第3話 少年の憧れ

 現代の子供の『憧れ』といえばとても把握しきれないくらいに多岐にわたるが、この時代の子供の憧れといえばそれはもう実話冒険譚『勇者サンマルチノの冒険』をおいて他にない。本当に実話かどうかはともかく、子供たちはみなサンマルチノに憧れ、闘いごっこに興じていた。当時は『戦時中』であっただけにその傾向はより顕著であった。

「ほらほら! イナ! どうした! そんなんで魔族と闘えるの!?」

「くっ! ちくしょう!」

 今の姿からは想像し難いが当時のイナは人一倍サンマルチノに強い憧れを抱いており、『ライバル』と共に連日に渡って郊外の草原で激しい闘いごっこを繰り広げていた。

 彼らがやっていた闘いごっこは地面に半径およそ二メートルの円を描き、その中で対峙、相手を円の外に押し出すか地面にしりもちをつかせたら勝ちというものだった。明確にルールを決めてきっちり勝敗をつける、という意味で本格的で実践的なワンランク上の闘いごっこであったといえるかもしれない。

「だりゃあああ!」

 イナはサンマルチノの武器『ラソード』を模した木の棒を振りかぶり敵にせまるが――

「なっ!?」

『ライバル』が消えた。

「こっちだよー」

 上から声がする。ライバルは剣を棒高跳びの棒のように利用して天高く舞った。サラサラした金色の髪の毛が爽やかになびく。

「しまった!」

 気づいたときにはすでに後ろを取られ、腰に両手が周っていた。

「くらえええええ!」

 ライバルは後ろに仰け反るようにしてイナの体を地面に叩きつける。

 しりもちどころか背中全体が地面についてしまった。

「く、くっそおおおおおおおお!」

 イナは地面を何度も拳で叩く。

「へへへ。これで今日も十連勝! やーいやーい! へなへなありんこ野郎!」

「う、うるせーぞ! このバカリキオーク野郎!」

「なっ! 誰がオークだよ! バカバカバカバカ!」

「オークじゃねえか! 筋肉ばっかりつけてぶひぶひ言いやがって!」

「なにぃ!?」

 ライバルの鮮やかなタックルから取っ組み合いが始まった。勇者サンマルチノを目指すものとしてあるまじき姿と言わざるを得ない。

 ――そこへ。

「なにをしているのですかあなたたちは。こんな大事な日に」

「あっ。お父さん」

 現れたのはコバルトブルーの法衣に身を包んだ老人だった。ライバルは彼のことを『お父さん』と呼んだが、実の父ではない。当時は流行り病や飢饉などにより両親を亡くすというケースが珍しくなく、そういった場合子供は教会で育てられるのが普通だった。イナもライバルも両親を幼い頃に失くし、以来、この神父の老人の手で育てられている。

「ジャマすんなよジジイ! いま真剣勝負をしているところだ!」

「――イナ!」

「いってえ!」

 ライバルはイナの頭をゲンコツで叩いた。

「まったく。イナは反抗的でどうしようもないですね」

 神父は小さく溜息をつく。

「キミももう十歳。本日聖ステファーン様の『天職天啓』を受ける身なのですよ? 少しは自覚をしたらどうですか?」

 イナはあぐらをかいて苦虫を噛み潰したような顔でぷいっと横を向いた。

「とにかく。早く準備をしなさい」

 神父の老人は立ち去っていった。

「……ちっ。いけすかないやろうだぜ」

 地面にツバを吐くイナをライバルがたしなめる。

「イナ。そんなに反抗するもんじゃないよ。そりゃあボクも小さいころはガンガンに反抗しまくってたけどさ」

「べつに反抗とかじゃねえよ。ただなんか好きじゃないだけ」

「まあいいけどさ。とにかく。ボクたちも準備を始めようよ。楽しみだな」

「なにが」

「だって『天啓』を受けるってことはさ。カミサマに会えるってことじゃない」

「はん。カミサマなんかいるわけねえや」

「なんで?」

「そんなもんがいるならな。なんでオレたちの父さんや母さんは死んだんだよ」

 ライバルはアゴに手を当ててうーんと考えこんだのち、こんな風に答えた。

「いわれてみればそうだね」

「だろう?」

「でもさ。川をおっきなイカダで下って行くらしいよ。それは楽しみじゃない? ほらサンマルチノ物語にもそんなシーンがあったじゃん」

「ああ。三巻目の七十八ページから八十三ページまでの水獣を倒しにいくシーンな」

「ページ数まで覚えてないけど!」

 ライバルはやさしく微笑んでイナを見つめると――

「ほら。はやく行こうよ」

 イナの擦り傷だらけの手を優しく握り、ゆっくりと立ちあがらせた。

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