after story 第6話 修学旅行(前編)

 昨晩せっせと荷造りしたボストンバッグを持って、エレベーターに乗り込んだ。


「お母さん、お姉ちゃん、行ってくるね」

「いってらっしゃい。 楽しんでおいで」

「お土産よろしく〜」


 わざわざエントランスまで降りてきてくれた二人に見送られて駅に向かった。 11月も半ば過ぎのこの季節、朝の空気はひんやりと冷たい。


 大地からは15分くらい前にメッセが来ていたから、そろそろ駅に着くくらいかな。


 大きな荷物を担いでいるせいか、すぐそこの駅まででもいつもより時間がかかる。 それにしても、普段よりもだいぶ早い時間なのに、駅に向かう学生やサラリーマンの流れは途切れない。 みんな朝早いんだね。


 駅前に着くと、同じようにボストンバッグを抱えて白い息を吐き出す大地を見つけた。


「おはよ、大地」

「おう」


 変わらない日常の挨拶。 でも今日からは泊まりでずっと一緒。 そのちょっとした特別感が気持ちを高揚させる。


 その時、ロータリーに風格のある外車を見つけた。 あれは確か唯香の家の……。 考え終わる前に開いたドアからは、予想通りの人物が降りてきた。


「おはようございます、お二人さん」

「おはよ」


 唯香も高速バスを使って空港に向かう予定だったのね。 直通バスが出ている地元の駅はなにかと便利だから利用しない手はない。 電車で行こうとしたら、この大荷物を持って何回も乗り換えなきゃならないんだもの。


「なんだ、北条だったのか。 すげえ車だな」

「空港までとはいきませんでしたが、父に送ってもらったのです。 ここからは直通バスに。 貴方達もそうでしよう? 」


 唯香の登場に驚いた大地の様子を見るに、唯香の家の車だとは気づかなかったみたいで、走り去るまでずっと車を目で追っていた。


 定刻よりも少し遅れてやってきた高速バスは、目の前にあるバス停を目印にして停車した。 運転手さんに荷物を預けて中に乗り込むと、暖房で緩んだ空気が迎えてくれた。 大地は、先に入った唯香の隣にあたしを座らせて、ひとつ奥の席に座った。


「仲良くやってるみたいね」

「うん。 ケンカもしないしね」

「はいはい、ごちそうさま」

「なによう。 唯香はどうなの? 」

「えっ!? わたくしのことはいいじゃないですか」


 珍しく唯香がうろたえた。 これはじっくりと聞く必要がありそうね。


 唯香と誠司さんのその後をじっくりと聞いていると、ようやく空港のターミナルビルが見えてきた。 ずいぶんと時間かかったな、と思ってスマホを見ると、もう集合時間の15分前。


 運転手さんからはもうすぐ到着することと、渋滞で50分ほど遅れたことがアナウンスされた。 これならギリギリ間に合いそう。


 バスがターミナルに到着しても、大地は寝息を立てたままだった。 声をかけても起きる様子がない。 肩を揺すると、ようやく薄目を開けた。


「大地、大地ってば」

「お、美咲。 今日来る日だったっけ? 」

「なに寝ぼけてんのよっ! もう空港着いたよ! 」


 唯香がいるところで何を言い出すのよ。


「もう着いたのか」

「渋滞してて遅れたんだよ。 だからギリギリ。 急いで、大地」


 頭が寝てる大地の手を引いて無理やり起こし、バスを降りた。 もう降車場にはあたしたちのバッグが並んで置かれていた。


 時計は集合時間の10分前を指している。 広い羽田空港、集合場所にたどり着くにも時間がかかる。 急がないと遅刻しちゃう!


 小走りで集合場所に近づくと、学生の集団が陣取ってガヤガヤとしている。 後ろから回り込むよう5組の列に潜り込もうとすると、最後列で宮嶋さんが仁王立ちしていた。


「アンタたち、ずいぶんとお偉い出勤ね」


 キツい一言。 あたしたちのせいじゃないのに、という言葉はぐっと飲み込む。 替わりに、宮嶋さんと仲良しの瀧本さんがフォローしてくれた。


「まぁまぁ、奈緒。 間に合ってるんだから、そんなに怒らないの」


 なんて優しいんだろう。 瀧本さんは、言葉がキツくなりがちな宮嶋さんをやんわりとフォローしてることが多い。


 誰にでも厳しい宮嶋さんだけど、大地の家で付き合ってることを打ち明けて以来、特に厳しい気がする。 もしかして大地に……なんて思ったりもしたけど、大地へはもっと痛烈な言葉を浴びせてるから、好意を寄せているわけではなさそう。


 ウダウダ悩んでても仕方ない。 せっかくの修学旅行を楽しもう!





 那覇空港に到着したあとは、スケジュール通りにひめゆりの塔へ移動。 何十年も昔、あたしと同い年くらいの女学生が命をかけて戦火に巻き込まれていたなんて。

 普段はふざけてることも多いクラスの男子たちも、今日ばっかりは神妙な顔つきになってる。


 ……夕食時にはすっかり元通りだったけど。



 4人部屋の割り振りは、女子が6人いるあたしたちのグループでは分割が余儀なくされる。 宮嶋さんたちが元々4人だったから、あたしは友紀と一緒に他の2人と4人部屋を構成していた。


 女子が4人も集まれば、始まるのは当然恋バナ。 あの子は誰が好きだの、浮気を見つけて別れただの、出てくる出てくる。 一体どこからこんなの仕入れてるんだろう。


「やっぱり、一番は中山くんね。 あとサッカー部の石井くんでしょ、それにバド部の山田くん」

「あら、ウチのカズくんモテるのね」

「いいよねー、友紀ちゃん、カッコいい彼氏で」

「あれで案外ズボラだよ? スケベだし」

「男子なんてみんなそうよ。 それ以上にカッコいいんだからいいじゃない」


 大地もけっこうエッチだよなぁ。 胸に目が行ってることも時々あるし。 そうだ、お姉ちゃんの胸元に釘付けになってたこともあったんだ。


「……春山さん? 」

「えっ? な……なに? 」


 別のこと考えてたら話聞いてなかった。 いけないいけない。


「その、中山くんから告白されたのにフっちゃうなんて、って。 片想いって言ってたけど、その後どうなの? 」

「えっと……まぁ、色々あって」

「まさか、禁断の恋とか!? 」

「やだ、それはさすがの中山くんも分が悪いよねぇ」


 勝手に勘違いしてくれたみたいだからそのまま勘違いさせておきましょ。 禁断とは言えないけど、まぁ秘密だしね。

 そんな中、友紀はこちらをチラリと見て、小さくため息をついていた。

 




 翌朝、朝ごはんの時間になっても大地は、というより男子四人組が来ない。 メッセを送っても全く既読にならない。 どうしたのかと思って電話をしたら、ずいぶんとコール音を鳴らし続けてから、ようやく大地の声が聞こえた。


「ゲッ!? もうこんな時間かよ。 美咲ありがと」


 ツーツーと無機質な終話音が鳴り響く。

 あたしが何も話さないまま、大地との電話は切れてしまった。


「電話出た? 」

「出た、けどもう切れた。 なんか、今起きたみたい」

「もう8時半だよ? 」

「そうだよ、ねぇ」


 大地に電話をかける様子を見ていた友紀と話していると、入り口の方で先生につかまっている4人が見えた。 頭をぽりぽりとかいているけど、怒られてるというほどではないみたい。 とりあえずは一安心。


 今日の目的地は、名護を経由しての美ら海水族館。 朝食を終えて部屋に戻り、制服に着替える。


 宮嶋さんたちと先にバスへと向かうと、大地たちの様子を尋ねられた。


「アイツら、なんだって? 」

「えっと……なんか遅くまでゲームやってたみたい」

「なんですってえ!? 」


 大地とのメッセで聞かされたことを話すと、そのすごい剣幕に大地の行く末を案じずにはいられなかった。 あたしが怒られたわけでもないのに、背筋がぞわぞわする。 正直に言わない方が良かったかな……。


 それにしても、宮嶋さんは大地に対して特に厳しい気がする……。 思い当たることがない、と大地は話していたけれど。


 遅れてきた大地たち4人は、バスに乗り込んでくるなりクラスの男子たちから囃し立てられていた。 そしてあたしの横を通る時には、もう寝かせてくれと言わんばかりの大あくびを披露していた。


 バスは出発してすぐに高速道路に乗った。 沖縄といえば海のイメージだったけど、流れてくる風景は山が多い。


 一時間半ほど走ったところにある道の駅でトイレ休憩に入った。 バスを降りる前に後ろを振り返ったけれど、大地たちはすっかり寝入っているようで、動く気配がない。


 道の駅に降り立つと、お土産屋さんのおばちゃんたちが出迎えてくれた。 家族から頼まれたお土産を物色に行った友紀と分かれて、あたしは売り場をうろうろしていた。


 可愛くないシーサーのキーホルダーを見ていると、後ろから話しかけられた。


「よく寝てたね」


 振り返った先にいたのはグループのムードメーカー瀧本さんだった。 寝てた、というのは当然あたしのことではなくて、大地たちのこと――だよね。


「うん、死んだように寝てるもんね」

「あははっ。 息してた? 」

「どうだろ? してないかも」


 瀧本さんはぷーっと吹き出した。


「春山さんってそういう冗談言うんだね。 頭いいのにジョークもいけるなんて敵わないなぁ」

「あたしには、みんなから慕われてる瀧本さんの方が羨ましいけど」

「えへへ。 ありがと。 奈緒ももっと冗談とか言えれば男子とケンカにならないのにな」

「結構キツい物言いだもんね。 特に大地……菊野くんに厳しい気がするし……」

「あー……それは、わたしのせいかも」

「え? 」

「あ、奈緒」


 瀧本さんは通りかかった宮嶋さんについて行ってしまった。


 宮嶋さんが大地に厳しい理由が瀧本さん……? 悪口を吹き込むようなことはするように思えないけど。 何かあったのかな……うーん。


「美咲? それ買うの? ウチはあんましオススメしないけど」

「えっ!? あっ? これ、買わない買わない」


 ボーッとしちゃってたみたいで、友紀からかけられた声で我に返った。 あんまり可愛くないシーサーだったけど、返すのは何故だか名残惜しかった。


 バスに戻ってまた小一時間揺られていると、ようやく目的地の美ら海水族館に到着した。


 先に降りた友紀が大地を見つけて、ちょっかいを出しに行った。 あたしも一緒になって言葉を投げかける。


「アンタよく寝てたねー」

「少しは眠気飛んだ? 」


 大地はあたしの顔を見るなり不思議そうな顔をした。 おそらく、今日は前髪を下ろさずに横に流してクリップで留めているせい。 だって、ドライヤーもワックスもない今日に限って前髪がピョコンと跳ねてたんだもの。


「アンタ、なにニヤニヤしてんの? 」

「うるせーよ」

「ホント美咲にぞっこんよね。 せいぜいみんなにバレないように気をつけなよ」

「うっせー」


 ニヤニヤしてると言われて小学生並みの反論しかできない大地に、こっちが恥ずかしくなる。 あたしは大地の二の腕に抗議の意をぶつけて、集合場所に向かった。




 美ら海水族館といえばジンベイザメが泳ぐこの巨大な水槽。 青白く照らされた館内はとても幻想的で、自分も海底を歩いているような気分を味わえる。


 前に水族館に来たのは、『千春』として大地と一緒だったとき。 あの時は、大地の気持ちがどこを向いてるのかわからなくて躍起になってた時だったな。


 当時を思い浮かべたその人物が、数歩先で同じく水槽を眺めていた。 大地なら二歩で足りそうなその距離を、あたしは三歩使って隣に並んだ。


 そして、水槽を眺めたまま、あたしたちだけの秘密を呟いた。

 

「久しぶりだね、水族館」

「そうだな。 あの時の美咲は、メガネしてなかったけどな」


 アイドル活動のことも知ってる世界でただ一人の彼氏。 こんなに穏やかな気持ちで優雅に泳ぐ魚たちを一緒に眺めていられるなんて。


「当時のあたしは、大地を振り向かせるのに一生懸命だったなー」


 そのあと大地は口を開かなかったけど、この幸せな気持ちを一緒に味わってくれてるのかな。


 そんな時だった。 バシっと鈍い音が響く。 発生源の方を見ると、そこにあったのは宮嶋さんが手を振り切った姿だった。


「いてっ!? 」

「ほら、ボーっとしてないで行くわよっ! 」


 どうやら宮嶋さんが大地の背中を叩いたみたい。 それもどうかと思うけど、問題はそのあとだった。


 宮嶋さんのあとに続いていた瀧本さんが、大地の背中にポンと手を置いた。


 ――えっ?


 あたしには長く感じたけど、ホントは1秒にも満たない時間かもしれない。 瀧本さんは、パッと手を引いて小走りで宮嶋さんを追いかけていった。


 ――なに今の。


 見てはいけないものを見てしまった。 瀧本さんの触れ方は、好きな人に触れたい、そういった情を含んだもの。


 瀧本さんの言葉を思い出す。

 

『わたしのせいかも』


 瀧本さんが大地に好意を抱いていて、それを宮嶋さんが知っていたなら。 あの大地への強い風当たりも、その風が強まった時期も、辻褄が合う。


 そっか、そうなんだ――。


「……美咲? 」

「あ、大地……大丈夫? 」

「おう、全然問題なし。 俺たちも行くか」

「……うん」


 瀧本さんの気持ちに気づいてしまってから、あたしの思考はそこに縛り付けられてしまった。

 食事の時も、帰りのバスも、先生によるレクレーションの時間も、気がつくと瀧本さんの目線の先を追ってしまう。 そしてその先には、半分くらいの確率で大地がいる。


「美咲? 大丈夫? ボーッとして」

「え、うん、もちろん」

「大丈夫じゃないでしょ。 ウチの話聞いてた? 」

「あ……ごめん」

「あちゃー。 なんかあった? アイツとケンカでもしたの?」

「ちがうちがう、ケンカとかじゃなくて」

「でも美咲、アイツの方ばっか見てるし、ため息多いし」


 それは、瀧本さんが見てる先だからーー。 せっかく友紀が同じグループになるように取り計らってくれたのに、それが逆に心配のタネになるなんて。


「ごめんごめん、なんか疲れちゃっただけ。 ケンカとかはしてないから安心して」

「わかった。 そいじゃ、とりあえずお風呂行こっ」

「うん」


 家のお風呂とは違って、足を伸ばして入れるのが大浴場のいいところ。 友紀と洞窟ツアーで山田くんのグループ落ち合うときの作戦を練りつつ、ゆっくりと温まった。


 部屋への帰り道、同じくお風呂上がりらしい同じグループの男子たちに出会った。 でも、大地がいない。


「あれ、アンタたちも風呂上がり? 」

「まぁな」

「菊野は? 四人じゃなかったの? 」

「ああ、宮嶋の伝言かなんかで瀧本に捕まってな」


 心臓がドクンと鳴った。 宮嶋さんが伝言……?

 ――違う、きっと。 もし本当だとしても、宮嶋さんの差し金だ。


 どこに、いるんだろう。

 スマホは部屋に置いてきたから手元にないし、大地も同じだとしたらいずれにせよ連絡を取る術はない。


 三人組におやすみの挨拶をして、部屋に戻る。 荷物を置いてスマホを手に取った。


「あれ、美咲ちゃんどっか行くの? 」

「ちょっと長風呂でのぼせちゃったから、夜風に当たってくる」

「やーん、昨日の続きしようと思ったのに。 早く帰って来てね」

「……善処いたします」


 恋バナの続きをしようとする二人と友紀を置いて、廊下へと駆け出した。 自分がなにをしたいのかもわからないまま。

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