい」

「慣れ慣れしいですわよ! ほぼしゃべったことなんてないのに!」

「同期の中じゃよく覚えているほうだぞ。あのコラ・ドラゴンの巣穴の床を抜いたのが印象的だったからな」

「うっさいですわ! 昔のことをネチネチと!」

 サーシャは激高しながら、魔力増強の聖木杖を構える。

「そういえば。あのあとすぐにいなくなったんでしたっけ? ふん。落ちぶれたもんですわね。脱獄犯なんて」

「おまえだってシティ・ガーディアンじゃないか」

「なっ!」

 当時のシティ・ガーディアンという職業は名前こそかっこいいものの、騎士の中では低級というか、あまり出世の道がひらけていないポジションであった。

「やかましい! 同期はみんな辞めちゃったんだから、私はヒロハ・スリングブレイブと並ぶ出世頭よ!」

「どこが並んでるんだよ」

「黙れ!」

 サーシャは聖木枝を振ると複雑怪奇な魔法陣を地面の石畳に描いた。

 眩い光と共に召喚魔術が発動される。

「いでよ! ヘルフレアギガベロス!」

「おお懐かしい」

 サーシャが召喚したのはあのときと同じ、三頭を持つ巨大な犬であった。

 イナは両腕にナイフを突き刺し<<凝血>>を発動。赤紫色の剣と盾を構える。

「なんですのその術! キモチが悪い……。べロスちゃん! やっておしまいなさい!」

 ギガべロスは可愛らしいキャインキャインという声を上げながら突進。

 イナは盾で受け流して辛うじてこれを躱した。

 ギガベロス、すぐにターンして再び迫る。

 イナ、今度は反撃を試みるが空振り。ドテっぱらに突進を喰らってしまう。

「イナ!」

「ホーーーホホホホホホホホ!」

 吹き飛んで街壁に叩きつけられるがすぐに立ち上がる。

「ワンコロ野郎。カワイイ顔してなかなか強いじゃねえか」

 服のホコリを払いながらそんな風に嘯く。

「当然よ。わたくしを誰だと思ってますの?」

 サーシャはまたも高笑い。ギガベロスはその様子を見て嬉しそうに尻尾を振っている。

「それによく懐いている。でもよ。逆にさ」

 イナは凍血剣を肩の上に振りかぶると――

「こうすれば攻撃は当たるってことだよなあ」

 槍投げのごとく『サーシャに』向かってほおり投げた。

 突然のことにサーシャは反応できない。

「――キャンキャン!」

 だが。健気なギガベロスは身を挺してご主人様を守った。

 背中に血の剣が刺さる。

「キャイン!」

「ベロスちゃあああああああああああああああああああああああああああああん!!!」

 サーシャが金切声を上げる。

「そんなに騒がなくても大丈夫だよ。そいつからしたら蚊にさされたようなもんだろ」

「おのれえええええ!」

 ギガベロスの背中に飛び乗って剣を引っこ抜いた。

「そんなに怒って。本当に仲がいいんだな」

「ホザケ! でも! ホホホ! 武器を捨ててしまってこの後どうするつもりですの?」

「この後もなにも。この闘いはもう終わりだろ」

「そのとおり! さあ。やっておしまいなさい」

 ギガベロスが迫る。だが。

「マテ! オスワリ!」

 イナがそういうと彼は犬の習性か、その場に座りこんでしまう。

「そのまえにさ。その傷治してやらないとな。ヘル。頼んだ」

 ヘルが目をかっぴらいて自分を指さした。

「なおしちゃっていいの?」

「ああ。動物は好きな方なんだ」

「んー。まあいっか」

 サーシャとギガベロスがポカンと顔を見合わせる中、ヘルの両腕が紫色に光る。

「<<死に至る治癒>>」

「――――――キャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンキャンキャン!!!!」

 治療が始まると、ベロスは泣き叫びながらその場でグルグルと旋回しはじめる。

「ベロスちゃん!?」

 やがて彼は街壁を突き破って街の外に出てしまった。

 サーシャは追い駆けようとするが無論間に合わない。

 あっという間に地平線の彼方に消えた。

「おのれええええ! なにをしたんですの!?」

「別に。ただ治癒してやっただけさ」

「はあ!?」

「ごめんね」ヘルが口を挟む。「わたしの治癒って良く効くけどめちゃくくちゃ痛いの」

「まあ動物は耐えられんわなあ。人間と違って痛みを我慢するという概念がないから」

「普通は人間も無理だよ。イナが異常なだけ」

「人を変態みたいに言うな」

「ド変態だよ」

 サーシャはそんな二人に向かってビシっとひとさし指を突き立てた。指先が震えている。

「わけわかんないわ! とにかく! 私はこの街門を壊したことがバレると怒られていやなので逃亡致しマス! だいたい給料安いのよ!」

「じゃあな。また会えて良かったよ」

「ウソつくなですわ! ――待ってー! ベロスちゃん!」

 サーシャはまさしく脱兎のごとく逃げ出した。

 イナはヘルに尋ねる。

「あいつどう思う?」

「んー」

 ヘルは少考ののち、にっこりと微笑んで答えた。

「なんか癒されるー」

「だよな」

「絶妙に抜けてる感じと、あんな人間からしたらキモイであろう動物をめっちゃ可愛がってのがいいね」

「うむ」

 二人の意見はここへきて見事に合致した。


★★★


 王宮に響いた緊急事態を告げる鐘の音で目を覚ます。

 ヒロハは鎧を着こむとゆっくりと部屋を出た。

「なにがあったの? また石の塔でも倒れた?」

 廊下を駆ける警備兵は息を切らしながら答えた。

「脱獄者が出たんですよ!」

「――!」

 ヒロハは動揺を押し殺しつつ彼にさらに尋ねる。

「それってもしかしてさ。痩せた男と小さな女の子の二人組……?」

「そ、そうです! なぜわかったんですか!?」

 ヒロハは額から滝のように汗を流す。そして。

「ちょっと散歩してくる!」

 信じがたいスピードで駆け王宮を後にした。

「ヤツが行きそうな場所は――」

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