第14話 イナとヘル
スイート・フォレストには『恋人たちの並木道』と言われるエリアがある。
これはすべての植樹が一〇〇パーセントチョコレートで作られているという狂気に満ち溢れたアトラクションだ。そこにはどんなチョコレート好きでも意識が飛ぶくらいの強烈な甘い風が吹く。もともとあまり人気のないスイート・フォレストの中でもトップクラスの不人気を誇っていた。
「ソイヤ! ソイヤ! ゾウモツ! ゾウモツ!」
ヘルはそのチョコレートの木たちを怒りに任せて頭突きや飛び蹴りで次々と破壊、壊す端からすべてたいらげていた。自分でもなぜこんなにも腹が立つのかわからない。自分は彼のなにがムカつくのか。彼にどうして欲しかったのか。
そんなことを考えながら木の根っこを踏みつぶしてバラバラに砕いていると。
「こんにちは。あらぁ?」
声をかけてくるものがあった。
「あのときはよく見えなかったけど。可愛らしい顔してるのね。口の周りがチョコレートまみれでエラいことになってるけど」
逆光で顔がよく見えないが、この男どこかで――
「アナタに特に怨みはないけれど。まずはお眠りなさい」
無防備な背中にまわりこみ、湿ったハンカチーフで鼻と口を塞ぐ。
ヘルはあっという間にキモチよくなってしまった。
……目を覚ました瞬間、酸っぱい匂いが強烈に鼻を突いてくる。
眼前に広がるのは透き通った水で満ちた湖。
これはチョコレート並木のすぐそばに建造された『恋人たちの夕暮れ』と言われるアトラクションで、簡単に言えば湖を白ワインで満たしたもの。二人用ボートを浮かべてラブラブに漕いで遊ぶなんてことができる。
ほぼ円形の湖は半径で十メートル以上はあるだろうか。無駄にバカでかく製作費がとてつもなくかかっているわりには、一部のアルコール中毒者以外には爆発的不人気を誇っていた。製作者曰く、原作に出てくるのだから仕方がない。とのことである。
ヘルが座っていたのはそのでかい湖の中央に浮かんだ小さな島の上。
「お姫様が目覚めたみたいね」
「――アナタは確か」
長い栗色の髪、カールした口髭、『ど』ピンク色のへんちくりんな服。ほっぺたにはハートのような形の火傷の跡。
この旅の初めにイナと共に闘った賞金首男だ。確か名前はカクヨク・オルガと言ったか。後ろには手下が十数人ばかり控えており、全員大きなボウガンを装備していた。
これは大変まずい状況と言わざるを得ない。
「生きてたんだ」
立ちあがって逃げ出そうと試みるが、両手両足を縛られた上ご丁寧に胴体を荒縄で木に括りつけられているため一切身動きが取れない。
「ええ。ちょっとばかり顔が勇ましくなっちゃったけどね。――――――――――――――――――――――――クソがあああああ! ブチ殺してやるわああああああああ!」
ヘルが括りつけられている木を何度も蹴りつける。
「前よりもかっこいいじゃん」
「そう! ありがと! じゃあ王子様が迎えに来るのを一緒に待ちましょうか」
そういって腰に刺さったレイピアの切っ先を喉元に突き立てた。
「言っておくけど。妙なマネをしたら首を斬り落とすからね」
「なにもしないよ。できないもん」
オルガはいい子ねなどとヘルのアタマを撫でた。
「でもね。かれは来ないと思うよ」
「あらどうして?」
「わたしには王子様みたいなもんはいないから」
「そうかしらね?」
「それにさ。こんなところで待ってたら誰か来ちゃうかもよ」
「大丈夫よ。こんなバカなアトラクションに誰も来るわけが――」
オルガが対岸に目をやりながら呟いたそのとき。
(ん……?)
不人気故、こゆるぎもしない水面にわずかな揺れ。
ヘルだけがこれに気づいた。
よくよく凝視してみると。サメが背びれを水面に出すがごとく、赤くて尖ったなにかがわずかに顔をだしている。
そしてその部分だけワインがほんの少し変色して赤ワインになっているようにも見えた。
(まさか……!)
ヘルは思わず叫ぶ。
「来ちゃだめえええぇぇぇ!」
その声に反応して、オルガと手下共もそのサメに気づいた。
「――! 打てえええええ!」
ボウガンがそのサメに向かって放たれる。
すると。水面からうおっ! などという声。
サメはやべえやべえなどと叫びながら対岸へと逃げていった。
「――ホホホホホホホホホホホ! 見つけたわよおおおおおおお!」
ぶはっ! と息を吐きながら対岸に上がったサメは、真っ赤な燕尾服を着た激痩せのハンサムガイだった。
「ちっ! ヘルのバカ野郎め。奇襲できそうだったのに」
「できないよバカ!」
イナの右手には<<凍血剣>>。背中や肩にはさきほど放たれた矢が刺さっていた。
「しかし勇ましい顔になったな、カクヨク・オルガさんよ。もともと色男だったのにさらに色気が出てきた。モテるだろうホモに」
オルガはくっくっくと笑った。
「余裕ぶっこくのはいいけど。どうするの? この状況。このボウガンはこんな距離余裕で届くわよ。対してあなたの得意の炎はこの状況ではとても本領発揮はできないんじゃなくって?」
確かに。この湖上の闘いでは炎の攻撃をしても致命傷を与える前に消火されてしまう可能性が高い。それに距離も離れすぎている。
「逃げて! イナ!」
ヘルが声を枯らして叫ぶ。
それを聞いたイナは微動だにせずくくくと笑った。
「おまえまでどうした。俺は別に炎の技だけが得意ってわけでもねえぜ」
「あらそう。じゃあアナタはこの状況をどうにかできるってわけね?」
「まあな。ブサイク男爵」
「じゃあやってみろガリガリ貧相骸骨! 打ち方準備!」
オルガと手下たちがボウガンに矢をつがえ始める。
「おいおい悠長すぎるだろ。事前にそれをやっておけば良かったのに」
イナは右手に構えた凍血剣を振りかぶると――
「まあもっとも。そんなもので今の俺が死んだとは思えないがな」
全くもって欠片も表情を変えることなく――
「えっ?」
自分の左腕のヒジから先を切り落とした。
「料理は結構得意なんだ。俺が捌いたシイラの生け作りは絶品だぜ」
そしてそいつを湖にほおり投げる。
オルガたちは絶叫。
「びびってんじゃねえよ。オカマのくせに。月に一回大量出血してるんじゃねえのか」
ヘルは衝撃に声も出ない。
次の瞬間。
「己血術・三大酷技<<墳血破壊光線>>」
イナの左手の『切り口』から赤紫色のレーザー光線が照射される。
そいつはオルガたちがいる小島へまっすぐに飛んだ。
「ギャアアアアァァァ!」
光線は着弾と同時に爆発を巻き起こす。
手下たちは栗が弾けるようにして湖に落下していった。
「へえ。ボスを守るために囲んで守ったか。大した忠誠心だ。実はあんたそんなに悪い奴じゃないのか?」
ヘルとオルガだけが小島に残される。
「ひいいいいぃぃぃぃぃ!」
オルガはガタガタとふるえながらも、
「お、おとなしくなさい! この娘がどうなってもいいの!?」
レイピアを抜きヘルにつきつけた。
「――いいわけないだろう。だからここに来たんだ」
「じゃあ! そこから二十歩下がりなさい!」
「なるほど」
イナはふうむとアゴに手を当てた。
「悪くはない判断だ。直撃を喰らった部下たちが死んでねえことから、俺のこの攻撃の射程が実は大して広くないことを見抜き、その範囲から出そうっていうんだ。しかも――」
どばどばと血を垂らす自分の左手を見つめる。
「そうこうしているウチにゃあ俺に限界がくるってわけだ」
オルガは大量の汗を流しながらもニヤりと笑った。
「でも。ダメさ。実はこの闘いはもう終わってるんだ」
「へっ?」
次の瞬間。オルガの背後の水面から一本の『手』が現れた。
「<<残骸酷使>>。全体的に俺の武器を一つだと思いこんだのが敗因だと分析するぜ」
そいつはレイピアの歯の部分を握りしめて粉々に砕き、さらにヘルを繋いでいたロープを手刀でぶったぎる。そして――
「ひいいい! やめてそれだけは!」
オルガの首筋を掴むと湖にほおり投げた。
「ぎいいいいいやあああああああああああ! 助けて! 私泳げないのおおおおおお!」
「……じゃあこんなところで闘うなよ。どこまでバカなんだ」
イナは地面にガクっと膝をつきながら呟く。
やがて。彼の耳に甲高い絶叫が聞こえてきた。
「イナああああああああああああああああああああ!」
ヘルは水面に浮かんだオルガや手下たちを踏み台にして湖を渡り、イナの元に駆ける。
「……そんなことができるんならロープぐらい自力で切れねえのかなあ?」
ヘルはイナの胸に顔を埋めると、子供にみたいにわんわんと鳴いた。
「臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! 臓物! なんでこんなバカなことをするの!!!!」
「おまえを助けるためだぜ……ベイビー」
イナは左手をヘルのアタマにそっと乗せた。
「でもだっていくらなんでもこんな!」
「いいか。ヘル。まずおまえにひとつ言いたいことは、早く治癒を始めてくれということ。それから」
「……それから?」
「そりゃあそれこそ勇者みたいにさ、スマートにどいつもこいつも無傷で一撃で倒してしまえればそれに越したことはねえさ。でもさ。おまえなら分かるだろう。俺はそうはなれなかったんだ。いくら努力しても」
ヘルはなにも答えない。
「それでも闘いに勝ちたければな。こうするしかない。自分をブチ殺しながら闘うしかねえんだよ」
「でも……でも……!」
ヘルは全力を込めた拳でイナの胸をドンドンと叩く。
「ゲホッ! 辞めろ! 殺す気か!」
ヘルの目から涙が流れる。
「でも……。イナがヘルのせいで傷つくところ。もう見たくないよ」
ぼたぼたとイナの顔に涙と鼻水が落ちる。そう思うんだったら早く治癒してもらいたいものだ。などと考えつつもイナはこんな答えを返した。
「おまえのせいではないさ。いいか。俺がお前に協力しようと思った理由は別にお前のためではない。こんなにいちゃいちゃしながら言うのもなんだがな。もちろん宝石のためなんかでもないし、自分が生きるとか死ぬとかも実はどうでもいいんだ。俺はただ――」
「強くなりたかった。って言うんでしょ?」
イナは驚きの浮かんだ瞳でヘルを見つめる。
「それがイナの『ホコリ』なんでしょう?」
しばらくの沈黙の後、イナはその言葉を素直に肯定した。
「……そうだ。よくわかるな」
「そんなにバカじゃないもん。オトコの人が生きるにはホコリが必要だっていうのも、わからないけどわかるよ。でもさ。やっぱりわからない」
「なにが?」
「だって! そうまでして闘う理由なんてないよ! 闘っても弱いんだったらケーキ屋さんになればいいじゃん! 美味しいケーキ作ってそれをホコリにすればいいじゃん! 才能があるかどうかは知んないけど少なくとも死ぬことはないよ!」
「おまえは。意外と俺のいうことをちゃんと理解しているな」
「闘って強い必要なんてない! なんでそんなことにこだわるの!?」
またもや殺す勢いでイナにパンチを喰らわせ始める。
反対岸では通りすがりのケーキ職人がこの惨状を見て腰を抜かしていた。
「ヘル。俺はな――」
イナは自分の胸の内を偽りなく話した。
「俺にはな。負けたくない。絶対に負けたくない相手がいるんだ。たぶんわかるだろう」
「勇者……。幼なじみのヒロハくんでしょ……?」
首肯する。
「あいつに勝つこと。それだけが人生の目標になっちまってるんだ。ガキの頃からそう。今更変えられそうもない。自分でも理由はよくわからん」
空を仰ぎ、あの草原で毎日のように取っ組み合いをした日々、ロウでヒロハの背中を見つめながら狂ったように訓練をした日々を思い出す。
そんなイナを見てヘルは複雑な表情。
「――だからさ」
イナが珍しく目をしっかりと見て呟いた。
「俺にはおまえが必要なんだよ」
ヘルがはっと目を見開く。
「おまえにも俺が必要なんだろう? わかったら。もう。どっか行ったりしないでくれ。俺のそばにいてくれよ。それと早く治癒――」
「それで――」
ヘルはイナの大事な言葉を遮る。
「それで。ヘルのことをあんなに必死で守ってくれたの? ベリアイノのとき、ミズのとき、さっきも」
イナはいまひとつ質問の意図が理解できなかったが――
「そうだよ」と答えた。
すると。ヘルは顔面をイナの胸に擦り付けはじめる。
「ヘル。他人に必要となんてされたの初めてかも」
顔を埋めてしゃべるものだから、声がこもって大変聞き取りづらい。
「……そういえば。俺もそうかもだなァ」
ブブブブブ! という変な笑い声。
「やっぱ似てるよね。ヘルとイナ」
「特に顔がな……ところで……そろそろ気が遠くなってきたんだが……」
「ねえ。イナ」
「なん……だぁ……?」
「さっきはすげえムカついたけど、やっぱり好きだよ」
「ありがとうよ……俺もおまえが大好きだ……」
「ウソつけ! でもウソでも嬉しいよ。だってイナって嫌いな人にはウソでも言わないでしょう? たぶんそういうタイプだ」
ヘルはまたゴリゴリと顔面でイナの胸を削る。
「ゴキゲンに……なられたところで……頼みまさあ……」
「あっ。そっか。治癒か。うんすぐやる。でもこうやって顔擦るのキモチいいからさ。もうちょっとだけやっていい?」
「いけるところまで……いってしまえぇ……」
◆◆◆
――話は少しだけ前後して。
イナたちがお菓子の森で遊んだり、オカマと闘ったりした日の前日の夜。
「いいかい。もういっかい言うからね。ちゃんと覚えるんだよ」
「ぴぃ」
月明かりが照らす豪奢な部屋。
ヒロハは珍しく片眼眼鏡なんかかけて机に向かっていた。
ゆったりとした黒色の寝間着を着てリラックスした様子。
机にはティーカップなんぞも置かれており、ローズヒップの香りが漂っていた。
でも。読書をしたり魔術の勉強していたわけではない。
「えー。『拝啓 ジョーンズ殿――』。ちょっと硬すぎるかな? まあいいか」
ヒロハは人さし指に小鳥を乗せて、彼に手紙を読んで聞かせていた。
小鳥はときたまぴぃぴぃと返事をしながらその言葉に耳を傾ける。
「かわいいなあキミは」
ちょいちょいとアゴを撫でてやると、よせよとばかりに首を振って指を払った。
そこへ。
「なにしてるんですか?」
魔法使いのポコが部屋に入ってきた。ノックもせずに勝手に。ベリアイノほどじゃないけどこの娘もたいがい。魔法使いってみんな変わってるよなあ、などとヒロハは思った。
「こんな夜中に部屋に入ってきて。おそっちゃうぞ」
ポコはなに言ってるんですか、などとその発言を軽く受け流して、机の上の生き物に目をやった。
「あらかわいい。のんきですね。こんなときに」
「のんきなんかじゃない。これは言伝を頼んでいるんだよ。例の件の調査のために」
ヒロハの表情に若干の険が宿る。
「調査……どなたにですか?」
「友達にそういうフットワークが軽い子がいるんだよ。彼女にちょっとね」
「へえ――」
ポコは意外だというようにアゴに手を当てて斜め上方向を見た。
「友達いたんですね」
「なっ! いるよそれくらい!」
「えーイメージないです」
「例えばほら。ミズさんとかベリアイノさんとか師匠とか」
「彼らは友達っていうより仲間じゃないですか? ってゆうか師匠って言っているし」
ヒロハはボリボリとアタマを掻く。
「子供の頃からロウで訓練戦闘訓練戦闘訓練戦闘だったからなあ……同期は結局一人以外全員辞めちゃったし」
そういって苦笑しながらテーブルの上のティーカップを口に含む。
「それ以前には?」
ティーカップを持つ手がピタっと止まる。表情が陰る。
「……ごめんなさい。立ち入ったことを聞いてしまいました」
「いや。別にいいんだよ」
人なつっこい笑顔でヒラヒラと手を振った。
「友達ね。いたよ。確かにいた。でも――。あいつはボクのことをどう思っていたのかな? よくわからない。少なくとも好かれていなかったことは確かだけど。いやでも。それももうすぐわかるかもしれない」
そういってまだ熱いローズヒップティーを一気に飲み干す。
「あ、ごめんね。なんかわけわかんないことベラベラしゃべっちゃって」
ポコはなにも聞かず優しく微笑み、お休みなさいと扉を閉めた。
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