第12話 ヘルちゃんとお菓子の森
大聖堂のあるフォンエーリから十キロばかり南下すると、いよいよ最終目的地であるマクマール帝国の首都マディンソンに到着する。
が。そのまえに。イナの提案により一行は少々寄り道をすることにした。
場所は『スイート・フォレスト』。帝国が魔王討伐バブルに浮かれ、大金を投じて建造した観光地で、当時世界中で流行していた同名の絵物語の世界を再現したものだ。現在で言う『テーマパーク』に該当するだろうか。
「オラああああ! そおおおおい! 死ねエエエエエェェェェェ!」
さきほどからイナは森の中に置かれた小さな家を蹴りと体当たり、頭突きで破壊していた。ただの家ではない。チョコレートの壁にビスケットの扉、クリームがたっぷり塗られてフルーツが敷き詰められた屋根。いわゆるお菓子の家である。スイート・フォレストにはこういったオブジェクトが至るところに設置されておりすべて食べ放題。
「ほら。食べろよ」
イナは破壊したチョコレートの壁をヒザでさらに二つにへし折ってヘルに差し出す。
「ええっと……」
ちなみに。JJは別の仕事の依頼があったでやんす。などとどこかへ行ってしまった。
「ちょっと今あんまりおなか空いてなくて……。それにさ。しばらく甘いモノは断つって言ってたじゃない」
「そうか? じゃあしゃあねえ。自分で食うか」
イナは大剣クレイモアくらいあるチョコレートにクリームをたっぷり塗りたくり、苺やバナナの切り落としをその上に隙間なく並べ、さらに粉々に砕いたビスケットをまぶした。
「甘そうだな」
クレイモアの両端を持って口をあんぐりと開けたしゅんかん。
「待って……待ってよ……!」
ヘルがイナの腕にまとわりつく。
「ん? ――泣いてるのか?」
「そんな美味しそうなもの! ひとりで!」
「いや。だから最初からおまえにやるといっているだろう」
「早く食べさせて!」
「いいよ」
イナが一端を持ち、ヘルが反対側から重戦車の如く食べ進む。
ほんの数秒でお菓子は虚空に消えた。
「どうだった?」
「おいしいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
「残りも食べたらどうだ?」
「うおおおおおお!」
ヘルはお菓子の家に向かって駆け、飛びヒザ蹴りをブチかました。
一つ作るのに三百万デビアスもかかるお菓子の家はものの一時間で消滅してしまった。
「おー。よくハラに入ったな」
ちなみにこのスイート・フォレストはあまりに莫大な赤字を垂れ流したため、翌年閉鎖されることになる。
「げふーーーーい」
ヘルは切り株に座ってパンパンに膨らんだお腹をさする。
「こうなるのが分かってたから食べないようにしてたのに! イナが誘惑するから!」
「別に問題ないだろ食べても。太っちゃいないし闘いの前に糖分を補給するのはよい」
「そうじゃなくて! はしたないっていうかなんていうか……」
「いまさらだろ」
「そうだけど!」
ヘルはふくれっつらでそっぽを向く。
イナはそれを特に気にした様子もなく、隣に座って煙草に火をつけた。
「ねえイナ」
「なんだ?」
「ここに連れてきた理由ってなに?」
「ん? 別に。ちょっと休めればどこでもよかった」
「だよねぇ……」
指先についたクリームをペロっと舐めた。
「そういえばさ」
「なんだ」
「ベリアイノのさ……」
「ベリアイノ? どうした急に」
「あの人の占いって当たるのかな?」
「さぁ……当たる当たるってロウの女どもは騒いでたな。俺はそんなもの信じないが」
「うーん……」
ヘルは腕を組んでなにやら考え込む。
「どうした?」
「聞きたいんだけど」
「なんかいろいろ聞いてくるな」
「勇者って強いの?」
そういうとイナはなにかいろいろな感情が混じった表情を浮かべた。
――そして沈黙。
あんまり黙っているのでヘルがねえねえと肩に触れようとした瞬間。
「強い!」
普段モグラのうなり声みたいにしかしゃべらないイナがやたらとでかい声でそう答えた。
「他の連中とは根本的に違う! 強さの次元が違うんだ! どれくらい違うかというと――」
「その勇者ってさ……」ヘルがイナの言葉を遮って尋ねる。「キミの幼馴染みの『ライバル』くんなんでしょ?」
イナは少し目を見開いてヘルを見た。
「……よくわかったな」
「なんとなくね。テキがブレイブクラブだと聞いたときの反応と、カタクナに幼馴染みの名前を言わなかったことでピンときたよ。名前忘れるわけなんてないのにさ」
「やるじゃねえか。おまえいつもは馬鹿なフリしてるのか?」
「なんで黙ってたの」
「別にいいだろう」
「いいけど。それで? どれくらい強いの?」
イナは煙草をぺっと吐きだして踏みつぶした。
「まあこれは見ていたわけではないがな。おまえの親父を倒したのはヤツだ」
「だろうねえ」
「それも一撃で」
「いちげき!?」
「『魔葬剣』とやらで魔力を完全に無力化させて倒したんだと」
ヘルは寒気を感じて自らの身を抱いた。それからイナにこんな風に尋ねる。
「なんでそんな人と闘おうと思うの?」
イナはヘルにデコピンを食らわせる。
「いて」
「おまえが誘ったんだろ」
「決めたのはイナじゃん」
「そりゃまあそうだが」
「お父さんにもね。同じことを聞いたことがあるの。人間って強いんでしょ? だったら仲直りすればいいのにって」
「魔王にそんなことを聞いたのか」
「そうしたらね。魔族のホコリを守るために逃げるわけにはいかないって」
イナはふたたび煙草に火をつける。
「――なるほどな。まァ俺も似たようなものかもしれんな」
「ねえ。ホコリってなに?」
「この場合は強さのことだろう」
ヘルは目をつぶって首を傾げる。
「別に特別なものではねえよ。男ならだいたい強さってものにホコリを持ってるもんだ」
「あのお菓子職人さんも?」
なにやら難しい顔でお菓子の家を建造している、コックコート姿の男を指さす。
「たぶんな」
「あっちで歌ってる吟遊詩人さんも」
「ヤツらにはヤツらの強さがある」
「みんなあるのー?」
ヘルは脅威の可動域で首をヒネる。
「首ちぎれそうでキモいからやめろ――まあないヤツもいるけどな」
「ないとどうなるの?」
「死ぬ」
おどろきのあまりか、首がぎゅるんと元に戻った。
「ウソだー!」
「死にはしねーが。まあそうだな。ホコリがないってのはな。女でいえば甘いものがないようなもんかな」
「げ! なにそれ臓物! 確かにそれは死んでるのとほぼ同じだけど――」
首をまた百八十度近くヒネりながら立ち上がった。
「よくわからない。私が女だからかな?」
「いや。男みたいな女もいればその逆もいるからな」
「それって誰のこと?」
「――別に誰ってこともねえけどさ」
「だったら始めっから男とか女とか関係ないじゃん」
ごもっともだ。などと苦笑しながらイナは立ち上がる。
「とりあえず。もう食べ終わっちゃったし、ここにいても仕方がない。どうやらワインの湖というのがあるらしいからそこへ行こう」
そしてゆっくりと歩きだした。
ヘルはその背中に向かってあのさ――と弱々しい声で語りかけ、こんな風に続けた。
「勇者と闘うの。やめない?」
イナは表情に乏しい彼にしては随分に驚いた顔で振り返った。
「怖気づいたのか」
「ちがうよ」
「魔族の仲間を見返してやるんじゃなかったのか?」
「それはそうだけど……!」
小さな拳をぎゅっと握りしめる。
「復活させなけりゃあの苦しみは続くんじゃないのか?」
「あのって……なによ……?」
「気がついていないとでも? こう見えて不眠症気味でね。おまえが夜に声上げたり暴れたりしているのはよく聞く」
「だけど!」
イナに駆け寄り、胸に両手の拳を叩きつける。
「死ぬよ! あんな闘い方してたら!」
目には涙が滲んだ。
「勇者もさ! あんな闘い方――ってゆうかもっととんでもない闘い方しなくちゃいけないくらい強いんでしょ!?」
イナはヘルの髪の毛をぐちゃぐちゃにいじって、おまえは優しいねえ魔族のクセに。などとホザく。
「言っていることめちゃくちゃだぞ? 魔王を復活させなきゃ死ぬから闘ってるのに、死ぬから闘うの辞めろってどういうことだ?」
「でも! もうあんな風に苦しむところは……! もっと別の方法があるかも!」
「元々はおまえがやれって言ったんだろ」
「あそこまでめちゃくちゃやらなきゃいけないとは思わなかったんだもん!」
わかりそうなもんだ。とデコピンを食らわせる。
「おまえがやらないって言っても俺はやるぞ」
「なぜ!!」
「ヤツとは。勇者とは因縁があるからだ」
イナは煙草に火をつける。珍しくやけにぎこちのない手付きであった。
「なんでよ……仲良しの幼馴染みだったんでしょ? なぜ闘う必要があるの?」
「それは――」
上方向にすっと目を逸らす。
「おまえには関係のないことだ」
「――バカアアア!」
ヘルはイナのアタマを掴むと、ジャンプして頭突きを叩き落とした。
「イナは! 大事なことはなにも教えてくれない!」
そして人間離れしたスピードで駆けだす。
イナは立ち上がって追い駆けようとしたが、すぐにムリであると理解した。
「いってえなあ……。変な風に脳味噌を刺激しやがって」
そのせいか。イナの脳裏にもう五年も前の出来事が鮮明に浮かんだ。
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