第9話 極星の大魔導士 ベリアイノ 前編
マクマール帝国北部に位置するミステル・カカオ地方は敷地面積の九割以上を標高の高い険しい岩山が占めていた。農業を行うにも街をつくるにも適さないこの地方の唯一の『名産品』は『マナ』であった。
「さーて。今日はここで寝ましょうかね。テントを立てましょう」
「おお。よろしく頼む」
「おねがいー」
「チェッ。この仲良し兄妹ときたらまるで働きやがらねえ」
この時代のマクマール帝国で『魔法』と言われていた技術は自分の内側から溢れてくるエネルギーを放出するものではなく、大気中に溢れるマナを吸収し体内で変質させてそれを放つというものであった。どれだけマナを吸収することができるかはその人の『器』による。器を大きくするにはマナが多く溢れる地域で訓練を行い大量のマナを体に取りこむことが良いとされていた。少々乱暴なやり方としては魔法による強力な攻撃を受けることで無理矢理大きくするという技法も知られている。
「なんか臭わない? イナおならしたでしょ? それともうんこ?」
「たしかにくっせえがうんこはこんな匂いじゃないだろ。嗅いだことないのか? これはマナが放つ匂いだ。魔法使いに言わせるとこの世で一番芳純な香りらしい」
「へー。まあ魔族はうんこしないからね」
「マジで」
「うそ」
「手伝ってくだせえよ、うんこ野郎ども」
そんなわけで。大気中のマナ含有量が通常の十倍以上とも言われるこの地域は魔法使いたちの聖地として知られていた。
「イナ。ここってなんか楽しいところないの? この間の牧場みたいに」
「ねえよ。ひたすら岩山があるだけ」
「えー」
「この旅に楽しさを求めるな」
「それがイナのハンサム旦那、ヘルのド美人お嬢様。今はそうでもないんですよ」
「へー! どんな感じなの?」
「それは明日のお楽しみ」
「えー教えてよー」
「ダメ―。明日早いんだからもう寝ましょう」
――聖地は三匹の悪魔の侵入を許してしまった。
三人はおやすみなさいの言葉と共に小さなテントにそれぞれ入る。JJが用意したのが一人用のテントだったからだ。性欲の臭いがしない男ではあるがさすがに一緒のテントで寝るのはまずい。そう考えるのはごくごく当たり前の感覚であると言える。
だが。そんな感覚を全く持たないのが魔族である。
「ねえ。起きてる?」
ヘルはイナが寝息を立てているテントの中に侵入すると、顔にまあまあの勢いでビンタをかまして文字通り叩き起こした。
「……起きてるに決まっているだろう。貴様のせいで」
「眠れないからお話しようよ」
薄い黒布を巻き付けて辛うじて胸と股を隠しただけ、というあられもない格好であった。
「へそも肩も脚も丸出しでまあはしたないこと」
「えっち」
「JJのところに行けよ」
「ジェジェちゃんよりイナの方が好きー。嬉しい?」
「ただ単に迷惑だ」
「夜だし。コイバナがいいな」
こいつは戦闘能力とかの問題でなく、単に性格で魔族の中で孤立していたのではないか。
とイナは考えた。
「じゃあまずはイナから」
「なんで俺が先なんだよ」
「ヘルはそういう話一切ないからさ」
「俺だってねえよ」
「そっかー。イナって臓物みたいな顔してるもんね。そりゃ人間にはモテないよね」
「バカ野郎。モテたことぐらいあるぞ」
「ウソー!」
「俺のことを好きとかホザく奴は。おまえ以外にも一人だけいた」
◆◆◆
ロウの訓練生が学習する科目には大きくわけて二つがあった。
――『武術』と『魔法』。
適正に関係なく全員が両方を学ぶ。両方を使いこなせたほうが強いに決まっているからだ。また本人の状況に応じて特別メニューが課せられる場合があった。
「イナくん」
「……こ、こんばんは」
訓練を終えて宿舎に帰ると、玄関には一人の美しい女性が立っていた。
艶のある長い黒髪とあどけなさの残る整った顔立ち。
それとは裏腹な異様に煽情的な格好に訓練生の男たち全員が見入る。
「補修訓練をやりにきたよ」
彼女もカイリと同様、ロウのメンバーと兼務で訓練生たちの教官を務めていた。
ベリアイノはイナの右腕に腕をからめ上目遣いで彼を見上げる。
「行こう?」
「は、はい」
二人はピッタリと体をくっつけて宿舎から出ていった。
訓練生たちは口々に噂する。
「イナの野郎。ボンクラのクセにベリアイノさんには随分気に入られてるよなあ」
「不思議でならん」
「まァあの人もカワリモノだからなあ」
「ふん――」
『ライバル』は背中に担いでいた剣を乱暴にほおり投げた。
「バカじゃないの? デレデレしちゃってさあ」
すると隣にいた訓練生がからかうように言った。
「なんだ。羨ましいのか」
「まあ確かにベリアイノ先生はエロいからなー」
「は!? 意味わかんねー! なに言ってんの!? バカバカバカバカ! ぶっ殺す!」
ライバルは顔を真っ赤にして暴れた。
『個人授業』は教官用の宿泊施設のベリアイノの私室にて行われていた。部屋の壁や天井や床は真っ黒に塗りつぶされ、ベッドのシーツも黒、黒いカーテンに黒い絨毯。
すべてベリアイノが勝手に着色したものだが、「より魔力を上げるためだ」と言われればそれを咎めるものは誰もいなかった。
ベリアイノはそっと扉を閉めると、妖しく微笑みながらイナの耳元でささやいた。
「好き」
彼女は魔法の媒介として使用している水晶とアルカナカードを右手に持つ。そして。イナの首に左手を巻きつけ――
「キモチ良くしてあげる」
唇にむしゃぶりついた。
◆◆◆
「おべべええええええええ!」
ヘルはテントから飛びだすと、凄まじい嗚咽の声を響かせた。
「……吐くの早ええよ」
「ごめん。そういうのダメなんだ。ホント」
「おまえがコイバナを聞きたいって言ったんだろう」
「でもさ。まさかしょっぱなからそんな甘々ハッピーな展開になるとは思わないじゃん」
「安心しろって。俺の人生だぞ。ハッピーで終わるわけがないだろう。てゆーか。最初からバッドバッドの繰り返しだこの話は――」
◆◆◆
ベリアイノが行う個人授業は『マジック・フォース』と言われるものだ。これは生まれつきの魔法の素養がない者に対して強力な魔法攻撃を食らわせることで、ムリヤリ魔力を覚醒させるというもの。かなり危険で難易度が高いがベリアイノのそれは非常に精度が高く、カイリらも含め多くのロウメンバーたちがこれにより魔力に覚醒した。――のだが。
「ん……ん……」
「うっ……! くっ……!」
ベリアイノの舌と唾液がイナに絡みつく。――そして。
「ぬっ! おおおおおおお! 熱ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!」
イナの口内がマグマのように燃え滾る。そしてその熱は全身に広がってゆく。
これはベリアイノが得意とする『アルカナカード』を使った魔術で、その中でも『ボルケーノ』のカードを用いたものだ。
腰をくの字に折って悶絶するイナをベリアイノは天使のような笑顔で見おろしている。
「どお? キモチいい?」
『マジック・フォース』の効果により魔力が覚醒するとき、人は細胞ひとつひとつがエクスタシーに達するような強烈な快感を覚えるらしい。しかし。イナにはそのような感覚はいっさい訪れなかった。
「ふふふ。あなたの苦しんでいる顔とっても好き――ほら」
などと囁きながらイナの手を掴み自分の胸に持っていく。
「――――――!?」
「ほら。胸がこんなに痺れちゃってる。キャハハハハハハハハハハハハ!」
イナの全身に電流が走る。これはアルカナカード『天罰』の魔術だ。
足で体を支えることができずその場に倒れ込む。
「立ってられないくらいキモチよかった? それじゃあ――」
イナを黒いベッドにほおり投げ――
「一番キモチいいところをキモチよくしてあげるね」
下半身を包んでいたズボン状のブレ―を脱がせ局部を露出させた。
ベリアイノは艶っぽい仕草で髪を掻き上げながらそいつに顔を近づける。
それから。
「<<蟲>>」
グロテスクな図柄のカードを手にそう発音すると、ベリアイノの髪の毛が細長くブヨブヨした虫のような生き物に変化してゆく。
「刺激してあげるね」
「やめ――!」
無数の虫たちがイナの局部に巻きつく。
「ねえどんなキモチ?」
あまりの不快感と恐怖に叫び声を上げることもできない。
「これだけ地獄みたいな目にあっても全く魔力が覚醒しないなんて」
「――!」
「キミの友達はつまらなかったなァ。涼しい顔しちゃって」
イナの脳にライバルの姿が浮かぶ。
「ああ。いいな。その顔。あなたが好き。だから。もっとキモチよくさせてあげるね」
ベリアイノはイナの肛門に指を差し入れると――
◆◆◆
「へー。けっこうイイカンジの子なんだね。ちょっと友達になりたい」
「……そう思うか?」
「うん。でもさ人間的にはそういう子って臓物なんじゃないの?」
「まあな」
「だよね! じゃあ今度こそりょうじょくしてから殺しましょ!」
まるで屈託のない笑顔でそのように述べる。
「だから意味知らずに言うなって。別に憎んじゃいないよ」
「そーなの?」
「どんな形であれ、ないがしろにされるよりはかまってくれた方が嬉しいからな」
「それはわかるけどね。じゃありょうじょくはなし?」
「まあ想像の中で何度もとてつもない目に合わせてるしな」
「……めちゃくちゃ憎んでるじゃない。だったら訴えれば良かったのに。あいつにちんちんを虫であれこれされましたーって」
イナはフンと鼻息を噴きだす。
「女に抵抗もできずにやられっぱなしだったなんて自分で宣伝できるもんか。それに。別に奴はなにも悪いことをしていたわけじゃない。俺に強力な魔法を喰らわせるという役割を果たしてはいたわけだからな。本人の意志というか性的な志向性はともかく」
「でもー」
「それに。そんだけやられても魔力が一切覚醒しませんってのもな」
「あっ……」ヘルは目を俯ける。
「痛みや投げつけられた言葉より、なによりそれがキツかった」
ヘルは眉をハの字に曲げて口元で微笑みながらイナの頭にそっと手を乗せた。
「うざい離れろ。けどよ――」
アゴをさすりながらヘルに問う。
「長いこと疑問なことがあるんだが、おまえわかるか?」
「ナニ?」
「ありとあらゆる魔法を一切習得できなかったこの俺が、なぜ『己血術』だけは習得することができたのか」
「ああそれはたぶん」
えーっとえーっとなどと言いながら頭の横で指を回す。
「己血術は自分の体に傷をつけるコトで無理矢理に魔力の器を解放する術だからだね」
「つまり……」
「イナは魔力の器自体はあるけど、その中の魔力を放出する出口がないっていうタイプなんだろうね」
「……なるほど」
「まあ決して大きいとは言えない器だと思うけど」
「うるせえよ」
ヘルの頭を小突く。いつものように怒ってくるかと思いきや、彼女は頭に手を乗せて苦笑していた。
「どうした?」
「いや。どこまでもヘルに似てるなーと思って」
とイナの顔を見つめる。
「なにが? 顔が?」
「違うよ。ヘルもそうなんだ。魔力の出口がないの」
口から卵でも取りだすようなよくわからない仕草をして見せた。
「本当はパパと同等かそれ以上の魔力があるんだって。笑っちゃうよね。無駄すぎて」
「じゃあおまえも己血術をやってみればいいじゃないか」
「やってみたよー。だから詳しいんじゃない。でもね。ダメだった。それくらいのことじゃあ解放されなかったよ」
無理に作ったような笑顔でそんな風に呟く。
イナはしばらく無言で思案したのち、こんな言葉を投げかけた。
「まあでも。別にいいんじゃないか解放できなくても」
「え……?」
「今回の闘いに関して言えば、俺がいるからさ。おまえは治癒だけに専念してくれりゃそれで充分だ」
ヘルは目を見開いてイナを真っすぐに見つめる。
「そのあとのことはそれから考えればいいだろ」
イナとしてはごくごく当たり前のことを言ったつもりだった。
しかし。ヘルからはこんな言葉が帰って来る。
「ありがとう」
「……なにが?」
「んん。なんでも。とにかく。ヘルはあなたを助けることにだけ頑張ればいいのね?」
「ああ。そういってるだろう」
「その後のことはそれから考えればいいよね?」
「それも言った。というか。どうせ八割か九割は俺もおまえも死ぬんだから考える必要もない」
ヘルはなぜかその言葉に激怒。
「もう! いい気分だったのになんでそんな臓物みたいなこと言うの! キライ!」
「事実だろ」
「ウソだもん! もういい! 出て行って!」
イナはテントから叩き出された。
「おい! これは俺のテント――!」
「うっせえっすよ! さっきから! エロいことするんだったらテントもっと離せ!」
――おのれ。二人ともいつかりょうじょくしてやるからな。
イナはそんなことを考えながらゴツゴツした岩肌の地面に座りこみ星を見あげた。
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