第15話 王都観光

 マクマール帝国の首都マディンソンは人口五十万人を超える、当時としては世界最大級の都市であった。街をぐるっと取り囲む空色にペイントされた強固な城壁。大理石が敷き詰められた美しい街道。赤レンガ造りの可愛らしい住宅。きらびやかな衣装に身を包むご婦人にご紳士。そして中央にそびえたつ巨大な王宮。金色に塗られたドーム状の屋根が太陽の光を反射して街全体を少々眩しすぎるくらいに明るく照らしていた。

「へー」

「ふーん」

 帝国民たちだけでなく世界中の王族や成金たちにとっても憧れの地であり、ここにを訪れたことがあるということが一つのステイタスになるほどであった。また当時の芸術家たちはこぞってこの風景を絵画に残し自らの代表作とした。

 さらにこれが夜になると。

「どうだキレイだろう」

「うーんそうねー」

 街の四隅に設置された高さ八メートルほどの見張り用の石塔からは街の風景を一望することができた。オレンジ色の街灯でライトアップされた街はこの世の者とは思えないほど美しく、百万デビアスの価値があると言われている。

 四つの石塔の内、南塔だけは観光客向けに解放されており大変な盛況。

 美しいご婦人たちがキャーキャーとはしゃぎながら下に広がる光景を見下ろしている。

 ただし。そんなにテンションが上がってないヤツらもいた。

「正直、人間が美しいと思うものって、キモチ悪いとか怖いって思っちゃうんだよね。ごめんねイナ」

「そっか。気にするな。俺もぜんぜんキレイと思わん」

「でも連れて来てくれたことは嬉しいよ」

 ヘルは窓から身を乗り出してマディンソンの街を見下ろす。

「ムリして見なくてもいいぞ」

「せっかくだから見たい。怖いモノみたさってやつかな。それに。ヒマだし」

「……だな」

 イナとヘルの無駄にド派手な格好は無駄に絢爛なこの街に不思議と溶け込んでいた。

「あれ!? そういえばイヤリングとサークレットとロザリオは!? 失くした!?」

「んなわけあるか。服の中に隠してある。ここじゃあ恐らく見たことがあるヤツもいるだろう。丸出しにしていたらまずい」

「そっか」

 ヘルはホッと息を吐く。

「しかし。JJのヤツ遅いなあ」

「ねーどこでアブラ売ってるんだろうねー」

 勇者の居場所を調べてくれるように依頼をしてからもう二日が経過する。

 自分たちで調べては足がつく可能性があるとしてJJに頼んだのだが、これなら自分たちでやったほうが良かったかもしれない。イナは心の中で舌打ちをした。

「……あんまり遅れるようなら先にアッチの用事だけでも済ませておくかなあ」

「アッチの用事? エッチなこと?」

「違うわバカ。エッチなのは嫌いだ。勇者との闘いの事前準備。ヤツを陥れる神をも恐れぬ極悪な作戦だぜ」

「ほー! 面白そう!」

 ヘルはイタズラを思いついた子供の如くニカっと歯を見せて笑った。

「楽しそうだな」

「うん。楽しいよ。この旅に出発してからずっと楽しい」

 イナの服の袖を控えめにさきっちょだけ掴んだ。

「なんども死にかけたのにか? 主に俺がだが」

「そうねー。確かに心臓どきどきすることばっかりだったけど。でも。一緒にいろんな所に行けてよかった。連れて行ってくれてありがとうね」

「確かに結構観光もしたな」

「うん。もうこの旅行もそろそろ終わりなんだね。ちょっと寂しい」

「旅行っておまえ」

 少しだけ憂いの色を浮かべるヘルを見てイナは考える。

 ――こいつはこの旅、この闘いについてなんの後悔もないだろう。

 滅ぼされた一族を復活させるための、滅ぼした張本人を倒すための闘い。

 そこになんの間違いもない。なにひとつブレはない。

 だが俺は。

(ブレまくりだ。そして間違いなく後悔するだろう)

 よりによってあいつと命をかけて闘おうなど。

 ――だが。

(まあいい。今更後には引けない。それにもしこの旅をしていなければ、それはそれで後悔をしていたに違いない)

 へルの笑顔を見ていると、なぜかそんな風に思えてくる。

「どうしたの? ヘルの顔じっと見て」

「いや。こんな夜景なんかよりおまえの方がキレイだなと思って」

 真顔でそんなことを言ってやったら、ヘルは呼吸困難になるくらいに笑った。

「……釈然としねェ」

 ――と。

 ふいに外から――パーン! パラパラ。となにかが弾けるような音が聞こえた。

「わあああああ! なに!? なに!?」

「ああ。そうかそういえば今日は聖女ステファーンの生誕祭だったか」

「うおおおおおお! ぎゃああああああ! 臓物ううううう!」

 ヘルは初めて見る『花火』に興奮してやたらめったら飛び跳ねる。

「きれーーーー! やべえええええ! 人間にこんな技術があったとは!」

「つい最近開発されたムダな技術だ」

 炎の魔法を使用したものであり、現代の『花火』とは根本的に異なるが、ハタから見る分にはほとんど同じ現象が起こっていると言ってよい。

「人間が作るもんは美しく感じないんじゃなかったのか?」

「なに言ってるの。炎をキレイと思わない魔族はいないよ! だって炎を産みだしたのは魔族なんだからね」

「あっそ。知らんけど気にいったみたいでよかった」

「うん! 人間が作るものって基本ゴミクズだけどさあ。甘いモノと気球、それから花火だけはまあまあいいね」

 イナは苦笑しつつヘルのアタマにそっと手を乗せた。


 ――それからおよそ三時間後。

「いやーすいませんすいません。遅くなりましたわあ」

「しばくぞおまえ」

 そろそろ日付が変わろうかという頃、ようやくJJがイナたちに合流した。

 ブラウンのワンピースなんぞ着て髪を下ろして、いつもよりは多少着飾っているようだ。

「まあまあいいじゃないですか。とにかく行きましょ。行きつけの店に案内します!」

 世界最強軍の騎士たちが警備を行っているため、マディンソンの街の治安はブキミなほどに良い。従ってクリーンな街というイメージが強いが、裏通りの方にいくと実はけっこうないかがわしい店舗が並んでいる。

 JJがイナたちを案内した店はそんな妖しいお店のひとつで――

「ナイスバルク! ナイスバルク!」

「腹筋にチョコレートついてんのかい!」

「僧帽筋にデカメロン! 退廃のデカダンス!」

「こんなに切れるには……眠れない夜もあっただろう……」

 中央の円形ステージを囲むようにテーブルが並べられたいわゆるショウパブスタイル。

「どうですイナの旦那。最高でしょう?」

「おまえの顔面を殴りたい」

「ヘルちゃんは?」

「うーん。嫌いじゃない」

「本当か? よく考えろ? 人生最後の夜に見たものがこれになるかもしれんのだぞ?」

 ステージの上では筋骨隆々とした黒パンツ一丁の男たちが悩まし気なポーズを取ったり、ちょっとしたダンスを踊ったりしていた。全身を黒焦げに焼いてオイルを塗りたくった姿は魔族よりも人間っぽくない。彼らは当時、俗にストロング・マンと言われていた職業の者たちだ。

「チップチップーーーー!!」

「うお!?」

 ステージ上のストロング・マンの一人が突如、イナたちに向かって駆け、テーブルのど真ん中に飛び乗った。

「チッププリーズ!」

 彼は極小パンツが辛うじて隠す股間を三人の前でカクつかせた。

「オフコース! ミスター・ストロングマン!」

 JJは満面の笑顔で紙幣をパンツにねじ込む。

 ヘルもそれを真似てJJが入れたのとは反対側にお札を挿入した。

「ああ。ダメですよヘルちゃん。こういうときはもっとちんちんを触っていかないと」

 イナは呆れ果てて得意のツッコミの言葉も出てこない。

「とりあえず。酒持ってきてくれ。シラフじゃやってられん」

「ヘルもなんか飲みたいー」

「ああ。それならオススメがありますよ!」

 JJはイナのためにニガウリペースト入りの特別製・激苦コーン酒を、ヘルのためには生クリームと苺シロップのたっぷりのっかったソーダを用意してくれた。

「うんま! 甘んま! 臓物!」

「まあまあうまいな」

 JJはドヤっと腰に手を当てて、常連客にしか出ない特別メニューである旨を説明した。

「それもいいけどよ。早く本題に入ろうぜ。ヤツの居場所はわかったのか?」

「まあまあ。せっかくのマディンソンの夜なんだから楽しみましょうよ。こういう店好きでしょう?」

「なぜ好きだと思うのだ」

「だってお姉ちゃんの店には一ミリも興味ねーですし、ヘルちゃんにも手え出しそうで結局出さないじゃねーですか! ああそっちなんだなーと」

「今すぐに貴様のカラダで誤解を解いてやろうか」

 ――ゴーン!

 鐘を叩く音と共に『マッチョ・ドラゴン』なる出し物が始まった。希望者をステージに上げ筋肉男たちがまず服を脱がし、それから頭上に持ち上げて他の筋肉にパス、どんどんパスを繋げていって最終的に店の外に窓ガラスをブチ破ってほおり出すという競技らしい。

「わあ! わあ!」

 ヘルは好奇に目を輝かせてその様子を見ていた。

「へへ。ヘルちゃんは随分気に入ったみたいですね。将来有望だ!」

「うん。ちょっとキモイけど楽しい。ジェジェちゃんはこういう店よく来るの?」

「ええ。わたしゃこのマディンソンの裏通り出身ですからね。この辺の店で働いていたこともあります」

「そうなのか?」

 イナが少々驚いた口調で尋ねる。

「ええ。けっこういますよ。ここ出身で南部に流れていく奴ら」

 ……考えて見れば。南部のダラッツでヘルと出会い、西部トルイスでカイリと闘い、北部のフィフ・マジク・シティでベリアイノと闘い、東部のステファーン大聖堂でミズと闘い……随分長い旅をしたもんだ。イナはコーン酒を傾けながら感慨にふけった。

「うまそうに飲みますね」

 JJがにっこりと微笑んでそんなイナの顔を覗き込む。

 いつも一定以上の距離を詰めてこないJJには珍しい。

「たまには私も飲もうかな」

 JJが当時流行していたアップルエールを注文すると、筋肉男が氷の入ったグラスにエールを注ぎ、その上でリンゴを片手で握りつぶしてくれた。JJはそれを慣れない手つきで少しだけ口に運んだ。

「なんだ。初めて飲むガキみてえだな」

「初めてじゃねえですけど。言ったでしょ? 酒もタバコもクスリも甘いものもやらないって」

「裏通り出身が聞いて呆れる」

「ちぇっ。ここら出身だからって無法者とは限んねーですよ。だって――」

 JJはグラスの中の氷をカラカラと鳴らしながらイナとヘルを見た。

「あのミズ・フリッツもここの出身というウワサなんですから」

 イナとヘルは驚きに目を見開く。

「ここより少――――しだけ不健全な直接サービスするタイプの店で働いていたところを神父様にスカウトされたんですって。ま、あくまでウワサです」

 ……イナはそれは本当かもしれないと考えた。彼の普段の狂気的なまでの聖人ぶり、そして恥をかかされたと思ったときの豹変ぶり。

「あのねえ。あたしがいた店はね――」

 JJが珍しく――というよりまったく初めて――自分の過去を語り始めた。

「急にどうした?」

「まあいいじゃないですか聞いて下さいよ」

 イナとヘルは少々驚いた顔を見合わせる。

「あたしがいたのはここよりちょっと中央通り側にある店でね、一応健全な酒場ってことになってました。私の母が経営者でさ。親孝行もんのあたしゃよく働いたもんです」

 親孝行もん? 銭ゲバ右だけ眼鏡の貴様が? などとは茶化しづらいシリアスな声色だ。

「料理運んだり、酒を注いだり、寝ちまった酔っ払いを路上に投げ捨てたり、まあなんでもやりましたよ。それで母親の跡を継ぐつもりだった」

 底のほうでダマになったリンゴをスプーンで掬う。

「わたしゃそんときゃまだ酒場ってのはお客に酒や料理を出す場所だと思ってたんだですねぇ」

 違うの? と問うヘルのアタマをそっと撫でる。

「女だてらに酒場なんぞやってるヤツが土つきのギャングのおっさん相手にどんなことをしているか。客を繋ぎ止めるためにはなにをする必要があるか。なんにも知らないで母親を尊敬してたんだから笑っちまう。別に好きでやってる人をバカにする気はねーけどね」

 なにをヤルの? と聞こうとするヘルの口をイナが塞ぐ。

「そんな話を客の若い男から聞かされたのが十四歳のとき。それが事実だという『現場』に出くわしちまったのが忘れもしない。十五歳の誕生日だった。あたしの行動は早かった。その日の内に家出してやった。ざまあみろ!」

 セリフのわりにはあまり痛快そうな表情はしていない。

「で、その後の人生はなかなか大変なものでしたよ。毎日毎日、食うや食わずやの生活。ゴミを漁ったり犯罪スレスレのことをしたこともしょっちゅう。でもね。あたしが考える最低限のものは守ってきた」

「最低限のものって?」ヘルが尋ねる。

「牢屋にブチこまれたり、好きでもないヤツにヤラれたりしないこと! あとは死なないってことさ!」

 などと隣に座ったヘルに抱きつく。ヘルは少々狼狽した様子。

「なるほど――」

 イナがコーン酒を傾けながら口を挟んだ。

「おまえがあれほど金に汚いのはそのためか」

「そのとおり!」

 今度はイナの肩にねばっこくしなだれかかる。

「さすが旦那。わかってらっしゃる!」

「うざい。離れ――」

 JJを振り払おうとした瞬間。――あれ。なぜか視界がうすぼんやりとしてくる。酒に酔った? いやそうじゃない。

「あたしが最低限のものを守ってこられたのは金を稼ぐことができたから。だからさ」

 ヘルの目もとろんと熔ける。

「金をくれる人がいるとね。立ち位置が変わるんですわあ」

 イナとヘルは同時に椅子から転げ落ちた。

 酒場では日常茶飯のこと。気に留めるものはいない。

 JJはワンピースのスカートの中に隠した伝書鳥を取りだした。

「勇者さん、勇者さん。先日ご依頼のとおり捕獲に成功しましたぜ。お人好しだますのはちょろいけど後味が悪いねえ」

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